2010-02-21 Sun
三春城下の南西、旧山田村にある村社沫蕩神社
田村郡巖江村大字山田村社 「沫蕩(あわなぎ)神社」御由緒
村社 沫蕩(あわなぎ)神社
祭神 沫蕩神 大地主神 天牟良雲神
口碑 本社は、室町中期の文明二庚寅年 城主(舘主)新田左兵衛尉貞顕により初めて社殿を創建され、大永二壬牛に最修されますが、天正十五年伊達氏の兵火によって罹災して社殿が消失します。
元和二丙辰年に再度修復され、天保四年宣旨を贈られ大神宮の号を受けています。
明治十二年、大地主神並びに天牟良雲神を合祀して、村社「沫蕩神社」と称しさらに社殿を造立しました。
明治初期、境内に樹齢400年と推測される老杉が十数本あり。
「沫那美の神」(泡が波立つ)とともに、河口(陸地の側)の水面のさまの神格化さてら者と考えられています。
祭神を、神代紀上にも記載されている「沫蕩尊(アワナギノミコト)」とあります。
沫蕩尊とは、詳細が不明の神様で、名前の意味としては「蕩」は平らかな、の意で、ここでは「和ぎ(凪)」に当たります。
また、神代紀上の「沫蕩尊」は伊奘諾尊の親となっている。
これは伊奘諾尊が水泡から生れたとする海人族の伝承によるものだと考えられます。
それに対して、記では岐・美二神の所生としているのは「別天つ神」と「神世七代」の神々以外の神々を、すべて岐・美二神の所生として系譜づけをしようとしたものであることを示すと思われます。
如意林観音や大黒様も祀られています。
境内の入り口にある地蔵尊
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