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三春物語510番「要田の熊耳熊野神社」


三春城下の北部、旧熊耳村宮前に鎮座する熊野神社です。



旧神号を熊王子大権現とする古社です。
別当を修験文学院としていました。
要田駅の南、要田温泉の目の前にあります。



平安期から鎌倉中期まで、三春を含む田村郡一帯は「田村庄」と呼ばれ荘園制度の中で熊野本宮大社の荘園とされてきました。その関係か田村地方には熊野神社が沢山建立されています。



『記・紀』が書かれた奈良時代には、熊野は黄泉の国でした。
古代、人々は都を昼の国とし、都からずっと南の方には夜の国があると考えていたという説があります。
夜は黄泉を連想させ、死者の住む国は黄泉の国・常世の国とされたのかもしれません。
熊野は山が深く、自然条件が陰鬱で、死んでから行くような冥府のような雰囲気があったのでしょう。
それゆえ、太古よりここは死者の国であるされ、イザナミが向かった黄泉の国とされたのかもしれません。
古くから人々の熱い信仰に支えられた聖地であり、『伊勢へ七度、熊野へ三度』とさえ言われている。




平安時代、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を中心とした、熊野三山の信仰が高まり、皇室や貴族をはじめ、武士や庶民階級にまで熊野詣が流行、その様子は蟻の熊野詣といわれるほどであった。
弘安4(1281)年、3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。
江戸時代に入って、元和5(1619)年、紀州藩主徳川頼宜が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたとある。言うまでもなく、身分や階級を問わない多くの人々が熊野にあこがれ、救いを求め、甦りを願って異郷とも思える山深いこの地を目指したのです。



平安時代後期、浄土信仰のひろがりのもと、熊野は阿弥陀如来あるいは千手観音の浄土とされ、人々はそこに来世を託した。
他方、現世の招福、不老長寿の願いの実現もまた、人々は熊野に託すようになった。
こうした信仰の普及を支えたのが、御師と旦那の間をつなぐ先達や、絵解きを唱道しつつ諸国を巡った熊野比丘尼の活動である。


| ryuichi | 05:57 | comments (x) | trackback (x) | 旧要田村::北成田・熊耳 |