2008-08-16 Sat
三春大神宮末社 笠森稲荷神社笠森は瘡守(かさもり)と音を通じて、瘡平癒から、皮膚病のみならず梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まった。
病気平癒を祈って土の団子を供え、治癒すると米の団子を供えることが慣わしになっている。
八百万(やおよろず)の神々といわれるように、日本には様々な神が存在しています。
日本の神について、江戸期学者の本居宣長は、『古事記伝』において次のように指摘しています。
「神とは記・紀などの古典にある天地の諸神をはじめ、それらを祀(まつ)る社にいます御霊(みたま)、また人や鳥獣、草木、海山などのほか、どのようなものでも「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ=神)とは云なり」とし、また「すぐれたる」ということも、尊きこと、善(よ)きことや功しきことだけではなく、悪しきこと、怪しきことなどの世に優れて可畏きことも神としている」
「畏敬」という言葉がありますが、恩恵を与えられるものだけではなく、畏怖を与えられるものにも神性を感じてきたのが日本人であり、崇められてきたのが日本の神々とされています。
このようななかで日本人は、自然に対して謙虚に接し、また豊かな感性を磨き上げてもきました。
こちらは、同じ境内にある三春藩剣術指南役
鹿島神傳直真影流十六代 黒岡正記先生の碑です。
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