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三春物語522番「熊耳山宝樹寺」


熊耳山宝樹寺


三春城下、北末の旧熊耳村にある臨済宗の寺院です。
現在は、JR磐越東線要田駅に西手山側にあります。


戦国期の南朝方田村庄司、田村輝定の庇護の元で、延元年中に夢窓国師開山創設とされています。
後に、三春城主田村氏の菩提寺福聚寺の末寺としています。


境内には、熊耳薬師如来・熊王子大権現(合祀・修験文学院所管)を祀ったお堂が建立されています。


明治の初め頃は、石森小学校熊耳分校の仮校舎よしても使用されました。
その名残でしょうが境内は広く整備されていてます。



 夢窓国師
伊勢の人。道号は夢窓。法諱は疎石。 臨済宗天龍寺・相国寺の開山国師。
 九歳にして得度して天台宗に学び、後、禅宗に帰依。
高峰顕日に参じその法を継ぐ。
 正中二年(1325)後醍醐天皇の勅によって、南禅寺に住し、更に鎌倉の浄智寺、円覚寺に歴住し、甲斐の恵林寺、京都の臨川寺(リンセンジ)を開いた。
歴応二年(1339)足利尊氏が後醍醐天皇を弔うために天龍寺を建立すると、開山として招かれ第一祖となり、また、国師は争乱の戦死者のために、尊氏に勧めて全国に安国寺と利生塔を創設した。
夢窓は門弟の養成に才能がありその数一万人を超えたといわれる。
無極志玄(ムキョクシゲン)、春屋妙葩(シュンオクミョウハ)、義堂周信、絶海中津(ゼッカイチュウシン)、龍湫周沢(リュウシュウシュウタク)、などの禅傑が輩出し、後の五山文学の興隆を生み出し、西芳寺庭園・天龍寺庭園なども彼の作庭であり、造園芸術にも才があり巧みであった。
また天龍寺造営資金の捻出のため天龍寺船による中国(元)との貿易も促進した。
後醍醐天皇をはじめ七人の天皇から、夢窓、正覚、心宗、普済、玄猷(ゲンニュウ)、仏統、大円国師とし諡号(シゴウ)され、「七朝帝師」と称され尊崇された。


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| ryuichi | 04:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧要田村::北成田・熊耳 |