2010-06-07 Mon
三春城下の東一里余、旧芦沢村南にある、田村三十三観音第二十三番札所「南作観音堂」です。
馬頭観音を安置しています。
戦国期、三春田村氏の重臣芦沢修理太夫が東方与力二十五騎を率いて守護した田村四十八舘芦沢城がありました。
自然を相手にする農民は、人間の力が到底及ばない深遠で崇高な存在を皮膚で感じて、
それらを神仏として信仰するようになり、後に講が形成されてきました。
講とは集落の連帯感を深める場であり、農業技術や集落の行事計画といった情報交換を行う場でもありました。
さらに、講とは民間信仰であると同時に集落を支える大きな原動力でもあったと考えられています。
今や講等の風習は効率優先で消滅しつつありますが、喪失の代償を考慮すべきでしょう。
「講」には主婦だけの講である十九夜講(お念仏)等もあるが、講に共通する意識には、この 集落の一員となり、運命を共有する者同士が、代々受け継がれてきた田畑を守り、自然の恵みに対する感謝と畏敬の営みにより培われてきた伝統を絶やす まいとする気持があるように感じています。
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