2010-06-13 Sun
三春城下の北部二里余、旧実沢村にある現人神社です。
小社 現人神社御由来緒 (寫)
磐城国田村郡澤石村大字實澤字八龍山鎮座
小社 現人神社
祭神 後醍醐天皇 義良親王 護良親王
當社勧請の由来を原するに、佐久間遠江守盛清の後胤右京太夫が當實澤郷に移り實澤上舘の屋形に住い
御宗参議源(北畠)顕家公が奥州鎮守府へ下向の際、義良親王を奉じたりに、官軍の利を失い、遂に大塔宮と共に伊達霊山に籠城し御難渋なされ、帰京ましましの途中、安達郡菅ノ澤とい
う所に掛けたる時しも雨天にて恐れ多くも十善萬乗の御玉体を田夫野人姿に替えさせ給いる。
玉は御歩行なれば一足に息し二足に立ち止まり給ふを見上げ奉じるに、実に感泣に堪えざるとて菅ノ澤(今の杉沢)の三瓶美濃と云う者、當村(實澤)迄案内を申す時に實澤村の北端を流れる移川と云う川があり(源流を美麗山とする川)、この川に掛り足る時、折からの雨の為に川が増水し洪水となり、其の架橋を渡ることが危険為るを以て御背負申せしに「我渡る」と仰せありたるを以て、此の処を「川渡」と呼ばれるようになった(我渡の義あり)。
此の時、三瓶美濃はこの地の八龍山迄御供を申し慈にて御休息ましまして御別れを申す。
この御休息の処として「御塔壇(大塔宮)」「御聖壇(義良親王)」「御参議壇(参議北畠顕家公)」と唱する遺跡を設ける。
茲(ここ)文中元年皇子の御尊影を崇し奉らんとしてこの山に祠を建立し、御尊像三体を造り現人神社と勧請する。
これが當現人神社の創立の濫賜(かんしょう)なり。
今に至るも甚だの御縁を以て安達郡杉沢村の三瓶家にては毎年歳初めに御幣束を納めることに怠りなく履行しています。
明治三十六年
社掌 岩崎嘉門
惣代 佐久間泰四郎
明治維新後になるのでしょうか、一言主命(ヒトコトヌシノミコト)という神様をお祀りしています。
この御祭神は、人々が普段口にする言葉を叶える神様で、特に一言で言った言葉に対して強い霊力を持ち、この地方の人々の間では「何事でも一言で聴き届けていただける」という根強い信
仰があります。
この神さまは「一言(いちごん)さん」と地元のひとには親しまれているそうで、さらに、「一言」にあやかって、1度にひとつだけのお願いごとなら叶えてくれるのだと言われています。困ったことが起きた時には、神前で一つの言葉に願いを込めてお参りするのが習わしです。
古代の人々にとって、信仰の対象は自然界における事象や事物すべてでした。
「八百万の神」というほど日本の神が多いのはそのためです。
人間の力ではどうすることもできない自然の出来事に神の姿を見たのでしょう。
巨石、滝、川、巨木などが神の宿るところとみなされていたので、山は霊域として信仰の対象になり、多くの神社や仏閣が創設されました。
季節の移り変わりも、人生の節目も、鎮守の神様とかかわりながら体験していたといってもよいでしょう。
そこは、暮らしのごく身近にある「祈りの場」でした。
大黒様や巳待供養等などもあります。
TOP PAGE △