2010-06-18 Fri
三春城下北部、垢潜(あかしろ)集落にある火雷神社です。
案内板によれば、
「京北野天満宮に発し、平将門一族の流浪地に祀られたことから起こったものとされる。
当社も当初は小さな祠であったが、この地に社殿を建立し、同地の守り神として現在に至っている。
祭神は火雷神で農耕の神である」としてあります。
祭礼のときに奉納される「垢潜三匹獅子」は、三春町文化財にで指定されています。
私たちの祖先は、山や木や岩、あるいは風や火や水といった自然の現象の中に神の存在を感じて畏れ敬いました。
そして部族の者達が飢え苦しむことの無いように、農耕や狩猟や漁業の収穫をそうした自然の神に祈ったのです。
これが天神様の原型でした。
農耕民族にとってとりわけ大切なのは雨です。
その雨を降らす雷様を、古代人は「天神」として崇拝したと考えられます。
「続日本後紀」のような古い記録に、豊作を祈願して雷公を祀ったとありますが、現在の北野天満宮の本殿前にある火之御子社がそれです。
後に菅公を北野にお祀りするようになったのも、菅公が『火雷天神』という神号を持っていたからだと言われています。
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