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三春物語583番「湯峰氏神熊野宮」
三春城下の北東、御祭戸ノ内にある熊野権現は、湯峰家の氏神様として七戸の屋敷で祀ってあります。
当番制で宿に集まり、餅を搗いてお祭をします。
祭日は、春四月七日と秋十月十日となっています。

湯峰という珍しい苗字は、紀伊熊野大社本宮参詣のおりに、熊野詣での湯垢離場として名高い、足袋脱所「湯ノ峰温泉」に由来すると伝えられていて、熊野大社の荘園であった田村ノ庄との係わりが見えてきます。

各村々には氏の祖霊神を通じて村人は一致し、氏神を心のよりどころとし、また農耕や村の運営なども神意によってきめられた。



湯の峰温泉は、本宮町でいちばん古いどころか、日本でいちばん古い温泉だといわれています。
 第十三代成務天皇の御代に熊野の国造(くにのみやつこ)大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見されたと伝えられています。
 成務天皇は、在位期間は131年から190年までと考えられ、国造や県主を定めるなど、地方行政組織を整備したとされます。
 2世紀といえばまだ弥生時代。
 成務天皇の兄には日本武尊(やまとたけるのみこと)がいます。日本武尊というと、なんだか歴史上の人物というより神話上の人物という感じがしますが、ともかくも、湯の峰温泉は今から1800年以上もの昔に発見された日本最古の温泉なのだと伝えられています。

湯の峰温泉HP http://www.tb-kumano.jp/onsen/yunomine.html

熊野信仰
 
古より、人が険しく厳しい旅をしてまでこの熊野の地へ詣でる理由は、熊野の魅力はなんなのか。その昔の熊野詣は難行苦行の連続であり、苦行の果てに自らが体得し、悟りと不思議な力を知りえたといわれています。
また、熊野の自然は、四季の変化に富み、実に美しく、山高く水清く、各所に湧き出す温泉など、
この地にたどりついた人々は、この世の極楽浄土を見た思いだったのかもしれない。

険しい山岳地帯、地の果てとも言われる熊野三山が、熱狂的な信仰をあつめた要因の1つは、「熊野権現」は神仏一体であり、貴賎男女の隔てなく、浄不浄をとわず、なんびとも受け入れたことであると考えられています。
人は絶望の淵から再生を念じて熊野を目指したのでしょう。


説経「身毒丸」は、継母の呪によって宿病に侵された者の、絶望と救済の物語です。
宿病のなかでも癩病は、近年までも厳しい差別にさらされてきたのであるが、中世においては、それこそ禁忌の対象として、社会からの追放と孤立を意味した。こうした境遇に陥った主人公が、天王寺を舞台にして、女性の献身的な愛と観音の霊力によって救われるという物語である。

天王子は、清水寺とならんで、中世における観音信仰の一大霊場であった。また、浄土信仰の拠点でもあり、その西門は極楽の東門に通ずるといわれた。このようなことから、庶民の厚い信仰を集めるとともに、社会から脱落した者たちの最後の拠り所ともなった。
また、天王寺にはささら乞食やあるき巫女などの、下層の芸能民が集まり、祈りに来た民衆を相手に芸を売っていたとされる。

説経の物語は、主人公の身毒丸の出生の因縁を語ることから始まる。
身毒丸の不幸は、実母が自らの傲慢により、観音に罰せられて死ぬことから始まる。後妻となった継母は、自分の子が可愛さに、しんとく丸に呪をかけるのである。
それも、身毒丸に生を与えた観音菩薩に、その命を取ってくれと頼む。

深い絶望に閉ざされた身毒丸は、しかし、清水の観音の夢のお告げに従って、蓑、笠を肩にかけ、町屋をそでごひして歩く。
痩せ細ってよろめく身毒丸を見て、人々は、弱法師と異名をつけるのである。

ふたたび夢に現れた観音の教えに従い、身毒丸は熊野本宮の湯に向かう。
熊野の湯は昔から病者を癒すとされていた。
熊野の湯に向かう途中、身毒丸は、施行を受けようとして、かげやま長者の館に立ち入り、そこで長者の娘乙姫と運命的な再会をする。
以前、身毒丸は天王寺の舞楽の場で乙姫を見初め、恋文を送っていた。乙姫も身毒丸の気持ちに応えて返し文を認めたまではよかったが、継母の呪によって二人の恋は中断していたのだった。

身毒丸は、己の目が見えぬために、かつての恋人の前に恥をさらすことになったと、深い絶望に襲われながら、天王寺へと舞い戻っていく。一方、乙姫のほうは、かつての思い人が違例者と成り果ててもなお、愛を失わないまでか、その愛を貫こうとする。その決意の言葉は、凛然とした女性の持つ美しさを感じさせるのである。

かくして、乙姫は夫と定めた身毒丸の行方を追って、「さて自らは、見目がよいと承る、姿を変へて尋ねんと、後に笈摺、前に札、巡礼と姿を変へ、」放浪の旅に出る。
この順礼の姿は、観音信仰に身をささげる放浪者の象徴である。
中世の世、天王寺に拠り所を求めた制外者たちの多くは、男は聖の衣服をまとい、女は順礼の姿をとっていたのだろうか。いづれにしても、制外者と身を変えることまでして、愛するもののために献身する。女性の純真な心情こそが、この作品に類希な色合いを添えているのである。

女性の献身は、「山椒太夫」の安寿姫や、「をぐり」の照手姫に見られるように、説経の大きなテーマであった。女性の愛によって、絶望した者が救済されるという構図は、説経にとどまらず、中世文学を貫いている縦糸のようなものである。その女性の愛とは、いいかえれば、観音の慈悲が人間の姿を通じて現れたものなのであろう。少なくとも、中世を生きた人びとには、そう確信されたに違いない。

一曲の最後は、観音の夢の告げにしたがって、乙姫が身毒丸を再生させる場面である。


三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一



| ryuichi | 04:39 | comments (x) | trackback (x) | 旧御木澤村::御祭 |