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三春物語598番「要田由来」


要田由来
  
要田は、中通り中部・阿武隈山地の西縁部八島川上流に位置し、熊耳(熊神)、笹山
(篠山)、荒和田(荒渡田)、南成田、北成田の5ヶ村から成る歴史的にも古い、由緒
のある地域です。

熊耳異見
・戦国期の田村四十八舘熊耳舘以前に、百済王朝の末裔と称する大内備前守居を構えていたと伝えられて、その舘のあった場所とされています。

・戦国大名田村氏三春入府以降は、三春城の出城である田村四十八舘の一つとして、熊耳太郎左衛門が城主を勤める「熊耳舘」がありました。

・熊耳山宝樹寺薬師堂、熊野神社に熊王子権現
別当修験 文学院



・王子信仰、全国の熊野信仰において熊野権現を勧請する際に、多くの場合この神が祀られた。
・熊耳の由来には諸説があります。
熊耳(熊神・隈神)を「隈が三っ」と読み下してみると、「日隈」「月隈」「星隈」即ち、太陽、月、星宿(星宿神=北極星)とう自然信仰的な意味が見え隠れして「三隈」という名前につきあたります。
隈とは、境界という意味があります。

さらに、日隈、月隈、星隈のそれぞれの名の由来は、はっきりしたことは分からないが、日・月・星の三光になぞらえて付けられているという。

日、月、星の三位一体の古代信仰「星信仰」の先住部族の正体を解明するとともに、アラハバキ神の変容と象徴性を原点と考えられます。



・熊王子権現隈王子(OUJI)
ハングル以前の朝鮮語
朝鮮というとハングル文字を思い浮かべる人は多いでしょう。
しかし、ハングルは15世紀に作られたもので、古代から存在していたものではありません。
もっと以前には吏読(イト)という、日本の万葉仮名のような文字も存在しましたが、それも半島の中国化によって消滅してしまったのです。

「星信仰」と東国の渡来人
朝鮮百済王朝の末裔と称する大内備前守所領

大和朝廷(シナ人)とは民族を異にする大陸からの渡来人の存在
日立に流れ着く
日立から水郡線沿いに「星信仰」と渡来人の痕跡が地名として残る

・縄文人 蝦夷と呼ばれた土着の民族(狩猟民続)
・弥生人 渡来人(シナや朝鮮など)として大陸から稲作文明をもたらす。(農耕民族)
・土地の占有争いにより戦争の根源なす。



田畑としての土地の確保。狩猟民族は山の民如く移動する民族で土地の概念がない。
農耕民族は、田畑造成のために土地が必要になり、土地の確保のために戦が起こる。

源頼義の息子には新羅三郎義光(甲斐武田家祖)という武将がいます。
この新羅三郎という名前は、この説によれば「新羅の戦士」を意味します。
このことから、源氏は新羅系渡来人の後裔だったのではないかとまでこの説から考えられます。
 源氏が朝鮮系だったことは十分にありえると私は考えます。
なぜなら源氏は関東で起こった武士集団だからです。
朝鮮半島からの渡来人が後の武士になったと考えるのなら、武士の棟梁となる源氏もまた渡来人の後裔だったと考えて無理はありません。
いずれにしても、関東を中心とする地域に朝鮮からの渡来人が大量に住み着いたことは歴史的事実です。




地名由来
要田、渡来人が稲作文化を伝えた場所
成田(千葉も同じ)稲作の成功した田圃
荒和田(荒渡田)は、稲作の出来が悪かった場所。
笹山(篠山)も同じ理由か?





庄司は、田村庄を統括する田村庄司(田村家とは別)との関連した場所
紀州熊野権現の荘園


| ryuichi | 04:22 | comments (x) | trackback (x) | 旧要田村 |