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三春物語609番「八雲神社夏季祭礼夏越払 荒獅子奉納」


「荒獅子」は、戦国時代の田村氏、江戸初期の松下氏、そして、江戸期秋田藩政下、三春五万石六十六郷領内総鎮守大元帥明王夏季例大祭の祭礼にて露払いとして奉納されていた獅子舞です。
城下町として栄えていた三春城下に疫病が侵入するのを防御の祈願のため、天王様(牛頭天王)と荒獅子が、疫病を鎮めるために、町中を練り歩くようになったのが、始まりとされています。

当所は、小山村(後の御祭村)の青年が長獅子を奉納していました。

叉、獅子頭は、小山村(御祭村)の名工によって作られその地名を獅子造りと呼ばれています。

荒獅子は、秋田藩政期には領内総鎮守大元帥明王に露払い(悪魔祓い)として奉納されていた三春独特の獅子舞で、三春に在る長獅子の中では一番歴史が古く、田村大元神社や八幡神社の長獅子はこれを明治期に伝授されたものと伝えられてます。

 
明治維新後の神仏離反、そして廃仏毀釈をうけた明治初期、大元帥明王社は、大志田神社を経て現田村大元神社に改宗改名した際に時の総代といざこざになり、以後荒町の八雲神社だけの奉納となりました。
牛頭天王は、現八雲神社の祭神で、疾病を防ぐ神であり、神道におけるスサノオ神と同体とされています。
 医療技術が乏しい時代に、疾病を防ぐ強い力を持つ牛頭天王に対する信仰は、かなり大きかったと思われます。
 
牛頭天王は、単に「天王様」と呼ばれました。
また、荒獅子は一般に、悪魔祓い・疫病退散の役割を担うことが多いが、これが牛頭天王と同一視され、三春の祭礼においては、単に獅子舞ではなく、威勢のよい「荒獅子」になったのかも知れません。

人が死ぬと、「魂が霊となる」との考えは、世界共通の考えで、日本でも縄文時代から信じられていたと、言われています。
奈良時代には、厄災(天変地異や疫病等の災い)は不業の死を遂げた人達の、怨霊のなせる業と考えられる様になり、こうした霊を、丁重に祀り慰める事で、「怨霊」が「御霊」となり「鎮護の神」となって、平穏をもたらすとする「御霊信仰」が起り、怨霊を慰める儀式 「御霊会」 が行われる様になります。

この「御霊信仰」を背景に、疫病神である 「牛頭天王」を、お祀りし疫病退散を願ったのが 「祇園会」 (ギオンエ) であり、祇園牛頭信仰 のおこりだと考えられています。

疫病を対象とする「牛頭祇園信仰」 が始まった背景は、医学の未発達に加え、衛生的とは言い難い生活環境に加え、 更に、日本独特の高温多湿の梅雨、これらが重なり、赤痢・はしか・疱瘡等、現在では死者の出ることがまず無い疫病ですら想像を超える、死亡者が出てしまい、しかも皮肉な事にその伝染性は、人々が集まって生活する都市部で、より大きな悪影響をもたらし、都市に居住する人達の、最も恐れる、「厄災」 であった為でしょう。

 
 三春城下荒町の八雲神社の夏季例大祭の荒獅子奉納は、この半年の罪のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する行事「夏越祓」(なごしのはらえ)の日役割もあるかと思います。
私たちが日常生活のなかで、知らず知らずに犯してしまった罪けがれを人形(ひとがた)に託して身体を清め、心新たに生活を営むべく、大きな力を得る大切な行事が『大祓(おおはらえ)』です。

名越、六月祓(みなづきのはらえ)ともいい、古代宮中で旧暦6月・12月晦日に行われました。
それが民間に普及し、特に6月の大祓は盛大に行われました。



「大祓」は太古、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が不浄(ふじょう)に触れられたときに、海で禊(みそぎ)をされた故事に始まって以来、代々の朝廷において夏と冬の末期にこれを行うようになり、神社においては江戸時代頃より庶民のためにこれを広く行うようになりました。
人々が日常の生活の中で、知らずに身についた罪穢(つみけがれ)を御神前で悔い改め、自分自身でお祓いをし、心身ともに清らかにする行事です。

素戔嗚尊(すさのうのみこと)に旅の宿を供して、難儀を救ったと
云われる蘇民将来(そみんしょうらい)が素戔嗚尊の教えに従って
腰に茅の輪を下げたところ、子孫代々に至るまで災いなく栄えたと云う
故事にちなみ各地では「茅の輪」をくぐる神事が伝わります。


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| ryuichi | 04:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::八雲神社 |