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三春物語620番「施餓鬼供養」
死んでも祀る人のいない「無縁仏」や、事故や災害にあって死んで成仏できない「餓鬼」は、人に災害をもたらす特に危険な存在なので、ていねいに祀られます。
 無縁仏や餓鬼を祭るには、「餓鬼棚」という特別の盆棚を作ります。
  餓鬼棚は、一般に井戸のそばや屋根の下の雨垂れ落ちに置かれます。



井戸のそばに祭るのは、昔、井戸があの世とこの世の通路であると考えられていたからといわれています。
無縁仏や餓鬼が井戸から出てきても、祀る人がいないとそこに集まってしまうので、井戸のそばで祀らなければならないとしたのでした。
また、寺では、無縁仏や餓鬼を送りだすために「施餓鬼供養」を行います。
 川や掘割が縦横に走る三春は水死者が多く、その霊を祭るために各川で「川施餓鬼(かわせがき)」の供養が行われています。



人は死すると、当然のことですが自らの身体を維持する機能が停止してしまいます。
自らの身体を維持できないと言うことは亡くなった方の遺体は腐敗が徐々に進み、更に時間が経てば蛆虫等もわいてきます。
想像したしただけでも大変に気持ちの良い物では有りません。
そんな死を不浄なものであると忌み嫌う遺伝子が今の我々の中にも存在しているのではないでしょうか?
日本人は「死」と言うことを忌み嫌います。
そして死体を凄く怖がります。
これは昔の人だけでなく現代を生きている我々にも共通していることではないでしょう。
自分の身内で生前良く可愛がってくれた、おじいちゃん・おばあちゃんでも死んだ瞬間から怖い存在なると勝手に思ってしまうところが、今でもないでしょうか?
日本人は昔より死は不浄なものと意識してきました。
死は恐ろしいもの不浄なものと意識してきました。





| ryuichi | 04:44 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |