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三春物語120番 商売繁盛祈願 高屋敷稲荷神社 「初午祭」
   商売繁盛祈願 高屋敷稲荷神社 「初午祭」


 立春も過ぎて暦の上では春、日向には、福寿草・ふきのとうが顔を出し始めていますが、北国の小さな城下町三春の春の訪れはもう少し先になるみたいです。

今日は初午、三春の各所にある屋敷稲荷さんには、「初午祭」として五色の色鮮やかな旗が風に靡いています。
このお稲荷さんは、人々に近い神様と云われています。商売繁盛・五穀豊穣・家内安全・無病息災祈願、所願成就の神様であり、お稲荷神の神使は狐といわれ、油揚げや赤飯などをお供えします。

お稲荷さんは日本全国に分布しており、三万余の分霊社があるといわれます。本山は京都にある伏見稲荷大社、祭神を「宇賀御魂の命」別名「豊受大明神」とし、その昔は大名から一般の庶民まで崇敬を受け、現在に至っています。

秋田家三春初代藩主秋田俊季公入府の折り、民衆統治の中心として寺社仏閣を建立、三春各所にあるお稲荷さんは、その時に秋田家前任地宍戸(茨城県)の近くにあった笠間紋三郎稲荷を分社して八幡神社の入口に建立したのが始まりといわれ、三春城の守護として大町役場前にある「守城稲荷」の建立等を経て、その信仰は庶民に至り、
各字、商家農家各戸の氏神様として祀られるようになりました。

舞木のお稲荷様と称される「高屋敷稲荷神社」は、江戸時代飢饉の際に、守山藩から3年間年貢を免除してもらったことに感謝した農民達が、庄屋・鈴木権兵衛を中心に、五穀の神として名高い伏見稲荷大社の御分霊を頂いて祀ったのが、高屋敷稲荷神社の始まりとされています。

嘉永年間(1848〜1854)には、庄屋の青山久助により、高屋敷稲荷神社の前の社殿が建て替えられています。



初午祭は子供の祭りと云われ、太平洋戦争の激化する昭和18年までは、初午祭の日を心待ちにしていました。

子供達は手に絵の具を持ち字内にあるお稲荷さんを廻り、参道に飾る五色の紙旗に「正一位稲荷大明神」などお題目を描き自分の名前を書いて掲げ、お礼にお菓子やお膳などを頂いたと聞きました。

三春の中でも、本日「初午祭」が挙行される、高屋敷(舞木)にある高屋敷稲荷は、約150本の朱塗りの鳥居で有名ですが、戦前までは四千本の鳥居がありました。
これは商売繁盛の神様として昔も今も変わりなく商人は、商売繁盛を祈願しその成功と折りには祈願成就御礼として、朱塗りの鳥居を建立するといわれます。

また農業を営む人は五穀豊穣の御礼としてやはり朱塗りの鳥居を奉納したといいます。

日本全国はもとより、三春の地より、遠く海外へ移民した人々の成功御礼の建立があり、ハワイ・ブラジル・満州などからの建立がありました。

本日、高屋敷稲荷神社「初午祭」では、午前十時よりお神楽奉納や餅つき振る舞いが行われ、商売繁盛・祈願成就を祈願する多数の参拝客で賑わう事でしょう。

私も商いを生業とする商人として、商売繁盛・祈願成就の時には一本朱塗りの鳥居を奉納したいと思います。


蒼龍謹白  合掌


| ryuichi | 17:01 | comments (0) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
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