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三春物語638番「三春高橋氏」


三春昭進堂の主は、髙橋姓を名乗っています。

私も当然髙橋の龍一と申します。


私で4代目ですが、それ以前(明治の中ごろ9までは、当店の南2里余、三春城下在”込木柳作”の農家でした。





文献が乏しく、口伝の域を脱しませんが、三春昭進堂当家の祖先である柳作髙橋氏は、戦国期の三春田村氏の組下で、柳作を知行、舘・屋敷を構えます。

後に、伊達派と相馬派の内紛の時には伊達派に組し、太閤秀吉の奥州仕置きにて、田村氏の改易されると、この知行地にて名主・村司として帰農します。






当時、須賀川城主二階堂氏の家臣にも、髙橋菊阿弥(時衆)、髙橋右衛門の名前が記録されていますが、伊達氏組下の三春田村氏(二階堂氏同様伊達とは婚姻関係・政宗の大叔母在家)の旗下である柳作髙橋氏が、家名存続の手法として分家して、その分家を、二階堂氏へ下し、合算・与力したのではないかと考えています。





戦国当時は、家名存続の為に分家して、敵味方へ帰参し与力して分かれて戦うというのは常套手段とされていました。

“武士は二君に仕えず”とは、江戸期の徳川幕府による儒教・朱子学での、思想統制の産物でしたよね。

武士が支配階級として身分的にも分化し、農・漁民や町人が支配される側に明確にされたのは、豊臣・徳川政権の確立による農兵分離が全国的に波及してからの事です。

もちろん、武家社会は、平家や源氏に始まり、鎌倉幕府成立後にその地位を確立していきますが、生産力も充分でないなかで常備軍団を組織的に養うことは困難でした。

そのため、当時の常識として武士は、戦時以外は所領にて帰農し、地域の豪族として存在します。

これは、戦国時代だけでなく、それ以前にも放浪した農民や商人が地方豪族となったり、地域豪族の利権・境界争いに農民も武士として盛んに動員されています。



当時は、全ての領民が戦闘員だったといえます。

そして、その生活基盤となる所領を守るために一族郎党が、分家制度を取り隣接する他の豪族にも組して細分化してゆき、所領と一族の安全を確保していったと考えられます


三春昭進堂代表 髙橋龍一

| ryuichi | 04:23 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |