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三春物語403番「三春城下の大晦日」
大晦日
紅白も終わると行く年来る年がはじまり、三春城下も年越しの行事が目白押しで、周囲がざわめきます。
三春藩主菩提寺秋田山龍穏院では除夜の鐘がつかれます。
また、同じ藩主菩提寺高乾院では除夜会が、そして三春大神宮や田村大元神社では元旦祭が挙行されます。
さらに、八雲神社では「七福神舞い」が行われます。
除夜の鐘は,12月31日の大晦日(おおみそか)に,お寺で,108回つかれる鐘のことで,過ぎ去ってゆく一年を振り返って反省し,来たるべき年を迎える行事です。
 実は,除夜の鐘は大晦日にお寺で行なわれる法会の一部で,禅宗では除夜会(じょやえ)といったりもします。
 「除」という文字は「除く,押しのける」という意味で,「除夜」は「古い年を押しのけて,新年を迎える夜」のことなのです。除夕(じょせき)・除日(じょじつ)・年の夜・年越しともいいます。ちなみに,“除夜”の解釈として,「夜を除く」と説明することもあります。そのため,大晦日の夜は眠らずに元旦の朝まで起きている風習があるのだとされています。
 普通,仏教の思想に基づいて,百八の煩悩(ぼんのう)を払うために除夜の鐘をつくのだ,といわれています。そのため,鐘の数は原則として108回なのですが,百八という数え方には2説あります。

1.心を縛りつけて修行を妨げる10種の煩悩(十纏<じってん>)と人々を輪廻の世界に結びつける98種の煩悩(九十八結<くじゅうはっけつ>)とを合わせて百八煩悩とする説。

2.目・耳・鼻・口(舌)・皮膚の感覚および意識(心。合わせて六根といいます)が活動していると,好・悪・平(好悪どちらでもない)の三つの煩悩がそれぞれの感覚に生じて18となり,それぞれに染・浄の2種,さらに過去・現在・未来の3種があるので(18×2×3),百八煩悩とする説。
 
それ以外に108という数の説明として,「十二月・二十四気・七十二候」を合わせたとする説もあります。これは,中国の暦法によってそれぞれ一年間を分けたもので,十二月は十二ヶ月,二十四気(にじゅうしき 二十四節気)は立春・春分・立夏・夏至など一年を24等分したもの,七十二候(しちじゅうにこう)は72分したものです(この説は仏教とは関係ありません)。
 どの説が正しいかはわかりませんが,ともかく,大晦日に鐘をつくことは中国では宋(そう)の時代にはじまり,日本では近世になって広まったといわれています。
 


| ryuichi | 06:08 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記 |
三春物語401番「旧蛇石子育て地蔵堂」




蛇沢の子育て地蔵
慈悲深い表情と、すらっとした姿が特徴のお地蔵さま。
 名前の通り、安産と子育てのご利益を授けてくれるお地蔵さまで、ご利益を授かった際は赤いよだれ掛けを奉納する慣わしだそうです。



古来より、子育て、商売繁盛の地蔵尊として信仰を集めてきたお地蔵さまです。



真言「オンカーカーカビ サムマーエイ ソワカ」を唱えながらお参りください。






| ryuichi | 06:01 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
三春物語396番「春沢の不動明王」

「不動明王」

十三仏の初七日導師。
いつも身近で私たちを護るため、大日如来が姿を変えて現われたのがお不動様です。
お不動様は信ずる人の心の内に住み、その人を護り、ご利益を下さいます。

お不動さまを動物で現すと竜、物ならば両刃の剣、色ならば金または青黒となります。
お不動さまが右手に持っている剣を利剣といいます。
正しい仏教の智慧で、迷いや邪悪な心を断ち切りることを現します。
左手の綱は羂索(けんさく)といいます。悪い心をしばり善心をおこさせることを現します。
背中の炎は迦楼羅焔(カルラえん)といいます。
カルラは毒をもつ動物を食べるという伝説上の鳥の名前です。
この鳥の姿をした炎は、毒になるものを焼きつくすことを現します。
足下の岩は磐石といって、堅くて大きな岩です。
迷いのない安定した心を現します。




| ryuichi | 05:58 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
三春物語395番「御祭馬頭観音堂」
 



三春城下西北、御祭にある馬頭観音堂です。



田村四十八舘御祭舘と対をなす小高い丘に鎮座します。





馬頭を頂いた観音様の姿を見て,馬とともに生活する人々の中に,馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれました。

農家では農耕馬の,馬の産地では生まれ育つ仔馬たちの,そして馬稼ぎの人々にあっては馬と歩む道中の安全を祈ったり,また道半ばで力尽きた馬の冥福を祈ったり,そんな理由で馬頭観音は作られたのでしょう。





観音講
 新年の午(うま)の日などに祝う。
馬は、農作業で大切なものであり、無事を願い馬頭観音を祈る。
馬頭観音堂の前で神事を行い、馬持ちの家が宿となって馬頭観音の掛け軸をかかげて夜に講が開かれた。






| ryuichi | 06:04 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧御木澤村::御祭 |
三春物語394番「田村三十三観音三十番札所大霊山龍光寺、馬頭観音堂」


田村三十三観音三十番札所
滝の大霊山龍光寺、馬頭観音堂



滝桜のある滝集落入り口に鎮座しています。



馬頭観世音菩薩とは六観音のひとつです。
インド神話に登場するヒンズー教の最高神のひとり,毘紐拏(びしゅぬ)が馬に化身して,悪魔に奪われたヴェーダ(インド最古の聖典)を取り戻したという説話が起源となったといいます。
一切の魔や煩悩をうち伏せる働きをするとされますが,これは馬が周囲の草をむさぼるように,人間の煩悩を食べ尽くして救済するということのようです。



日本では奈良時代以降に信仰されるようになったということです。



馬頭を頂いた観音様の姿を見て,馬とともに生活する人々の中に,馬の無病息災を祈る民間信仰が生まれました。



農家では農耕馬の,馬の産地では生まれ育つ仔馬たちの,そして馬稼ぎの人々にあっては馬と歩む道中の安全を祈ったり,また道半ばで力尽きた馬の冥福を祈ったり,そんな理由で馬頭観音は作られたのでしょう。



春の桜は見事です。


微笑みの石仏


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| ryuichi | 05:35 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::柴原・滝・根本 |
三春物語393番「「七草木休み石」


三春城下から小浜へ向かう、七草木奥にある「七草木休み石」です。
徳川幕府二代将軍秀忠公が、この地に検地のために来たときに、この石に腰(こし)を下ろして休息(きゅうそく)したといわれています。
「休み石の由来(やすみいしのゆらい)
徳川将軍秀忠公東北地方御検地ノ節 コノ石に越ヲ掛ケ休ミシトイフナリ 左右草原ナリ 亦(また)大笠松(おかさまつ)アリテ 旅人コノ下ニテ 休息セシ処(ところ)ニシテ コノ石ヲ休石トイフナリ ナホ笠松ハ暴風ニテ倒レ 惜シムベシ 七草木七ツ石ノ一ツナリ
昭和56年 渡辺正男(七草木の人 故人)」
これは、御木沢村七草木に在住した、渡辺さんが七草木の歴史を後世まで残したいという一年で私財を投じて、七草木および御木沢村全域の史蹟に看板を立てたと聞き及んでいます。
この偉大なる先輩に敬意を表したいと思います。





| ryuichi | 05:35 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧御木澤村::七草木 |
三春物語393番「三春の女郎」

花楼

遊廓の女郎とは、遊女、売春婦
 彼女たちは、置屋(遊廓)に借金があります。
家族を養うために親が作った借金がほとんどです。


島村楼

 田舎の貧乏な農家などの家では、小さな娘さんと現金とを交換したわけです。
人身売買と、思うけど、生まれたばかりの赤ちゃんの顔に濡れた和紙をのせて……という時代の話ですから、仕方がないのかもしれません。
 

双葉楼

この頃の貧富の差は、すさまじいものだったんだろうなぁと思います。
 

島屋楼

 一般的には「売られる」という表現かもしれないけど、その売価分だけ働いたら、遊女は終われたわけです。
「年季が明ける」と言って、大抵25~28才くらいだったみたいですが、行くところもなければそのまま雑用係になったりもしたみたいです。

 但し、仕事はハードなだけあって、年季が明ける前に亡くなってしまう人も多かったみたいです。過労死もあったろうし、病気が一番です。
梅毒なんかはこの頃はまだ治療法がなかったですから。





| ryuichi | 06:05 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |