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昭和57年度卒郡山商業高校柔道部OB会御一行様~28夏


先日、半年ぶりに郡山商業高校の柔道部OBを中心とした仲間が集まっての飲み会がありました。

場所はいつもの細沼にある割烹「蔵王城」

川井ん家です。




夕方の7時半から12時半位まで、宅飲み感覚で飲んではしゃべり~のと楽しい時間を過ごさせていただきました。

蔵王城川井の奥さん、そしてお母さん、いつも申し訳ありません。

本当に、気の置けない仲間とはありがたいものですね。





30年以上続くこの飲み会です。
この時は、すっかり高校時代に戻って羽目を外してどんちゃん騒ぎさせていただいています。

今年52~3歳を迎えた働き盛りの面々、それぞれに、順調な時期もあれば、苦しい時期もあったんだろうけど、そんな事とはお構い無しにバカ話で盛り上がれる。

しかも、二次会も行かずに蔵王城のおいしい料理を食しながら、ビールや焼酎を飲んでいます。

それに、何よりも、仲間通し、相手が何をしているか、全く気に留めなくてもいいのが心地良いいんです。

もちろん、それぞれに困っていることがあれば心配もするし、手助けもする。

そして、また馬鹿話をして盛り上げれる・・・・。




また、よろしくお願いいたします。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「インド・バパトラへ!」 金龍会 鶴蒔田山荘



先日、先輩とゲストを迎えての放談会「金龍会」を催していただきました。
川前紫渓の百杯宴になぞらえて、の放談会です。

金龍会?
先輩の名前の「金」と私の「龍」からとった命名です。

香港マフィアの会ではありませんから。


先輩が楽しんでいる無農薬自然農法で育てている畑を見させていただきました。
最盛期には30数種類の野菜たちを育てるというその畑はもう家庭菜園の域を超えています。

そして驚いたのは、その畑から見える風景です。
私は勝手に先輩のお宅を鶴蒔田山荘と呼んでいますが、その頂上にある畑から見える景色は、私の知っている三春城下とは全く違う風景が広がっていました。

桜川が流れる踊り場を眼下に於き、桜並木の続く八幡さまの参道、その上にある胡桃稲荷さん、その横には法華寺の桜と本堂、左手には三春大神宮、貝山岩田のバイパスが真正面にあり・・・といった具合です。

「心が落ち着き、清々しい気分になるこの景色、どういう心持で見られるかが大事なんだよねぁ~」

この先輩の言葉に、様々な教えがあるように思います。

そしてスペシャルゲストは、最近どうしても飲みたいと思っていた先輩でした。

天澤寺本堂前の傳光院銘石橋や、旧競り市場跡の光照寺遺構石板の話を伺うことができまして、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございます。


先輩のライフワークともいうべきジョブ(仕事)の中に、インド国バパトラへの学校支援があります。

県の文学賞最終選考まで残った作品を拝読させていただきました。

3回は行ったというインド訪問記ともいうべき「みたび、インド」となっています。



そして、一緒に拝借した「ふたたび インド・バパトラへ!」と題されたDVD。

貧困にあえぐ国の紹介ビデオは何度も見たことがありますが、知っている方、それも三春の先輩が、しかも、三春の行政に長く携わっている一人の男が、単身インド・バパトラという貧困にあえぐ寒村へ行って、スラムの子供たちのために学校造りやその運営をサポートをするNPOに支援するために浄財を現地に赴いて届けて、自らも授業をする・・・

そして浄財を出していただいた、関係各位へ報告のために作ったビデオです。

仕事といえば仕事の一環かもしれませんが、そん所そこいらの人間では、なかなかできないことです。


昨今のインドはIT産業を中心に経済成長がめざましく、高層ビルの建設が相次、新興国の投資対象として世界的な注目を浴びる一方、そのすぐ横にはスラム街が広がっている貧富の格差が激しい国。
以前、「インドに行ってみな!人生観が変わるよ・・・:」
三春の菓子屋の先輩に聞いたことがある言葉です。

この「ふたたび インド・バパトラへ!」は、先輩が三春の子供たちや関係各位より預かった”浄財”をバパトラの学校へ届け、その報告のために自分でビデオを回し映像を編集した報告用のビデオとなっています。

そして「みたび、インドへ」を読んで、改めて人生・人生観というものを考えさせられました。

ごみをあさる親子に象徴されるインドスラム街の現状。
寄宿舎の女子寮にいる赤ん坊。
屋外の井戸で体を洗う子供たち。

スラムの人達はアウトカースト(カーストに属さない)。
インド国カースト制度の慣習の中ではまさに最下層の人々で、差別や経済格差により、スラムの人口は更に増え続けている現状があります。

「みたび・・・」の活字を読んでグラグラ来ていた心の中に、「ふたたび・・」の映像がすべての疑問を、そして先輩の”男の凄さ”を見させていただきました。

先輩の“人となりは”断片的に、そして傍目からでも見てきたつもりでした。
また、金龍会の中でも、伺って正に尊敬に値する、リスペクトすべき人間、目標とすべき男だと感じていました。

しかし、「ふたたび・・・」のビデを見て、“本当の男の生きざま”見ました。
ただただ感動して、涙が頬をつたうのを忘れてみていました。


本人は、「今考えても、初めてのインドから30年後、仕事がらの出会いがあり、再度インドに行くことを決断したことが不思議でなりませんし、私の人生にはそういう道が引かれていたのだと思っています。」とおっしゃっていました。


私は、自分の人生といえば大袈裟なんだろうと思いますが、振り返ってその浅はかさを反省していたところです。





スラムと学校。

「この校門が開いているか、否か?その校門を入れるか、否か?その子供の人生が変わります・・・」
胸に突き刺さりました。
お邪魔した時に見せていただいた最初のインド訪問時の写真集。

とにかく、どこを見ても、見渡す限り、汚かった。
「写真だから匂いは判らないからいいんだが・・・」

そして、ビデオに映るビーチ近くのスラム街。
確かに、その画像を見ると、そこらじゅう様々なゴミが散乱しており、街全体がゴミ溜めのようでした。

糞尿が泥と混ざり、その上を、人々が裸足で駆け回る。
ドブのようにぬかるんでいるその地べたをを、ハイハイをしている赤ん坊。
多分、トイレは無く、大人も子どもも、皆道端で用を済ませているんでしょう。


映画のセットではなく現実の世界がそこにありました。

そこには、”モラル”や”秩序”、そして”教育”、もちろんビートルズという日本では当たり前にあるような「何気ない事柄」が何も感じられませんでした。

映像に映る全てのものがゴミに見えています。


「貧困」スラムでは、日本では到底考えられない住環境の中で、彼らは生まれ、育ち、やがて大人になり、結婚し、子どもが生まれ、その子どもはまたスラムで育ち・・・という連鎖は古より続いてきましたし、これからも続いていくんだろうと思います。

そして、貧しく学校に通うことの出来ない厳しい環境下にある子どもたちが沢山います。貧しさは連鎖となり、親が教育を受けていない子どもも教育を受けることができず、そしてまともな仕事には就けず…という状況が続いて行くんだろうとおもいます。

私は、日本という国に生まれ育ち、その価値観の中で物事を判断する。
そんなちっぽけな感覚をぶっ飛ばされたような感じです。


日本仏教の影響で、私たちは西方浄土といえば印度国を連想してしまいます。
この世の西方、十万億の仏土の彼方に在る、阿弥陀仏の極楽浄土。

このくだりを読みとみますと、具体的に西の方向にあるというのではなく、「西方」というのは象徴的表現なんだろうと思います。

また、印度バパトラの現状を見て、「太陽は東から昇って西に沈む。」というところに、人間の生死に重ね合わせて考えると、まさに太陽の沈む「西」は「死」を象徴する方角ということが痛みを伴いながらわかるような気がいたします。


先輩のバパトラの学校で授業風景を見させていただきました。
その下準備を想像するだけで・・・
見ていて涙が止まりませんでした。

子供たちの歓迎ぶり、先生方の歓迎ぶり、本物です。
胸を打ちます。

三春の先輩が単身インドバパトラに乗り込んで、授業をし浄財を届け、子供たちや先生方に歓迎を受けているという映像、そして文章・・・

本人は、「現役時代の一コマで役場をリタイアーした今の心境は、先日も話をしましたが、“そんな時代もあったねと~”そうです!!中島みゆきの“時代”なのです。」と言っておられますが、「自分の人生にとってはかけがえのないものです。」と締めくくられていました。


そこにさっそうと単身乗り込み、学校やスクールバスを作り、浄財を届け、授業をする。

そして、その報告をまとめる。

正に、阿弥陀さんの成せる佛の所業だとおもいます。

そして、極楽浄土は心の中にあるんだということをご教授いただきました。


今改めて、人と人との出会い、そして繋がりという摩訶不思議さは、一瞬遅すぎず、早過ぎず、御縁の中で出会えるようになているんだなぁと感じているところです。

ありがとうございます。

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記 |
塵壺297番 「安東水軍」 東日流(津軽)十三湊見聞録


  “安東水軍” 東日流(津軽)十三湊見聞録

 所用があり、青森は津軽まで出かけてきました。
 ”せっかく”なので、三春藩主秋田氏のルーツを訪ね「安東水軍」を率いた安倍安東(安藤)氏の本拠地、東日流(津軽)(現五所川原市)にある「十三湊(とさみなと)」関連の遺構や十三湖(じゅうさんこ)にある市浦歴史資料館の見分に足を延ばしてみました。

 十三湊は、中世の鎌倉時代から室町初頭にかけて、環日本海地域の交易の中心的な国際港湾都市として繁栄したとされています。鎌倉期の「廻船式目」にも「津軽十三の湊」として、博多や堺と並ぶ全国「三津七湊(さんしんしちそう)」の一つとしてその繁栄ぶりが記載されています。

 平成3年から始まった十三港遺跡の発掘調査では、ほぼ当時のままの形で津軽十三湊の町並みや遺構が残っていることから、十三湊衰退の要因となった大津波来襲による壊滅も否定できなくなっています。




 また、当時の博多に匹敵する東日本では最大規模の都市で、シナ製の陶磁器、高麗青磁器、西域の青ガラスなどが多数出土しており、広く海外とも交易を行っていた国際的な貿易都市だったことが証明されています。

秋田氏の祖である奥州安倍氏は、大彦命(おおひこのみこと)を祖とする中央豪族の阿倍氏(安倍氏)が東北の任地に赴き子孫を残した。
 又は、長脛彦(ながすねひこ)の兄安日彦(あびひこ)が神武天皇に敗れた後、津軽に亡命した子孫等々。
所説ありますが、いずれにしても子孫というのが、安倍貞任(あべのさだとう)とされています。

 安倍貞任は、平安時代末頃には、現在の盛岡市の西にあったと言われている厨川柵(くりやがわのさく)を中心に、奥州に一大勢力を組織し、貴族中心の大和朝廷に抗しました。
朝 廷は、その討伐の為に出羽の豪族清原氏等の助けを借りた鎮守府将軍陸奥守源頼義、義家親子を派遣します。

 “前九年の役“と呼ばれるこの戦いで貞任は敗死して安倍氏は滅亡、当時3歳であった第二子の高星丸(たかあきまる)が、津軽へと落ち延び藤崎城を本拠地として、奥州安東氏を興します。やがて、安東氏は「十三湊」に移り、「安東水軍」率いて十三湊を国際貿易港として繁栄させていくことになります。

 当時、北は樺太サハリン、高麗(朝鮮)、南は南宋等シナ沿岸州、さらには天竺(インド)の各国に拠点を築いて、相互貿易を行い、環日本海を中心とした一大貿交易文化圏を築いていきました。
 一説には、インド洋を超えて、紅海・中東まで手を広げていたとされています。
尚、当時の十三湊には、日本全国だけでなく、蝦夷、樺太、高麗、シナ、そして南蛮の商人も店を構えていたと伝わっています。



 
安東氏は、“日之本将軍”と称して蝦夷沙汰代官職“蝦夷探題”(現北海道や樺太サハリン等との海外交易許可)等の諸権利を鎌倉幕府執権北条氏から与えられており、執権北条氏がいかに安東氏を重視していたかがうかがえます。

 鎌倉末期からは、津軽藤崎城に拠る宗家上国家と、十三湊を本拠とした下国家とに分かれますが、戦乱の世が安東氏を飲み込みます。
津軽を領した下国家は、室町期の南部氏の津軽侵入によって、十三湊から蝦夷地に逃れ、まもなく出羽に戻って檜山(現能代市)に城を築き、そこを本拠とした檜山安東氏。
 一方、上国家は、出羽小鹿島や出羽湊(現秋田市土崎)を領し、湊に城を築いて勢力をもった湊安東氏に分かれます。

 後に下国家の檜山安東の愛季が上国家湊安東家をも継承して、戦国期の元亀元年(1570年)に上下安東氏を統合し戦国乱世を乗り切ります。
 以後、徳川政権下に於いて、秋田から茨城宍戸(友部)を経て三春へと移り明治維新を迎えます。




      蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春!   拝 

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「丁度よい人生」



「丁度よい人生」

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も

お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も

息子の嫁もその孫も

それはお前に丁度よい

幸も不幸もよろこびも

悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は

悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと

行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない

上もなければ下もない

死ぬ月日さえも丁度よい

佛様と二人連の人生

丁度よくないはずがない

南無阿弥陀佛 花押




和菓子屋の師匠 郡山市堂前町の 「御菓子 さかうち」社長の文字です。

心の響く文章です。

すべてのものをありのままに受け入れるという佛の教えが凝縮されているような詩です。


先日、和菓子、そして商人としての師匠である郡山市堂前の和菓子屋「坂内菓子舗」

その息子さんである専務がなくなりました。
まだ数えで63歳でした。
心よりお悔やみ申し上げたいと思います。

今から30年前の、修業時代を思い出しています。

専務の立ち振る舞いや、師匠との関係を見ていますと、幕末の幕臣勝海舟とその父勝子吉を描いた最高傑作である子母澤寛著「勝海舟」や「親子鷹」を連想しています。

勝子吉のように天真爛漫で義理人情に篤い師匠、そして冷静沈着のようで実は親譲りの義理堅さを持った専務でした。


この親子の掛け合いが素晴らしいんです。

親子での商売繁盛の秘訣を見させていただきました。

専務は、早稲田大学商学部卒の専務は、本が好きで何でも知っていました。
「本当は新聞記者になりたかったんだ」と冗談交じりで話してくれたことがありますが、まんざら嘘ではなかったんだろうと思います。

本屋さんよりも本に詳しくて、本や歴史上に人物などの私のつたない疑問にも的確に答えてくれました。
当店の長男に兼続と名付けました。
そうです、天地人の主人公直江山城守兼続からいただきました。
藤沢周平の「密謀」に描かれたこの直江山城守兼続を教えていただいたのも専務でした。


また、ラーメンが好きで、郡山に新しいラーメン屋ができると必ず下調べに自分で食べてみておいしい店だけを誘ってくれました。

上記の詩「丁度いい人生」も、専務が眠る茶の間に掲げてあったものです。

「いい文句だべ!」と師匠見せていただきましたが、読み進むうち涙が止まらなくなってしまいました。

心よりお悔やみ申し上げます。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

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「からだの水素専門店 水素王国」 ”水素王国”の無料体験サービス券


からだの水素専門店 水素王国

お世話になっている郡山のお客様uさんの長男さんの嫁さんが勤務する、ブロードサービス株式会社で運営する”水素王国”の無料体験サービス券をいただきました。




いつもは、お風呂に入れるタイプの「水素入浴剤 水素バス」を愛用していますが、無料体験サービス期間ということで、郡山富田といわき市平にある「水素王国」での水素吸入サービス券をいただきました。




いつものお風呂に入れるタイプでも、水素の効能・効果を実感できます。

・ お酒を飲んでも二日酔いになりにくい。翌朝体調良好。
・ 5~6回位の吸入で頭髪がサラサラになり、毎日吸入していると白髪が黒くなります。
・ 運動前後に吸入すると疲れにくくなります。
・ 体調が良くなり、全身の肌が良い方向に改善されていきます。
・ 睡眠が深くなり、寝起きには身体が軽く感じます。
・ 歯痛や体の痛みが緩和されていきます。
・ 体臭は少なくなり、続けていくとなくなります。
・ 倦怠感・不快感が消失する。
・ 口臭も消失する。

水素王国ホームページより抜粋



水素を直接吸えばその効果の倍増は間違いはありません。





ホームページからの引用になりますが、以下の効果があるみたいです。

1.抗酸化作用により、お肌のハリを回復させ、シワを減らす。
2.フリーラジカルを取り除くことで、身体のデトックスと浄化を行う。
3.体内環境を保ち、太りにくい体質に整える。
4.新陳代謝を促進する。
5.疲労を解消し、プレッシャーを和らげる。
6.勉強の効率をアップさせ、記憶力を向上させる。



早速予約を入れて、家内を伴っていってみたいと思います。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
青森紀行「秘湯巡り」編 黄金崎不老不死温泉・酸ヶ湯温泉


青荷温泉に宿泊した翌日、寺山修司記念館のある三沢を目指します。

途中には、もう二十五年前になりますか、新町若連の旅行で行ったことのある八甲田にある酸ヶ湯温泉があり、懐かしくもあり少しだけ入浴してみました。





やはり以前に比べれば随分とリニューアルされていて、繁盛ぶりがうかがえます。


宿の専務に、以前いたセントバーナード犬のことを訪ねると、

「懐かしいですね!自分が子供のころに飼っていたセントバーナードです。」
今は、その孫にあたる犬が、系列になる八甲田ホテルに一匹いますということでした。





周囲にはまだ残雪があり、昔映画で見た高倉健さん主演の「八甲田山」を思い出します。





さて、三沢での要件も済、一路西津軽の日本海に面した深浦町にある黄金埼不老不死温泉を目指します。



いかがです?このロケーション!
最高ですよ!



トドじゃありませんよ!


本当は写真厳禁なんですが、やはり連休明け、しかも、雨の降りだした夕刻です。





名物の夕日は無理でしたが、長時間運転してきたかいがありました。








宿の方々の対応も素晴らしく、海の幸三昧の料理も最高です。




名物の露天風呂は、以下のような感じも海側にあります、混浴と女性専用の付託の湯舟らしいんです。




尚、この露天風呂は照明設備が一切なく、安全上、”日の出”から”日の入り”までかは入れる時間となっています。

夕食は、5時ごろの早めか7時ごろからの日の入り後を勧めてくれます。





不老不死温泉の目の前にある”月夜見宮”です。

お風呂で一緒になった、近所のおねえさんが教えてくれました。

伊勢神宮にある月夜見宮の分霊かな?と旅の終わりに新たな興味をそそってくれました。

翌朝、散歩がてら行ってみました。




天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神である月夜見尊(つきよみのみこと)をお祀りしているそうです。

伊勢神宮にもありましたよ・・・

夜見宮は、「古事記」によれば、伊弉諾尊が、黄泉の国から戻って、禊(みそぎ)をした際に、右の目を洗ったときに生た神で、天照大神の御弟神、素戔嗚尊の御兄神となっています


天照大神は、「天」を、月夜見尊(月読見尊)は「夜」を、素戔嗚尊は「海」を支配することを命ぜられたとされています。





月の神様であることから、「月読=暦=時間」と深い関係があるといわれております。

「月読」「月夜見」とも、ロマンチックな文字を当てていますが、日本書紀や各地の風土記などには、女神との説もあるようです。

太陽や昼に対して「月」や「夜」というのは、各種夜講や女性の構造などから、何となく女性のイメージがあります。



海が見下ろせる小高い丘にあるこのお宮さん。

かつての水軍の館跡だったとしても不思議ではない立地です。






この二泊三日は、本当に楽しく充実した時間でした。

家族ははじめ、関係各位の皆々様には、心より御礼申し上げます。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
Yammy「夏物語」ライヴ in 若松屋



Yammy「夏物語ライヴ」

ラジオ福島「Yammy's Garden」でもお馴染みのふくしま出身のシンガーソングライター"Yammy"が、夏の始まりを爽やかに歌います。




Yammy(Vo)、宮本憲(G)、 吉田大陽(B)、 仁井田真樹(P)


Yammy「夏物語ライヴ」

日時:2016年7月8日(金) 開場:午後6時 開演:午後7時

場所:若松屋旅館 (福島県田村郡三春町尼ケ谷127)http://www.naf.co.jp/wakamatsuya/

料金:¥4,000 (プレート料理付き、ドリンク別)

supported by 仁井田本家 夢の薫り

ご予約・お問い合わせは若松屋旅館0120-61-2027 または090-3642-3280・幕田まで。

三春城下尼ケ谷にある馬場の湯温泉「若松屋旅館」で、「夏物語」と題して、夏の始まりにピッタリなライヴをYammyが行います。
オリジナルはもちろん、洋楽のカバー曲などをお届けします。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸若松屋コンサート! |