2016-09-28 Wed
所用で、時折お隣の新潟は中越に出かけるようになって、十数年来になります。
その中で、気になっていたお店にやっと立ち寄ることが出来ました。
三春(郡山東)から磐越道に乗り、安田で降りて、五泉から村松、加茂経由で三条、長岡へ向かいます。
その途中、村松と加茂の境目になるんだと思いますが、周りに何もない山の中にポツンと1軒ある茶屋です。
時折加茂の市街地に行くときに見かけていましたが、いつも往路でしたので、ついつい見逃していました。
また、駐車場もあまりなく、地味も狭いので、また今度・・・となっていましたが、今回は、思い切って寄ってきました。
お休み処「善作茶屋」、正に時代劇に出てくるような茶店です。
約150年前からの営業ということですが、その長い歴史の中でも先代のおばあちゃん(四代目女将)が60年営業していたそうです。
さすがに先代もご高齢となったため、今年の4月からは娘さんである5代目女将が店を切り盛りしています。
看板にもありますが、名物の“ところてん”が絶品です!
優しそうな女将さんの雰囲気通り、優しい味の中に、腰のある美味しい“ところてん”です。
ここも名水が生む加茂の味なんですね。
加茂市の有名なお店らしく、テレビにも取り上げられているそうです。
150年位営業しているといいますから、坂本龍馬が薩長同盟をプロデュースした幕末の慶応二年間からの営業になるんしょうか・・・ここ中越では河井継之助が郡奉行、町奉行兼帯奉行格可判などの役職に就き藩政改革の真っ最中の頃です。
歴史を感じながら、ところてんをすすっていました。
尚、茶店の営業は4月から11月初旬までとなっています。
中越の小京都と呼ばれる加茂の青海神社には「神池の噴水」があり、マイナスイオンにたっぷりと浸ることが出来ますよ・・・
そして、宿はいつもの下田村にある越後長野温泉「嵐渓荘」です。
料理もおいしく、おもてなしもばっちり、そして、強塩泉のお湯も私の弱い肌にピタリで、別荘に行く感覚でお世話になっています。
毎回温泉旅館に泊まって贅沢だなと思われそうですが、ちょっと考えてみてください。
別荘を買い、掃除や固定資産税、そして修復、保険など様々な費用を考えれば、旅館に泊まった方が断然お得ですよね。
また、市内のビジネスホテルでもいいんですが、街中は本当に誘惑が多いんですよ!
ま、温泉が好きということで勘弁してやってください!
どうも、真照寺の池ばかり見ているせいでしょうか?
どこに行っても池が気になります。
五十嵐川からの綺麗な水を、水路にて引いています。
さすが新潟、錦鯉が元気に泳いでいます。
よく見ると、空気もぶくぶく・・・・
これでは藻が生える暇もありません。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2016-09-26 Mon
大相撲秋場所で大阪出身の豪栄道が優勝しました。
普段はあまり相撲を見ませんが、当店スタッフMが一緒に出勤してくる一歳6か月の息子、Y君にそっくりなもので、ついつい豪栄道の応援のためニュースなどでチェックするようになりました。
普段は店にいて、「本当の商売屋の子供」みたいに、愛想がよくて、ご来店されるお客様や、ご近所のおじさんやおばさま方に愛想を振りまいてくれています。
特に、清楚で、綺麗な女性のお客様には愛想がよく、「誰に似たんだか?」と・・・・
正に、当店の、「看板息子」か「マスコットボーイ」的な人気者です。
自分たちが子育ての時には、なかなか気付くことは出来ませんでしたが、「地域の子供は地域の皆様方に育ててもらっている」ということを改めて感じている近頃です。
そして、何物にも代えることの出来ない”赤ん坊の笑顔”には、癒しと明日への活力を貰っています。
「子は鎹(かすがい)」ならぬ「孫は鎹」ですね・・・
午前中Y君を見てくれている、先代である父が「豪栄道さん!」と呼ぶくらい似ています。
その豪栄道がですよ、全勝優勝です!
期待されながらも様々な困難に見舞われ、そのたびにそれらの困難を乗り越えての優勝です。
正直、感動しました!!
優勝したシーンや、全勝した千秋楽のそのシーンを見るたびに目頭が熱くなります・・・涙があふれて止まりません。
y君に似ているせいなのでしょう、まるで豪栄道がわが子、いやわが孫に思えて仕方がありません。
本当に、おめでたいです。
所謂、”爺バカ”を超えていますね・・・
このy君には、お母さんであるスタッフM共々、いろんな意味で助けられました。
昔見たドラマで「守るものがあるというのは、力なんじゃないか!」というセリフが脳裏をよぎります。
このY君、誕生7ヶ月になった昨年の十月から毎日一緒に出勤してくれています。
8年生まれの先代も、毎日の子守で自然と散歩していますので、若が得てきたように思えます。
また、自分も仕事が一段落した時間には、一緒に散歩をしていますが、真照寺への往復など、”子守りエクササイズ”を実行中です!
昨夜は当家へ、Y君一人でお泊りでした。
スタッフMが、郡山市民オーケストラのメンバーで、ご主人もご自身がバンドマスターを務める楽団がありましてその練習日が重なってしまいます。
また、普段はy君を見てくれているスタッフMの実母さまが、足を骨折して入院中の為に、私た夫婦の出番となった次第です。
先にも、預かりお風呂まで入れて寝ている途中でお迎えに・・・ということがありましたが、「夜遅くに迎えに来るのは可哀そうで、泊まらせたら?」と提案させていただきました。
本当は、一緒に寝たかったんですがね・・フフフ!
久しぶりに、キングサイズのベットに、家内と私の間に三人で川の字で寝てみました。
こんな経験は、次男坊が小学校低学年以来ですので、十数年ぶりです。
懐かしくもあり、嬉しくもあり、こんな体験を再びさせていただけるというこのご縁に、改めて感謝を申し上げたいと思います。
私は、果報者ですね!
ありがとうございます。
「え!私に似てるって?」
「それって、20代のスタッフMとの云々ではなくて、Mのお母さんと・・・ということですよね・・・たぶん」
「これって、違った意味でですよ・・どこか悪意を感じますよ・・・・ん"ん"ん"」
それにしても、「人の子はすぐに大きくなるように感じる・・・」といいますが、本当ですね。
また、「孫は可愛い!」といいますが、本当にその意味が分かるような気がしてきました。
満面の笑顔で、イタズラもやってくれます!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2016-09-25 Sun
三春小学校6年生が「おたりまんじゅう」を調べに来店しました。
総合的な学習の時間を使って、「三春大好き!三春カタログマップを作る」という授業でのご来店です。
事前に担当の先生から電話をいただき日程を決めさせていただきました。
当店には、4人の児童が来店です。
皆さん的確な質問をされ、受け答えや礼儀も正しく、先の塵壺に取り上げた「明徳の教え」が生きていると安心しました。
がんばれ三春健児!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
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2016-09-24 Sat
サイヤー~!
わたしゃ三春町!
ハーヨイ!!
五万石育ち~!
三春盆踊りの名物企画「三春盆踊り思い出アルバム」の一コマです。
中町若連さんと一緒の写していただきました。
同級生の同中町の桑原商店の御曹司の粋な計らいです。
中町若連会長の新野さんが届けてくれました。
一人だけ生成りの浴衣での臨場です。
この思い出のアルバムは、盆踊りに参加される3人以上の団体さんには無量にて写真撮影して、その人数分のプリントを無料で配布しています。
来年こそはという方は、ぜひ参加ください!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
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2016-09-22 Thu
島根県浜田市真光町にある曹洞宗紅蓮山観音寺様より、同寺季刊誌「紅蓮山観音寺だより 第六十七号」が届きました。
今回は、平成二十八年五月、三隅郷海蔵山龍雲寺にて挙行された、野原真承様の晋山式関連の寄稿がたくさんありました。
先の浜田帰省の折には、遅ればせながら晋山式のお祝いをいたしたく、龍雲寺にお邪魔して、真承方丈様にお目にかかりお祝いを述べさせていただいたところでした。
また、同行した家族一同で「平和の鐘」を鳴らさせていただき、晋山の祝いと世界平和を祈願したところです。
龍雲寺第四十四世住職 おめでとうございます。
冒頭の「只今観音寺」の中でも、観音寺の方丈様からも、龍雲寺の晋山式の模様が詳しく紹介されていました。
薦福發心尊出家
正傳眞海相承嘉
龍雲結夏安吾坐
願度衆生來喫茶
また、昨年の夏に、お土産だけでもと思い、龍雲寺様を訪れました折に、お世話いただいた紅心近藤蓮華さまの、静岡可睡斎僧堂での修業の様子も紹介されていました。
雲遊可睡入僧堂
求法参禅正覚場
不会相伝興志気
無量誓願度生忙
編集後記を読みました、永年観音寺だよりに携わっておられた長岡昭夫さまが、引退とのこと・・・・長年に渡り事務局そしてカットの挿絵ありがとうございました。
浜田より1200キロ離れた東北三春の地でも楽しく読んでいました。
本当にお疲れ様でした。
夏の参禅の折には、観音寺方丈様はじめ、寺住の皆々様には大変お世話になりました。
観音寺で直庭させていただいたことを肝に銘じ、日々精進に励みたいと存じます。
心より御礼申し上げます。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2016-09-20 Tue
古蹟漫歩「馬場の天女碑」
馬場尼ケ谷の“馬場の湯”の少し下ったところに「正徳馬場口のお地蔵さん」と呼ばれる地蔵堂があります。
その入り口に天女碑と刻まれた石碑が建立されています。
台石ともに150センチほどの大きさで、正面に天女碑、向かって右に文化12年(1815年)、左に乙亥暮秋と刻まれてあります。
室町期以降の武家は、たしなみの一つとして謡曲をうたいお能を舞っていました。
三春藩でも、各藩同様にこれを奨励していました。
かつての三春藩の政務の中心である御殿には能舞台があったと記録されています。
尼ケ谷には、大木、坂本、池田などの武家屋敷があり、その人たちも能や謡に励んでいました。
天保の初期、三春11代藩主秋田肥季(あきたひろすい)の室(奥方)は、因州(鳥取)鳥羽城主池田斎訓(35万石)の養女でした。
御輿入りの際に清涼院という老女が守役として付いてきましたが、江戸末期ごろに
この老女に池田姓を名乗らせ、当時の大木家の二男新一を池田家へ養子に迎えさせます。
清涼院は、この新一を江戸宝生流家元の内弟子に入れて、10年間研学させました。
帰郷後は、藩の指南役として仕えました。
この池田家が尼ケ谷に屋敷を構えたのも大木家との縁故関係です。
その縁も、「能、謡」につながるものでした。
さて、天女碑ですが、能、謡に熱意を込めた大木、坂本などの藩士をはじめ芸能ごとの上達を願う人々によって記念碑として建てられてものです。
天女は「羽衣」からの着想であることは言うまでもありません。
はじめは、路傍に建てられていましたが、道路改修の際に、仏教関連と勘違いした廃仏毀釈を引きずった無知な
人夫達によって、坂本氏宅の池にお地蔵さんと一緒に放棄されていました。
見かねた、鴫原留吉氏、石橋政蔵氏ら当時も馬場尼ケ谷の有志が私財を出し合って、地蔵堂を新築してお地蔵さんを納め、天女の石碑はそのお堂前に据えたものです。
江戸末期幕末の動乱を経て、お地蔵さんと問いもに天女の石碑も時代の流れを見てきました。
古い三春広報コラム古蹟漫歩「馬場の天女碑」参照
「日本語をみがく教範として、武士階級は謡曲を習い、町人階級は浄瑠璃を習い続けた」
「この国のかたち」司馬遼太郎著より抜粋
春陽郷三春春陽郷三春 御菓子三春昭進堂
2016-09-18 Sun
「柳橋歌舞伎」平成28年度定期公演
本日(平成28年9月18日)、柳橋歌舞伎伝承館(黒石荘)に於いて開催された、「柳橋歌舞伎」平成28年度定期公演に行ってきました。
あいにくの雨でしたが、会場を黒石荘の室内に移しての歌舞伎上演です。
本来ならば、ご覧の客席が舞台となり、広場に畳や茣蓙を引いて客席となり、観劇していました。
当三春昭進堂初代の“おたりさん”からすると、長男の嫁となる私の祖母の実家(長岡氏)が柳橋にあり、そこの当主も歌舞伎に出演しています。
そういってご縁があり、今回案内をいただいていたので顔を出しに行ってきました。
普段なら、秋彼岸と重なり、繁忙期ということでとても行ける状態ではありませんが、今年は雨、そして彼岸の入りの前ということでなんとか時間を調整して臨場することが出来ました。
初めての柳橋歌舞伎です。
受付で差し入れの饅頭と御祝を納め、早速会場に入り観劇です。
雨の中にも関わらず、会場を埋め尽くす、入りきれないお客さんが来場され、丁度中学生の歌舞伎上演の真っ最中で、白熱した演技で、会場内は熱気に包まれていました。
また、会場内には売店が多数出展されていて、大盛り上がりです。
観光協会の資料によると、
柳橋歌舞伎は、柳橋は江戸時代、天領(徳川幕府が、直轄領地として直接支配していた地域)であったために芸能が自由に行われ、菅布禰神社の祭りに村人が芝居や歌などを楽しんでいたことが歌舞伎の始まりになったといわれています。
柳橋歌舞伎の特長は、舞台のセットから台本まですべて柳橋の農民の手で作られたものであること。
また、江戸の歌舞伎と同じく男性のみで演じられることです。
明治時代、興行の取り締まりや規制が多くなり一時中断しましたが、昭和55年柳橋地区全戸で「柳橋歌舞伎保存会」結成して、の支援を得て復活しています。
現在では、演じる演目は「一ノ谷嫩軍記」など15を数えます。
この秋彼岸の前。
稲刈りの少し前になりますが、この時期に秋の収穫を願って、柳橋の村人が、見様見真似で芝居や歌を楽しんだと伝えられています。
平成の世になっても、目の前で繰り広げられているのかと思っただけで、是には、正直、感動しました!
かつて天領だった柳橋村の生活手ベルの高さがうかがえます。
演目
1 復興支援交流事業 ひょっとこ踊り(富岡町平沢仮設住宅住民等)
2 白波五人男 稲瀬川勢揃いの場 (御舘中学校生徒)
3 義経千本櫻 伏見稲荷鳥居の場 (御舘中学校生徒)
4 一ノ谷嫩軍記 須磨浦組内の場 (柳橋歌舞伎保存会)
5 一ノ谷嫩軍記 熊谷陣屋の場 (柳橋歌舞伎保存会)
柳橋歌舞伎保存会会長 古川嘉徳
柳橋町内会長 宗像興一
主催 柳橋歌舞伎保存会
後援 柳橋町内会
問い合わせ 024-973-2323事務局宗像
尚、御舘小学校や御舘中学校生とも出演し伝統文化の継承に力をいれています。
御舘小・中学校は、平成18年から文部科学省伝統文化補助事業実践モデル校に指定され、御舘小・中では連携して柳橋歌舞伎の授業を行っています。
来月の10月24日の御舘中学校文化祭でも柳橋歌舞伎が上演されます。
この日も、会場内には、子どもたちから年配者までが、柳橋のほとんどの方々が来場され、一般公開当日の”柳橋の文化祭”的な雰囲気の中で、歴史ある伝統芸能を楽しんでいました。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
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