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Yammy 秋楽・お気楽コンサート in 若松屋 2016



Yammy 秋楽・お気楽コンサート in 若松屋 2016

白河市出身で、現在京都を中心に活躍するオーガニック・シンガーソングライターの”Yammy(ヤミー)”さんのディナーライブに行ってきました。

オーガニック・シンガー?
そうなんです。

歌、そしてMCなどのチャーミングな笑顔に癒されてホッコリした気分で幸せにすっかり
浸ることが出来ます。


今回は、全曲オリジナル曲で構成していただきました。




今回は、ギターの宮本憲さんに加え、キーボードに佐倉一樹さんを迎えてのライブとなります。

佐倉さん、子供のころ見ていた松田優作主演ドラマ「探偵物語」の主題歌を歌っていたあの“SHOGUN”の現メンバーです。

最近、ユーチューブで見つけたばかりの方が、目の前に現れました!

尚、佐倉さんの奥様が、福島泉崎村ご出身ということもあって、三春にもおばさんが済んでいらっしゃるということで、身近に感じてしまいます。

今回は、スパークリングワインを用意していただいて、満たされた気分でライブを聞くことが出来ました!





UFO噺、そしてアントニオ猪木!
楽しかったです。

RFCラジオ福島で絶賛放送中の『Yammy's Garden』(毎週土曜日 午後6時30分〜午後6時45分)に出演中です。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 🌸若松屋コンサート! |
塵壺304号「三春城主松下家改易・城引き渡し騒動」



「三春城主松下家改易・城引き渡し騒動」

江戸初期三春藩を治めた松下長綱(ながつな)は、いわゆる豊臣恩顧の大名で、徳川幕藩体制の施策によって、寛永4年(1627)、下野国烏山藩(栃木)から二本松に移され、翌年正月には、石高を3万石に減らされて三春城に入ります。

松下氏は、三春入城後、先の城主田村家の伊達家へ吸収合併以降、久しく荒れていた三春城の城郭や石垣を補修し、城下全体を城郭とする中世城郭都市として、城下町を整備改修して“東北の鎌倉”と呼ばれる現在の三春城下の基礎を作ります。

一方、長綱は、剛腕の反面、短気な人だったと様々な逸話が残っています。
また、城郭や都市の備など在任15年という短期間に、巨大な公共工事をやってのける剛さに無理は伴うのは今も昔も変わりはなく、領民を虐使し“苛剣誅求(かれんちゅうきゅう)”の政治となるのは当然と言えます。



三春城下新町松下家菩提寺州伝寺


そのために領民は、困窮に泣きその暴政と領民の窮状を幕府に訴えるに及びます。
以前より長綱暴政の噂は幕府も把握していましたので、寛永20年、狂疾(気が狂った)、そして切支丹(キリシタン)の嫌疑として、三春藩御取り潰し松下家改易の上城地召し上げの沙汰を下します。
即刻、長綱はわずかな供を連れて正室実家である土佐高知藩主山内忠義(ただよし)に預けられる事になります。

この改易後の三春城の引き渡しには大変な騒動が起こったと「会津藩家世実紀」に記されています。
事の発端は、「三春城地受け取りの節に、警護として近隣諸藩に出動を命じた」という幕府の沙汰が三春城下で謹慎している松下家中の耳に入ったことに始まったとされています。

当時、幕命を奉じた松下家中では三春城を明け渡し、城地及び三春領三万石は召し上げられ幕府代官樋口又兵衛、福村長右衛門の管理支配となり、三春城は隣接する相馬藩相馬義胤が警備にあたっていました。

この時、三春城請取の役を命ぜられたのは寺社奉行上野高崎藩主安藤重長(後の三春二代藩主秋田盛季正室実父)で、下命から将軍家光に受け取り報告までの
およそ一ヵ月の間、三春城下松下家中では非常に険悪な空気が漂っていたと伝わって来ます。

それは、松下家中が、恭順し城明け渡しの準備をしているのに、「抵抗の恐れあり」と近隣諸藩に警護の沙汰を発せられたことを遺憾として、この上は城を奪還・籠城しその心情を訴えて、聞き入れなければ、“城を枕に討ち死に”と決議し、城中に立て籠る準備をしているというものでした。

これを聞き及んだ、長綱の身元引受の土佐山内家は、家老相良某を三春の松下家へ走らせて、「万端首尾よく引渡しますよう」にと説諭させています。




一方幕府は、改めて重長の外に、三春城在番に棚倉城主内藤信照を、目付に使番能勢頼重、永井直元らを任命し、近隣の大名にも出動加勢を命じたとあります。
さらに、会津城主保科正之も城受け取り警護のため江戸を立ち、途中栗橋宿から家臣井深某、馬淵某らを説得のため三春城下に派遣します。
また、磐城平藩内藤家などは、幼君忠興を擁して三百騎を緊急出動させたところもありました。幕閣では、老中白河城主松平式部大輔のほか、老中井伊掃部頭なども参集し、対応を協議します。

しかし、松下家中の抵抗はなく、騒動が収まり無事引き渡しが済んで、翌年には秋田俊季に三春国替えが認可され、三年後の正保五年(1645)八月に、三春五万石城主として三春城に入ります。

  蒼龍謹白   さすけねぞい三春!   拝


| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
「桂歌丸師匠の落語と講演」 平成28年度郡山商工会議所女性会



先日、平成28年度郡山商工会議所女性会による、ふれあい講演会「桂歌丸師匠の落語と講演」に、落語好きの真照寺住職もお誘いして、出かけてきました。


郡山商工会議所の女性部会の方々は、パワーを感じる素晴らしい講演会でした。
スタッフである、役員の方々は郡山商工会議所女性会と赤地に白で染め抜かれた揃いのタスキをかけて、会場となる郡山文化センターに来場するお客様方をエスコートされていました。

今回は、表記の通り桂歌丸師匠の落語と、福島県陣にはおなじみの桂幸丸さんの「寄席おもしろ話」と題された講演、前座として売り出し中の春風亭昇市さんの落語と、盛りだくさんの内容です。

歌丸師匠は、十八番のひとつ古典落語の「おすわどん」をかけていただきました。

さすが、芸歴65年の歌丸師匠です。

高座に上がるとその場の空気が一変します。
枕の時にはすっかり江戸の演芸場に来たような錯覚に陥ります。

そして、いざ本題に入りますと、またまた場面がすっかり江戸は下谷阿部川町の呉服商「上州屋」の奥が目に浮かぶようです。

落語の中に、笑いがあり、泣きがあり、夫婦愛がある・・・これこそ、名人芸なんでしょう。

鳥肌が立ちました。

円楽師匠が 歌丸さ師匠を人間国宝に推薦・・・ということべ話題にもなりましたが、正に国宝です。




当日の朝に、歌丸師匠の奥様である富士子さまと電話で話していたもので余計に思い入れが違いました。

歌丸師匠の家に電話?
そうなんです。

それというのも、田村の先輩である渡辺篤太郎様と歌丸師匠は旧知の中でして、郡山で講座をかけるというので、ご自宅に田村の産品を送っったそうです。
そのお礼の電話が篤太郎様に来たようなんですが、耳が悪く私に代理で電話してくれと頼まれてご自宅の方で電話を入れていたという次第です。




また、篤太郎さまは当日楽屋の師匠を訪ね故知を温めた様子でした。

それにしても、篤太郎さんのネットワークの広さに配置も驚かされます!


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸福島民報社「民報サロン」 |
奥州(陸羽)街道油井二本柳宿安達太良山円東寺


昨日、久しぶりの飯坂温泉での宴席がありました。
ホテル聚楽でしたが、20年ぶりです。




最近は、お付き合いの範囲が広くなって県外での会合・宴席が多くなってきましたが、遠くの温泉もそれはそれでいいんですが、昔から言っている近場の温泉場というのは妙に落ち着きます。
特にこの時期、忘年会シーズンに入ってきますと、三春馬場の湯、はじめ磐梯熱海や岳温泉などは、子供の頃より親と一緒に行っていたということもあり、別荘感覚で気楽に止まってこれるところですね・・・




飯坂への途中、安達町油井にある円東寺の看板を見つけました。
折角なので、ちょっと参拝してみました。

安達郡油井、奥州(陸羽)街道の二本柳宿の突き当たりにある安達太良山円東寺。




現在ライトアップ真っ最中の真照寺先先代の御母堂(奥様)様は、この円東寺から三春へ嫁いでこられました。

円東寺は、大同二年(西暦807年)、徳一大師によって安達太良寺の北院で光明院として、安達太良山の猿鼻の麓に建立されます。
その後、慶長三年(西暦1597年)、奥州街道の宿場町として二本柳宿が開かれたのを期に、現在の場所に移設されたそうです。

山号を安達太良山とするところに歴史を感じます。




山内には樹齢は400年を超えている円東寺のしだれ桜があり、櫻番付にも載っています。

また、山内には安達三十三観音霊場第十五番札所にもなっている観音堂と、疱瘡神社、稲荷神社がまつられています。




聚楽での宴席の折、たまたま臨席した会津屋食堂のご主人に、円東寺に伺ってきたと話したところ、なんと、会津屋さんはこの円東寺の檀家さんで、油井から三春へて商売を始めたということでした。
また、祖父が疱瘡神社の手伝いをしていたというから、円とは不思議なものです。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録 |
諏訪大社 「御柱箸」


諏訪大社 「御柱箸」


磐梯造園社長の渡部公道親方が、長野蓼科高原にある蓼科山聖光寺さんの冬仕度造園指導に行かれ、そのお土産にいただきました。

聖光寺世話人の方々は、蓼科や諏訪で旅館や会社を経営されている方が多く、その中に諏訪大社の総代さんがいます。

この方の案内で、諏訪大社の参拝をしてきたというものでした。




テレビで見る大迫力の「諏訪大社御柱祭」、その柱がこのようにお守りの箸としてあるとは何か御利益がありそうです。

お正月の箸に使いたいと思います。




一昨日も、磐梯造園の親方が手掛けた真照寺庭園のライトアップが夕方のテレビで生中継されました。

その美しさ、そして匠の技を改めてテレビで拝見させていただきました。

単純に、感動しました。





親方には、仕事人として、男としてご教授いただいています。

一切妥協せず見えないところにも手を抜かない仕事、人の一生の数代にわたる何十年も先を見据えた仕事、庭造りは人造りという人を育てる仕事等、男として様々なことを直で拝見させていただきます。


来春の聖光寺に、春の造園指導に行かれるみたいですが、何とか予定を合わせて運転主兼テコとして同行したいと考えています。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸猪苗代磐梯造園 親方の教え |
本日営業いたします。平成28年「七五三」に伴う定休日変更のお知らせ


平成28年「七五三」に伴う定休日変更のお知らせ


平成28年11月15日の七五三の火曜日は、通常営業いたします。

翌、11月16日水曜日を代休とさせていただきます。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 



| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
岩根愛 写真展 ” I Want to Laugh even for An Instant”ギャラリートーク



岩根愛 写真展 ” I Want to Laugh even for An Instant”ギャラリートーク

三春城下芸術の秋を飾る「街かど写真展 2016」~写真を観ながらまちあるき~。
この関連イベントである、岩根愛 写真展 ” I Want to Laugh even for An Instant”のギャラリートークが、フォトギャラリーいとうで開催されました。




三春写真クラブ「舞鶴会」の番人である中村さまにお誘いを受けまして、喜んで参加させていただきました。

岩根氏は、御縁があり米国ハワイ州マウイ島にて盆踊りに出会い、日系移民の方々や三春出身の歴史家橋本捨五郎さんやデコ屋敷ひょと古踊り橋本さんとの出会い、そして、福島音頭の誘われたかの如く福島三春へ・・・

不思議な人のご縁により今があるというお話をされていました。





会場には、ハワイマウイで見つけた明治期の古いコダック社製造のゼンマイ式360度パノラマ写真機(約20キロのカメラと呼ぶには置きすぎる代物)で撮影したひょっとこ踊りや、原発事故避難地区のパノラマ写真などが展示されていました。

参加者には、日本大学工学部写真部の学生さんも参加していただき、有意義な時間を共にすることが出来ました。






ちょっくら市主催、陶芸家の渡辺安里さんやお洒落な雑貨屋「in-kyo」さん、映像クリエイターの捨五郎さんの息子である直樹さんなど、など、面白い話を聞かせていただきました。

誘っていただいた中村さんや舞鶴会会長の山口さん、そして伊藤カメラの皆々様などスタッフ方々には感謝申し上げます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 05:31 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |