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徳一廟参詣 冬の東山温泉 卯之家ソースカツどん



先日、この冬2回目の会津東山温泉での会合があり先週に引き続き会津へ向かいました。

この日は当店が定休日でしたので、少し早く出発して、平安期の高僧徳一大師を祀った磐梯町にある慧日寺の徳一廟をお参りしてみました。




徳一廟は、夏から秋にはスズメバチがいたりしてなかなかお参りが難しいところです。


近年復元された慧日寺は、平安のはじめ大同元年(806年)、法相宗の高僧徳一大師が開いたとされています。




徳一廟の石塔ですが、修復の跡が見えますか?

当時の薬師如来信仰によって、この石塔の石を削って、薬として飲んでいたと考えらてています


以後、慧日寺は佛都会津の本格的な学問寺として発展し、一時は寺僧300、僧兵6000を数え、堂塔伽藍100などの広大な 伽藍を持ちっていたと伝わっています。

当時は、会津地方はもちろん、東国一円まで影響を与えるほどでした。





現在は、復元された金堂と山門の他、山内には、仁王門や山門、薬師堂、徳一廟などが点々と残っています。

尚、慧日寺は冬季間は閉鎖されていますので外観だけの参拝となります。




この時期の会津にしては、めずらしく暖かい日でしたので、丁度本日の会場が千代瀧さんでしたので、新瀧との外湯めぐりのついでに、久びりに東山温泉の散策してみました。




やっぱり温泉にいったら温泉街の散策(徘徊?)ですよね?

普段は、時間がなくて温泉街の散策などできませんでしたが、この日は定休日でしたので早めに行ったという次第です。





宴会前でしたが、東山温泉名物ソースカツどんの「卯之家」で一休みです。


偶然にも、ご一緒させていただいた東山芸者組合の姐さん方(現役ですよ)と、楽しいひと時を過ごさせていただきました。

”小原庄助さん、なんで身上潰した~!
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上卯・・・”

やはり、温泉街で生で聞く三弦(三味線)の伴奏による民謡は粋ですね!

ありがとうございました。

新春放映のテレビ見てくださいね!




ソースカツどんをいただいてしまいました。

おっと、これから宴会なのに・・・




尚、湯巡りをさせていただいた新瀧さんには、竹久夢二のギャラリーがあります。




夢二の絵が掛け軸となって展示してあります。




また、会津らしく最後の藩主松平容保公の書も展示してありました。




何故か東山温泉には毎年冬に来ているような気がします。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
三春中学校同窓会 27年度・28年度総会


三春中学校同窓会 27年度・28年度総会

先日、三春中学校同窓会の27年度、28年度の総会に新町理事として出席してまいりました。

先に統合された三春中学校同窓会連合会と連動する、旧三春中学校の同窓会です。





三春中学校同窓会は、統合前の三春中、桜中、沢石中、要田中の4校の同窓会に『三春中学校同窓会連合会』を組織し、三春中同窓会連合会の中核組織として存続し、例年通り2年に毎に総会を実施しています。





わが母校です。
同窓会の役員や講師など、少しでもお役に立てばと思います。





がんばれ!三春健児。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |
「ありがとう」 法蔵寺心のカレンダー12月


「ありがとう」

三春城下荒町にある時宗法蔵寺の心のカレンダー平成28年12月の言葉です。


あっという間に、師走を迎えて、「ありがとう」という言葉が、自然と心から湧いてきます。

この一年を振り返りますと、本当に感謝の年でした。





商売、そして家長として、さらには一人の男として、思ったことが全て出来た年ではないかと思っています。

さらには、様々な方々との出会いがあり、充実した一年となりました。


これも家族、友人など近しい方々から、お客様皆々様のお陰と思っています。

心より感謝申し上げます。




少し早いかとは思いますが、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 05:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸城下荒町時宗法蔵寺::法蔵寺心のカレンダー |
三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「天翁山州傳寺」



三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「天翁山州傳寺」

三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップが始まりました。


12月25日(日)まで


曹洞宗天翁山州傳寺は、江戸初期悲劇の三春城主松下石見守長綱が三春入府の際、二本松より移した寺で、重綱公、長綱公、豊綱公と松下家三代の位牌所です。
 
松下石見守長綱公は三春在籍十七年の間に、最後の戦国大名として三春城や城下町を整備して、現在の城下町三春の基礎を築いたと言われます。

 長綱公は豊臣秀吉が日吉丸と名乗る十六の頃、最初に使えた松下加兵衛之綱の孫で、初期徳川幕府にとっては、他の豊臣恩顧の大名と同じく目障りな存在であり、理不尽な理由を徳川幕府より押し付けられ、改易の憂き目に合いました。




 その後、江戸時代秋田家藩政下では先の領主菩提寺として厚遇され、全国的に有名な名僧高僧が在籍し、歴代住職への曹洞宗永平寺・総持寺両本山並びに関三箇寺から要職の下命等があり、管内の由緒ある寺院として「録所」を勤めました、また歴代住職の下へ、徳を慕いその教えを乞いに全国から雲水が参禅し、片法憧(格地)、東北の禅修業道場として名を馳せました。

近年に於いても、先の住職大地玄亀老師や、その弟子現住職石龍木童和尚が在籍し、この三春で禅宗の要として人々を導いておられます。
 
また丈六仏と呼ばれる御本尊の木像阿弥陀如来坐像は、坂上田村麻呂東夷追討に由来し、鎌倉期作とみられます、その昔郡山赤沼に安置され、戦国期田村氏三春入府に伴い、三春町丈六、廃寺万徳寺へ移り、その後丈六堂へ移り、明治期に州伝寺に移された仏像で、その長い歴史の中で、火災や様々な災難に遭遇しながらも、現存するその福与かな御姿に心が和み、自然と手を合わせます。




 州傳寺の玄関に「照顧脚下」の墨跡を見つけました、「脚下を照顧せよ」自分の足元を見よ、つまり自分自身をよく見つめなさいと言う教えです。

 山内には一時地蔵があり、子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親達の信仰を集め、八月二十四日には“みたま祭り“が開かれます。

 「拝む手から 一家円満の ひかりかがやく」  州伝寺立て札より





三春州伝寺第三十二世住持 大地玄亀大和尚
 
「最後の説法」大地玄亀  前州伝寺住職故石龍正孝老師著(非売品)


  この本は、即妙玄亀大和尚の接心での最後の説法を故石龍木堂老師がまとめられた貴重な本です。

前住職石龍和尚ご存命であったころ、塵壺に州伝寺を掲載するための資料集めにお邪魔した折に、頂戴したものです。

「最期の説法」は老師が東京都台東区浅草松葉町曹源寺内曹玄窟で遷化される直前に門弟のために病重症の所をおして行った提唱です。

それは、側に綿に水を浸して唇をうるおし、時に、声がかれ、とぎれ、欺息して休み且つ続けるという提唱であった。







大地玄亀和尚は東北の地に「禅」を根つかせた位という想いから、三春でも檀用の少い州伝寺を選ばれて掛錫された太地老師。


タイトル通り、石龍和尚の師匠である大地玄亀和尚の最後の説法を録音テープなどから編集して本にまとめられたものです.

玄亀老師発願の書(原文は血書)からはじまり

・ 総参の話(この接心会の直後に胃癌の診断を受ける)

・ 臨終の時の法話(門弟一同への経誨)

・ 最後の説法(浅草曹源寺での遷化直前の接心 綿に水を浸し唇を潤しながらの提唱)

・ 無門関提唱

・ 玄亀和尚示衆

・ 出家の本懐

・ 菩提心と無常観

・ 托鉢印施

・ 策励句集と続きます。





「総参の話」は昭和二十七年八月二日より一週間福島県田村郡三春町州伝寺において催された大接心会の時の総参の話である。
会衆七十余名、過半は在家の方で、特に初心者の方のために語られたものである。



尚、老師はこの接心会の直後、胃癌という診断を受けられたのである。



合掌


尚、お参りの代は足元に気を付けて参拝ください。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:30 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城主 松下氏 |
三春城下冬のライトアップ2016 三春藩主秋田家藩主菩提寺「秋田山龍穏院」


三春城下冬のライトアップ2016 

「三春城下曹洞宗寺院ライトアップ」


三春藩主秋田家藩主菩提寺「秋田山龍穏院」





荒町曹洞宗秋田山龍穏院は、三春藩主秋田家入府の時、前領地常陸宍戸より三春へ移したと云う禅宗の古刹です。

鎌倉期蝦夷管領、日ノ本将軍と呼ばれ、北方に覇を唱えた安倍家の末裔、三春五万石安東(安藤)秋田家の菩提寺です。

江戸期の秋田家藩政を通じて藩主菩提寺別格寺として隆盛を極め、その伽藍は寺院の多い三春でもひときわ荘厳で、歴史の重みと伴に、三春五万石の威厳を感じます。




 
幕末、三春藩の終焉とも言うべき、戊辰戦争三春無血開城後は、藩主が恭順の意を表す為御座恭順し、その後西軍の病院として使われ、三春秋田家のその始まりと終わりに重要な役割を果たしました。
今も境内には西軍として戦に参加した館林藩士の墓があります。





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| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下荒町::秋田山龍穏院 |
三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップ2016 「萬年山天澤寺」


三春城下曹洞宗寺院冬のライトアップが始まりました。

天澤寺、州伝寺、そして龍穏院がライトアップされています。




夜空に浮かび上がる、天澤寺の伽藍

曹洞宗独特の禅宗様式寺院建築が綺麗に見えます。




安寿と厨子王伝説の身代わり地蔵どうです。

ため息の出る美しさです。




天澤寺は、室町中期開山の古刹です。
戦国時代の三春城主田村家から江戸時代幕末まで三春藩主だった秋田家の時代を通じて三春領内に末寺十カ寺を数えました。

江戸初期、三春城主松下家の時代に藩主松下長綱の短慮な言行を諫めたことにより、会下谷にあった伽藍を焼かれてしまい、後の清水の現地に再建されました。




以後も、三春藩のご意見番的役割を務めたと云われ、御領内曹洞宗之録所として隆盛を極めます。

その面影は今も室町禅様式建築の本堂や、境内に在る安寿と厨子王伝説に因む地蔵堂に見ることが出来ます。





  境内の柿の木に地蔵の様なこぶがあり、いつの頃からか柿の木地蔵と呼ばれています。

現在は移転してありませんが、三春町立第二保育所へ通う子供たちを温かく見守っていました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::萬年山天澤寺 |
漫才コンビ「母心」のお二人にご来店いただきました。



ジャーン!漫才コンビ「母心」「オカン」こと嶋川武秀さんと、関あつしさんのお二人がご来店(^.^)

FCT福島中央テレビ「ゴジてれ Chu!」で、来月1月10日火曜日放送の番組収録です。

新〇〇を探せ!のコーナーで三春町新町からのスタート!

当店の看板商品である「おたりまんじゅう」の熱々出来立てほやほやを食していただきました。

また、新○○では、新商品「おたりぱん」「おたりやき」を紹介いただきました。





三春の新を紹介してということで、お隣の橋長魚店に干してある「新巻鮭」

そして、三春城下中町に今年4月にオープンしたお洒落空間の雑貨「in-kyo」さんと、ちょうど本陣本店で開催中の「ちょっくら市」を紹介させていただきました。





そろそろテレビ局が来る頃だ~と思っていた矢先のことでした。

こりゃ~「来年も初春から縁起がいいねぇ!」ってなもんです。

スタッフMと豪栄道と呼んでいる孫も出演予定!





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:46 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::テレビで紹介されました。 |