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水彩画「セリ場」~故前川三郎先生



三春城下南町の前川様より、御主人の故前川三郎先生の色彩の版画「セリ場」を拝領いたしました。

以前、版画の「セリ場」をプワール様より拝借して店内に飾らさせていただいていましたが、その報告を兼ねて当ホームページに掲載した画面をプリントして持参させていただきました。

その際に、「家にある同じ構図の水彩画を店に飾る?」とお話を頂きませて、もちろん二つ返事で今回店内展示となった次第です。




本当にありがとうございます。

さきのNHK総合テレビ「ものがたり」でも紹介していただきましたが、当店のスタートがこの「セリ場」であり、言うなれば三春昭進堂のバックボーン的存在、セリ場と共に歩んできた4世代です。




前川さんは、幼馴染・同級生の伯父さんでもあり、お得意さんでもあります。



セリ市場側から見た当三春昭進堂の工場の部分です。





まだ県道側の大屋根があり、当店工場にも煙突が付いていますので、20年くらい前の作品でしょうか?


大切に店に飾りたいと思います。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下大町 |
塵壺310号 平成29年5月  「雪村-奇想の誕生-」 於東京藝術大学大学美術館
 

「雪村-奇想の誕生-」 於東京藝術大学大学美術館

春陽ノ郷(しゅんようのさと)と呼ばれた三春の桜の中で、瀧桜と人気を二分する雪村桜。 
 今年も “三春さくら” のファンを魅了し大勢の観桜のお客様でにぎわっていました。




その桜の由来となった雪村庵(せっそんあん)の主、画僧雪村の特別展「雪村-奇想の誕生-」が上野にある東京藝術大学大学美術館で開催され、三春人として見に行かねばならないと、三春城下にも桜の便りがちらほらと届き始めた四月初旬に観に出かけました。

先に東京で開かれた三春舞鶴会総会でも町担当者より紹介されていましたので、首都圏在住の三春縁の方々も足を運んだ方も多いはずです。





この「雪村」とは周継(しゅうけい)という法名を持つ禅僧で、雪村は雅号です。他に、鶴船老人、如圭、倹約斎、中居翁などの雅号も称し、俗称は田村平蔵。

晩年に三春在の大田(現郡山市西田町大田雪村)に庵を構え隠棲(後の雪村庵)し、天正十七年、八十余歳の天寿を全うしました。

その画風は、禅をその精神的支柱とする静的素材を中心とした水墨画に、荒々しく動的素材を組み入れ、気迫と活力を導き出すことによって緊張感のある美を創造しています。






生涯は未だ謎に包まれていますが、常陸国(現在の茨城県 常陸大宮市)で戦国武将佐竹氏の一族に長男として生まれた雪村。
 しかし、幼いうちに出家し画業の道へと進みました。

後の世の絵師たちに深い影響を与えたその画法は、ひときわ独創・革新的でありながら、人間味あふれる温かな水墨画を描き続けました。

「西の雪舟」「東の雪村」と言われるほど、故郷である水戸佐竹氏や会津芦名氏、三春田村氏、東国各地を活躍の場としました。

晩年、三春を“終の棲家”として雪村庵を構えますが、その創作意欲は衰えを知らず、しっかりとした技法と、逞しいほどの想像力を用いて傑作と呼ばれる画を次々と世に送り出します。




 雪村の絵の中で一番のお気に入りの「呂洞鬢図(りょどうひんず)」

 今回の特別展のポスターに用いられています。独創的に描かれた構図が特徴の龍を操る志那・宋代に実在したと云われる呂洞鬢という仙人の絵です。
 ユーモラスな顔をしている龍の頭にちょこんと乗った呂洞鬢が、天翔る龍を見上げ、水瓶より小さなこれまた龍を出して自在に操っている様子が描かれています。




 以前から気になっていたんですが、どうも私も名前に龍が付いていますので他人事とは思えず、龍を自由自在に操っているこの呂洞鬢が、当家の女房殿に見えて仕方がありません・・・・





 四月初旬といえば上野の御山は春爛漫、江戸時代より浮世絵になるほどの観桜花見の名所です。
その日も大勢の花見客でごった返していました。

 私などは三春の和菓子屋という仕事柄花見だんごは売っていても“花見の宴”をした記憶はしばらくありませんでしたので、久しぶりの花見を堪能しました。





 また、この日は、東京国立博物館平成館で初日を迎える「茶の湯」展がありましたので、こちらにも臨場してみました。

 国宝の「曜変天目」、「油滴天目」さらには「志野卯花墻」や「黒楽時雨」等々一級品が勢揃いです。
 
織田信長や豊臣秀吉、足利義政、さらには当代きっての茶人千利休や古田織部等々の名だたる武将や茶人に愛されながら時代を超えて人々の心をとらえてきた国宝や重文になる茶道具が一堂に会しています。

「はぁ~!」「うん~ん」「憎らし~!」「へぇ~!」などと声にならない心の叫びが、ため息とともに自然と口から漏れ出してしまいます。





 尚、「雪村」展は平成29年5月21日(日)まで、「茶の湯」展は平成29年6月4日(日)までとなっています。





雪村庵

雪村周継は、十六世紀初めから後半(室町時代後期から戦国時代)にかけて活動した日本を代表する禅宗の画僧で、山水画、人物画、花鳥画などを描きました。

現存する作品だけでも、約二百点が確認されており、その中には国の重要文化財に指定されている作品もあり、郡山市立美術館をはじめ国内外の美術館等に収蔵され、高い評価を得ています。





現在の「雪村庵」は、後世に建てられたものですが、当地が、雪村の晩年(十六世紀後半)に隠棲していた地であることを、明暦四(一六五八)年、三春藩主秋田氏の菩提寺高乾院の僧侶であった-元紹碩が、庵の扁額に、当時の古老の話や伝承をもとに記しています。




庵の裏手の竹林には、雪村の墓と伝えられる花崗岩の大きな石があり、地元の人々により供養されています。






また、庵には、雪村桜、雪村梅と名付けられたシダレザクラとウメの古木があり、春の開花期は、訪れる人々を和ませてくれます。

雪村庵案内板より






      蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 拝

| ryuichi | 05:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
春爛漫 丹伊田子安観音祭礼 狐林山真福寺 



丹伊田 狐林山真福寺

三春城下の西北二里余、旧丹伊田村(現郡山市西田町丹伊田)の天台宗比叡山派の狐林山真福寺。


山内には子安観音を祀る観音堂が鎮座し、毎年春、花見の頃に祭礼がおこなわれています。





この祭礼には、毎年当三春昭進堂の”三春花見だんご”を引きものとしてご用命いただいています。

ありがとうございます。





今をさかのぼること慶長3年(西暦1598年)に開山し、明治13年には寛永寺の末寺となりました。





この真福寺の北の小高い岡の上には、戦国期の三春城主田村氏の家臣新田土佐守顕成が居住する黒鹿毛館がありました。

すぐ近くには、鹿島神社や、丹伊田玄番の居城だった田村四十八舘の一つ丹伊田舘もあり、戦国期の三春城主田村家では、重要な場所だったことがうかがえます。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:21 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村四十八舘2 |
田村地区防犯協会連合会防犯連絡責任者拝名


先ごろ、田村警察署署長、田村地区防犯協会連合会長名で、防犯連絡責任者に任命されました。

その委嘱状を、地区受持警官である鈴木さんに届けていただきました。





防犯連絡所の責任者です。

永年父親が担っていましたが、推薦者もあり息子の私が代わって任命されました。


子供のころから、「家には、お巡りさんがよくおちゃのみにきていたなぁ・・・」と思っていましたが、この防犯連絡所だということだったんですね。

また、親父と気の合たんでしょう?

三春に下宿しているような若いお巡りさんなどは、非番の日に呑みに来たりしていたのを覚えています。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂





| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「拘らず(かかわらず)」 三春城下時宗法蔵寺2017“心のカレンダー4月”



「拘らず(かかわらず)」 三春城下時宗法蔵寺“心のカレンダー4月”

拘らず(かかわらず)。

言葉の意図をいろいろ思案していましたが、法蔵寺の方丈様にご来店いただいた折に、聞いてみました。

「人間、あれやこれやに首を突っ込みたくなる、言うなれば出しゃばるということになる、そういったことへの戒めです」ご教授いただきました。


また、この言葉を考えていましたら、本当に難しい言葉だと気が付きました。

「拘らす」≒「囚われず」≒「かたよらず」≒「執着せず」

という図式が浮かんできたからです。
日々の生活、そして生き方に於いて実に難しい事柄です。





「小欲知足」「日々好日」「好事不如無」等々・・・・仏教では様々な言葉で教えています。
晴れても雨でも、暑くても寒くても、それぞれ大切なたった一度の人生の日々だということです。





好いことがあっても、悪いことがあっても、あるがままの現実です。
しっかりとそれを受け入れながらも、いつまでもそれに「拘らず」、「囚われず」、「かたよらず」「執着せず」、足元をしっかり見つめて今なすべきことに心を注いで生きていくということが大事なんだろうと思います。





木枯し紋次郎の名セリフ「アッシには拘わり合いのねえこってござんす」を思い出しました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸城下荒町時宗法蔵寺::法蔵寺心のカレンダー |
「駒のいななき」83歳記念号  わたなべ駒之助(三春担橋わたや呉服店会長渡辺和明)



「駒のいななき」83歳記念号 

わたなべ駒之助(三春担橋わたや呉服店会長渡辺和明)






わたや呉服店大旦那さんの渡辺和明さん(有限会社わたや呉服店会長)は、ペン・ネーム(雅号)「わたなべ駒之助」として随筆や現代川柳を執筆しています。

先ほど、この4月14日発刊の「駒のいななき」83歳記念号を頂戴いたしました。

丁度この日はご自身の誕生日です。菩提寺である真照寺墓参の帰りに持参いただきました。

ありがとうございます。


中を拝見しますと、「思いっきり」悔いのない人生と題された10種の川柳が目にとまりました。

商人として、事業家として、公人として、文字通り思いっきり駆け抜けた和明氏の人生を表した川柳です。

読み進むうちに、自分の座標を示されたみたいで、やる気と勇気がわいてきました。






先日、自宅に訪問して、同誌拝領の御礼がてらご尊顔拝見し楽しいおしゃべりをしてまいりましたが、改めて商人としての生き方を拝聴させていただきました。


83歳の誕生日、病気療養中ながら、いたってお元気で、しかも、志気旺盛、制作意欲みなぎるその生き方には敬服申し上げます。

また、「駒のいななき」、その一句一句には、人生の先輩である駒之助さんの人生訓がちりばめられていて感動とともに、その見識に頭が下がる思いです。






結びには、「全てにおいて思いっきり良く八十歳までに 悔いのない人生を楽しませていただきました」と締めくくられていました。


私もそういう人生を全うしたいと肝に銘じた次第です。





正に、商いは、売り手と買い手だけでなく、その商いが社会全体の幸福につながるものでなければならないという商人の理念である「三方よし」の考え方を教わりました。

商人として商品を売るのは当たり前ですが、目先の利益だけではない地域文化の向上、そして地域住民のお役にたちたいという思いや行動など、駒之助さんには三春商人としての生き方を見せていただいています。

これからもよろしくお願いいたします。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
春爛漫「上野の御山」~「雪村-奇想の誕生-」~「茶の湯」展



春爛漫、観桜花見の名所としてしられる「上野の御山」

丁度、花見の真っ盛りに水を差す意地悪な春雨の中、東京藝術大学大学美術館で開催されている特別展「雪村-奇想の誕生-」を観にいってきました。

「雪村」晩年、三春在李田村(現郡山市西田町李田)に庵を構え「雪村庵」に住み最高傑作を次々と世に送り出した画僧と呼ばれる、雪村周継(せっそんしゅうけい)です。





その生涯は未だ謎に包まれていますが、常陸国(現在の茨城県常陸大宮市)で戦国武将佐竹氏の一族に長男として生まれた雪村でしたが、父が他の妻の子を跡取りとしたため幼いうちに出家し画業の道へと進みました。

水墨画の巨匠、雪舟に私淑し独自の水墨画を多く残しました。







今では、「西の雪舟」「東の雪村」と言われるほど、故郷である水戸佐竹氏や会津芦名氏、三春田村氏、東国各地を活躍の場としました。

後の世の絵師に深い影響を与えたその画法は、ひときわ革新的でありながら、人間味あふれる温かな水墨画を描き続けました。





晩年、三春を“終の棲家”として庵を構えますが、その創作意欲は衰えを知らず、しっかりとした技法と、逞しいほどの想像力を用いて傑作と呼ばれる画を次々と世に送り出します。






15年ぶりとなる特別展覧会とあっては、三春人としてどうしても見に行かねばなりません。





ポスターにも用いられている代表作「呂洞鬢図(りょどうひんず)」

龍を操る志那・宋代に実在したと云われる仙人の絵ですが、ユーもなすな顔をしている飛龍の頭にちょこんと乗った呂洞鬢が、天かける雲龍を見上げ、水瓶より小さな蒼龍を出して自在に操っています。

私も名前に龍が付いていますので、他人事は思えず、龍を巧みに操っているこの呂洞鬢が、女房殿に見えて仕方がありません・・・・



三春のポスターや地図も出口付近にありました。








そして、丁度この日は、東京国立博物館平成館で初日を迎える「茶の湯」展ありましたので、こちらにも臨場してみました。






まあ、歴史の教科書に出てくる、戦国武将織田信長や豊臣秀吉等々、そして公方足利義政、さらには当代きっての茶人千利休や古田織部等々の名だたる武将や茶人に愛され、時代を超えて人々の心をとらえてきた国宝や重文になる茶道具が一堂に会しています。




「はぁ~!」「憎らし~!」「へぇ~!」など、声にならない心の叫びが、ため息とともに自然と口から漏れ出しまいます。






戦国時代の域息遣いか聞こえてきそうです。






上野の御山は「うえのさくら祭」の真っ最中で、大勢の花見客でにぎわっていました・




不忍池弁財天も御賑わい!





夜桜~~




不忍池~~夜桜!




上野精養軒で宴席なんですが、外の花見宴会が気になって・・・・





華のお江戸のど真ん中、上野の御山で花見で~~す!




商売柄、花見の時は稼ぎ時なものでゆっくり桜の下で酒を酌み交わすという経験はありませんが、この上野の御山での花見客の多さには子供の頃に敬遠した三春のお城山の花見を思い出させていただきました。





上野公園で彰義隊の墓参を兼ねて花見です。





この墓碑は、放置されたままの上野戦争で戦死した彰義隊の遺体を三ノ輪円通寺の仏磨和尚と寛永寺の御用商人の三河屋幸三郎が戦死者供養の官許を受けて上野山で荼毘にふし、一部を円通寺に埋葬した。





政府軍による上野御山攻めの折、もっとも激戦が予想される黒門口が薩摩兵ということで、西郷南洲は、政府軍最高司令長官である大村益次郎に対し「薩摩兵を皆殺しになさる気ですか?」と問うと、大村は「はい、そうです」とにべもなく答えたという。

上野御山を攻めた西郷さんの銅像の後ろには彰義隊の墓です。






直江兼続が詠んだとされる「春雁似吾吾似雁 洛陽城裏背花帰」ではありませんが、三春帰還前は上野駅周辺で最後のの悪あがきをします。

これも、田村大元神社の長獅子が一年間眠りにつくのを嫌がって神社に上がるのをためらっている姿を幼き頃より見ていた三春城下新町に生まれた哀し性なのでしょう?

前日に鈴本演芸場で落語見物、池之端藪で蕎麦を・・・・・閉店していました・・・残念!

そして、帰りには上野藪蕎麦で一献と・・・上野じゃらくで・・・・






さあ、三春城下はこれからが花見の本番です!





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂






尚、約10万人が犠牲になったとされる昭和20年3月10日の東京大空襲。

この悲惨な体験を構成の残したいと落語家の初代・林家三平の妻で作家の海老名香葉子さんが建立された「時忘れじの碑」手を合わせてまいりました。


合掌

| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |