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三隅 海蔵山龍雲寺 参詣 2018夏




ご縁があり、以前、浜田観音寺様にてお世話になった野原眞承和尚が住職を勤めている海蔵山龍雲寺方丈の野原眞承和尚にご挨拶に伺いました。

浜田紅蓮山観音寺花吉和尚の下へ参禅するようになったのは、今年二十歳になる長男が生まれてからですのでもう20年余になるかと思います。








中世の豪族三隅氏の山城跡の建てられた龍雲寺は、江戸期に入り浜田藩主松平家菩提寺です。

本堂の天井には狩野派の絵師が描いた雲龍が描かれています。

私の名前にも龍の文字が付いているものですから妙に落ち着く空間が広がっています。






眞承様と最初に観音寺でご一緒させていただいたにもその頃で、眞承様と浜田観音寺さまにて薬石をご一緒させていただいた折に伺った、ご自信が一年半の間に経験されたエルサレムメッカの話を思い出していました。

「宗教や人種を問わず全ての方々が世界平和を祈るという事が理想です」と語っておられましが、そのことが体現されたような平和の鐘だと思っています。





ここで御縁があり、イスラエルで一番お世話になったのがユダさん、ジジさんご夫妻とフェイスブックで二十数年ぶりに再開し、ご夫妻が先ごろ来日、龍雲寺に来山されたとのことでした。

改めて人の恩と御縁のありがたさを御教授いただきました。






春陽三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

 



 

 

| ryuichi | 07:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
石見(島根西部)浜田の夏休み 浜田紅蓮山観音寺 2018夏


浜田では3時起床です。

目の前にある曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

夜明け前の空のことで、須弥壇の蝋燭球の仄かな明かりの中、夜の闇に包まれた本堂。






日本海に面した浜田港まで徒歩3分の港町です。


遠くに波の音が聞こえ、虫の声や出向する船の音以外は無音で、静かに坐って過ごすことが毎朝の楽しみになっています。








夏は座っているだけでも汗が吹き出してまいります。
しかし、時折吹き込む優しいそそ風に励まされながら坐っています。


この観音寺での数日間の座禅を快適に出来るよう念頭に置いて、一年間生活しているような気がしています。






1年分の溜まりに溜まった心の塵芥の洗濯です。

後夜の座禅(私は、3時起床、3時半着座)、そして朝課。

お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。








観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」が最終段階です。

朝課、勤行 の中で「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」という題名のお経を唱えます。

楞厳会(りょうごんえ)と言ってこの経を読みながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。

坐禅

“ただひたすら座る”

過去の行いや出来事、これから起きることを全部自分の中から捨て去って、ただ座るということ教えられています。

それが今生きている実感や生かされていること、日常のありがたさに気付くことでもある大事な修行です。







何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。



5月〜7月末の90日間、禅寺では集中修行期間の夏安居が行われています。
ここで「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」というお経(呪文)を唱えます。
これがまた古代インド語をその名前漢訳しただけの難しいお経で、長文のため20分くらいかかるお経です。






なんちゃって小僧の私など漢字にカタカナがフってありますがコレすら間違えています。
途中に「〜〜夜彌(ヤミー)」の連呼があります。雑念を振り払って一生懸命お経を読んでいる最中ですが〜いつもヤミーを連想してしまいここで間違えています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 07:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
矢沢の勘!『世界の矢沢』がプレモルの缶デザインに登場!




矢沢の勘!

イヤ、矢沢の缶!だぁ~♪

『世界の矢沢』がプレモルの缶デザインに登場!






予約していたものが届きました!

「ザ・プレミアム・モルツ E.YAZAWAデザイン缶アソートセット」2種 数量限定新発売

―TV-CM出演の矢沢永吉さんをデザインに採用した“カジュアルギフト”―







飲むのがもったいないくらいですが、とりあえず乾杯!


「ザ・プレミアム・モルツ」のテレビコマーシャルに出演した永ちゃんが69歳を迎えた今年、武道館ではなく東京ドームでのライブ「STAY ROCK」を行うことを受け、そのオフィシャルロゴと本人のイラストを配した“カジュアルギフト”です。





先にも、AbemaTVにて「矢沢永吉 STAY ROCK NIGHT presented by サントリー ザ・プレミアム・モルツ」が放送されました。

69歳を迎えるアニバーサリーイヤーでのドームツアー「STAY ROCK」を目前に控え、
今の想いを語り尽くすスペシャルプログラムでした。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |
旧三春藩主祈願所真言宗智山派真照寺の団扇 2018 真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう)




旧三春藩主祈願所真言宗智山派真照寺の団扇をいただきました。









蝉時雨の中、夕方には蜩の鳴き声を聞きながらの夕涼み・・・・この優雅な空間を独り占め。


門前に住む者の特権ですね、なんて贅沢なんでしょう。






方丈の池が涼を誘います。


時折鯉がご挨拶!






古四王堂の改修もこの猛暑の中、順調に進んいます。







ヤマユリも一段落です。















真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印塔は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)」という長い名前のお経ですが、略して「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」といい、このお経を根拠とした塔で、内部にこのお経を納めることを目的としています。


宝篋印陀羅尼は罪障消滅・寿命長養の功徳がある、とされる陀羅尼です。







このお経を、仏像内や卒塔婆に納めれば、天災を免れたり、あの世で苦しんでいる先祖を極楽に導く事ができたり、この世で苦しんでいる人々、貧しい人々を救う事ができるなど、八つの功徳があるといわれていました。






三春藩主祈願所真照寺本堂の前庭に立つ宝篋印塔は、総高2メートル50位。

典型的な関東様式で、隅飾突起がほぼ垂直に立っています。


梵字の周りには円を刻みますが、これは月輪(がちりん)と言い、仏の知徳が欠けることなく円満であるということを示しています。







経曰若有末世四輩。

弟子善男善女為無。

上道盡力造塔。

安置神咒所得。

功徳説不可盡乃。










至或見塔形或聞鐸聲或。

聞其名或富或。

其影罪障悉滅所。

来如意現世。

安穏後生極楽


「この陀羅尼を書写し読誦するか、この陀羅尼を納めた宝篋印塔を礼拝すれば、罪障を滅し、三途の苦を免れ、寿命長遠なることを得る。」







江戸後期の享保の年号と、願主である真照寺を示す日乗山住職の名前が刻まれています。



三春藩領でも未曾有の犠牲者を出した「享保の飢饉」

その犠牲者慰霊のための建立と考えられています。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:02 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺 |
平成30年度 三春昭進堂 夏季休業のお知らせ



平成30年度 三春昭進堂 夏季休業のお知らせ



今年は、7月30日(月)~8月2日(木)までの4日間となります。







例年ですとお盆明けに夏休みを取らさせていただきましたが、今年は所用も重なって上記の日程となっています。


お客様には何かとご不便をおかけいたしますが、なにとぞご理解の程、どうぞよろしくお願いいたします。



尚、8月14日は火曜日ですが通常営業いたします。








毎年の夏季休業は、当店女将の実家がある島根県の西部、日本海側にある浜田市に帰省をしています。

家の修繕やお墓参り、そして、年に一回の参禅でもあります。


浜田市にある曹洞宗紅蓮山観音寺さまにて、朝だけですが午前3時起きで座禅、そして朝の勤行・・・

一年分の心の垢を洗い流しに行って参ります。






尚、本日は三春城下荒町の旧牛頭天王である八雲神社の夏季祭礼です。


八雲神社(天王さま)の祭礼(7月26日)は、新町の田村大元帥神社の祭礼(7月20日)と供に三春城下の代表的な夏祭りで、田村大元神社か八雲神社どちらかの祭礼は雨が降ると言われています。

戦国期の三春城主田村大善太夫義顕公の時、領内に疫病が流行し、領民の病甚だしい状況が続きました。

義顕公は、修験者を京都祇園社に詣でしめ、三週間祈願させます。

すると、霊験著しく領内の疫病直ちに駆除されたと伝えられています。

京都祇園社より分霊して、牛頭天王と尊称して後に天王山と呼ばれる、この地に鎮座します。

かつては、修験普明院(現存せず)を別当として社務を掌てていました。


村社八雲神社・旧牛頭天王の夏祭礼は、旧暦の六月二十七日をもって祭日と定め、前日二十六日には、三春領主の近臣、馬上代拝礼をたてていました。

田村公以後、蒲生氏、上杉氏、松下氏、秋田氏と領主は替わりますが、崇敬の捻は替わらず引き継がれます。

当時、医学・農業工学・の未発達な時代においては、農家の稲作に重要な雨を乞い、その恵みに感謝すると同時に、夏に発生しやすい疫病の除去を祈願することが中心となって脈々と受け継がれてきたのでしょう。

境内では、藩主秋田信濃守奉納の「月山丸」に由来する「剣の舞」が奉納されていましたが、今は途絶えてしまいました。







八雲神社は別名{胡瓜天王}とも呼ばれ、祭礼の時に参拝者は胡瓜二本を持参して神前に供え、帰りに別に一本の胡瓜と境内にある神笹を頂いて帰ります。

この胡瓜を食べると、病気にかからないと言われ、笹は養蚕農家では、蚕室に納めておくと、蚕の病気が無くなり、農家では魔除として戸口に差しておきます。

また、牛馬には笹を餌に混ぜて食べさせると病気をしないと昔から言い伝えられてきました。



神笹は、
神霊の依り代として、そして長獅子の髭からとった麻をひねったお守りは悪魔払いの白祓です。
依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
会津若松材木町『鍋三酒造本店』 復刻限定品 銘酒『清瀧』 



会津若松材木町『鍋三酒造本店』 復刻限定品 銘酒『清瀧』 

先日、三春城下大町の老舗「伊賀屋山三渡辺商店」。

現ENEOSヤマサンSSの社長の渡辺正恆さまから、会津若松材木町『鍋三酒造本店』銘酒『清瀧』復刻限定品をいただきました。



ヤマサン社長正恆さんのお母さまは、鍋三本店の分家である桂林寺鍋三星野氏の出身です。



先に、その自邸にある庭園を「可月亭庭園美術館」として一般開放されましたが、これを記念して星野先生が企画デザインされて復刻させたのがこの銘酒『清瀧』です。

このお酒は可月亭庭園美術館売店にて限定販売中です。







同級生のお父さんでもあるヤマサン様から「何かの参考になれば」ということでいただきました。

この時、横山家の一同が会して開催されていた「鍋三会」の記念写真を拝見していますと見覚えのあるお顔が見えます。

以前、会津三島で開催されていた「会津アートカレッジ/パフォーマンスフェスティバル」の事務局で福島大学を一昨年に退官された元教授の星野共様でした。

正恆さんにお話を伺うと鍋三星野の息子さんでこの銘酒『清瀧』の復刻版の企画デザインを手掛けたそうです。

奇遇というか、人のつながりである”ご縁”の深さを感じます。

また、会津若松横山氏の家系一覧や横山氏と会津若松の会津藩の関係を表した本を閲覧させていただきましたが、その著者も親戚である横山秀夫氏ということでした。








可月亭庭園美術館がある場所は、かつて「清瀧酒造」として日本酒を生産する酒蔵でもありました。

この度、庭園の一般公開と美術館の開館を記念して特別記念酒として復刻版「清瀧」を委託生産致しました。





星野家の祖先が約四百年前に、当時家老の下屋敷であった当地に居を構えました。

その時すでにあった庭園を、元禄になって、名庭師小堀遠州の弟子である目黒浄定が修理し現在に至っています。

その後約三百年間、十四代に及ぶ歴代の鍋三本店当主星野氏によって当時のままの状態で保存管理されています。

原型の庭園の作庭年代と作者は不明ですが、御薬園と同じく遠州流の流れをくむ池泉廻遊式の本格的な日本庭園で、中心部に心字の池を配しています。







星野家・鍋三本店の由来  

可月亭庭園美術館パンフレットより引用



星野家は、若松城下材木町に別家するまでの姓は、星姓を名乗り、その先祖は藤原氏よりでた伊勢人伊勢朝熊二万石の藤原内蔵正近光を始祖とています。

時は下って星刑部少輔光政の後裔の星玄蕃より出ると記されています。


葦名家の家臣として東上、鉄砲隊大将として二万石を拝していたとされています。

芦名家滅亡後、致士して南会津郡楢原に居住し、郷頭として代を重ね、会津に移封された蒲生氏郷が、文禄ニ年に黒川城を修復する際に、楢原から若松材木町に居を移して材木商を営むようになったと伝わっています。

その後、江戸時代初期には、鍋職躊物製造や酒造りにも着手していきます。

屋号の鍋三本店は、この代々襲名した鍋職の鍋屋三郎治にちなむものです。

星野家は材木商として財を成し遂げ、その傍ら江戸初期には鍋職鑄物製造に従事し、更に伊勢松坂より杜氏を招き酒造業を営む所となる。

星野喜左衛門光忠の代、寛保元辛酉年に嫡女の婿養子にて鍋職鑄物師を継承し、光忠の男子光博が家督を相続し代を重ね鍋三本店として今日に至る。








元禄年間には会津藩の御国産物として、漆器同様酒造も地場産業として、藩の奨励を受け酒造業として不動の地位を確保する。

一方鍋屋宗七家も鋳物師として活躍会津一円の寺社佛閣の佛像·梵鐘·鰐口·灯籠等の製作に専念し、多数の名作をこの世に出したと傳えられている。

星野宗七家に安永四乙未年鑄物師免許状があり、天明年間には鑄物師頭領として不動の地位を築いた。



横山秀夫著「藩政時代から明治にかけての可月亭」、同じく「系図」横山宗家監修 参照


鍋三本店の別家桂林寺鍋三星野家から三春山三渡邊義久氏へ嫁入りしたのが正恆さんの御母堂様であり、その妹様が安積(郡山市)久一・鹿島屋滝田氏へ嫁でいます。

そして、その滝田氏から、金三カネサン書店さんの御母堂様、そして小島様が出ています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下大町 |
メダカの学校 




メダカの学校は水の中~♪


三春城下北町の湯浅製製作所の会長からメダカをいただきました。


この猛暑をしのぐ涼やかさ演出に店にどうぞ!ということでした。





早速、カラスの器に入れて店内で鑑賞しています。


来週からは幼稚園が夏休みになります。

当店マスコットの孫みたいな豪栄道君もお母さんと一緒に出勤してくれますので、いい遊び相手ができました。






湯浅さんからは30匹ぐらいいただきましたので、半分は豪栄道君のお家におすそ分けです。







好きなものはとことん追求する湯浅さんです。

メダカ歴は3年前からだそうで、一匹500円~1000円くらいの高価な奴もいるみたいです。



自宅はメダカの水槽でいっぱいです。

以前は鯉です。

県内でも有名な鯉人!

水槽で飼う鯉もプロ級で、緋鯉や真鯉、ドイツ鯉等を様々な種類の鯉を飼育するために巨大な水槽を自作して飼っていました。


水族館級の照明付き水槽です。


もちろんろ過装置もプロ以上です。



このころ鯉の餌としてメダカを飼育し始めたと聞いたことがありましたが・・・・。








店内にちょっとした潤いが生まれました。


これで猛暑を乗り切れそうです。








ありがとうございます。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:00 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |