2019-01-31 Thu
「一陽来復(いちようらいふく)」商売繁盛、金銀融通、商売繁盛祈願~高田穴八幡宮
節分前、金銀融通、商売繁盛の神様である早稲田の牛込”高田穴八幡宮”へ「一陽来復」のお札を頂きに参詣しました。
商人の神様として信仰の篤い『一陽来復御守り』は、金銀融通の御守りとして「お金のやり繰りが良くなる」ご利益があるとされています。
先輩から教えられた、この穴八幡宮で承けられる「一陽来復」のお札は「金運上昇・商売繁盛」にご利益があるとのことで、一年のうち、冬至~節分の約1か月半しか授与していなとあって、ご覧のように全国の商人がそのご利益にあやかろうとこぞって参拝していました。
穴八幡宮から授かった一陽来福の御守り・お札をその年の定められた恵方に向けて、冬至(12月22日)、大晦日(12月31日)、節分(2月3日)のいずれかの深夜0時に高い場所にお祀りするとお金繰り(金銀融通)が良くなるといわれていて、商売繁盛・金運上昇のお守りとされています。
尚、「一陽来復」とは、冬が終わりを告げ、春が来ること。
つまり、新年が来ることとされています。
これを転じて解釈すれば、冬にような低迷いが続いた後でも、幸運に向かうこととなります。
穴八幡様の案内板によれば、陰の気がきわまって陽の気にかえる意があるそうで、「陰が極まって陽に転じること」すなわち、「凶事が去って吉事がめぐってくること」という意味があるそうです。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-01-30 Wed
中郷今昔物語の巻
中郷の昔は、滝外18ヶ村戸長役場が行政区となっていた。
その後、滝、柴原、込木、楽内、芹ヶ沢、貝山、蛇沢、春田、狐田、過足、根本、樋渡、蛇石が合併して中郷村となったのである。
これは明治20年町村制実施以来のことである。
初代村長は田村謙次郎、次に御代田勝弥、木幡文多郎、橋本喜四郎、木幡文忠と続き、三春町に合併したのである。
旧中郷村は、和合のため、貝山、狐田、柴原に小学校を配置するという気の使い方だった。
村長の中で、木幡文多郎の在任が最も長く、 33年を数え、日露戦役から太平洋戦争まで、明治·大正· 昭和の3代にわたり、饑饉その他の災害に屈せす、村政を伸ばしてきた。
従五位勲五等の栄誉は、その功績を物語り、滝に建つ報徳碑は天然記念物紅枝垂桜とともに、名声を残すだろう。
中郷は、一時教化村に指定されただけあって、多くの人材を産んだ。
軍人では獣医総監少将田村重慶父子、教育家では函館師範·磐中·高田師範の校長だった橋本文寿、茨城·栃木で高校々長を勤めた渡辺文弥がある。
変り種では、田高同窓会東京支部長の阿部伝助がいる。
自分の仕事をうっちゃっても、よく後輩のめんどうを見てくれる。
なお、中郷で見のがすことのできないのは、東西に貫流する水資源大滝根川である。
この川を利用して、明治末期から大正·昭和にかけて、上下数カ所に発電所ができ、三春の商工業発展の原動力となってきた。
後に発電所は、日本化学工業の専用発電所になっているが、現在は三春ダム底に沈んでいる。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
2019-01-24 Thu
新年会出席のため、松島海岸まで出張してまいりました。
丁度、定休日前日と重なっていました。
もちろん、早めに松島入りして定宿である「絶景の館」さんに車と荷物を置いて、松島散策。
政宗を祀る瑞巌寺、愛姫の眠る陽徳院、五郎八姫墓所天隣院参詣です。
修復の終えた松島海岸にある五大堂付近はきれいに整備さて例ます。
瑞巌寺も、1月の平日とあってゆったりしています。
瑞巌寺の掲示板に「祥風 今年一年 清らかな風を 起こしましょう」とありました。
今年のテーマが決まりました。
宝物殿では、「達磨展 一華五葉を開く」が開催されていました。
この宝物殿には、三春町歴史民俗資料館で先春に開催されていた『陽徳院 愛姫』~439年ぶりに愛姫が帰ってきます~ の時に展示されていた陽徳院木像、そして「伝 田村殿愛用赤楽茶碗」が展示されています。
天正7年(1579)、三春城主田村清顕の娘愛姫は、12歳の時に三春田村家の存亡をかけて、米沢城主(当時)伊達輝宗の嫡男、後の仙台藩祖・伊達政宗の元へ嫁ぎました。
伊達家当主となった政宗は破竹の勢いで南奥羽を制覇しますが、時はすでに織田~豊臣と移り変わり、同18年(1590)、小田原の合戦後に豊臣秀吉の軍門に下り、奥羽仕置・田村仕置にて田村家は改易されます。
寛永13年(1636)に政宗が亡くなると、菩提を弔うため出家し、法名陽徳院として仏門に入り、承応2年(1653)に江戸で86歳で生涯を終えました。
こちらは、愛姫の娘で、西館殿とも呼ばれた五郎八姫(いろはひめ)・法名天麟院(てんりんいん) が眠る天麟院内の定照殿(じょうしょうでん)(御霊屋)
五郎八姫の御霊屋
天麟院は、伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)との間に生まれた娘・五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺です。
瑞巌寺の並びにあります。
陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられています。
五郎八姫は、徳川家康の六男、松平忠輝の正室でした。
忠輝とは仲睦まじかったが子供は生まれなかったと言われています。
そして1616年、忠輝が改易されると離縁され、父の政宗のもとに戻り、以後は仙台で暮らします。
このとき、仙台城本丸西館に住んだことから、西館殿とも呼ばれていました。
本堂、境内は小さいですが横の参道から山に登ると霊廟の”定照”や樹齢300年以上の”はりもみ”の巨木や伊達一族供養塔がある”天燐院洞窟群”などがあります。
松平忠輝は、徳川家康の六男で越後高田六十万石の城主。
大阪夏の陣直後の元和元年(1605)、家康から勘当を申し渡されます。
翌年、幕府から高田藩も改易され、正室である五郎八姫(伊達政宗の長女)とも離別、飛騨高山から諏訪に流されます。
天和三年(1683)、諏訪大社のある諏訪にて九十三歳の生涯をここで閉じ、諏訪にある貞松院に葬られます。
尚、改易の理由は乱暴な振舞とも、大久保長安等と組んで天下取りを企てたとも伝えられています。
さて、瑞巌寺、陽徳院、天隣院を廻っていたらお腹がすいているのに気づきました。
お昼がまだだったんですね~。
新年会までは時間があります。
ここいらで朝自習といきますが・・・・
五大堂の袂にある「げんぞう」さんにて松島冬の味覚「牡蠣フライ」
そして、船乗り御用達・海の駅「松島玉手箱」にて、「焼き牡蠣」、そして「焼き蛤」
最高です!
夕暮れの松島湾で一献!といいたいところですが、厳冬の1月です。
そこは無理がりました。
宿に入って、絶景の松島湾を拝見!
夕暮れの松島
そして、日の出の松島
これが見たくて、ここ「絶景の館」を定宿にしているのかもしれません。
翌朝は、塩釜に用事がありましたので、塩釜神社まで足を延ばして新年参り。
なんと、境内の早咲きの四季桜が咲いていました。
この日は、スーツから普段着の作務衣に着替えて塩釜神社を散策していましたら観光で来日中の外国の方から声をかけられました。
作務衣という格好でいるせいでしょうか、観光地では必ず体験する光景です。
トイレはどこですか?
次の見どころは?・・・・
今回も「近くのパワースポットはどこですか?」というものでした。
昨夜の宴会でも、「宮城に着たら金運上昇、商売繁盛、財力向上を祈願して竹駒稲荷(現竹駒神社)と金蛇水神社に参拝して帰りなさい」と教わったので、そのことを教えてみました。
私も、帰り道ということもあり「竹駒神社」参拝に行ってみました。
ここでも、桜が咲いていました。
小野篁が創設という竹駒神社です。
初めての参拝となります。
竹駒神社は、京都府の伏見稲荷・茨城県の笠間稲荷と並び日本三稲荷の一つに数えられています。
大鳥居をくぐり石畳の参道を進むと江戸時代に建てられて随身門、それに続いて向唐門があり奥に本殿・拝殿があります。
向唐門に向って右には「竹駒の神のみやしろ もうできてほころびひそめし初桜みる」と彫られた土居晩翠の歌碑があります。
そして、幼き頃より身近なところで「竹駒講中」という名称を聞いていたのでなじみはあったんですが、訪れたことはありませんでした。
竹駒の駒・・・・・・・竹駒神社にある馬事資料館
これは三春駒に関する竹駒講中があってもおかしくはありませんね?
三春家畜セリ市場の目の前で商いをしていた祖父も「竹駒講中」として行っていたわけですね。
私も、改めて商売繁盛祈願と御礼をしてまいりました。
竹駒神社といえば真照時の法会で世話になっている須賀川白山寺住職松木和尚のご実家が、竹駒神社にほど近い真言宗寶窟山竹駒寺です。
これは参詣しなくては・・・
江戸時代までは竹駒神社の別当寺でした。
明治2年(1869年)の神仏分離政策で、竹駒神社に隣接する位置から現在の場所に移っています。
大きな会館も備えた大きなお寺さんです。
竹駒稲荷神社に参拝の折には、竹駒寺もお参りしたいものです。
そして、金蛇水神社
竹駒神社から車で5分くらいのところにあります。
商売繁盛、金運アップを祈願する方々でにぎわっていました。
金蛇水神社の社殿手前にある、金蛇水弁天様があります。
参拝のお客さんにこちらもお参りしないとご利益がないよ!と教えていただきました。
弁財天堂の横には、自然木のうろの中に白蛇がいるような切株が奉納されています。
この白蛇のご神木からは、開運幸福、金運上昇、商売繁盛のご利益を授かると言われています。
特に最近は金運のご利益で有名なようで、境内の脇にある蛇を彫った石に自分の財布を撫で付けて金運を祈る人もいました。
これで金運アップまちがいなしです!
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| ryuichi | 05:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録 |
2019-01-23 Wed
三春城下荒町の時宗「法蔵寺」さまよりお年賀をいただきました。
住職も前住職照道老師より息子さんである廣道和尚に代替わりされてのお年賀となります。
「念ずれば 花開く」
この言葉には何度励まされたことかわかりません。
今年もよろしくお願いいたします。
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| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2019-01-21 Mon
「EIKICHI YAZAWA MANIAC NIGHT 2」
ーYAZAWA CLUB会員様から、抽選で50名、MANIAC NIGHTライヴにご招待!ー
■ ライヴ日程
2019年2月9日(土)
■ 場所
都内某所(東京都) ※当選者の方に詳細を通知いたします
#矢沢永吉 #MANIACNIGHT2 #LIVE
#YAZAWACLUB会員限定 #ご招待 #50名様
50000人分の50人!
これが当たれば~ 今年の運は最強、昇り龍です!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2019-01-20 Sun
本日、55回目の誕生日を迎えることが出来ました。
これもひとえに家族、お客様、友人知人など様々な方々のお引き立てのたまものです。
心より感謝申し上げます。
「自分で引いたレールもあるだろうし、人に引かれたレールもあるだろう。実はこのレールとは有縁無縁の様々なご縁に導かれた見えない力が作用してに構築された人生のレール。このレールに乗っていられるということは幸せなことだよ!」
人生に先輩からの言葉です。
心に響きました。
そして、私もそうありたく思います。
今宵は、暖かインナーを着て、沢庵と贅沢缶詰「ムール貝の白ワイン蒸し」をアテに一献!
ディナーは愛妻の手料理です。
ある程度キツイ目にあわなきゃいかんのよ。
萎縮しちゃうやつもいるけど、バイタリティになる。
「なにくそ、冗談じゃない!」と、そう思えるだけ、オレは幸せだったかもしれないね。
矢沢永吉さんの言葉にあります。
正にその通りだと思っています。
今日(大寒の1月20日)を迎え、あっという間に、55歳になったような気がします。
1月生まれの方に共通している感覚かと思いますが、新年と誕生日が重なります。
年が明けた一年間と、自分の一歳の一年間、そして商いの決算期がリンクして、今年はどんな良い年になるんだろう?とワクワクして新年を迎えることが出来ます。
ちょっと得した気分です。
中々大人にはなれません(^.^)
さあ、猪年です。
猪突猛進!我武者羅に突き進む年にしたいものです。
2種類の人間がいる。
やりたいことやっちゃう人とやらない人。
やりたいことやってきたこの人生。
おかげで痛い目にもあってきた。
散々恥もかいてきた。
誰かの言うことを素直に聞いてりゃ、今よりずっと楽だったかもしれない。
でもね、これだけは言える。
やりたいことやっちゃう人生のほうが、間違いなく面白い。
俺はこれからもやっちゃうよ あんたはどうする?
矢沢永吉語録~(日産自動車CMより引用)
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:34 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |
2019-01-19 Sat
旧三春藩五万石秋田家主祈願所真照寺山内にある「古四王堂」の東日本大震災による被害からの復興再建工事が完了しました!
かつては「大日堂」そして、「古四王堂」として信仰を集めていました。
堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。
大日如来像は、現在はありません。
他の四天王は本堂内に保管されています。
足場も、この30日には撤去され2月3日の節分会に間に合いました。
そして、来月の引き渡しを待つばかりとなりました。
以前の古四王堂の使える部材を最大限に使用しました。
所々に色目の違う部材が見て取れます。
大工さんの腕の見せ所でした。
須弥壇下の文様は、解体前は護摩焚きの煤がこびり付き真っ黒になっていて判りませんでしたが、実は金箔が施されていました。
外の飾り部材も以前の部材を修復した逸品です。
堂版の屋根なども含めて、時間の経過とともに、色もなじんでくることでしょう。
柱や梁などの主要部分は度重なる修復歴があり、構造・強度の問題もあってすべて新品が使われています。
戸板も修復品です。
秋田家の家紋・裏家紋も健在です。
落慶法要は8月に予定しているそうです。
これから何百年もたち続けるであろう「古四王堂」
節分会の豆まきの折にゆっくりとご覧ください。
御札護摩焚き供養の紅蓮の炎に照らし出される古四王堂も幻想的でしょう。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺::古四王堂平成の大改修 |
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