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田村四十八舘 旧七郷村 堀越





堀越舘跡

七郷村大字堀越に在りました。


三春田村氏の臣堀越尾張守が居舘しています。




平舘跡

七郷村大字堀越にありました。

三輪某の居舘です。

三輪氏の家譜によれば永谷豊前守治則の三男、三輪玄蕃治徳の後としてあります。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



七郷 小舘跡

七郷村堀越にありました。

小泉藤兵衛の居舘

小泉氏は、永禄二年にこの地の移り住み、後に神職となり、明石明神(現明石神社)前に居を移し子孫が代々神職を務めています。




七郷 鎌傷舘跡

舘主 佐藤左近

堀越八幡神社 及び 花園神社は佐藤氏の勧請して建立しています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村四十八舘1 |
令和元年 製餡練機のステンレス製の蓋新調




この半円形の金属は何でしょうか?


これは餡練機の蓋です。


五年ぶりくらいに新調いたしました。







根本看板の専務に依頼して製作していただきました。


オールステンレス製です。



これは末代ものです。



今までは木製の蓋を作っていただいて数年で交換していましたが、今回は根本さんといろいろ相談してステンレス製をチョイスしてみました。


重量も軽く、取り回しが楽になった上に掃除も簡単になりました。


当店製餡スタッフにも好評です!


これでバンバンあんこを作って饅頭を売りまくるぞ~




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:30 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
令和元年 三春町立岩江中学校2年生の生徒が職業体験に来ています。




私ども三春昭進堂では、地域貢献事業として地域学習の一環で、三春町立の中学校の2年生の職場体験学習受け入れを毎年実施しております。

当店以外にも三春城下の商店や企業、公共施設などでも実施しています。

三春町内の各中学校2年生の生徒が、運動着にエプロン姿で町内にあるスーパーやコンビニ、各商店、病院、そして保育所等々で活動する姿を見かけた方も多いことでしょう。


昨日から、2日間三春町立岩江中学校2年生の3名の生徒が職業体験に来ています。






当三春昭進堂はでは「三春町キャリア教育推進事業協力店」として、2日間と短い期間ではありますが、子どもは、日本の将来を担う社会の宝であり、社会の一員としての強い自覚をもち、たくましく成長することが少しでもお手伝いが出来ればと考えています。






朝礼後、店内外の掃除から、饅頭つくり体験、焼物の仕上げと製造補助、一日明るくきびきびとしながら、楽しく仕事をしていました。
短い時間ですが、何かを感じてもらえればいいなあと思います。






子どもたちは、親の働く姿を日常的に目にし、そこから多くのことを学んでいました。
  しかし、昨今の社会情勢の変化が目まぐるしく、核家族化や価値観の多様化等で、家庭生活も変わってきています。

家事の合理化、外部化により子どもたちが家事などの仕事を果たす経験も少なくなり、親子の会話も少なくなっていることも事実でしょう。
 
子どもたちに、夢や喜びを与えることのできる社会であることが理想だと思います。

  社会や人とどのように関わり、自分という存在をどのように存在させたいのか、それが自分の人生にとってどれ位意味があることなのかを仕事を通じて考えていくことがとても大切だと考えています。






昔から三春人は、教育・人間育成ということには驚くほどの力の入れようでした。
 
私たち三春昭進堂も、お菓子を通してこれに少しでも貢献したいと思っています。

そして、次代を担う若い人々が夢を持ち働くということは、社会や人と大きく関わり、つながっていくことだと実感してほしいと願っています。


饅頭つくりの体験では、自分で作った饅頭は御家族様へのお土産に持って帰ってもらいます。





私が子供の頃、子どもたちは親や地域の方々の働く姿を日常的に目にし、そこから多くのことを学んでいたような気がします。
未来を担う、三春の後輩たちの”学び”に、少しでもお役に立てればいいなあと思います。

昨今「社会総がかりの教育」が提唱されていますが、これは学校教育だけでなく、家庭、近所、地域、さらに産業界、あらゆるセクターの組織、あるいは人々が教育を支えるという意味だと解しています。






学校という狭い空間を飛び出し、働くことの楽しさ・厳しさを知ることによる彼らの成長は、将来の地域社会の発展につながると考えています。







商人は「無功徳」“陰徳を積む”という考え方がります。

「無功徳」とは、人に知られないように善行を施すことです。

“徳は閻魔様に知られないように積め”と云われています。

“人に知られないように”と言うのは、自己顕示や見返りを期待しないという意味もあるんだと思います。

三春の商人は、古より社会貢献の一環として、商いで蓄えた資金を地域社会に積極的に貢献するという「三春商人の精神」を伝え続けていきたいものです。













春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |
飾り花棒 浜町睦会 令和元年 ドッコイ!




先日、ポン友の城下中町の桑原君が来店し「見せたいものがある」とこの真鍮(しんちゅう)がきらきら光った調度品を拡げてくれました。

この真鍮の板金細工、そして三つ巴紋、いい塩梅の角材ときたら~ そうです、御神輿の花棒です。

しかもミニチュア?







お話を伺うと、三春大神宮秋季例大祭に於いて御祭神御神輿巡幸還御の折に城下中町が供奉する御神輿は、ご縁があり川崎は浜町から三春へ輿入れした御神輿で、川崎市浜町は浜町商店街に店を構えていた旧第一屋洋品店社長”勝ちゃん”こと橋本勝通さんと粳田三郎さん、秋元長吉さんなどその一派浜町睦会の面々による手作りの御神輿でした。

この第一屋さんというのは、中町桑原商店で永年大番頭を務めたさん橋本氏がのれん分けで出店した衣料品屋さんです。

手作りといっても大工と板金屋のいずれも棟梁が精鍛込めて作った本物以上の本物の宮神輿です。

その完成後も粋でイナセな御神輿にすべく試行錯誤の改良が加えられていました。

その際に、四本ある神輿花棒の内、外側の2本が少し短いほうが”粋”ということになり、前後を少し詰めたました。

その前後計四本の部材を板金屋棟梁の粳田さんが装飾を施し第一屋、粳田さん他二名で記念に分けたものだそうです。






この度、その御神輿が三春中町若連に遷宮して20年という節目ということで、第一屋にあったこの飾り花棒を桑原君へ寄贈されたということでした。

以前よりこの話は合ったそうですが、桑原君は「これはあの御神輿の創設者である勝通さんの第一屋にある神棚に置くべきだと!」と再三辞退されていたようですが、平成から令和のなったということもあり、一つのけじめとして勝通さんからのたっての希望ということもあり、ありがたく拝領したということでした。


それを二か月かけて磨き上げ私に見せるべく持参いただいた次第です。

お気使いいただきありがとうございます。





この写真から外側の花棒が短いのがわかりますか?



今から30年余前に桑原君と二人、二泊三日でこの神輿を川崎に担ぎに行ったというご縁もあります。

第一屋の勝ちゃん、粳田さん等々の満足げなお顔が思い出され感無量です。







黄金色の三方に載せられた黄金に輝く稲穂!

羽一馬一枚仕上げた鳳凰の羽・・・・

本番で乗る四隅に飾られる黄金の折り鶴・・・

板金のプロ、大工さんが手掛ける本格的なお神輿です。

その辺で売っている神輿とは訳が違いますよ!






下地の欅は無垢材から切り出した本格派です。

川崎の祭礼で担がれていたときには夏祭りです。

江戸前らしく、町内巡行の折には家々からは水がバシャバシャかけられながら担いでいますが、この神輿はビクともしません!

さすが無垢材と宮大工の最高の職人技の光る良い仕事です。

普段は、勿論桑原商店の蔵に鎮座してあります。







昨年は、30有余年ぶりに桑原君、そして中町若連様からお誘いを受けまして川崎に出向き大島八幡宮祭礼にて浜町の御神輿を担がせていただきました。
直会を第一屋さんで開催していただきました。

今年は、大島八幡様の祭礼にて神奈川のテレビ局が浜町陸会と三春中町若連の交流を取材に来るということが決まったみたいです。






そして、当店にもテレビ局からお宝関連の番組オファーがあり桑原商店の蔵に鎮座する中町若連御神輿を提案しようと思い、桑原君に連絡を入れようとして矢先の出来事で、御神輿にまつわる逸話とその花棒・・・・これは幸先がいいんじゃないのかなぁ!






ドッコイ! ドッコイ! ドッコイ!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸城下中町若連 |
令和元年初夏 真照寺 樹木伐採2




先に行われた真照寺山内にあった杉の伐採や銀杏の寸詰めなどで出た材木を薪になるよう寸断して重ねてあります。


これは参道元に住む元大工の棟梁だった増子さんの技です。


昭和八年生まれの御歳85歳。





長年、大工で鍛えた強靭な体は老いるのを忘れたかのように筋骨隆々・・・・



スーパージイちゃんです!


日頃より、真照寺山内の庭園管理及び整備、そしてお寺の各種行事では寺男のようにこなしていただいています。





4尺に横裁断した太い杉を16等分に分割縦裁断

ご覧の通りになるまでをのべ3日半です裁断しています。

檀家さんではありませんが大活躍です!






薪もこれだけあれば、節分や夜の各種行事での篝火には不自由はしないでしょう!







伐採によってお日様の日差しが降り注ぐようになった山内です。







より一層に「蒼龍」の木陰が涼しく感じられるようになりました。








あとは蛍が舞い始めるのを待つだけの真照寺です。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:09 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
佐久間庸軒旅日記 佐久間庸軒著 安政5年戊午 船引町教育員会編 平成2年7月発行




佐久間庸軒旅日記 佐久間庸軒著 安政5年戊午
船引町教育委員会編 平成2年7月発行

またまた面白い本が手元に届きました。

一昨年より、三春町つくり公社で「三春町内神社仏閣の算額巡り&和算遊び手習い」を開催していましたのでご存じの方も多いと思います。

佐久間庸軒は、江戸時代後期から明治時代にかけ活やくした最上流和算家で三春藩士。

文政2年(1819)田村郡石森町(田村市船引町石森)に生まれます。

本名を纉(つづき)といいます。

天保7年(1836)、18際で二本松藩の最上(さいじょう)流和算家渡辺治右衛門に入門。さらに、和算研鑽の旅を続け、嘉永7年(1854)に研究成果を「当用算法」や「算法起源集」など著書も多くあります。

佐久間派の開祖として三春藩藩校「明徳堂」で算学を教え、新政府の絵図編纂御用も勤めていました。

維新後には自宅で塾(庸軒塾)を開いて農民や町民に算術や算学測量を教えています。

その門弟は2000名を教えます。





 庸軒が活躍した時代、和算はブームとなり、全国各地で上層階級から庶民へと広がっていきました。

和算を志す数学者や数学愛好家は、難問を解くことに成功すると、神社や寺に算額を奉納するようになりました。

これは、問題が解けたことを神仏に感謝し、自分の業績を世に知らしめるためでもありました。

また、和算好きはそれらの算額を見て回り、難問に挑戦しては腕を磨き、時には他の和算者に向けて問題だけを書いた算額を奉納して、和算対決の様相を呈していたこともあったようです。

三春町内の神社仏閣には、難問を解いた算額、問題だけ載った算額などが奉納されています。







佐久間庸軒の数度にわたる旅日記は、遊歴の算術家として江戸末期の日本各地を旅して算学をひろめ、最上流和算を作り上げた時の修行旅日記です。

天保十三年(1842)の庸軒路程記1~6は参詣に重きを置き、安政五年(1858)の九州辺天草の旅の九州遍路1~6は算術修行に重きを置いているようです。

庸軒などの「遊歴の算家」は、全国を旅して回り、行く先々で数学者と問答を行っています。地方に高名な数学者が訪れたと聞けば、地元の算術好きが列をなして教えを請い、臨時の数学塾が開講されていたようです。

庸軒の九州遍路行では訪問した算術家は34名(内31名は印鑑を押捺)に上っています。


この時代、様々な学問を修練しようとすれば、師を求め師に会うこと以外自分の学問を向上させる方法がありませんでした。

これは算術と言わず、医学、経済学、建築土木、そして政治等々志あるものはすべて諸国を周遊し師を求めていました。

時には滞在先で自分が先生となり講義を行うなどもありました。


本書では三春を発ち、江戸・箱根・桑名・伊勢・京都・岡山・山陰津和野・博多・長崎・本渡・熊本・宮島・信州善光寺・日光経由三春という行程での算術修行です。
一部船旅もありますが、もちろん9割以上が徒歩の旅路です。

全国津々浦々を旅する遊歴算家の活躍によって、和算ブームは草の根の広がりを見せて日本の隅々まで高度な数学が広まっていき日本独自の数学・算術である和算文化を築き上げていきました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:23 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春藩始末記 秋田氏五万石雑記::三春秋田氏五万石雑記 |
中学生の職業体験 三春中学校2年生 令和元年 




今年度も、、2日間の日程で三春町立三春中学校2年生の3名の生徒が職業体験に来ています。

当三春昭進堂はでは「三春町キャリア教育推進事業協力店」として、2日間と短い期間ではありますが、子どもは、日本の将来を担う社会の宝であり、社会の一員としての強い自覚をもち、たくましく成長することが少しでもお手伝いが出来ればと考えています。









朝礼後、店内外の掃除から、饅頭つくり体験、焼物の仕上げと製造補助、一日明るくきびきびとしながら、楽しく仕事をしていました。


2日間という短い時間ですが、何かを感じてもらえればいいなあと思います。


私が子供の頃、子どもたちは親や地域の方々の働く姿を日常的に目にし、そこから多くのことを学んでいたような気がします。

これは今も変わりはないはずですが、地域社会の目まぐるしい変化や核家族化、そして、価値観の多様化等で地域での生活もずいぶんと様変わりしたように感じます。








働くということは、社会や人と大きく関わり、つながっていくことです。

社会や人とどのように関わり、自分という存在をどのように存在させたいのか、それが自分の人生にとってどれ位意味があることなのか、
そういう面で仕事を考えていくことがとても大切なんだろうと思います。






昔から、「 他 人 の 飯 を 食 べ さ せ る 」 と か 「 か わ い い 子 に は 旅 を さ せ よ 」と 云われています 。


私も、菓子屋の跡取り息子として、「他人の飯を食って、一人前になれ」と高校を出たら菓子修業に行けと小さい頃から云われてきました。

止宿して師匠と起居を共にし、技術だけではなく、人間的な面も含めて修業をする。

いわゆる親もとを離れて、他人の間で苦労を味わい、社会の経験を積むということだったのでしょう。

親 元 を 離 れ 他 人 の 間 で 苦 労 を 味 わ う こ と は 決 し て 無 駄 に は なら な い と い う こ と で す 。







明治維新後の、三春の教育

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」

「三春で学んだことを誇れる教育」 



かつて三春人は、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。


先の三春舞鶴通信第15号に記載がありました「田村学生寮」

明治期に、三春は元より田村地方の若者が志を抱いて東京で勉学に励むことを扶けるために設立された学生寮です。

捨五郎さんの寄稿の中で、元家老家の浪岡具雄から「修行するのは少壮の時である。一家の些細なことに拘わり合っていつまでも田舎に居ると。一生の悔いになる。早々に上京すべき」と上京して勉学に励むことを進められた加藤木三兄弟の話。

そして、菅野吉雄さんの「田村学寮」跡を訪ねてでは、浪岡具雄が田村学寮建設を提唱したこと。「田村学寮雑誌」全八巻を合本して残したこと。

また、深間内久蔵氏が千三百余圓の私財を投入し建設資金にしたことや藤泉賢四郎(後の大林組社長大林賢四郎氏が設計施工を請け負ったこと。

等々の寄稿を拝読しますと、三春・田村の未来を担う後輩たちに、希望とチャンスを与えてくれていたことが読み取れます。

本当に頭が下がる思いで読まさせていただきました。








次代を担う若い人々に夢を持たせ、キャリア実務教育を施し一つ一つ形にしていくことの重要性を教え社会に送り出すのも、私たち地域に住む者の社会的役割なんだろうと思います。

そして、今回の職場体験を通して子ども達が少し大人になったというより、少し現実を見る・考えるきっかけになってくれればいいなあと考えています。


子供たちには将来の夢を急いで決める必要はないと思いますが、この職場体験をきっかけに、少しずつ将来のことを考えていただければ幸いです。

そして、学校教育や社会教育でも、どのような旅をさせて自立心や独立心を育むか、教育関係者の、子を持つ親の、そして地域社会の「知恵の見せどころ」のように思います。








人は、地域・社会環境の中で育つものだと考えています。

人を育てるとは、社会に出て生きていくためにふさわしい「生きる力」・スキルを身に着けるために、様々な環境を整えて、その動機付けとなる体験の機会を与えることではないでしょうか。

さらに付け加えるならば、教育を受ける一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるために重要であるにとどまらず、社会や国の将来を左右するものであり、教育こそ人間社会の存立基盤といえるのではないでしょうか。








山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。

昭和14年 海軍大将山本五十六 

                       

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| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |