CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31    
<<  2019 - 07  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春町立中学校職業体験のお礼状 令和元年




私ども三春昭進堂では、地域貢献事業として地域学習の一環で、三春町立の中学校の2年生の職場体験学習受け入れを毎年実施しております。



先に、三春町立三春中学校2年生の生徒3名、そして、町立岩江中学校3名の生徒がそれぞれ二日間ずつ、当三春昭進堂に職業体験に来店されましたが、その御礼の手紙が届きました。







生徒の皆さんからいただいた礼状を拝見しますと、よくまとめられていて、いい学び・気づきがなされているように感じました。

私も三春中学校の卒業生の一人、そして三春人として後輩たちを安心して未来を託せる三春健児と誇らしく思います。







かつて、私たちが子供の頃、三春の先輩方から様々なことを教えていただき学んできました。

そして、私なども今年で55歳になりますが、今でも先輩の皆々様に様々なことをご教授いただき導いていただいています。






この職業体験などの学校への協力は、上記の先輩の皆様方への恩返し、そして、後輩へと継承する三春の教育を少しでも果たしたいと考えています。

未来を担う、三春の後輩たちの”学び”に、少しでもお役に立てればいいなあと思います。


羽ばたけ三春っ子!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |
旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社 (田村大元神社) 縁起





旧三春藩領内総鎮守太元帥明王社 (田村大元神社)

本来、太元帥明王は四天王·二十八部衆を従え、悪獣や兵火の災難を除き、国を守り人々を保護する明王であった。

国常立命は記紀神話の神で、日本書紀では天地開闘の最初に出現した国土生成の中心的神として位置づけられている。


八幡神社、能熊野神社、神明宮、秋葉神社に対する篤い信仰を持ち続け、例祭には神輿渡御があり、長獅子、三匹獅子舞を奉納し祭礼を行う。






祭儀は一月元旦歳旦祭、四月二十八日春祭り、例祭は七月二十日(現在は第三の日曜日)、十月二十八日秋祭り、秋葉講祭が四月二十日と十月二十日、他に正月別火講祭奈が行われる。


別火講一番組と二番組が祭りの準備と執行に当たっている。


田村大元神社から勤請された神社と思われる大元神社が大越と船引にある。







坂上田村麿公は、坂上苅田麿公の子として天平宝宇二年(758年))に生まれている。成長して蝦夷征伐に関係し、延暦十六年(797年)には征夷大将軍に任じられている。

田村麻呂は、観音への信仰もあつく、同十七年(798)には京都に清水寺を建立している。朝廷や天皇からの信頼あつく、正三位まで授けられるとともに、参議や大納言などの要職に任じられている。





また、武門に対する信頼もあつく、右近衛大将や兵部卿なども歴任している。
弘仁二年(811)五月二十三目、都にて没している。






延暦年間(782~805)
坂上田村磨、征夷大将軍として征討の途上、磐城国岩瀬郡小山田村今明王壇に図常立命を安置奉斎、武運長久治国平天下を祈願したことに由来する。(社伝による)

永仁三年(1295)
社宝銅製松喰鶴鏡にこの年の墨書銘がある。

歴応年間(北朝年号1338~1342)
坂上田村麻呂・田村将軍の裔田村輝定、之を三春雲集山古城跡に遷し、祠官を置く。
(社伝による)

永正元年(1504)
田村麻呂から26代目の子孫とする田村義顕、居城を田村郡守山字山中(現郡山市)より三春大志多山に移した時、太元明王をも併せ移し、その社殿を同じく大志多山に建立、之を奉遷。

三春城の東舘(後の三ノ丸)の南麓に社地を定め、社地及び門前の町名を守山山中を模して山中とし、守山の泰平寺を移して別当寺とする。

天文年間(1532~1554)
境内末社、八幡宮、熊野宮を勧請。

天文十八年 (1549)
田村氏の変遷により、この年まで田村家領内六十六郷の総鎮守とする。

天文十八年(1549)~慶長三年(1598)
会津蒲生氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長三年(1598)~慶長五年(1600)
会津上杉氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長五年(1600)~寬永四年(1637)
再び会津蒲生氏三春支配、景仰奉祀する。

寬永四年(1637)~寛永五年(1628)
会津加藤氏支配、景仰奉祀する。

寛永五年(1628)~正保元年(1644)
三春城主松下氏支配、景仰奉祀する。

正保二年(1645)
秋田俊季、常陸国宍戸城より三春に移り、本神社を尊崇。
別当を真照寺とする。

寬文十年(1670)
仏殿、本堂火災により焼失。

元禄二年(1689)
秋田輝季、大般若経六百巻を奉献。

天明八年(1788)
秋田倩季、神号額を奉納。

慶応三年(1867)
秋田映季、仁王門(後随神門・表門・八脚門)を建造。
金剛力士像完成(石森の彫工伊藤光雲.同九賀之助の合作)







明治元年(1868)
神仏分離令布告。


明治三年(1870)
大志多山神社と改称。
三月、御神体·突鐘·金剛力士像を真照寺に移し、社殿を破却。
六月一日遷宮

明治四年(1871)
三春藩社詞方より国常立命を祭神として、三春町の鎮守とし、当屋制廃止を命ぜらる。
旧三春藩の総鎮守であった大元帥明王が明治四年の廃藩置県の際に無格社となり、一方三春町の一地域の信仰であった神明社が明治三十三年に県社に列せられた。

明治十二年(1879)
社名を田村大元神社と改称。

明治三十二年(1899)
本殿拝殿を建立。

昭和三年(1928)7月18日、
郷社に列せられる。銅板屋根にする。

昭和十六年(1941)
銅製松喰鶴鏡、国指定重要美術品に認定される。

昭和二十年(1945)
太平洋戦争終結・GHQ、神道指令を出す。

昭和三十六年
阿吽仁王像が氏子によって真照寺からこの随神門に戻された。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
塵壺336号  『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~ 令和元年7月発行





   『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~

 8年ぶりのソロ・アルバム「THE LIVE!」を発売した憂歌団のボーカル木村充揮(きむらあつき)。彼の東北北陸ライヴツアー「ひとり旅 夏ツアー2019in福島」に参戦して、またまた心をわしづかみされました。



 



憂歌団(ゆうかだん)のリード・ヴォーカルとしてその名を馳せ、1998年の憂歌団活動休止後はブルースの枠に留まらない自由奔放なソロ活動を精力的に展開。"天使のダミ声"とも称されるその味わい深く詠う(あえて詠うの字)その声はまさに国宝級です。

会場となった福島市栄町にある音楽BAR時代屋 シーズンⅡさんは3、40人くらいが入れる小さなBARです。





 オープニングアクトを務めた“はせがわかおり”さんは、アコースティック・ギターを抱えライヴ活動をコツコツと続けて創りためていた楽曲で造った2ndアルバム「COLOR」を引っさげて会場をあたためます。さすが木村充揮一押しのシンガーです。







 そして木村さんのライヴです。

私は最前列を陣取り、木村さんの詠う姿はもちろん、ギターを爪弾く左手や右手、焼酎の水割りを飲む、タバコを吸う、観客との掛け合い等々ライヴ会場の空気感も含めて食い入る様に見入ります。

 木村充揮が目の前に居る!”天使のダミ声”で詠ってる~!ってな具合で、あっという間の2時間半です。そこには、知らないうちに掛け声や合いの手を入れている自分…。
 選曲・編曲・歌はもちろんですが、MC、ギターのイントロ遊び、飲酒・喫煙等々~全てが木村さんのライヴで、最高のパフォーマンスを披露していただきました。





 ライヴ終了後、木村充揮さんと直接話す夢みたいな機会にめぐまれました。

 何度もこれは夢じゃないか?

うつつじゃないか?

酔っぱらっているんじゃないか?...と確かめながら、地に足がつかない状態です。

 同じ空間どころか、すぐ傍らにいるんです!まだ木村秀勝のころから40年来その生きざまともいうべきライヴに酔いしれ、憧れていた方が確かに隣に座っています。







 しかも同じ時代に生まれ、一緒にこの世に在リそのパフォーマンスを感じられるだけで幸せだと思っていた人と酒を酌み交わしてにこやかに一緒に呑んでいるんです。

 そして、そして目の前で私に語りかけてくれているんです〜!

 「日本語で言えばブルースって何? 言うたら、歌、生活そのものや~、あくまで自然体でねぇ、洒落の効いた生き方そのものがライヴや〜」という木村さん。

それから約3時間半、隣に座り様々な話を伺うことができました。






 「ライヴは饅頭作りと一緒やなぁ〜 饅頭を心を込めて一つ一つ丁寧に造るのと同じや〜 ライヴでも毎回魂込めてステージを造り上げるてるんやで〜」

 「酒とかを呑みながら、ライヴをやるほうも見るほうも、お互いが呑みたいもん呑んで、食べたいもん食べながらがエエんちゃう?タバコを吸いたい人は吸うて、ホンマそんなもんやとちゃいます?」

 「なんでも、自分のペースで行かなぁアカン~ 」

「みんなが好きなように楽しんでるのが一番嬉しいなぁ思うてますわぁ~そのためにも、もっと自分が好きに楽しみたいですヮ~」

 「自分が唄って嬉しぅて、それを皆が楽しんでくれるんやから有り難いですよ~」等々…






 木村さんのお話を拝聴していますと、全てが自然体であり、ありのままを受け入れている禅僧のような清々しさを覚えていました。

 禅の心を表した語の中に「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」があります。人生には良い日も悪い日もなく、どんな日でも“好日”と受け入れることが大事であると解していますが、正に木村さんの生き方そのものです。

 「ありのままを受け入れていることも、各々の心の持ち様で、心の在り様です」と教えていただきました。木村さん、ありがとうございました。






     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝






『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』ツアー最終日となります。

2019/7/22(月)開場18:30 / 開演19:00

会場: いわき市平 QUEEN Presents まちポレいわき2F

料金:前売¥5000 / 当日¥5500 ※ドリンク代別

お問い合わせ:クイーン  0246-21-4128







| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
三春城下享保十四年「商売諸職書上」 三春城下八幡町 朝日屋豆腐店



三春城下八幡町にある朝日屋さんは、創業大正14年、三春城下名物の「三春あげ」の製造販売店です。


大豆や水という原材料にこだわり、毎朝風味豊かな味を求めておいしい豆腐や油揚げ造りに精魂を傾けている頑固な豆腐屋です。


中でも、出来立てのがんもどきは逸品で、ちょこっと醤油を垂らせばビールのあてに最高です!


その朝日屋豆腐店を営んでいる小林さんから、江戸後期の三春城下の豆腐店を記した一覧表を頂戴いたしました。

享保十四年(1729年)の示された「商売諸職書上」をアレンジされたものです。




三春城下六町には、108軒の豆腐屋を記録されています。


三春城下には臨在宗、曹洞宗の寺院が多く、その禅宗では、修行の一環として菜食を中心とする精進料をいただきます。そのためどうしても不足しがちなたんぱく質を補うために、豆腐が重宝されていました。

新町に豆腐屋が多いのは、地内に曹洞宗寺院の天澤寺、州傳寺、に多くの雲水が修行出頭していた事や、三春藩領内総鎮守大元帥明王社にの別当職である真照寺やそれに付随する修験寺(現在は廃寺)が多く存在したことや、半農を許された下級武士が多く居を構えていたことにより凍み豆腐を下僕名義で造っていたことに由来されるものと考えられています。








江戸時代中期以降の秋田藩政下になると、それまでは主に僧侶や武士の食べ物であった豆腐は一般にも広まり始めます。

それ以前は、「ハレの日」の食べ物で、祭りやお盆、お正月、あるいは冠婚葬祭などの特別の日にだけ豆腐料理を食することができたと伝えられ、赤飯・白ふかし、餅のように、改まった日に食する食べ物とされていました。

特に農民にとっては非常に贅沢品とされていた食材で、江戸幕府三代将軍・家光時代に出された御触書「慶安御触書」には豆腐は贅沢品として、農民に製造することをハッキリと禁じています。


豆腐が身分の分け隔てなく食されるとその旨さが評判を読んだのでしょう、天明2年(1782年)には、『豆腐百珍』豆腐の料理本が出版されています。

朝日屋の豆腐や一覧には、天保7年(1837年)の頃の豆腐の大きさも記載されています。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下八幡町 |
E.YAZAWA SPECIAL EVENT ONE NIGHT SHOW 2019  参戦記 於幕張メッセ




E.YAZAWA SPECIAL EVENT "ONE NIGHT SHOW 2019" 参戦の巻! 於幕張メッセ

我らが永ちゃん(矢沢永吉)が70歳の歳を迎えるアニバーサリーイヤーに、初の主催ロックフェスティバルを幕張メッセ国際展示場にて開催され参戦してまいりました。






『本物の大人のロックンロール&ロマンス 矢沢永吉が今ここに贈りする、その名も「ONE NIGHT SHOW 2019」。

さすが永ちゃん、とにかく異例づくし。

永ちゃんのフェスは、今までとはちょっと毛色が違った感じですが、開場の前から大盛り上がりで、全国から集まった“矢沢な輩たち”の常連の方々の顔も見えます。


今日もよろしく!の挨拶が飛び交っています。







今回は、気志團やスカパラダイスオーケストラ、奥田民生等々、ロックメンバー5組が出演しています。

矢沢フェスではそれぞれのファンの方々が臨場されていたんでしょう、恰好や年代が今までの永ちゃんライヴとはちょっと違います。

まして、日テレの生放送があるということで、盛り上がりは最高潮を迎えます。






それぞれの出演者が最高のロックなパフォーマンスを展開してくれました。

中でも気志團のライブは圧巻でした。

初めての気志團ですが、鳥肌が立つほどのかっこいいライヴ!

人気があるのがわかります。






そして、オーラスはE・YAZAWAのライブです。

やはり、独特の緊迫した囲気に会場全体が包まれています。

NO MUSIC, NO LIFE ?

Still Rock

「僕はあと少しで70になります。でもねぇ。海の向こうには70すぎで現役バリバリの🎸ロックシンガーいっぱいいます。日本まだいません。俺やりますっ。ヨロシク👍」生涯現役宣言ですよね!

永ちゃんかっいい!








そして、永ちゃんの7年ぶりとなるオリジナルNEW ALBUM『いつか、その日が来る日まで...』の発売が発表されました!

永ちゃんがアルバムをリリースするのは前作『Last Song』から7年ぶり、まさに満を持しての待望のNEW ALBUMリリースです。

今年デビュー47周年を迎えた「今」だからこそ描くことのできるロックを堪能したいと思います。

気志團が歌う「ファンキーモンキーベイビー」

踊ってしまった~


 目の前に、69歳の矢沢永吉がいる~~。

シワは増えていても、「永ちゃん、かっこいいよな、もしかして今の方がかっこいいんじゃないか」と思えるくらいです。





止まらいha~ha♪
乗ってくれ~ha~ha!2万人の大合唱とタオル投げ~♪

やっぱり永ちゃんは最高です!会場にて参戦された方々も最高だったと思います。

奥田民生氏の涙が全て物語ってましたね!アルバムも楽しみです。これで今年も最後まで頑張れそうです!ありがとう!永ちゃん





矢沢永吉からのメッセージ全文(新聞広告)

「アイム・ハッピー!」

新しい日本おめでとう。

おれはいま とても幸せだね。

だって70歳を迎えるこの年に まだまだ歌えるから。

先のことは分からなくても

自分の責任で、自分の命を張って

挑戦できる限り走り続ける。

それがハッピーだと思っている。

お前はどうだい?

立ち止まってはいないかい?

令和元年5月1日

STILL ROCK SINGER 矢沢永吉


P.S 今年もツアーやるから、ヨロシク。


この40年いつも側にいて、"夢"や“希望”~生きる勇気っていうやつを与えてくれる・・・・

流行のスタイルが変わるミュージック・シーンで、あくまでも1つのスタイルにこだわり続けるのはそう簡単なことではありません。









月曜日には木村充揮さん、そして昨夜が矢沢永吉さん、今週は40年来あこがれていた神様みたいな2人と遭遇するというゴールデン・ウィークでした。

浮かれっぱなしです!



“世は歌に連れ・・・”という言葉があったかともいますが、正に自分の歩んできた道全てのシーンに永ちゃんと憂歌団・木村さんの歌やライヴは欠かせないものでした。


Jimmy Page、木村充揮さん、そして矢沢永吉さん、この三人とこの世で同時代に生きて、そのパフォーマンスに触れあえたことに感謝したいと思います。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:54 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |
令和元年 鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。

本年の祭礼は、

7月13日(土) 宵祭り

7月14日(日) 本祭り







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。








300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。









田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、一番組が担当します。

祭典掛は、二番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。




自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。




戦国時代、田村義顕公によって三春城が築城されて約500年

以来、三春城下の神事は今も変わらずに受け継がれてきました。

古の三春城下では、夏は疫病がはやり台風や洪水などに見舞われ、生き抜くことが難しい季節でした。

私たちの先祖は、この危険な夏を無事に生き抜くことが出来ますようにと夏に祭礼を行い神さまにに祈りを捧げてきました。

医学科学が進歩した現代にあってもその信仰は変わらず、祭礼に際し疫病・災難・厄除け・縁結び・長寿・商売繁盛そして豊穣などの祈りを神様に捧げています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |
要田今昔物語
要田今昔物語  昭和初期の三春広報参照

要田は、天正の三春城主田村清顕時代(約450年前)、熊耳館・熊耳太郎右エ門、笹山舘・笹山五郎右エ門の配下であった。

さらに、元禄11年寅(268年前)の秋田公時代の名主調べには、笹山-佐藤五左エ門、熊耳・岩崎長蔵、南成田-大内仁右エ門、荒和田-橋本善次右エ門とあり、その後天保15年には、南成田・橋本五郎左エ門から秋元四郎に変り、熊耳-安瀬半十郎、笹山-渡辺市郎治となっている。

明治2 2年町村制実施後は、笹山、荒和田、北成田、南成田、熊耳の五旧村が合併し要田村と称した。


熊耳の生んだ人に大内熊耳先生がある。

享保の頃、江戸に上り、荻生祖来の門弟として学問に励み 青年の頃九州は唐津の土井藩,に仕えた幾多の名著のある有名な学者である。

北成田の接骨医の初代橋本六兵衛翁は、藩政時代他藩まで名の聞えた名医だった。

初代から三代まで二本松公と秋田公から扶持を給され、代々六兵衛を継ぎ、当代は橋本氏七代の孫が接骨医を営み、三百年をかぞえる家柄で、村の誇りであるまいか。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧要田村 |