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令和元年秋 成田山新勝寺お不動様縁日参拝と「DIC川村記念美術館」




友人の会社がこの台風で被災しまして、そのお見舞いに成田まで出かけました。

成田です。
折角ですので、成田山新勝寺門前に宿を取り激励会と被災からの復興祈願をしてまいりました。


ちょうどこの日は28日

成田山御本尊のご不動様は、毎月28日が縁日となっております。








ちょっと早めに三春を出ましたので、まずは新勝寺寺庭にある“い津美屋”の女将さんへご挨拶を兼ねて零次会~

常連の方々との語らいですっかりほろ酔いです。






ここ成田山門前は台風や大雨での被害もなく、お不動様のお陰とお話しされています。

また、先のテレビ「ブラタモリ」で成田を取り上げたらしく、御常連の方々からも成田の地形や歴史などを伺うことができました。







そして激励会。

毎度おなじみの成田山門前参道の料理屋「菊屋」で一献!









英語堪能なAさんは、休みでお会いできませんでしたが、Bさんがすかさず連絡を取ってくれたみたいで、伝言をいただきました。

スタッフの、この辺りの機転が100年以上続く老舗の「ホスピタリティ」、本当の“おもてなしの心”なんだろうと思います。

屋号を、新勝寺より拝領した菊の御紋に由来する【菊屋】さん

成田山門前で、接客の極意を教えていただきました。









宿は門前「若松屋」さんです。

新勝寺本堂まで徒歩2分!








翌朝は、午前六時から行われる第一回目の護摩祈祷に参詣です。

三春城下新町の真照寺住職から“門前に泊まるんだったら朝一の護摩焚きの参詣しては!”と案内をいただいてからの恒例参詣となっています。

真照寺成田山講中で参詣した折に経験していましたので、勝手知ったる~です。








早朝、この時期ですと夜も明けきらない中、静寂に包まれた山門から山内に入り、本堂に出頭いたしますと、30名ほどの方が臨場されていました。


護摩を焚きながら朝課をされます。

この時、「御火加持(おひかじ)」といってお札をお護摩の炎でかざします。

そして、「御火加持(おひかじ)は、お不動さまの御霊徳をいただくというもので、参詣の方々が手荷物を手に前の方に進み、若いお坊さんや紋付き袴の職員にそれらを手渡し、護摩の焔で炙ってもらっています。

これは、邪気を払うということで、私も財布やクレジットカード、携帯電話、そして免許証、車のキー、さらには家族全員の保険証等々を入れて来た巾着を役僧の方に託し護摩の焔で炙っていただきました。


護摩祈祷終了後、見知った常連の方に誘われるまま、護摩祈祷を行った貫主様の退席口に正座し合掌低頭にて着座しておりますと、貫主様がその手にした御念珠で頭を触れていただけました。









もちろん、い津見やの女将さんから教えていただいた山内にある「出世稲荷さま」の参詣も忘れません。





これで金運アップ!商売繁盛!家族の健康!間違いなしです。









翌日は、せっかくですので、以前より行く機会をうかがっていた美術館の「DIC川村記念美術館」をみてまいりました。

この美術館は、印刷インキの世界トップメーカーであるDIC株式会社が、その関連会社とともに収集した美術品を公開するために、約9万坪の広大な総合研究所敷地内に設立したものです。






オランダ絵画の巨匠レンブラントをはじめモネやピカソなど世界の名画、長谷川等伯や横山大観らの日本画、近代・現代を代表する作品が数多く所蔵されており、実に多彩なジャンルの美術作品を楽しむことができます。







ちょうど企画展「描く、そして現れる ― 画家が彫刻を作るとき」が開催されていました。

20世紀前衛画家たちは、絵の中で行いつつある様々な造形のカンヴァスから踏み出して試みた国内外 25 人の画家たちの、実験的な作品を一堂に見ることができました。











春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
田村庄司家と三春田村氏 令和元年
田村庄司家と三春田村氏

鎌倉時代以降、田村荘の領主は藤原仲能系と考えられている田村庄司家であったたことは各種史料によって知られ、応永年間(1394~1427)に没落し、田村庄の支配は平姓田村氏の手に移ったとされてきました。

田村庄司家田村輝顕は、浄野の後裔で始めて田村を称したといわれる古哲から数えて十七代目とされているが、史料によって確認できる上限は直顕であり、輝顕以前の正確な系譜は不明である。
 


田村庄司氏は、一説に鎌倉幕府の評定衆であった田村刑部大輔仲能の嫡流という。

田村荘の立荘過程は不明ですが、建武二年(1335) の「陸奧国宣」が初見となっています。

当荘などの検断職が結城親朝に与えられた。と記されています。


これ以前は、中原親能の猶子で“田村”を号した前刑部大輔藤原仲能が、みちのくに”田村の郷”を支配していたとの記録もあります。

ここで仲能系藤原氏によって立荘されたことで、藤原姓と田村が文面として結びついて、藤原系田村氏という記載になっていったのではないかと考えられます。



先頃の研究では南北朝期の動乱と応永二、三年の田村荘司の乱で藤原姓荘司系田村氏が没落し、代わって平姓三春系田村氏が台頭して地域権力となったとされるとされてきましたが、上記の検証から見れば応永の一揆でみられる田村氏一族は平姓で藤原姓ではなく、平姓荘司系田村氏が平姓三春田村氏に発展し、一族一揆的結合から戦国大名化を遂げたとする。


田村庄司職を継承したとみられる三春田村氏は、田村義顕が大元帥明王社に奉納した大般若経に平義顕とあり、同様に田村清顕発行文書には平清顕とあることから、平姓と考えられます。

つまり、田村庄司家と三春田村氏が同じ平姓の一族であり、応永年間前後に惣領職が移動したと考えられます。



後に田村氏は三春に城を移して時流を巧みに泳ぎ、北畠顕家をしてその定かならぬ去従は「御春(三春)の輩」と嘆かせる行動をとり、次第に勢力を拡大していきます。


田村庄では、庄司家の衰退によって、小国人が分立し独立性を強めた。関東の料所が設定されたため、彼らは関東公方に忠勤を励みつつ、不利益となる外圧に抵抗し、また、分立から生まれる不安定な状況に対処するために、応永11年(1404年)、近隣諸地域の国人領主たちと一揆契約を交わしている。


十五世紀のはじめ、田村一族が中心となって結んだとみられる「一揆契状」があり、この頃の田村庄の国人として、そこには「みよた越前守宗秀」をはじめ、山城守秀遠、宮内少輔季広、伊豆守季春ら田村氏の一族であろう人名が列記されています。



田村氏は、南北朝の内乱に際して陸奥守北畠顕家に従い常に南朝方として宇津峰城に立てこもり、一年余にわたって北朝方の攻撃に耐えたが、ついに正平八年五月宇津峰城は落城し、奥州の南朝方の勢力は失墜します。


以後、陸奥の地は、足利幕府が、奥州管領、羽州管領(探題)を通じて直接支配しますが、関東公方、足利氏満のときに、関東府の支配下に置かれるようになります。
 
南朝方で行動したとはいえ、田村庄司家は一定の勢力を維持できたようです。


田村則義・清包父子のとき「小山義政の乱」が起り、嫡男の田村庄司父子は敗れた義政の遺児若犬丸を匿い、関東公方足利氏満に反旗を翻した。
この乱は、「田村庄司の乱」とよばれている。


応永三年(1396)、鎌倉公方足利氏満みずからが率いる討伐軍によって田村庄司家以下の叛乱軍は、敗走します。

その結果、田村荘の三分の一は、関東公方の料所となり、下総結城氏に預けられます。

時代は下がって、南奥では、白川結城氏朝、および、その猶子直朝が四隣に影響力をふるっていました。

田村直顕は宝徳3年(1451年)から記録に見え、結城氏のもとで代官的な役割をつとめるとともに、娘を結城直朝の孫顕頼に嫁がせるなど、田村庄内での地歩を固めていきます。   

一方、白川結城氏は、永正7年(1510年)、当主政朝(直朝の子)が、有力庶子家小峯家の当主朝脩を攻殺すると、朝脩の父直常が政朝を放逐するなど内乱によって勢力を失い、三春田村氏はここに結城氏の支配を脱し、戦国大名へと成長して行きます。




参考文献
垣内和孝「中世田村氏と蒲倉大祥院」地方史研究第46巻第6号 1996年12月
青山正『仙道田村荘史』、1930年。
田村郡教育會『田村郡郷土史』、1904年。
『岩磐史料叢書』、岩磐史料刊行會、1916年
『三春町史』、三春町、1980年。
『船引町史』、船引町、1982年。
『大越町史』、大越町、1998年。
『滝根町史』、滝根町、1989年。





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| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |
真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 紅葉ライトアップとキノコ



三春城下新町 三春藩主祈願所である真照寺山内の紅葉ライトアップが始まっています。

紅葉や楓が色付き始めていますが、紅葉するのはもう少し先になりそうです。






山内の足元に目をやりますと、例年通りキノコたちが顔を出しています。






食べれるキノコではありませんが、秋の風物詩です。








真照寺山内 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印塔は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)」という長い名前のお経ですが、略して「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」といい、このお経を根拠とした塔で、内部にこのお経を納めることを目的としています。


宝篋印陀羅尼は罪障消滅・寿命長養の功徳がある、とされる陀羅尼です。


このお経を、仏像内や卒塔婆に納めれば、天災を免れたり、あの世で苦しんでいる先祖を極楽に導く事ができたり、この世で苦しんでいる人々、貧しい人々を救う事ができるなど、八つの功徳があるといわれていました。






三春藩主祈願所真照寺本堂の前庭に立つ宝篋印塔は、総高2メートル50位。

典型的な関東様式で、隅飾突起がほぼ垂直に立っています。


梵字の周りには円を刻みますが、これは月輪(がちりん)と言い、仏の知徳が欠けることなく円満であるということを示しています。






経曰若有末世四輩

弟子善男善女為無

上道盡力造塔

安置神咒所得

功徳説不可盡乃








至或見塔形或聞

鐸聲或聞其名或富或

其影罪障悉滅

所来如意現世安

穏後生極楽


「この陀羅尼を書写し読誦するか、この陀羅尼を納めた宝篋印塔を礼拝すれば、罪障を滅し、三途の苦を免れ、寿命長遠なることを得る。」








江戸後期の享保の年号と、願主である真照寺を示す日乗山住職の名前が刻まれています。



三春藩領でも未曾有の犠牲者を出した「享保の飢饉」

その犠牲者慰霊のための建立と考えられています。




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| ryuichi | 06:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
令和元年 三春城下紅葉のライトアップがスタートしました。




令和元年 三春城下紅葉のライトアップがスタートしました。



三春藩主祈願所の真照寺と旧三春藩総社三春大神宮(神明宮)の紅葉ライトアップです。









三春藩主秋田氏祈願所の真照寺


磐梯造園(渡部公道社長)の匠の技で、改修の終わった藩主庭園回遊式方丈池の周りの紅葉を夜空に浮かび上がらせ、幻想的な空間を創造してくれています。











磐梯造園さんが作庭した回遊式方丈庭園池、紅葉、そしてライトアップ。

この光景は、弘法大師が伝えたという曼荼羅の世界観、真言密教の教えそのもののような気がいたします。







秋に入り池の水が澄んでまいりました。









その水面に、写し出される紅葉・・・・

普段は、瀧から水を落としていますが、鏡のような水面保持のために、あえて瀧を止めています。

また、住職や世話人の手によって、昼の間にせっせと落ち葉を拾い上げて、皆様のお越しをお待ちしています。






まだ赤くなり切ってはいませんが、真照寺独特の小ぶりな楓が、彩を添えています。








このライトアップは、その場に行って感動を味わってください。

写真では伝えきれません。










当店横の旧セリ市場奥の方に数台駐車可能です。

また、車で真照寺奥の”水芭蕉墓苑駐車場”まで行けます。

当店の営業時間は午後7時ごろ迄ですので、まんじゅうを買って紅葉ライトアップをお楽しみくださいませ!


また、墓地からは全景が撮影できますが、個人の墓地なので静かにお通りください。







見ごろになったら、またご案内いたします。

夜は一層冷え込みます。

暖かい格好でお出かけください。





| ryuichi | 06:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2019 「Dreamer」




EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2019 「Dreamer」

三年ぶりの、ボス・矢沢永吉ディナー・ショー開催決定!


■帝国ホテル 大阪
2019年12月20日(金)

■グランド ハイアット 東京
2019年12月24日(火)
2019年12月25日(水)





2019年12月20日 (金)【大阪】帝国ホテル 大阪 ※当選者のみ来場可MAP
開場17:00ディナー18:00
ライヴ19:30

2019年12月24日 (火)【東京】グランド ハイアット 東京 ※当選者のみ来場可MAP
開場17:00ディナー18:00
ライヴ19:30

2019年12月25日 (水)【東京】グランド ハイアット 東京 ※当選者のみ来場可MAP
開場17:00ディナー18:00
ライヴ19:30


チケット概要

チケット料金 ●全席指定 お1人様¥65,000(税別) ※ドリンク・食事付き

決済手数料 ●クレジットカード:無料

※Dreamerにおける注意・禁止事項


Dreamerにおける注意・禁止事項 お申込み・ご購入場所に関わらず、こちらに掲載してあります注意・禁止事項詳細に同意された上でチケットのご購入をされているとみなさせていただきます
注意・禁止事項、その他規定に反する行為で発生した事故については、主催者側は一切責任を負いません
また、係員の指示に従っていただけない場合は、やむを得ず退場、もしくは公演中止となる場合があります
皆様のご協力を、お願いいたします

●入場チケットについて
・全てのチケットが、「ticket board」のLIVE QR(アプリ)によるお申込み・ご入場になります
・ガラケーは非対応となります。スマートフォンかタブレットをご利用ください
・申込者様・同行者様ともに申込時に、「ticket board」への会員登録(無料)が必要となり、更に[LIVE QR]アプリ(QRコードを使った電子チケット専用アプリ)をダウンロードし、顔写真登録が必須になります
・ご入場にあたり全入場者様、チケット1枚につき1人1台のスマートフォンもしくはタブレットと指定の身分証が必要となります。お持ちでないとご入場をお断りさせていただきます
・指定身分証は、こちらに掲載されている内容になります
・譲渡は一切不可となり、発覚した場合は入場をお断りいたします。チケット代のご返金はいたしかねます
・必ずお申込みされたご本人様がご来場ください。お申込みされたご本人様でない場合、ご入場をお断りさせていただきます。同行者様も同様です

●チケットのお申込みにあたって
・お申込み以降、矢沢永吉に関するメールマガジンが配信されることの同意と、個人情報の第三者提供を含む「ticket board」の会員規約、矢沢永吉公式サイトおよびお申込みページに記載の内容に同意の上で、ご登録およびお申込みを行なっているものとみなさせていただきます
・応募者多数の場合は抽選となります。必ずチケットが取れるものではございませんことを予めご了承ください
・個人情報を会場のホテルに、運営上必要な際に提供する場合があります

●年齢制限
18歳未満の方の入場はお断りいたします

●オークション・転売禁止、入場お断りについて
・紙のチケットは一切存在しません。チケット権利の転売行為は、金額・理由問わず一切禁止させていただきます
・一度でもオークションや転売にかけられたチケットは、売買成立の有無に関わらず、一緒に購入された全てのチケットが自動的に無効となります。また、会員資格を停止、取り消しさせていただく場合もございますので、ご注意ください
・尚、転売行為とは、オークションのみならず、「チケットショップ」および「フリマサイト」「ダフ屋」「SNS」等、正規ルート(ticket board)以外の売買行為で入手されたチケットは全て営利目的と判断し、チケットを無効とさせていただきます
・「ticket board」のユーザID/パスワード情報を他人(家族・友人を含む)に教えること、他人のユーザID/パスワードで他人になりすますこと、会員情報の名義書き換えなどは不正な行為として、入場をお断りさせていただきます
・無効となったチケットでは、出品された方・購入された方に如何なる理由がありましても、ご来場いただいた方がどなたであっても利用規約に従い当該チケットを無効にし、退場いただきます
・尚、無効チケットへの返金等はいたしません
※主催者は、売買に関するトラブルの責任は一切負いかねます

●服装規定
・当日はドレスコードがあります。 素敵な空間の夜のひとときを、ドレスアップをして華やかな雰囲気でお楽しみくださいませ
・女性はドレス、スーツ、ワンピース、着物でも問題ございません。(チャイナドレスはNGとなります)
・男性は必ずタイを着用ください。刺繍入りのスーツや、派手なカラースーツ、羽織・袴、ジーンズでのご来場、タオル等のお持ち込みはご遠慮ください

●ご入場・持ち込みについての注意・禁止事項
・ディナー(お食事)は、コース料理となります。18:45を過ぎてからご入場されますとお食事のご提供が出来なくなる場合がございます
・入場時の荷物チェックにご協力をお願いいたします
・場内への撮影・録音機器(カメラ、撮影機能付き双眼鏡、レコーダー、ビデオ等録音録画機器)の持込み及び使用は厳禁とします
※撮影機能付き双眼鏡での盗撮行為が複数発覚しております為、会場内にて双眼鏡をご使用になる場合、係員が使用機材を確認させていただく場合がございますので予めご了承ください
・危険物等の持込みも厳禁といたします
・通常の全国ツアー公演とは趣旨が異なります為、タオル等のグッズのお持込はご遠慮ください
・レーザーポインター、ペンライト、サイリウム等の光を発する物の持込み、使用も演出効果の妨げになりますので禁止とさせていただきます
・以上、場内への持ち込みを見つけた場合は、没収及びチケットは無効、退場とさせていただきます

●場内における注意・禁止事項
・携帯電話はご入場後に電源をお切りください
・再入場は一切できませんのでご注意ください
・会場内は禁煙となりますので、喫煙は決められた場所でお願いいたします
・場内、客席エリアでの撮影は厳禁とします
・通路に出たり、後ろ・横を向いての永ちゃんコール等の"強要""あおり"は周りのお客様のご迷惑となりますので、絶対におやめください。おやめいただかない場合は、退場処分とさせていただきます
・MCやバラード中の声援、大声で一緒に歌う等、他のお客様のご迷惑となる場合がございますのでご遠慮ください。係員が演出を妨げると判断した場合は、退場していただく場合もございます
・演出の都合上客席を含む会場内外の映像・写真が公開されることがありますことを予めご了承ください
・映像の収録や生中継等が行われる場合は、場内及び場外の様子が映り込む場合がありますので、予めご了承ください

●場外における注意・禁止事項
・公演当日、ホテル付近は大変な混雑が予想されます。ご来場の際は、出来るだけ公共の交通機関をご利用いただきますようお願いいたします
お車の場合は、お近くのパーキングへお停めいただきますようお願いいたします。当日お車を運転される方の飲酒は固くお断りいたします
・会場周辺において近隣住民並びに周囲のご迷惑になるような行為は禁止いたします。(例、ゴミやタバコのポイ捨て・路上駐車・旗振り、大声や集団での永ちゃんコール等)一般利用者の方のご迷惑にもなりますので、これらの行為を発見した場合は、入場をお断りいたします
・アーティストの撮影は厳禁とします。撮影行為を見つけた場合は機材を没収いたします

●車椅子ご利用のお客様
・車椅子でご来場される場合、申込時に車椅子専用の申込ボタンより申込みをしていただくことが必須となります。事前に申請いただいていない場合、ご案内ができませんのでご注意ください
・公演当日は、身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳、及び医師の診断書等の証明が必要となります
・付添いの方はチケットをお持ちの1名様までご一緒にご覧いただけます

●その他重要な注意、禁止事項
・チケットご購入後のキャンセル・払い戻し、転売は一切できません
・公演中止や延期、内容変更その他の事由が発生した場合にはチケットを無効とさせていただき、返金等の対応を行なう場合もございます
・公演中止や延期の場合、旅費等の補償はいたしません
・公演中止や延期による対応については公演ごとに異なりますので、必要な際にご案内いたします
・各会場、駐車・駐輪スペースには限りがございますので、極力公共交通機関をご利用ください
・当日は係員の指示に従って行動してください。係員の指示に従わずに生じた混乱、事故について主催者側は一切責任を負いません
・公演に際しまして当日ビデオ撮影の予定がございます事を予めご了承ください
・本公演は、アルコール類の提供もございますが、ひどく泥酔していると係員が判断した場合は、周囲のお客様のご迷惑とならない為にもご退席いただくことがございますので、予めご理解のほどよろしくお願いいたします
・この注意・禁止事項をご同伴いただく方も同意とみなさせていただきますので、必ずお伝えいただきますようご協力をお願い申し上げます

以上のことをお守りいただけない場合はやむなく退場という措置をとらせていただく場合がございます
皆様のご理解とご協力を何卒よろしくお願いいたします




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| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |
 BABYMETAL ニュー・アルバム『METAL GALAXY』 “Billboard 200”で13位に初登場! 



先に御来店いただいた青山英樹さんが神バンドの一員としてドラムを務める BABYMETAL

その3年半ぶりの10月11日にリリースしたニュー・アルバム『METAL GALAXY』が、米ビルボードのアルバム・チャート“Billboard 200”で13位に初登場! 

1月の幕張メッセでのライブには「おたりまんじゅう」を差し入れに行かなければ〜〜






八王子の吉田さんからご注進〜〜



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
ガンバレ本宮! ガンバレ太郎丸!




先に三十七回忌を終えた母の里は、奥州街道本宮宿の太郎丸です。

マザコンなんでしょう、母の里というものは何か特別な感情があります。

出会った方が本宮出身だと聞くとついつい本宮話をしてしまいます。

子供の頃の話で盛り上がります。

安達太良神社の秋まつりで見世物小屋やサーカスを見に行ったこと。

第一回全国チンドン屋大会が本宮で開催されたこと。

町内の子供たちを引き連れて自転車で本宮へ行ったら、観音様の陰から近所の子供たちに「百姓~」「バカやろ~」などと”カラカワれた”等々・・・

本宮の女の子とのデートに観音様の裏を待ち合わせにしたこと・・・

今でも本宮に行くたびに、あの頃の楽しかった懐かしい思い出が脳裏を過ります。


その本宮宿が、今回の台風19号により阿武隈川が溢れ大水となってしまいました。

母の里も例外なく一階が胸のあたりまでの浸水となってしまいました。

34年前の8.5水害の時は腰のあたりだったと云いますから前回を上回る水害となってしまいました。



本宮宿は奥州街道と会津街道、三春街道、相馬街道の追分があり、交通の要所として発展してきた宿場町です。

その街並みは、阿武隈川支流である安達太良川を挟んで、江戸側(南側)の上町、中条、下町を「南町」、そして川の北側の荒町、中町、大町を「北町」と区分されていました。

その南町末が太郎丸という地域となります。


古くから「花の本宮」とうたわれ、奥州街道屈指の賑わいを見せた宿場で、天保9年(1838年)の記録では、旅籠30、茶屋12、銭湯6、酒屋12軒もあった記録されています。

飯盛り女の多い宿場としても知られ、井原西鶴の「好色一代男」や「一目玉鉾」にも登場してくる。

また、人形浄瑠璃にも「奥州街道の本宮なくば、何をたよりに奥がよい・・・」と謡われるほどであった。





阿武隈川が流れる宿場町「本宮」は洪水との闘いの歴史でした。

明治23年8月7日の 未曾有の大洪水。 流失戸数111個、潰家2千850棟 水田冠水/80町歩 畑冠水/20町歩 被害総額/22万1700円

明治29年、7月21日 大洪水
9月7日 洪水により八日大川両橋流失

同30年、8月10日~12日 洪水
9月8日・9日 洪水

同43年、8月11・12日 大雨洪水、本宮の三橋流失

大正2年、8月27日 大洪水本宮浸水500戸

同3年、8月30日 洪水 溺死者二名

昭和13年6月28日~30日 台風、洪水、郡山水位8m、雨量160mm
9月10日 台風、洪水、水位本宮7.1m

昭和16年(1941年) 7月21日~23日 大洪水、本宮護岸堤防上の牆壁を越えること22cm、明治23年大洪水より僅かに低く、被害甚大。被害戸数1136戸

昭和23年(1948年)9月13日 アイオン台風大豪雨、本宮警戒水位突破昭和十六年以来の大水

昭和61年(1986年) 8月 8・5集中豪雨(昭和16年以来の大水害)
阿武隈川水位/8.48メートル、総雨量/185ミリメートル、床上浸水/717棟、床下浸水/314棟、水田冠水/150ヘクタール、畑冠水/38.7ヘクタール等、被害総額/13億5千万円


本宮町史参照


本宮は、たびたび洪水に見舞われてきましたが、その都度宿場の皆さんで力を合わせて復興し発展を遂げてきました。


今回も片づけが一段落したら、復興へ向けて町民一丸となって全力で向かうでしょう!


ガンバレ本宮! ガンバレ太郎丸!



奥州街道本宮宿太郎丸


戦国時代に、まず北町を中心として宿場町が形成されます。

安達太良川以南一帯は荒れ地でしたが、新潟より会津に転封した上杉家の重臣直江兼続によってこの地を与えられた三春田村氏(田村仕置により改易)の旧臣小沼貞長が1608年に南町を造ります。

周辺の物資集散の中心地となっています。


旧国道を郡山方面から本宮宿に入るとすぐの地域は太郎丸とよばれています。


仮説ですが、その中心には「太郎丸観音堂」があり、江戸初期までは葦名氏の旧臣で伊達に組した太郎丸氏の館があったとされる場所です。

これが地名「太郎丸」の住所の由来となっていると推測しています。


太郎丸掃部は、会津葦名氏の家臣で、耶麻郡太郎丸村(喜多方市豊川町米室)を本拠とした氏族。

葦名氏の庶子で葦名一族だったと思われます。

 天正13年(1585)5月、太郎丸掃部は、関柴合戦が起こった際、同じ葦名家家臣の松本備中守が伊達政宗に内応していることから、政宗が占領している桧原への備えとして入田付村に派遣されるますが、太郎丸氏もそのまま政宗のもとへ奔って組したとして伊達勢に加わります。

天正13年(1585)11月17日、二本松城主畠山義継が、伊達政宗の父輝宗を拉致して両者とも死去した事件がきっかけで、伊達政宗勢7千と、佐竹・芦名・相馬・二階堂・岩城・石川・白川ら連合勢3万が激突した旧安達郡本宮の人取橋付近で起きた戦い「人取橋の戦い」が発生します。

政宗は父の初七日が明けると、正室愛姫の父三春城主田村清顕、輝宗の弔い合戦として加勢の要請を承諾していた相馬義胤とともに13,000の兵を率いて二本松城攻めを開始。

11月2日、二本松氏救援のため佐竹義重・義宣、会津城主蘆名亀王丸、須賀川城主二階堂阿南、岩城城主岩城常隆、石川城主石川昭光、白河城主白川義親・義広ら南奥諸大名が挙兵・派兵して集結。
畠山、佐竹、葦名の連合勢が前田沢南の原に終結すると、政宗は二本松城に備えを残し、自らは本宮城に入城。

そして11月17日、観音堂(太郎丸観音堂)に本陣を置き、前線の高倉、青田原に軍勢を配して、連合軍と対峙した。

時期から見てこの時には太郎丸氏は伊達勢に居て本陣となる観音堂との関りがあったのではないかと考えています






 
 
後に、太郎丸氏は天正17年(1589)「磨上原の戦い」に政宗麾下の武将として葦名氏と戦い、葦名氏の武将富田将監の隊に200人の鉄砲足軽を使って攻撃をかけ、葦名勢を苦しめたものの、将監によって討ち取られてしまいます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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