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「あなたと違うわたしがあなたとともに生きることについて」 NPOはっぴーあいらんど ネットワーク演劇プロジェクト – vol3




NPOはっぴーあいらんど ネットワーク演劇プロジェクト – vol3

「あなたと違うわたしがあなたとともに生きることについて」


11月2日(土)17:30開場 / 18:00開演

THEATER
須賀川市民交流センター tette たいまつホール(福島県須賀川市中町4-1)

TICKET
一般前売 2,000円/当日 2,500円/高校生以下 1,500円







ヨシグン 福島県須賀川市宮先町62 / ☎0248-75-2178

銀河のほとり 福島県須賀川市滑川東町327-1 / ☎0248-73-0331

郡山演劇鑑賞会 福島県郡山市麓山1-1-15 大堀ビル1F / ☎024-938-9019

Kama'aina大地の子  福島県郡山市安積町日出山1-31 / ☎024-953-7917









STORY

「なぜ私のことを理解してくれないの?」と私は思う。「わかってよ」と叫ぶ。

でも私自身はどれだけ他人(ひと)のことを「わかって」いるだろう。だって、自分のことさえわからない。

私は私、あなたはあなた、と線を引きながら、でもその線を超えたいと願う。

他者への憎しみが渦巻く世界へ放つ、4人の日本人と1人の在日コリアンの物語。







CAST
鈴木碧/渡辺花奈/関根麻緒/鈴木勇也

STAFF
【作・演出】大野沙亜耶 

【振 付】國友裕一郎、國友歩 

【照 明】M.P.K

【音 響】サウンドエイト

【企画製作】NPOはっぴーあいらんど☆ネットワーク

【協 力】遊舞炎舞/SUGA JAZZ DANCE STUDIO IZANAI








2019はっぴーあいらんど☆フェスティバル

「はっぴーあいらんど☆フェスティバル」は、2011年以降、東日本大震災後の福島について考えるために毎年開催してきたお祭りです。
今年は、新しくオープンした須賀川市民交流センターtetteを会場として、「演劇、踊り、歌などの文化的交流を通して、多様な人々をつなぐ」をテーマに開催します。
ダンスや歌、演奏など、団体・個人問わず多様なジャンルの人々が、県内外から、年に1度の2日間、祈り・舞い踊るために集います。

メインステージのひとつとして、オリジナル演劇の上演を行います。
今年は「他者を想像する」ということをテーマに、『あなたと違うわたしがあなたとともに生きることについて』という作品を発表します。
「創造的復興」を掲げるtetteのコンセプトに共鳴し、稽古から本番までtetteでつくりあげる演劇作品の試みです。

ステージのほかにも、原発事故後に考えざるを得なくなったさまざまなテーマについて共有する場としてのトーク・意見交換のコーナーや、音楽と食事とともに楽しむ参加者の皆さんとの交流会などを行い、人と人が顔を合わせることを大切にします。

平和な世の中がずっと続いていくことを心から願い、今年も第9回「はっぴーあいらんど☆フェスティバル」を開催します。

●開催日・開催時間●
2019年11月2日(土)12:00~21:00
2019年11月3日(日)10:00~18:00

●開催場所●
須賀川市市民交流センターtette
〒962-0845 福島県須賀川市中町 4-1

●主催●
NPOはっぴーあいらんど☆ネットワーク

●後援●
須賀川市・須賀川市教育委員会・須賀川商工会議所・福島民報社・福島民友社
マメタイムス社・阿武隈時報社・ウルトラFM・郡山コミュニティ放送


| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
台風19号 水害 被災された皆様にはお見舞い申し上げます。




今回の台風19号、福島県内にも甚大な被害を及ぼしました。

福島県内では阿武隈川が各地で決壊し、鏡石町・須賀川市・郡山市・本宮市・伊達市・福島市などで、夏井川流域でもいわき市の街の一部が浸水し甚大な水害が発生しています。

母の実家のある本宮市では、34年前に体験した1986年の8.5水害以上の被害が起きてしまいました。

本宮冠水の翌日本宮にお見舞いを兼ねて手伝いに行こうと向かいましたが水害翌日は通行止めで断念、電話が通じず、安否の確認ができないままテレビやSNS等情報収集していました。

そんな中、ボランティアで活動中の友人・本宮市議の菊田 広嗣様に連絡を取っていただきました。

無事安否を確認し、水の引いた後の本宮に入りましたが1986年の8.5水害の惨状が脳裏をかすめる光景が広がっていました。  

到達水位からして前回より被害は甚大です。

叔母は、娘夫婦や孫娘その親戚の皆さんたちのご助力を借りて片付けをしているということでした。  

その中で懸命の片づけに励む地元本宮消防団の姿がありました。

自宅も水害に在っているだろうに職務とはいえ一生懸命地域のために道路の汚泥を片付けるその姿に頭が下がりました。

#本宮市頑張れ! #太郎丸 #母親の実家 #ガンバレしか云えない! #とにかく身体に気をつけて! #太郎丸の観音様よろしくお願いします。 #本宮市消防団ありがとう


私も午後からですが少しずつ手伝いに行けるようになりました。

家に溢れた水位は前回の倍の高さ!

太郎丸では上からの水と下からの水が交差して渦を巻いていたみたいです。

当家の同じだと思いますが水害の片付けをする方々は皆、疲れもピークに達しているようです。

その中で、本宮高校の生徒さんたちによる片付けボランティアもう始まりました。

また、激甚災害指定を受けて、公的援助も具体的に検討されているみたいです。

あせらずに、少しずつ生活再建の道を進んでいただきますよう祈念するばかりです。


本宮宿は奥州街道と会津街道、三春街道、相馬街道の追分があり、交通の要所として発展してきた宿場町です。

その街並みは、阿武隈川支流である安達太良川を挟んで、江戸側(南側)の上町、中条、下町を「南町」、そして川の北側の荒町、中町、大町を「北町」と区分されていました。

古くから「花の本宮」とうたわれ、奥州街道屈指の賑わいを見せた宿場で、天保9年(1838年)の記録では、旅籠30、茶屋12、銭湯6、酒屋12軒もあった記録されています。

飯盛り女の多い宿場としても知られ、井原西鶴の「好色一代男」や「一目玉鉾」にも登場してくる。

また、人形浄瑠璃にも「奥州街道の本宮なくば、何をたよりに奥がよい・・・」と謡われるほどであった。



阿武隈川が流れる宿場町「本宮」は洪水との闘いの歴史でした。

明治23年8月7日の 未曾有の大洪水。 流失戸数111個、潰家2千850棟 水田冠水/80町歩 畑冠水/20町歩 被害総額/22万1700円

明治29年、7月21日 大洪水
9月7日 洪水により八日大川両橋流失

同30年、8月10日~12日 洪水
9月8日・9日 洪水

同43年、8月11・12日 大雨洪水、本宮の三橋流失

大正2年、8月27日 大洪水本宮浸水500戸

同3年、8月30日 洪水 溺死者二名

昭和13年6月28日~30日 台風、洪水、郡山水位8m、雨量160mm
9月10日 台風、洪水、水位本宮7.1m

昭和16年(1941年) 7月21日~23日 大洪水、本宮護岸堤防上の牆壁を越えること22cm、明治23年大洪水より僅かに低く、被害甚大。被害戸数1136戸

昭和23年(1948年)9月13日 アイオン台風大豪雨、本宮警戒水位突破昭和十六年以来の大水

昭和61年(1986年) 8月 8・5集中豪雨(昭和16年以来の大水害)
阿武隈川水位/8.48メートル、総雨量/185ミリメートル、床上浸水/717棟、床下浸水/314棟、水田冠水/150ヘクタール、畑冠水/38.7ヘクタール等、被害総額/13億5千万円
本宮町史参照

本宮は、たびたび洪水に見舞われてきましたが、その都度宿場の皆さんで力を合わせて復興し発展を遂げてきました。


ガンバレ本宮!

ガンバレ水害の被災のみなさん!


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:35 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
令和元年「新町大宴会」 新町睦会




令和元年「新町大宴会」 新町睦会



令和元年の三春大神宮祭礼は台風19号の影響で、神社拝殿での祭典のみ挙行となりましたが、各字若連では寄付集めも終わり様々な準備もしてあったこともありそれぞれの町会単位での対応となったみたいです。



当三春昭進堂のある新町では、例年行われている「新町大宴会」を順延して実施されました。







今年のメインゲストは「風船の国のアリス」


県内の各種イベントに引っ張りだこのバルーン・パフォーマーのアリスさんの登場でした。







子供に大人気のバルーンアートと軽快なおしゃべり、そしてダンス!と来場した子供たちは大いに盛り上がっていました。







アリスさんは地元テレビ局のレポーターもしています。







今回の台風で被害にあわれた皆様にはお見舞いを申し上げます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町睦会 |
三春城下は無事です 台風19号
三春城下への台風19号での被害は若干小規模な土砂崩れ程度で済んだ模様です。

ご心配をおかけしました。

13日午前11時現在の情報ですが郡山市からの三春への道が所々通行止めになっている模様です。

三春へお越しの際は御注意下さい。





大雨が降ったせいでしょう、沢蟹にご来店いただきました。

”カニ?” 昔から旧セリ市場の真照寺側にある大石の隙間から清水が沸いており、沢蟹や蛍、トンボのヤゴなどを見かけます。







尚、本日予定されていました三春大神宮秋季例大祭の神輿渡御及び還御は中止となっていますが、各町内の判断でそれぞれ字内での祭礼を実施するみたいです。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 11:00 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「雪村さんとわたし」 不思議な「縁(えにし)」に導かれて(1)~(4) 李田三悦ノ里 もがみ三悦




「雪村さんとわたし」 不思議な「縁(えにし)」に導かれて(1)~(4)



李田三悦ノ里 里主 もがみ三悦こと最上三男様より、表記の小冊子「雪村さんとわたし」をいただきました。

三悦さまは、表題にもある様に旧李田村旧跡「雪村庵」の近くに居を構えているということもあり戦国の画僧雪村とその隠棲の地(庵)である雪村庵について研究をされ、ボランティアで見学に来庵される方々に案内をされています。








今回の小冊子は、先に発足した雪村顕彰会・機関紙の創刊に際して、同会会長の冨山章一郎様から寄稿依頼があり、その発行を記念し、ご自身もこの小冊子をまとめて発行したということです。

「雪村さんと~」の副題{不思議な「縁(えにし)」に導かれて(1)~(4)}にもある通り、画僧雪村周継師と三悦さまのご縁についての詳細が記されています。

早速中を拝見させていただきますと、先に行われた雪村庵改修工事の際、御本尊木造阿弥陀如来座像(傳観音像)の下から発見された数個のお位牌。

その中に三悦様の旦那寺である片平町常居寺の二代住職東天和尚の位牌が発見され、法要をされたこと等の不思議な「縁」と「お導き」が記されていました。






また、雪村師の出自とされる常陸佐竹氏との関係や、三悦様の御母堂様関連では関ヶ原以後に転封した出羽國秋田久保田藩秋田氏・佐竹南家家老入江氏・・

佐竹宗家―雪村―佐竹南家―最上というご縁もあります。

参考になる書物です。









供養歌「雪村音頭」


画僧雪村周継を偲び (平成31年4月13日) 供養のためにつくられた歌も添えられていました。

作詞 もがみ三悦さま

作曲 MoCoy(増子良一)さま

唄  MAM(増子・藍原・水野)さま



店内に配しておきますので、手に取ってお読みください。



| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村庄六十六郷 |
塵壺339号 「御代参日誌」 三春藩絵師 中村寛亭 令和元年10月発行





「御代参日誌」 三春藩絵師 中村寛亭







ご縁があり「中村寛亭」という本を手にしました。

著者は三春藩絵師中村寛亭の末裔に当たる寺崎房子とあります。

中村寛亭を丹念に調べ上げた書物となっており、彼の生涯や作品など興味深く丁寧に書かれています。







中でも江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記「御代参日誌」(個人蔵)の面白いこと面白いこと!


絵師ならではの観点で描かれており、挿絵も盛りだくさんに若き寛亭らの楽しい道中の息づかいが聞こえてくるようです。







寛亭は、藩命を受けて三春藩主代参として三春から畿内まで従者2名を連れて伊勢神宮参詣へ向かいます。

三春から江戸、箱根、富士山、桑名、伊勢神宮、北野天満宮、熱田神宮、そして鎌倉鶴岡八幡など、行く先々でのエピソードや当時の風俗をユーモラスに描き、今にも書物から飛び出しそうです。









伊勢では、三春藩士らしく伊勢朝熊の永松院にある三春藩主初代俊季公の実父である高乾院殿、前侍従・安倍秋田實季入道(あべあきたさねすえにゅうどう)の墓所にも参っています。


私自身も昨年伊勢参拝に行ってきたものですから、読み進むうちにその土地ならではの名物、景観、そして風習の一つ一つが旅日記の世界に引き込まれ、私も寛亭御一行様とおもしろお
かしく伊勢神宮参詣の旅をしているようでした。







幕末から明治中期にかけて、絵画の創作活動や門弟の育成に努めた三春藩絵師中村寛亭には、旧三春藩領内外にわたって、64名に及ぶ門人が知られており、そのほとんどが農民でした。

寬亭は、本名を中村匡(ただし)といい、文化4年三春藩士今泉権左衛門の三男として三春城下清水裏町南に生まれ、17歳の時に同じく城下清水の天澤寺入り口脇に屋敷を構える三春藩士中村多巻の養子となっています。

文政3年(1820)、御小姓役で家中勤めに入りますが、文政12年(1829)、藩主の命により、絵師荒木寬快に師事し絵の修業に入り、三年後には寛快より「寬亭」の号を許されています。



また、中村寛亭(匡)は、有能な官史でもありました。

三十六才で正式に中村家を継いだ寛亭は三春藩領在郷・東郷(三春藩領在郷・東、西、中、南郷に分かれている)代官から始まり、四十五才で町奉行及び宗門奉行、起発奉行を務め、五十四才で三春町町奉行を拝命しています。

時に幕末、三春藩も激動の渦に巻き尾まれます。

三春藩鉄砲物頭(鉄砲組組頭)から外交を担う三春藩外事掛へ転じて諸藩との応接折衝やとなりこの激動動乱の時期を乗り越えました。









この寬亭が最も活躍した時期というのは、藩の役職から解放され家督を息子多仲に護った明治4年(1871)以降です。

明治15年、第一回内国絵画共進会に「人物、鶴」という作品が入選したのは76歳の時、さらに、2年後の第二回内国絵画共進会で入選した第三区南宗派「仙女鷹追兎図」は、76歳の作品で、連続2回入選を果たし対外的に名声を高め、花鳥画と人物画を得意としていました。とくに鶴の絵は有名で「鶴の寛亭」と称されています。


齢80を超えてもその創作意欲は衰えず、明治22年、寛亭が83歳の時に自画像を描いています。

寛亭が没するのは85歳(明治24 年)ですので、最晩年に至ってもなお西洋画風を取り入れた新しい作風に挑戦するなど“老い”も退散するほどのその創作意欲には敬服いたします。

寬亭は、創作活動のかたわら門弟の育成にも努め、数多くの画人を輩出しています。








寛亭自身いろいろな画風の画を描いていますが、弟子たちにも自由に描かせていたようで「中村一門」は、民間の絵師として比較的自由な画風を繰り広げ、注文主の要望に応じて描き分ける三春領内における絵画職人集団であったようです。 

今に残る数多くの絵馬や農民に依頼されて描いた軸物などに、寛亭とその門人たちが築いた農民芸術を謳歌した文化意識の一端を垣間見ることができます。


蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
マダム劇場番外編!2019 in 福島市森合”如春荘”




マダム劇場番外編!2019 in 福島市森合”如春荘”


“マダムイズミ”ことミュージシャンのゴトウイズミさん、“マダムエリナ”ことダンサーの長井江里奈さん、そして、“マダムポッポ”こと絵描きのハトさんという、それぞれの文和で活躍する個性の違ったパフォーマーが、一緒にコメディ・ダンス・弾き語り・ミュージカル、その他色々~の「マダム劇場」

今回は、“マダム劇場番外編”ということで そこにマダム劇場の踊り、おしゃべり、歌、自己紹介を兼ねたソロパートのミニショーなどがついた最高のお楽しみ会もあり!







東欧はチェコで、マダム達により撮影されたキッチュなマダム人形劇映画「マダムのバラバラさつじんじけん!」の上映会をエッセンスに加えてのステージでした!

前衛的な臭いのプンプンする素敵なステージで楽しまさせていただきました。





ゴトウイズミ

ある時は訳あり女!ある時は女子高生!ある時は純真さを持つセレブマダム!状況次第で変幻自在。
歌あり!ネタあり!踊りあり!芝居あり!セクシー♥やアコーディオンもあったり!の体当たりのキャバレショー!!






長井江里奈

少女からアバズレまで、ライオンからロボットまで、路地裏から劇場まで、お子様からオジサマまで、八方美人で全方位ユニークに踊り倒すマダムエリナ。
マダムイズミの芸人魂にライバル心を燃やしている。
舞台芸術集団「山猫団」主宰。







はと

絵と工作が得意なマダムポッポ。妖精の様にイズミとエリナのマダム達の闘いを観察するのが日課。
ご町内ではメルヘンマダムと呼ばれている。
移動商店を経営。各地で手づくり品を販売。






場所は、県立美術館の目の前になる如春荘。

福島大学出身者には懐かしい場所ですよね~






座敷をぶち抜いた会場では、日本家屋とマダム劇場の組み合わせで、襖から出たり入ったり、大きな頭が梁にぶつかったりと、日本座敷の特徴をいかした演出に何とも言えない面白さがあり楽しかったです。

如春荘という場所





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |