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第四回 三春込木寄席 「延期」のお知らせ



 【第四回 三春込木寄席につきまして、新型コロナウイルス感染拡大防止のため「延期」とさせていただきます 】

第四回 三春込木寄席につきまして、
昨今の新型コロナウイルスをめぐる世間の動向、 何よりもご来場の皆様のご安全を勘案し、今回は「延期」とさせていただくこととしました。

ご参加をご検討されていた方、大変申し訳ありません。

事態が終息するまで明確な実施時期はお示しできませんが、今回も60人からのお客様にご予約いただいていたことから、必ず開催したいと考えます。

引き続き、なにとぞよろしくお願い申し上げます。




| ryuichi | 07:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
塵壺344号 令和2年3月発行  「佐久間庸軒旅日記」安政5年戊午  
 



 塵壺344号 令和2年3月発行  「佐久間庸軒旅日記」安政5年戊午  
 
塵壺の参考にと、佐久間庸軒に関する資料を届けていただきました。

主人公の佐久間庸軒は、江戸時代後期から明治時代にかけて活やくした最上流和算家で三春藩士です。
文政2年(1819)田村郡石森町(田村市石森)に生まれ、本名を纉(つづき)といいます。

 江戸末期の天保7年(1836)、18歳で二本松藩の最上(さいじょう)流和算家渡辺治右衛門に入門し、和算の研鑽の旅を続け、嘉永7年(1854)に研究成果を「当用算法」や「算法起源集」など著書も多く記してあります。
 佐久間派の開祖として三春藩藩校「講所」で算学を教え、新政府の絵図編纂御用も勤めています。

維新後には、石森の自宅で私塾「庸軒塾」を開いて農民や町民に 明治算術や算学測量を教えています。
 その門弟は実に2000名を数えます。

 江戸時代に発達した日本独自の数学が和算(わさん)です。
 庸軒が活躍した幕末から明治初期にかけての時代、和算はブームとなり、全国各地で上層階級から庶民へと広がっていきました。

 日本ではすでに奈良平安の頃には中国から数学が導入されましたが盛んにはなりませんでした。
 その後、室町末期の戦国時代から江戸時代初期にかけて、戦国武将などの築城に伴う土木普請や太閤検地、さらには経済の発展などにより計算が必要となり、中国の算書(さんしょ)の影響をもとにした和算が発達したと考えられています。

 一昨年前、三春まちづくり公社で「三春町内神社仏閣の算額巡り&和算遊び手習い」を開催していましたのでご存じの方も多いと思います。

 三春藩領内の神社仏閣には、難問を解いた算額、問題だけ載った算額などが奉納されていますが、和算を志す数学者や数学愛好家は、難問を解くことに成功すると、神社や寺に算額を奉納するようになりました。
 これは、問題が解けたことを神仏に感謝し、自分の業績を世に知らしめるためでもありました。
 また、和算好きはそれらの算額を見て回り、難問に挑戦しては腕を磨き、時には他の和算者に向けて問題だけを書いた算額を奉納して、和算対決の様相を呈していたこともあったようです。

 佐久間庸軒の数度にわたる旅日記は、遊歴の算術家として江戸末期の日本各地を旅して算学をひろめ、最上流和算を作り上げた時の修行旅日記です。

 天保十三年(1842)の庸軒路程記1~6は参詣に重きを置き、安政五年(1858)の九州辺天草の旅の九州遍路1~6は算術修行に重きを置いているようです。

 庸軒などの「遊歴の算家」は、全国を旅して周り行く先々で数学者と問答を行っています。地方に高名な数学者が訪れたと聞けば、地元の算術好きが列をなして教えを請い、臨時の数学塾が開講されていたようです。
 庸軒の九州遍路行では訪問した算術家は34名(内31名は印鑑を押捺)に上っています。

 安政5年戊午に記された佐久間庸軒旅日記では、三春を発ち、江戸・箱根・桑名・伊勢・京都・岡山・山陰津和野・博多・長崎・本渡・熊本・宮島・信州善光寺・日光経由三春という行程での算術修行です。
一部船旅もありますが、もちろん9割以上が徒歩の旅路です。
 
全国津々浦々を旅する遊歴算家の活躍によって、和算ブームは草の根の広がりを見せて日本の隅々まで高度な数学が広まっていき日本独自の数学・算術である和算文化を築き上げていきました。

      蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝







「佐久間庸軒旅日記」 船引町文化財集7 船引町教育委員会平成2年七月発行参照




| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
三春小学校 第3学年総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」令和2年




三春小学校 第3学年総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」令和2年
              
令和2年2月25日 於三春小学校


母校である三春小学校の第3学年の授業である総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」の特別講師としてお話をしてまいりました。



三春昭進堂のこと

・三春小学校 四代目 おたりまんじゅう 四季折々の商品 
・桜餅・鶯餅 いちご大福 花見団子 柏餅 水まんじゅう 栗大福 豆大福 
・歳時 お彼岸 お盆 ひな祭り 五月節句 お月見 七五三 入学式 卒業式 土用







三春城下の歴史のこと

 三春城下の成り立ちは、室町後期の永正元年(1504年)に田村義顕が守山城から移り現在の場所に三春城を築城したのが始まりと言われ、初代義顕、2代隆顕、3代清顕の三世代が三春領を治めます。
義顕の三春城築城時に城を中心として北方位を北町、南方位を南町とします。現荒町は築城の町割りの時に新設した町ということで新町(あらまち)としました。
 中町と下大町は、後の蒲生代官時代に新設されています。

・お城山 太鼓堂(中町愛宕神社参道へ移転) 鐘撞堂 (田村大元神社三の丸)
・三春城主秋田家慰霊碑 戊辰戦争殉職者慰霊碑
・上校庭 お殿様御殿  下校庭 マホラ 中央大町 奉行所や役場
・歴民下 講所・明徳門 学校
・護国神社

・北町・南町 お城を境に
・天神口・天神橋 とうりゃんせ♪・防火用の池 池之端稲荷
・お城山への道 亀井坂・天神坂・三部坂
・月斎舘 100歳 天才軍師「畑にじ縛り 田にひりも 陣場に月斎」嫌いなもの
・御旗町 足軽 ・内藤醤油
・加藤木直親 三春藩柔術師範平藩 
・次男重親 もしもし 三男富造(勝沼)ハワイ移民の父

・八幡町・八幡神社 お城から移転 安部安東秋田氏由来
・丈六焼き 丈六佛 90センチ  八幡様の化身追いはぎ商人 灯籠
・三春大神宮 土砂崩れ 三春城下総鎮守 松尾神社・甲子神社・橋本神社






・中町福聚寺 戦国時代日和田八丁目
・本陣 秀吉の時代 近江松阪武将・商人 蒲生時代
・愛宕神社 火消 近江の蒲生時代か? 太鼓堂 西福寺庚申 
・秋田旗本五千石 清水寺田村公京都清水寺 田村麻呂田村堂 秋田阿弖流為 

・荒町本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、華正院、馬頭観音等が立ち並び、寺町を形成していました。

この場合、当時の町屋の者はその行列に遠慮して、通り過ぎるのを待って墓参に行く有様で難儀をしていました。
 今に伝わるお盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、
・荒町口から入る城下への街道は本宮口と小浜海道口がありました。

・大町山三伊賀屋渡辺商店 伊賀・武将の商人 カネイ 
・王子神社 おっしゃま 星信仰 百杯宴碑 川前紫渓 
・浪岡家(秋田) 北畠親房 荒木家 明智 細川家 
・紫雲寺 腹切梅 化け猫 秋田家猫塚 枝垂れ桜 真照寺 弘法・興教大師

・田村大元神社 三春藩五万石領内総鎮守 三春城三の丸 泰平寺 学頭坊 10修験
・大元帥明王 社 元寇 真照寺 別当 廃仏毀釈 阿吽仁王像 昭和30年代

「腹切り梅」
亡くなった広季の守役だった滋野は責めを負い切腹を申し渡されます。
その切腹場の紫雲寺に現れた滋野の飼い猫。滋野は「主人の代わりに怨霊となり、この恨みを晴らせ」と言い残し猫の首を斬り自らも切腹して果てます。その血に染められた傍らにあった白梅は、以来紅梅になったという。







「三春化け猫騒動」のこと

事件後、荒木玄蕃や藩主頼季の夢枕に毎夜猫の怨霊が現れるようになったと言うもので、以来、三春城下の大火の度に猫の怨霊が火を点けてながら駆け回ったと噂話になり、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。







三春郊外、貝山の泉沢に「御下屋敷」とよばれる荒木玄蕃の屋敷跡があります。

荒木は、幼君を亡きものと企む中で御殿医三宅良庵と老女鳴瀬とを巻き込み、朝の食事に一服盛り、幼君を毒殺したと伝えられています。
 その朝、荒木はこの下屋敷にあって舟形の大きな石を西方村の大滝根川から運ばせている最中でした。もう少しで庭に入るという時に、幼君急死の報せが本城からもたらされたので、悲しみを装って急ぎ登城したといいます。

 その後、“腹切り梅伝説”の忠臣滋野多兵衛の亡霊譚の下りとなりますが、荒木は御城下の上屋敷には居たたまれず、この下屋敷に逃れ大きな番犬数等と警固の武士を配して引き籠ったとされます。

 このとき西方村より運んだ舟形の庭石は、これも滋野の亡霊の祟りで、その後いくら手を尽くしても微動だにせず、庭外に放置されたまま伝説を秘めて風雨にさらされています。 
     





校長室の前に、三春舞鶴会員の日向野隆三様作「三春疎開の絵」がコーナー化されて掲げられていました。







日向野様は、元本田技研工業株式会社のデザイナーで、世界で一番売れたバイク「ホンダ・カブ」のデザインにも携わっていた方です。












春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |
食品衛生管理の国際基準「HACCP」の訪問説明会 三春食品業組合




1970年代にアメリカで始まった食品の衛生管理手順を「見える化」を大規模に管理する方法する「HACCP」の日本国内導入の活性化のために三春食品業組合で訪問説明がありました。


今では多くの国でHACCPが義務化されており、HACCPは食品衛生管理の国際基準となっています。







東京オリンピック・イヤーである今年、6月をめどに義務化法案が成立しています。





三春町内の事業所を衛生指導員が訪問して説明をいたしました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:46 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
令和2年3月3日ひな祭り の代休のご案内




令和2年3月3日は火曜日ですが、ひな祭りですので通常営業となります。


翌4日(水曜日)を代休とさせていただきます。



どうぞよろしくお願いいたします。





顔はめパネルもご活用ください!







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「悲しいから笑うのよ 手に手を取って♪  切なくても踊るのよ 明日天気になれ♪ 夢花涙雨 ありがとう♪」 三春城下若松屋幕田専務に捧ぐ





「悲しいから笑うのよ 手に手を取って♪ 切なくても踊るのよ 明日天気になれ♪ 夢花涙雨 ありがとう♪」

三春城下若松屋幕田専務に捧ぐ











「夢花涙雨(ゆめはななみだあめ)~フラ女将の唄」、白河市出身で京都市在住のシンガー・ソングライターYammy*(ヤミー)が歌うこの歌は、東日本大震災による福島第1原発事故からの復興を願い、いわき湯本温泉の女将たちから聞いたり手紙で寄せてもらったりした体験談をYammy*が歌詞に取り入れつくられました。









昨年のクリスマスに開かれた恒例の「Yammy*クリスマスライブin三春若松屋旅館」で生演奏を聞いたばかりでしたので、心に残っており聞くたびに目頭が熱くなります。






三春城下馬場の湯温泉の若松屋さんでは、このYammy*さんをはじめ、幸せを運ぶ男・高田エージさん等の、ライブが定期的に行われ三春内外の方々に楽しい時間をプロデュースしていました。






Yammy*さんは、福島県人なら一度は聞いたことがあるRFCラジオ福島での元レギュラー番組"Yammy's Garden"のテーマ曲「君のもとへ」や、三春滝桜を歌った「愛しきキミ想ふ」などのヒット曲を、安積女子高校(現安積黎明高校)の同級生で、仁井田本家女将・ピアニストの仁井田真樹さんはじめ、一流のミュージシャン達と、その時折によってユニットを組んでそれぞれの持ち味を生かした味付けで、唄演奏を披露して会場に詰め掛けたお客様を魅了していただいています。






また、20年来の親交がある高田エージさんは、ソロでそして、「轍&エージ」等々様々なユニットで「いいぞ、エージ!」の掛け声とともに「空の笑顔」「そのままでいいよ」「永遠」などの忘れられない力強い歌詞と、どこか懐かしいメロディで会場を盛り上げてくれます。


もちろん、これらの三春城下馬場の湯温泉若松屋旅館ライブの仕切りは幕田専務です。

お客様も、三春はもちろん、郡山、田村、東京、京都、白河等々から大勢のファンが来場され、会場は大盛り上がりです。

三春に居ながら一流のミュージシャンの生の音楽が聴ける素敵なステージと~そんな贅沢な時間です。






お陰様で、温泉に入って若松屋の四季折々の料理と仁井田本家の自然酒に舌鼓~そして、 
一流のアーティストの皆様の息遣いが聴こえるライブを間近で楽しむ大迫力の演奏と、三春城下での満ち足りたな大人の時間を堪能してきました。





何よりも仲間・友達を大切にして、人と人を繋ぐのが大好きな幕田専務。
若松屋のライブでは、幕田専務の計らいでご縁を紡いでいただき、演者・スタッフの方々はじめ、遠方よりおいていただいた方や三春の方々など様々な出会いがありました。
















人間にとって大切な事とは“生きている間”にどれだけ多くのものに触れ合えるか、そして、出会えるかと云うことだと思っています。







また、若松屋のライブだけではなく様々な場面でその様な機会と大切な時間をつくってくれたことに、心より御礼を申し上げます。










若松屋旅館取締役統括本部長幕田勝浩君のご冥福をお祈り申し上げます。












三春若松屋でのyammy *コンサートでご一緒した滋賀の山田様にご来店頂きました。伊達市での所用の帰りにお土産を買いによっていただきました。

若松屋専務の故幕田君へ御焼香されてきたとの事、重ねて御礼申し上げます。

人と人を繋ぐのが大好きな幕ちゃんの御縁がまた一つ増えたよ!










   
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸若松屋コンサート! |
令和2年2月の三春城下「ちょっくら市」




令和2年2月の三春城下「ちょっくら市」


令和2年2月20日(金)・21日(土)


三春城下中町本陣本店内























春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ちょっくら市 |