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高屋敷稲荷神社令和4年カレンダー




高屋敷稲荷神社令和4年カレンダー

高屋敷稲荷神社様のカレンダーを頂戴いたしました。
早速、御利益がいただけますようにと祈願しながら店内に配させてもらいました。

今年は寅年ということで、お狐様が寅の文字の書かれた凧を揚げています。





高屋敷稲荷神社様の「御利益」、そして「福徳」の御裾分けと称してお客様にも配布する分も合わせて頂戴してございます。
御入用の方は、店頭にて御裾分けとして無料で配布していますので、スタッフまでお申し出ください。

尚、数に限りがございますので、お早目のご来店をお待ちしています。







舞木のお稲荷様「初午大祭」 高屋敷稲荷神社 
   
  令和4年3月6日(日) 祭典 午前10時より


 初午の日の参詣は「福詣り」とも言われ、「福」が授かると言われております。
新型コロナウイルス感染拡大防止から、新しい参拝方式を取り入れて皆様の御参詣をお待ちしています。

「初午例大祭」は、和銅4年(西暦711年)2月初午の日(旧暦2月最初の午の日)に、京都伏見稲荷山に稲荷大神様がお降りになられたことに由来しています。

問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396 郡山市白岩町高屋敷








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「商売繁盛祈願」 舞木の稲荷さま~ 高屋敷稲荷神社 |
猪苗代から会津若松城下の十日市縁起物「風車」が届きました。




今年も会津・猪苗代から会津若松城下の十日市縁起物「風車」が届きました。

羽の上には金文字で「福の神寿」の4文字が書き入れられ、細い竹を編んで骨組みを作り、赤、青、黒の鮮やかな色紙を張り付けた縁起物の風車です。






一つ一つの文字に「1年間、風車のようにまめに働けるように」との願いが込められているとのことです。


いつもありがとうございます。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:17 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
塵壺367号 旧鷹巣総鎮守 「大元帥明王・石の宮様」



塵壺367号  旧鷹巣村鎮守「大元帥明王・石の宮様」

三春町で「大元帥明王」と云えば城下山中にある旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王社(堂)」(現田村大元神社)の名前が挙げられますが、鷹巣の「石の宮様」とよばれる「鷹巣神社」も明治維新前までは鷹巣総鎮守「大元帥明王」を祀っていました。

明治新政府が神仏分離令を布告した際の明治三年に提出した答弁書と思われる「鷹巣総鎮守大元帥明王由来書」の写しにその詳細が記載されていました。






 鷹巣神社の鎮座する場所は、現在の鷹巣八雲神社の本殿右側より山道を上り、 社の裏となる小高い約10坪ほどの広さの所に、古来より鷹巣の方々が鎮守様「石のお宮様」として祀っている、間ロ二尺 奥行き四尺の総石造りのお宮が二社、明治維新後に集められた十三の小さな祠と共に鎮座しています。





 「石のお宮」に奉られている神様が鷹巣総鎮守「大元帥明王」で、現在の「鷹巣神社」祭神を国之常立命としています。







 そしてもう1社は、源義家公が鎮守府将軍として奥州下向の際、家臣である鎌倉権五郎景政に由来する「五龍神社」で、旧神号「五龍大権現」をお祀りして、この二社を現在でも「石の宮様」と敬ってお参りをしています。







 大元帥明王の勧請は、平安時代となる弘仁十己亥年(819年)2月25日、磐城守山山中村(現郡山市田村町守山町山中)より奉還し、同社神主の柳沼市太夫神が神職として勤仕したと記されています。

その後、応仁の乱後の室町時代となる文明17巳年(1485)、舊(旧)記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭礼には鷹巣村近郷より寄付方控左書を綴奉するとの記載もありました。


 江戸時代中期の文政5年( 1822年 )9月吉日に改築され、建立村惣氏子と刻まれた文字が社裏に見えます。






現在の鷹巣鎮守「八雲神社」の由来は、瀬山にあった天正16年(1588)勧請の牛頭天王を、明治初期に廃仏毀釈神仏離反の命により、祭神を「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」、神社名を「八雲神社」と改めこの地に移したもので、鷹巣地区の総鎮守となっています。


 明治4年、明治政府は江戸時代までの神仏習合を改め後の廃仏毀釈の原点となった神仏分離「神仏判然の令」を下して神道国家の教化の政策を進めて、国中の神社社格の律令制確立を目指し、官幣社、国幣社、府県社、郷社、村社、無格社等の定めにより「村の鎮守神」としての格付の申し渡しが有りました。





 

その折に、鷹巣の鎮守として祀っていた「石のお宮」様は、国の定めによる鎮守である村社としては認められず、鷹巣村では、沼沢村の鎮守「春日神社」を、沼沢・鷹巣両村の鎮守として一緒に祀るようにとの申し渡しがあったと記されています。






 この通達に対して鷹巣の人々は、何とか鷹巣村単独の鎮守の建立を願い、その方策を思案して会議を重ね、遂には瀬山にお祀りされていた戦国時代の三春城主田村家重臣、鷹巣七竈の首長と云われた橋本刑部左衛門貞綱が、尾州津島から勧請したと伝えられている「牛頭天王」を「建速須佐之男命」を御祭神とする鎮守「八雲神社」と定め、当局より承認を得ました。

 それに伴って、泉田地区に新たに社殿を建立して、明治9年になって瀬山の牛頭天王を分霊し、新たに八雲神社として遷座遷宮し、翌年には「奥の院本殿」を建立して鷹巣村の鎮守としました。








 宮司も王政御一新に付き柳沼安芸が御奉仕方を譲位して、新たに鷹巣村田村大和、鷹林和泉(修験・元別当光祥院)の両神主が神勤仕して鷹巣神社頭往右勤請と記されています。

尚、田村大和とは、鷹巣の修験・威徳院賢晃を改名した名前で、後に田村清見と再度改め初代鷹巣小学校の校長となった方で、鷹林和泉は二代目の校長です。





「鷹巣総鎮守大元帥明王由来書」 田村大和 明治三年 

「鷹巣八雲神社由来書」  明治四十四年 田村真記

「田村の庄・鷹巣の里を巡る」橋本史紀(吉正)著 参照




十三体の小さな祠 詳細

・三渡神社 天牟良雲命 琴平様
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護社地
・天 神社 天穂日之命 鎮護所
・愛宕神社 火産霊命  鎮護所
・山神神社 大山津見命 鎮護所
・地 神社 埴山毘賣命 鎮護所
・荒 神社 久延比呂神 鎮護所
・地 神社 埴山毘売命 鎮護所
・戸隠之神社 磐戸別命 鎮護所
・神明社  撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 北之内
・稲荷神社 宇迦之御魂命 鎮護所
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護所
 威徳院賢晃 傳錦汝  右之通御座候也  明治三年 鷹巣村神主 田村大和(威徳院賢晃改名)


追伸、石のお宮様の意味を考えて見ました。
古来より、日本人は自然の山や磐、巨木、海、田圃、屋敷、竈門やトイレ等々に神が宿っていると信じて信仰の対象としてきました。
 近年まで、村の鎮守や氏神屋敷神等は特別な建築はなく、神の降り立つ場所聖域とし、周囲に玉垣(瑞垣)や注連縄で神域と現世の境界を区別し、祭祀を行う神域・神霊の依り代を神籬(ひもろぎ)と称して拝んでいました。
時代が下がって、疫病や飢饉からの回避祈願や江戸中期以降、特に明治初期の廃仏毀釈後になって次第に神殿(神社)が建てられ祀られるようになったと考えています。
神仏習合、村組織や身分制度に定着に伴って、神籬の信仰ではく、神がいるとされる神殿を拝むようになりました。
本殿を始めとする神社の建築も、神体を納めるために造られたものであって、それより古い形式の神社には本殿がありません。


  蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  コロナ終息祈願  拝


| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
サントリー セサミンEX 『セサミン メッセージ篇』 矢沢永吉


矢沢永吉 TVCM】

2022年1月26日(水)より放送開始!

サントリー セサミンEX 『セサミン メッセージ篇』に出演いたします。



https://www.suntory-kenko.com/.../sesamin/beautiful/yazawa/


CMで永ちゃんは華麗なマイクパフォーマンスを見せてくれています!



年取ったから丸くなるんじゃない。

その年月をうまく使った人が丸くなれるんだよ。

後悔しないで生きた人だけが「丸くなった」っていうタイトルを与えられるんだ。

by 矢沢永吉






永ちゃん!永ちゃん!




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |
新日本プロレス~NEW JAPANCUP 2022 郡山大会




新日本プロレス~NEW JAPANCUP 2022 郡山大会

2022年3月6日(日)  15:00 ~ 17:30



ビックパレット福島 多目的展示ホール(1F)

<前売券>特別リングサイド¥12,500 リングサイド¥10,500 指定席¥8,500
※当日券は¥500 アップ 


詳細はIKGプロモーションのHPでご確認ください。




主催
IKGプロモーション(株)
http://ikg-pro.com/

| ryuichi | 05:46 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
本日、火曜日は定休日となっています。


本日、火曜日は定休日となっています。


またのご来店をお待ちしています。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:31 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
木村舘跡  田村四十八舘





木村舘跡  田村四十八舘


旧逢隈村(現郡山市西田町)大字木村に在り、舘山と呼ばれています。


木村越中守、木村内記(天正年間)が居舘

口伝では、木村越中守の先祖、木村内記は初め同村古舘に居住していました。

後に木村舘に移りますが、天正十年に鬼生田弾正前舘主水によって討滅されます。

以後、木村舘は無住となります。


木村氏滅亡後、この城は田村氏の持城となり天正14年(1586)に田村清顕が没した後は、根木屋・宮田をふくむ木村郷は伊達政宗の命によって田村月斎・橋本刑部ら治め、木村城には橋本刑部少輔顕徳が統治したと伝えられています。

この時期は、伊達氏による奥州征覇の時期と重なり、田村家の内紛に係る「田村仕置」などの、政治的な背景から、 阿武隈川を望むこの本城跡が伊達方田村家の軍事的な最重要拠点として、田村家重鎮の橋本刑部を配し、城郭を現在の形に様に改築されたと思われます。


田村郡郷土史参照


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村四十八舘1 |