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「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」 




塵壺第378号「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」 令和5年1月吉日発行

「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」

 三春本城の防御態勢として、伊達政宗の三春城下滞在中の際に記された「三春要害廻り御覧御出」によれば、三春城下町構えの外枠に土塁・堀・沼・川などの防御施設があったことが解ります。

また、同文書の中に“天正16年8月、三春城滞在中の伊達政宗は田村家の重臣田村月斎宅にて饗応され~“と記されているところを見ると田村月斎の役宅「月斎舘」が現在の消防署三春分署の裏山に、そして、田村重臣橋本刑部の役宅「刑部舘」が紫雲寺の裏山に配されていました。








このように田村の重臣たちはそれぞれの所領に城舘を構えて居住・駐留していましたが、三春城下にもそれぞれ屋敷を与えられていたと考えられます。

さらに、「元和八年老人覚書」には「田村清顕と申は、常々千計の人数を抱置」と記されており、重臣らとともに、常に田村氏に近侍する直臣の旗本組「不断衆(ふだんしゅう)」の屋敷も御城山付近に集中して三春本城の直掩勢として駐屯していたと考えられます。

三春在城中の政宗が「町検断、町ノ者」を謁見しているのをみれば、三春城下町衆の地位が田村家中に準じるほどのものであったことが読み取れます。

その他、城下には大元帥明王堂別当・同学頭坊そのほかの寺院・社家・山伏があっ たことも、政宗滞在時の『伊達天正日記』に記されています。

後免町の田村家菩提寺福聚寺はいうまでもありませんが、明王堂以下の寺院・社家などは 城と城下のはずれの地に配置されて、三春城と城下の守りの役割を果たしたとみられます。








天正10年(1582)、大元帥明王学頭坊に宛てた「田村清顕挽書」によれば、田村2代隆顕以来、山中(明王町)の検断権は田村氏ではなく学頭坊に委ねられていたことが解ります。
同じく田村家の菩提寺である福聚寺も同じく「門前(御免町・尼ヶ谷)」の検断権を隆顕以来免許されていました。


これら有力寺院・社家は田村氏の外護を受けて、郷村を知行分(所領)として抱 え経済的基盤とし、さらに門前ないし門前町に対する治外法権・経済支配権を掌握していました。

永禄2年(1559)の大元帥明王大船若経の書写は、 田村義顕による進献の事業ですが、経櫃三合に収められた二百巻の折本の大般若経は、天沢和尚以下、薩摩の慶徳、日向の京文、肥後の昌恵、美濃の培など十数人の手で書写され、13350枚の和紙が用いられています。

これは、義顕の帰依の篤さとあわせて「大元帥明王」の権威の高さを知ることが出来ます。





「天正田村騒動」天正16年(1588) 5月・相馬義胤三春入城失敗

三春城主田村家三代田村清顕の突然の死により、田村家中は清顕妻(相馬顕胤娘)の弟相馬義胤が当主の相馬氏と、清顕母(伊達稙宗娘)、そして、娘「愛姫」の婿伊達政宗が当主の伊達氏のどちらに今後の田村家の行く末を暫定的に後見してもらうかを巡り家中は二分していました。

天正16年2月から7月にかけての安積郡郡山城・窪田城一帯をめぐる伊達政宗勢と蘆名義広・相馬義胤勢が相対した戦闘を総称とした“郡山合戦”の後、政宗が三春へ入る前に政宗の片腕である伊達家重臣片倉小十郎が先に三春に入り政宗を迎える準備をします。





5月3日、相馬家出身の清顕夫人を船引城へ移し、三春城には清顕の甥の孫七郎(宗顕)が入りました。

そして、翌日には、田村梅雪斎(田村隆顕の弟)など相馬派の家臣三十数名が城下の屋敷を引き払って小野城(以下、小野保内の自分の所領・領諸城)へ退きます。

その混乱の最中に相馬義胤は手勢を率いて三春城乗っ取りの為に強襲入城を謀り、相馬勢が三春城の途中まで登った時に、その動きを事前に察知した伊達派重臣橋本刑部指揮する田村勢の精鋭旗本不断衆の迎撃により、東の小口(虎口)に押し返されます。







しかし、ここでも田村勢の猛攻に遭い撃退されてしまいます。

兵の強さもさることながら、三春城は難攻不落の堅固な山城のために相馬勢は御城を攻略できず中々入城は果たせません。

さらに相馬勢の騎馬武者200騎と弓・鉄砲組が合流して三春城に攻め込む手はずとなっていましたが遅参して役に立たず、義胤は築館(東和町)にも、相馬にも帰れず配下の兵と共に一時船引城に立て籠りますが後に相馬へ撤収しています。

相馬義胤が三春城攻略討に失敗した翌日、伊達政宗は白石若狭守宗実の宮森城に着陣。伊達勢(信夫郡・伊達郡の軍勢)に田村勢も加えて築山舘(月舘・旧東和町戸沢)を攻略し所領の作毛をすべて刈り取ります。

翌日、伊達主力・旗本以下の軍勢を動員し、相馬氏に組した石川弾正の小手森城(旧東和町針道)を陥落させて宮森城に引き揚げました。


蒼龍謹白 さすねぇぞい三春!  拝





| ryuichi | 03:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |
塵壺第378号「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」 令和5年1月吉日発行




塵壺第378号「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」 令和5年1月吉日発行

「三春本城防衛」城下重臣屋敷と御旗本組「不断衆」

 三春本城の防御態勢として、伊達政宗の三春城下滞在中の際に記された「三春要害廻り御覧御出」によれば、三春城下町構えの外枠に土塁・堀・沼・川などの防御施設があったことが解ります。

また、同文書の中に“天正16年8月、三春城滞在中の伊達政宗は田村家の重臣田村月斎宅にて饗応され~“と記されているところを見ると田村月斎の役宅「月斎舘」が現在の消防署三春分署の裏山に、そして、田村重臣橋本刑部の役宅「刑部舘」が紫雲寺の裏山に配されていました。

このように田村の重臣たちはそれぞれの所領に城舘を構えて居住・駐留していましたが、三春城下にもそれぞれ屋敷を与えられていたと考えられます。

さらに、「元和八年老人覚書」には「田村清顕と申は、常々千計の人数を抱置」と記されており、重臣らとともに、常に田村氏に近侍する直臣の旗本組「不断衆(ふだんしゅう)」の屋敷も御城山付近に集中して三春本城の直掩勢として駐屯していたと考えられます。

三春在城中の政宗が「町検断、町ノ者」を謁見しているのをみれば、三春城下町衆の地位が田村家中に準じるほどのものであったことが読み取れます。

その他、城下には大元帥明王堂別当・同学頭坊そのほかの寺院・社家・山伏があっ たことも、政宗滞在時の『伊達天正日記』に記されています。

後免町の田村家菩提寺福聚寺はいうまでもありませんが、明王堂以下の寺院・社家などは 城と城下のはずれの地に配置されて、三春城と城下の守りの役割を果たしたとみられま

す。





天正10年(1582)、大元帥明王学頭坊に宛てた「田村清顕挽書」によれば、田村2代隆顕以来、山中(明王町)の検断権は田村氏ではなく学頭坊に委ねられていたことが解ります。
同じく田村家の菩提寺である福聚寺も同じく「門前(御免町・尼ヶ谷)」の検断権を隆顕以来免許されていました。


これら有力寺院・社家は田村氏の外護を受けて、郷村を知行分(所領)として抱 え経済的基盤とし、さらに門前ないし門前町に対する治外法権・経済支配権を掌握していました。

永禄2年(1559)の大元帥明王大船若経の書写は、 田村義顕による進献の事業ですが、経櫃三合に収められた二百巻の折本の大般若経は、天沢和尚以下、薩摩の慶徳、日向の京文、肥後の昌恵、美濃の培など十数人の手で書写され、13350枚の和紙が用いられています。

これは、義顕の帰依の篤さとあわせて「大元帥明王」の権威の高さを知ることが出来ます。








「天正田村騒動」天正16年(1588) 5月・相馬義胤三春入城失敗

三春城主田村家三代田村清顕の突然の死により、田村家中は清顕妻(相馬顕胤娘)の弟相馬義胤が当主の相馬氏と、清顕母(伊達稙宗娘)、そして、娘「愛姫」の婿伊達政宗が当主の伊達氏のどちらに今後の田村家の行く末を暫定的に後見してもらうかを巡り家中は二分していました。

天正16年2月から7月にかけての安積郡郡山城・窪田城一帯をめぐる伊達政宗勢と蘆名義広・相馬義胤勢が相対した戦闘を総称とした“郡山合戦”の後、政宗が三春へ入る前に政宗の片腕である伊達家重臣片倉小十郎が先に三春に入り政宗を迎える準備をします。

5月3日、相馬家出身の清顕夫人を船引城へ移し、三春城には清顕の甥の孫七郎(宗顕)が入りました。

そして、翌日には、田村梅雪斎(田村隆顕の弟)など相馬派の家臣三十数名が城下の屋敷を引き払って小野城(以下、小野保内の自分の所領・領諸城)へ退きます。

その混乱の最中に相馬義胤は手勢を率いて三春城乗っ取りの為に強襲入城を謀り、相馬勢が三春城の途中まで登った時に、その動きを事前に察知した伊達派重臣橋本刑部指揮する田村勢の精鋭旗本不断衆の迎撃により、東の小口(虎口)に押し返されます。









しかし、ここでも田村勢の猛攻に遭い撃退されてしまいます。

兵の強さもさることながら、三春城は難攻不落の堅固な山城のために相馬勢は御城を攻略できず中々入城は果たせません。

さらに相馬勢の騎馬武者200騎と弓・鉄砲組が合流して三春城に攻め込む手はずとなっていましたが遅参して役に立たず、義胤は築館(東和町)にも、相馬にも帰れず配下の兵と共に一時船引城に立て籠りますが後に相馬へ撤収しています。





相馬義胤が三春城攻略討に失敗した翌日、伊達政宗は白石若狭守宗実の宮森城に着陣。伊達勢(信夫郡・伊達郡の軍勢)に田村勢も加えて築山舘(月舘・旧東和町戸沢)を攻略し所領の作毛をすべて刈り取ります。

翌日、伊達主力・旗本以下の軍勢を動員し、相馬氏に組した石川弾正の小手森城(旧東和町針道)を陥落させて宮森城に引き揚げました。


蒼龍謹白 さすねぇぞい三春!  拝


付録: 奥羽永慶軍記(抄), 政宗記(抄), 奥陽仙道表鑑(抄), 奥州仙道一覽記(抄)






| ryuichi | 03:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
今年も、師走、晦日を迎えました。



今年も、師走、晦日を迎えました。

そして、いよいよ明日は大晦日!

一年は本当に早いもので、年々早く感じます。








元旦からは、未明より初詣でに出かける方も多いかと思います。

三春城下にそれぞれの町内に、寺社仏閣そして氏神様があり、それぞれ初詣となるとおもいます。


毎年、初売りにご来店のお客様から、「初詣に行ったら転んで手や足を折ってしまった・・・」というようなことを聞くことがあります。

くれぐれも初詣は、足元を見つめて安全に留意してお参りください。



”観却下”~年の初め、歩く足元とともに自分自身を見つめなおすいい機会ではないでしょうか?








年始の休業のお知らせ


新春  

1月 1日 (日)元旦 正月休み 

1月 2日 (月) 新春初売り 午前8時から午後5時まで 
      
1月 3日 (火) 新春初売り 午前8時から午後5時まで 
      
1月 4日 (水) 正月休み

1月 5日 (木) 正月休み
      
1月 6日 (金) 通常営業
      
1月 7日 (土) 通常営業

1月 8日 (日) 通常営業 




よろしくお願いいたします。





年内は、明日31日まで、休まず営業いたします。






いちご大福です。

新春2日の「二日市新春初売り」からの販売となります。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍












令和5年 高屋敷稲荷神社 「初詣」


新型コロナウイルス感染防止のため、新しい参拝方式に取り組んでいます。




※今後の感染状況により対応が変わる場合がありますので、ご了承ください。

〇 体調不良の方、参拝はお控えください。

〇 玉串拝礼・お神酒拝載は控えております。







ご祈祷の受付時間

〇 元旦 0:00~2:00 7:00~17:00

〇 2日以後旧暦小正月の2月26日まで 9:00~17:00


ご祈祷を申し込まれました方は、外のテントにてお待ちいただくこととなります。

  暖かい服装でお出掛けください。


問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396










| ryuichi | 03:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「舞木のお稲荷さま」 令和5年 「初詣」 高屋敷稲荷神社 




「舞木のお稲荷さま」 令和5年 「初詣」 高屋敷稲荷神社 

 歳旦祭(さいたんさい) 御祈祷受付時間

  元旦 0:00~2:00 7:00~17:00

  2日以降~ 9:00~17:00

 ※体調不良の方の参拝はお控えください。

ご祈祷を申し込まれました方は、外のテントにてお待ちいただくこととなります。

暖かい服装でお出掛けください。

 新型コロナウイルス感染防止のため、新しい参拝方式に取り組んでいます。

 ※今後の感染状況により対応が変わる場合がありますので、ご了承ください。

問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396

高屋敷稲荷神社2023カレンダー











張っているだけで御利益がありそうです!


商売繁盛祈願






参拝のお迎え準備完了です。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「商売繁盛祈願」 舞木の稲荷さま~ 高屋敷稲荷神社 |
この12月、ウルトラマンが日本赤十字社の献血会場にポスターとして登場し、献血を応援します。




「みんなが出来る助け合い 献血 2022」


この12月、ウルトラマンが日本赤十字社の献血会場にポスターとして登場し、献血を応援します。







日本赤十字社の福島県支部オリジナルのポスターだそうです。


しかも、パネルです。



限定50枚配布の一枚をいただきました。

| ryuichi | 03:53 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
本日火曜日は定休日となっています。

本日火曜日は定休日となっています。



またのご来店をお待ちしています。







「舞木のお稲荷さま」 令和5年 「初詣」 高屋敷稲荷神社 

 歳旦祭(さいたんさい) 御祈祷受付時間

  元旦 0:00~2:00 7:00~17:00

  2日以降~ 9:00~17:00

 ※体調不良の方の参拝はお控えください。

ご祈祷を申し込まれました方は、外のテントにてお待ちいただくこととなります。

暖かい服装でお出掛けください。

 新型コロナウイルス感染防止のため、新しい参拝方式に取り組んでいます。

 ※今後の感染状況により対応が変わる場合がありますので、ご了承ください。

問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396

高屋敷稲荷神社2023カレンダー











張っているだけで御利益がありそうです!


商売繁盛祈願



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:30 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
”舞木の稲荷さま”こと「高屋敷稲荷神社」様の令和五年の「福よせの熊手」
です。


”舞木の稲荷さま”こと高屋敷稲荷神社様の令和五年の「福よせの熊手」です。


今年も授与いただきました。



熊手には、その形が、鷲が獲物を掴んでいる様子に似ているため「福を掴んで離さない」という意味や、落ち葉などを集めることから「福をかき集める」という意味があるそうです。





早速店内中央部に配させていただきました。

これでは、令和五年も商売繁盛間違いなし!








公私共々お世話になっています”高屋敷の稲荷しゃま”


来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。











「舞木のお稲荷さま」 令和5年 「初詣」 高屋敷稲荷神社 

 歳旦祭(さいたんさい) 御祈祷受付時間

  元旦 0:00~2:00 7:00~17:00

  2日以降~ 9:00~17:00

 ※体調不良の方の参拝はお控えください。

ご祈祷を申し込まれました方は、外のテントにてお待ちいただくこととなります。

暖かい服装でお出掛けください。

 新型コロナウイルス感染防止のため、新しい参拝方式に取り組んでいます。

 ※今後の感染状況により対応が変わる場合がありますので、ご了承ください。

問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:12 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記 |