2023-08-31 Thu

三春城下明王町 怪奇伝説 「久貝玄亭の屋敷跡」
これは、享保年間というから270年も昔のお話です。
三春城下山中(明王町)に、久貝玄亭という150石取りの秋田藩士の屋敷がありました。
久貝の屋敷には庄平という若党が住み込んでいました。
庄平は、鷹巣の出身で生来の実直者、主人や家族に忠実な下僕で、よく働き、近隣のほめ者でした。
ある年の春、主人玄亭は殿さま(秋田頼季)参勤のお供として江戸詰めを仰せつかり、屋敷を留守にすることとなりました。
その留守中に、庄平と久貝夫人との恋が芽生え、事件の発端となってしまいました。
庄平は、実直な下僕だったことから、この不義密通の色恋は、若い奥方から仕掛けたのであろうと想像されました。
とにかく、世間の噂にのぼる“わりない”中となってしまいました。
玄亭の江戸詰めは、二年余の月日が瞬く間に過ぎて、城下に無事帰還しました。
そして、知らぬは亭主ばかりなりの玄亭の耳にも家中の噂が伝わります。
玄亭は苦しみます。
悩み苦しんだ末に「不義密通はお家のご法度」の決断以外に手がなかった。
浸りに「お打ち」を申し渡し、まず庄平を切り捨てます。
忠実な庄平は素直に打てれて亡くなります。
しかし、奥方は泣きながら玄亭にすがりつき、助命を乞います。
玄亭は遂に手にかけることは出来ずに命は助けられました。
一方、奥方が助けられたことに、庄平の恨みが怨念としてこの世に残ったのでしょう、毎夜のごとく玄亭夫婦の枕元に庄平が亡霊となって現れるようになります。
そのせいか、奥方は間もなく、どこが悪いというわけでないのに病み細って死んでいった。
怨念とは恐ろしいもので、今もその屋敷跡には家が建たず、草に埋もれています。
昭和30年代の広報三春内コラム参照
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社) |
2023-08-30 Wed

明治12年発行 「地券」同8年改正をお預かりしました。
お客様のお宅に眠っていたもので、参考になればということです。

調べてみると・・・国税庁のホームページに仔細が記載されていました。
下記は、参照要約です。
地租改正法は、明治6年7月、太政官布告第272号として公布され、地租改正条例・地租改正施行規則・地方官心得書、の三法により構成されます。
地租改正では、土地の所有者を確定し、土地の収益を基礎に地価を算出して、その3パーセント(明治10年に2.5パーセントに引き下げる)を、地租として課税することにし、納税は「税金」で行うことが定められました。

地券
地券 明治11年~12年(1878~79)
地租改正に際して、地主に交付された土地の権利証です。地券に表示された地価にもとづいて、その3パーセント(のち2.5パーセント)を、地租として課税しました。
これにより、新政府は毎年一定税率の地租収入が得られるようになりました。
現在より
2023-08-25 Fri
2023.8 三春昭進堂包装紙の更新です。
当店の包装紙は、2年毎くらいに制作していますが、今回は「三春城下絵図令和版」の更新に続いて、包装紙もデザインの変更となりました。
高屋敷稲荷神社様を追加で表記させていただきました。
そして、QRコード~ ここを開いていただきますと三春昭進堂菓匠蒼龍のホームページにアクセスできます。

どうぞよろしくお願いいたします。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:27 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子 |
TOP PAGE △