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「ザ・ニュースペーパー 被災者支援公演」 in田村 ご来場有難うございました。




「ザ・ニュースペーパー 被災者支援公演」 in田村 無事終了しました。


笑顔で繋ぐ12市町村実行委員会主催の 「ザ・ニュースペーパー 被災者支援公演」 in田村 


お陰様で、無事終了しました。


当店のお客様にも多数(過半数😛)ご来場いただきまして、本当にありがとうございました。



福本ヒデさん

浜田太一さん

山本天心さん

土谷ひろしさん

一部では、抱腹絶倒の社会風刺、時事ネタコント


二部では、都路商工会青年部長 青木さん、そして、常葉町商工会青年部長佐藤さんも登壇して、ニュースペーパーのみなさまとパネルディスカッション!







前夜祭も、定番の細沼にある焼肉店で~ 沢山食って、呑んで、お喋りして・・・・ 盛り上がりました。


様々なお話を伺ってこちらも大満足!



又のお越しをお待ちしています。




三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 03:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
『稲川淳二 怪談ナイト2025』in仙台に次男坊と一緒に行って来ました。




『稲川淳二 怪談ナイト2025』in仙台に次男坊と一緒に行って来ました。

稲川怪談も今年27歳になる次男坊が中1からですので今回で15年目の参戦となりました。






今年はかなり怖い回でした。


思い当たる実際の事件が悲惨だった回とかが印象的な時もあるのです。

稲川さんの語る怪談とは、幽霊、お化け、妖怪に関する言い伝え、伝説。

怪談とは、怖さや怪しさを感じさせるお話。


しかし怪談はただ単に恐怖を与えるものではありません。


怪談への愛と共に、怪談を生んだ日本人の感性に対する尊敬の気持ち、そして思いやり、心があるお話なのです。






今年、8月21日で、78歳になったという稲川さん。

口調も滑らかだし、ますます元気です。

恐怖と感動をいただきまして、今年も観れて良かったです。

これも夏の風物詩の一つだと思っております。





お客さんが、夏の法事だと云っていましたが、まさに法要です。


三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:23 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
阿弥陀院尊陽寺 七草木阿弥陀院造営記
阿弥陀院尊陽寺 


中世のいつのころか、「越中守」と呼ばれる領主がおり、阿弥陀院尊陽寺は、その人物の菩提寺で安達郡松沢村との境にあったと伝わります。

その後、二度の火災・天災で現在地に移りました。

江戸時代中頃、七草木村の庄屋を務めた武像家に、平沢村の平沢家庄屋の家から娘婿に入った半次右衛門は、子どもの頃から平沢村の満願虚空蔵を尊崇するとても信仰の厚い人物でした。

半次右衛門は養子先の七草木村の人々の心の平安を強く願いましたので、損傷の激しい阿弥院尊陽寺の再建を果たし、21才という若さで亡くなった愛妻を偲び、戒名「紅顔玉照大姉」を住職の実範和尚からいただくと、その供養のために阿弥陀院に不動明王像と脇侍を寄進しました。

その後、阿弥陀来迎図などを次々に寄進して、半次右衛門の厚い仰に支えられた尊陽寺には、様々な仏画が整えられ、盂蘭盆、彼岸、涅槃会や念仏請などの時に、「絵解き」が催され、近郷近在の人々が集い仏の教えを聞いたそうです。

尊陽寺は、中世から近世まで、年中行事や教育、医療、福祉など地域の人々の心身の生活に大きな影響を与え続けた寺院でした。

「七草木阿弥陀院造営記」 七草木 橋本吉雄氏談

| ryuichi | 03:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧御木澤村::七草木 |
戦国の世を生きて ~独眼竜政宗公正室 愛姫様の生涯~ 漫画版 小林克己著




戦国の世を生きて ~独眼竜政宗公正室 愛姫様の生涯~ 漫画版 小林克己著


歴史監修の伊藤さんより謹呈いただきました。

この漫画版は原作のガイドブック的感じに仕上がっています。

若い方にも入りやすくということで漫画版の製作となったということです。

なお、紙ベースでの販売は僅少となり、基本はkindle版での発売となり、電子版の案内はこの後になるとということです。





伊藤さんの愛姫の生涯(あらすじ)が添付されていました。

ありがとうございます。




愛姫の生涯(あらすじ)

伊達政宗は今も大変な人気があるようです。けれども、その正室・愛(めご)姫の生涯を知る人は多くはないでしょう。

愛姫は永禄11(西暦 1568)年、今は城山公園になっている三春のお城で生まれました。

父の名は田村清頭と云い、その一人娘でした。「めご」はこの地の方言「めんごい」に由来し、可愛いと愛しいの意を併せ持っています。

天正7(1579)年愛姫は数えで12歳のとき、米沢に住む伊達政宗のもと~嫁ぎます。父の清頭は婿を迎えて継ぎとすることも考えたことでしょう。

結果的には、愛姫を伊達家に嫁がせてその庇護を受けることを選択したのです。愛姫の第二子以後の男子を田村家の後嗣とすることは、伊達家と約束を交わし、愛姫も承知していたことでしょう。

この戦国時代、四周を敵に囲まれた清頭には危急の決断だったに違いありません。

政宗は天正12(1584)年18歳で家督を相続しました。一方、愛姫に願いを託した父の清頭は、天正14(1586)年、戦乱の渦中に突然亡くなってしまいます。

天正18(1590)年、政宗は北条攻めの小田原に参陣して豊臣秀吉との調見を果たします。けれども三春の領地は秀吉の没収するところとなり、愛姫の田村家も終には改易となってしまいます。

その年、愛姫は豊臣家の人質として上洛します。その楽屋敷に入った愛姫は、文禄3(1594)年には長女の五郎八(いろは)姫を産みます。

五郎ハと名付けたのは嗣子の誕生を前もって祝ってのこと、と伊達家の正史「治家記録」は政宗の想いを載せています。

愛姫が政宗の嫡男となる忠宗を授かったのは慶長4(1599)年、大坂城下にあった伊達家の屋形においてでした。

徳川の治世となった慶長8(1603)年には、愛姫母子もまた人質として江戸へ移ります。

その年愛姫は政宗の五男となる卵松丸(宗綱)を儲けます。

同じく政宗の八男になる竹松丸を挙げたのは慶長14(1609)年、愛姫 42歳の年でした。

しかし、この竹松丸は7歳で天折し、宗綱も16歳で亡くなり、田村家の後嗣を得ることは適いませんでした。

愛姫の宿願が叶うのは承応2(1653)年になってからでした。

愛姫は田村家の後のことを忠宗に託し、その86年の生涯を閉じます。

やがて、忠宗の三男が田村宗良と名告り田村家の再興が成ります。

その後、宗良の次男・宗永(改名して建頭)が延宝9(1681)年に一関藩三万石を幕府より拝領します。

寛永13(1636)年の政宗没後も、愛姫の威光はその時々の幕閣にも伝えられて行ったのです。


伊藤



| ryuichi | 03:38 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏 |
本日火曜日は定休日となっています。



本日の火曜日は定休日となっています

またのご来店をお待ちしております。


社会風刺コント集団 ザ・ニュースペーパー 被災者支援公演
   
 「ふたばレポート番外編」in田村

  8月30日(土)13:00開場 13:30開演  田村市文化センター

   原子力災害12市町村にお住まいの方無料ご招待

招待券配布(9:00-17:00) 当該各市町村窓口及び 三春昭進堂(定休日以外) 


  主催 笑顔で繋ぐ12市町村実行委員会 0244-26-8887


令和7年度「地域経済政策推進事業費補助金(被災 12市町村における地域のつながり支援事業)


三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
門前の小僧 お盆明けの山陰石見 曹洞宗紅蓮山観音寺参禅 2025.8




門前の小僧 お盆明けの山陰石見 曹洞宗紅蓮山観音寺参禅 


もう30年になりますが、盆明けの夏休みに墓参を兼ねて山陰島根県浜田市に帰省しています。浜田の家も老朽化と無住ということもあって今年夏前に解体が終了して、徒歩10分のと事にあるビジネスホテルを我が家のように使っています。

紅蓮山観音禅寺方丈 穆清道久老師の下で参禅しました。
朝2時30分に起床して、観音禅寺へ

月に照らされた山門を通って坐禅堂を兼ねた本堂へ向かいますが、北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中で、冷房の効いた寝室から1歩外へ出るとじわっと一気に汗ばんでまいります。

 曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。







 今回は、修行僧の中村和尚、祖燈和尚、そして観音寺後継者となる道隆和尚様にご指導をいただいての参禅です。

 坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅で、大きく息を吸いゆっくりと吐くという坐禅本来の呼吸をしながら、時折、火灯窓(かとうまど)より吹き込む微風に、幸せを感じながら、只々坐り続けます。

 大袈裟な言い方かもしれませんが、この非日常的な空間の中に、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”、”生かされている”ということが実感できます。

家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。

暁天(後夜)の坐禅、そして曹洞宗朝課の後に、朝食をいただきます。

禅宗の寺院では食事をつくることと、それを食することは座禅をすることと同じように大切な修行であると考えられています。

修行僧は応量器という食器で食事をいただきます。

自分で食べられるだけの量をいただく、適量を心得ることを基本とします。

使った食器は水を無駄使いしないよう、食作法にしたがって自分で洗います。








食事は坐禅と同じであるとご指導いただきました。


足を組んでお経を唱え、一言も言葉をはっぜず無言で目の前の食事をいただきます。

観音寺では玄米粥です。

一口分を三回に分けて口に含みます。

そして約百回ほどよく噛んでから飲み込みます。

少量の小豆の入った玄米の粥は程よく触感があり、噛めば噛むほどに甘みが増してきます。

他に副食として、数種類の煮物、煮豆、漬物、そして、ごま塩

全て単品で口に入れてからよく噛みます。

一品一品の食材をよく味わうように、ごま塩以外は一緒に口に含みません。


粥なら百回、副食物でも30回は嚙んだ回数を数えながら食べていますので、正しく坐禅同様です。

「法は是れ食、食は是れ法」

鎌倉時代、曹洞宗の開祖となった禅僧道元禅師が、仏法に適うように食事をつくり、作法を守って食べることが禅の修行であると説いています。

食前、食後に「いただきます」「ごちそうさま」と唱えて、食べ物となってくれた生き物の命と、食事作りをしてくれた人々に感謝するのは道元禅師が教えた食事作法からだといわれています 


 
「赴粥飯法」には食事する心得が説かれています。

食の乱れは心の乱れとして、日常茶飯事という言葉通りに日々に心掛けるべき生活の基本が食事のいただき方を説いています。

また、食事をいただく場所である僧堂への入り方から、箸の上げ下ろし、自前の食器の洗い方・しまい方まで、食事に関する作法をご指導いただきました。

1つは、器や箸を持つときは必ず両手で扱うこと。

こうすると、まず物を丁寧に扱うことになり、食べる姿が美しくなります。また、他の器に目移りして迷いをすることもなくなるので、いまこの瞬間に目の前にある食事としっかり向き合うことができます。


2つは、噛む間は箸を置くこと。

これも、口の中に食べ物があるときにはその感覚にしっかり意識を向けるということにつながります。



3つは、食べるときには話をせず、なるべく音を立てないようにすること。

これは1つ目にも通じていて、ながら食べをしないためにも大切なことです。



4つは、食べ終わったら食器にお茶やお湯を注ぎ、1切れ残しておいた漬物などで食器をぬぐうこと。

これは、洗い物に使う水の節約になり、またそのお茶も最後に飲み干すことで、料理として表現されたすべての命をいただききるという実践になります。



食事をいただく直前には、「五観の偈(げ)」と呼ばれる偈文を唱えます。


五観の偈は、料理を食べようとしている人に、さまざまな「反省」を促します。

今目の前に運ばれてきた料理は、多くの人の手を通って初めてここに成立している一期一会の存在であることをきちんと認識しているか、その料理を食べるに値する徳行をふだんから積んでいるか等々。

そこには厳しい“問い”があるように思います。


食事の前にこれらのことを思い返すことで、自分を支えてくれている他者への感謝や、命に対する畏敬の念、今の状況に対するありがたさを感じながらいただきます。







 観音寺方丈様の師匠の白山老師の提唱された「玄米食・噛むの効用」 

最低100回はよく噛む

噛むことによって分泌される唾に含まれる「パロチンホルモン」と「パンクレアチン酵素」

1、爪が割れず
2、かかとあれず
3、手かじかまず
4、痰からまず
5、炎症起こさず
6、熱発せず
7、風邪ひかず
8、鼻汁です
9、睡眠五時間以下
10、目方上がらず
11、傷口化膿せず
12、毛太く強くなる
13、リズム食判る
14、夏負けせず
15、陽性になる
16、腹減らず
17、便通ヨシ
18、頭禿げず
19、視力強くなる
20、間食なくなる
21、神経 太くなる 肝が据わる
22、安心泰 脈良好
23、腰冷えず
24、歯強くなる
25、冬暖かし
26、自己の波長が判る
27、無意識能力
28、執着・固執せず
29、集中力抜群
30、呼吸 深くなる
31、毒物浄化排出


また一つ、心が洗われました。







今回は、コロナ禍もあっての5年ぶりとなる津和野、太鼓谷稲成神社も参拝







そして出雲大社にて御祈祷を受け、八足門内にて参拝して様々なご縁に感謝申し上げました。







玉虫くんおお出迎え!初めて見ました・・・







直会もしっかり







三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 03:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
天翁山州伝寺 御霊まつり  「子育一時地蔵尊祭礼」 



三春城下新町

天翁山州伝寺 御霊まつり  「子育一時地蔵尊祭礼」 




子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め地蔵盆には“御霊まつり“が開かれています。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親が子供の代わりに善根を積むことによってを積めず亡くなり、地獄 へ堕ちても、お地蔵 様はやはり身代わり となって地獄 の苦を引き受けてくださるのです。

亡くした我が子のためを思うならば、他の子供たちのためになって善根 (ゼンコン…善い結果をもたらす善い種)を積むことと説かれています。

 こうしたお地蔵 様は「常に衆生の傍らに応現す」と説かれており、心一つでお地蔵 様のご加護をいただけます。
 
親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。

人々は「地蔵和讃」の御詠歌を唱和、詠じて、親は死んだ子を地蔵に託すことで悲しみを軽減したり、地蔵尊をを敬い賛美して幼子の供養や子供の無事成長を祈ったのでしょう。






私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原地蔵和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。


賽の河原地蔵和讃

これはこの世のことならず

死出の山路の裾野なる

さいの河原の物語

聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ

十にも足らぬおさなごが

父恋し母恋し

恋し恋しと泣く声は

この世の声とは事変わり

悲しさ骨身を通すなり


かのみどりごの所作として

河原の石をとり集め

これにて回向の塔を組む

一重組んでは父のため

二重組んでは母のため

三重組んではふるさとの

兄弟我身と回向して

昼は独りで遊べども

日も入り相いのその頃は

地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする

娑婆に残りし父母は

追善供養の勤めなく

(ただ明け暮れの嘆きには)

(酷や可哀や不憫やと)

親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる

我を恨むる事なかれと

くろがねの棒をのべ

積みたる塔を押し崩す


その時能化の地蔵尊

ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて

冥土の旅に来るなり

娑婆と冥土はほど遠し

我を冥土の父母と

思うて明け暮れ頼めよと

幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて

哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを

錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに

いだきかかえなでさすり

哀れみたまうぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 03:34 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |