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塵壺414号 「朝熊永松寺落慶法要と伊勢神宮参拝の旅 ご縁に感謝」





塵壺414号 「朝熊永松寺落慶法要と伊勢神宮参拝の旅 ご縁に感謝」  令和8年1月発行



伊勢朝熊(あさま)にある石城山永松寺様の本堂落慶式の法要に、来賓として参列してまいりました。

この永松寺の山内にある墓所には、三春藩秋田氏の初代藩主河内守俊季公の実父で、秋田實季(あきたさねすえ)公(高乾院殿前侍従秋田城之介安倍實季入道)が徳川幕府によって幽閉され、逝去するまでの約30年間にわたって蟄居生活を送った草庵があった寺です。







幽閉の理由は諸説あり、秋田家のお家騒動や関ヶ原の際に行った慶長出羽合戦の軍令違反や大坂冬の陣での大敗などを理由に幕閣から御咎めを受けて常陸宍戸転封、それらを苦慮した嫡男俊季公や家臣団との不和などの理由から幕閣へ蟄居幽閉を願い出たなどが挙げられます。






一方、安東秋田家は俊季公や家臣による幕府への忠節と、實季公の正妻円光院の母は、織田信長の妹でお犬の方と呼ばれた人物で、父は細川昭元という人物で、室町幕府の管領を務めていた細川家の直系にあたり、俊季公は母方の血縁を通じ江戸幕府3代将軍徳川家光の又従兄弟という関係などから幕閣へ多方面からの働きかけによって相続が認められ、三春藩五万石の大名として明治維新まで続いています。







朝熊の實季公は、幽閉されたとはいえ「凍蚓(とういん)」“凍えるミミズ”という自嘲めいた雅号を号し、和歌をはじめ、書道、茶道に通じ、薬方にも詳しく「秋田候教示万金丹」もここから出たと伝わっています。


代々三春藩主秋田氏は、生前の賄料並びに亡き後の墓所管理料を持参していました。












郡・町奉行を務めた三春藩士で、絵師の中村寛亭・匡(ただし)は、藩主名代として天保五年(1835)に永松寺、そして伊勢神宮へ参拝道中の様子を描いた旅日記「御代参日誌」を記しています。






旅日記「御代参日誌」より








これらのご縁から三春人としては「お伊勢参り」の際には永松寺さんへの参詣は欠かせないと思っていまして、實季公の墓参とご住職様へのあいさつに度々伺っていました。





この度は、本堂落慶式法要に案内をいただきお祝を言上したく、三春より馳せ参じた次第です。

しかも来賓上座の案内され、気分はもう殿様の名代として「御代参」する春陽士です。

本堂と共に、御位牌の入る厨子やお位牌も漆で再生され、修復された厨子の中には、安倍實季入道戒名「高乾院殿前侍従隆巌梁空大居士」の位牌が収められ、片山殿、お千世姫の
お位牌も修復され同じ須弥壇の上に安置されていました。






また、同寺に墓所のある福原長堯(ふくはらながたか)右馬助公の末裔の方も同席されていました。

この福原公は、豊臣秀吉の側近で、石田三成公の妹婿で、「慶長の役」では三成の差配で軍監として朝鮮に出陣し、後の“関ヶ原合戦”で東軍に組した大名たちの軍令違反を報告しています。






慶長五年(1600)、関ケ原では西軍の福原は敗れ大垣城にて抗戦しますが、東軍からの和議に応じ「道蘊」(どううん)と戒名をいただき出家して、わずかな家来と共に謹慎先の永松寺へ落ち延びますが、その門前にて刺客に討たれたと聞き及びました。


 臨済宗南禅寺派の永松寺さんは、昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺とされる伊勢朝熊山金剛證寺の末寺となっています。

金剛證寺には、伊達政宗公、愛姫(陽徳院)夫妻の娘五郎八姫(いろはひめ)の婿で、徳川家康六男越後少将松平忠輝公も、伊達離縁後に兄の二代将軍秀忠公から所領没収の上改易を命じられ流罪になり同寺で謹慎しています。

※忠輝公は2年後には行儀不埒という理由から寺から追放され、飛騨高山から諏訪へ流され92歳で死去、諏訪貞松院に埋葬されています。






宴席の中で、ご臨席された方々と様々な歴史談義に華が咲き、戦国の武将に思いを馳せました。


今回の伊勢行きは、友人夫妻を案内して“お伊勢参り”も企画していました。内宮さん近くの神宮会館に宿を取り職員の方々が毎朝実施している“早朝参拝”へ参加して「第63回神宮式年遷宮」令和15年秋「遷御の儀」に向けた関連祭事の話も伺いながら内宮の参拝をしてきました。






司馬遼太郎氏は”お伊勢参り”を「暑さも寒さ、虫の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益がるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」と称されていましたが、正にご縁に導かれた伊勢の旅でした。






「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」 西行
        

蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!   拝


| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
師走、晦日を迎えました。 そして、いよいよ明日は大晦日!



師走、晦日を迎えました。

そして、いよいよ明日は大晦日!

一年は本当に早いもので、年々早く感じます。








元旦からは、未明より初詣でに出かける方も多いかと思います。

三春城下にそれぞれの町内に、寺社仏閣そして氏神様があり、それぞれ初詣となるとおもいます。


毎年、初売りにご来店のお客様から、「初詣に行ったら転んで手や足を折ってしまった・・・」というようなことを聞くことがあります。

くれぐれも初詣は、足元を見つめて安全に留意してお参りください。



”観却下”~年の初め、歩く足元とともに自分自身を見つめなおすいい機会ではないでしょうか?








年始の休業のお知らせ


新春  

1月 1日 (木)元旦 正月休み 

1月 2日 (金) 新春初売り 午前9時から午後5時まで 
      
1月 3日 (土) 新春初売り 午前9時から午後5時まで 
      
1月 4日 (日) 通常営業

1月 5日 (月) 正月休み
      
1月 6日 (火) 正月休み
      
1月 7日 (水) 正月休み

1月 8日 (木) 正月休み

1月 9日 (金) 通常営業






よろしくお願いいたします。



年内は、明日31日まで、休まず営業いたします。






いちご大福です。

新春2日の「二日市新春初売り」からの販売となります。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:56 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「舞木のお稲荷さま」 令和8年 「初詣」  高屋敷稲荷神社 




「舞木のお稲荷さま」 令和8年 「初詣」 


高屋敷稲荷神社 


歳旦祭(さいたんさい) 1月1日 午前0時

新年を祝い、皇室の 弥栄と国運の隆昌とを祈念し、併せて氏子崇敬者並びに社会の繁栄と平和を祈るおまつり

 

来年、厄年や、八方塞・鬼門・病門などにあたっている方は、お祓いを受け、稲荷大神様のご加護をいただき日々過ごせますよう、お祈りいたしましょう。
 
ご家庭の家内安全・身体健全や、会社様の商売繁盛・作業安全等の祈願、承ります。

新年1/1〜1/12(元日〜成人の日迄)の間はご予約不要で随時ご祈祷承ります。

当日の受付状況・駐車場の混み具合によりましては、お時間をいただく場合がありますので、時間にゆとりをもってお越しください。

また、ご祈祷をお申し込みの方々の控室テントをご用意しておりますが、温かい服装でお越しください。
 

 
問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396










商売繁盛祈願







参拝のお迎え準備完了です。







三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「蘇民(そみん)将来子孫門」 護符・呪符木札 注連縄飾



今年も、残すところあとわずかになりました。

お正月様を迎える準備は、もうお済みですか?

先の伊勢参りの際に、「蘇民(そみん)将来子孫門」の文字が書かれた木札の付いたしめ縄を買い求めてきました。

三重県、特に伊勢地方の南勢・志摩では、一年中玄関の上に飾っているのを目にします。

この「蘇民将来子孫」のしめ縄について調べますと、茅の輪と同じく素戔嗚尊と蘇民将来の話が出てまいります。





それは、素戔嗚尊が、南海への旅の途中、蘇民将来・巨旦(こたん)将来という名前の二人の兄弟のいる地に立ち寄り、そこで、ミコトは一晩泊めてくれるよう二人に頼みました。

弟の巨旦はとても裕福だったのですが、断りました。

兄の蘇民は貧しかったのですが、親切にミコトを泊めてあげました。

素戔嗚尊は喜び、蘇民に「今後、この地に悪い病気が流行ったときには、蘇民将来の子孫であると言い、茅輪(ちのわ)(茅や藁(わら)を束ねて作った大きな輪)を腰に着けなさい。そうすれば病気を免がれるでしょう」と言って、その地を立ち去った。という言い伝えがあるそうです。

現在でも札に蘇民将来子孫と書いた注連縄を飾り、家の中に邪霊が入るのを防ぐ呪符の意味があるということです。

伊勢神宮の神宮会館で求めたものですから、より御利益がありそうな気がいたします。


注連飾りを一年中飾っておくのも、伊勢地方の独特の風習だそうです。





三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
悠大くんとハワイアンズ! 2025 冬休み




つれてって♪ つれてって♪ つれてって♪ ハワイアンズ!



行こう♪ 湯こう♪ ハワイアンズ!







孫みたいな、悠大くんとハワイアンズ! 2025 冬休み  


今回も、約束していたクリスマスプレゼントの”ハワイアンズホテル”に二人でお泊りです。






私の方がクリスマスのプレゼントをもらったみたいです。


小学校も高学年になり、クラブ活動やお友達との遊びが忙しく、ご無沙汰でした。

もっとも、いつまでの爺ちゃんと遊んでいるようでは仕方がありませんね。

全国のお爺ちゃん、お婆ちゃんもきっとこんな感じなんだろうなぁと思います。







チェックインをしていますと、担当の方が「いつもテレビを見ていますよ~♫」と・・・


聞けば、お母さんの母方が三春の出身で、菩提寺も天澤寺だとの事。


三春が出るとつい見てしまうとの嬉しいお言葉!





また、売店では「あれ、昭進堂さん? ちょっくら市ではお世話になりました~」と・・・・

初対面でしたが、SNS関連でお名前を存じていました。

また、ロックンロール、クールスや永ちゃんがお好きという共通点もありました。

今回も妙にご縁のある方々に巡り合うことが出来ました💛



常磐ハワイアンセンター



私は「常磐ハワイアンセンター」の頃より大好きでして、三春でもまだ車が珍しい昭和40年代の中ごろより、父親の運転するカローラバンで時々遊びに行っていました。

今思うと、母が大好きだったんだろうと思います。

母などは車酔いするので遠出は嫌いなはずなんですが、正月やお盆の繁忙期が終わった時期に家族で出かけては、当時学校の長期休みに合わせて開催されていた歌謡ショーを見たのを覚えています。

タイガース?だったか当時のグループサウンドのグループや、キャンディーズや三善英治、ヒデとロザンナ等々・・・・

40年前ですので、国道49号線はコンクリ舗装で脇道は、ところどころ「砂利道」でした。


一緒に遊んでもらえるうちの遊んでおきましょう~



爺バカ バンザイ!




三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
本日の12月26日は、クリスマス商戦の代休をいただいております。





本日の12月26日は、クリスマス商戦の代休をいただいております。

又のご来店をお待ちしています。






三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
日本海軍航空隊 急降下爆撃機元操縦員の教え





日本海軍航空隊 急降下爆撃機元操縦員の教え


戦後80年、今年はちょうど母方(台東区元浅草)の大叔父の50回忌でした。

以前より、元海軍艦上爆撃機のパイロットの大叔父の事柄を聞き取り調査をしていたということもあり、法要に招かれ参列して焼香をしてまいりました。

大叔父は、盧溝橋事変のころに、横須賀航空隊の下士官として航空術練習生(操縦練習生)で、急降下爆撃機の操縦を学びました。


無事、訓練を終え第三航空艦隊所属となり艦上爆撃機搭乗員になりました。

太平洋戦の初期には編成したばかりの第五航空艦隊所属の航空母艦「瑞鶴」に配属となったようです。

真珠湾、珊瑚海海戦では九十九式艦上爆撃機を駆ってその戦力の一翼を担っていたようです。

ミッドウェーでは、母艦の損傷修理や冷自身の怪我の治療の為に命拾いをしたと言っていました。

その後、新鋭機、熱田製液冷エンジン搭載の艦上爆撃機「彗星」へ機種変更して、商船改造の護衛空母「飛鷹」へ配属後、飛行学校の教官となり終戦を迎えました。


その大叔父から飛行機の操縦の話しをよく聴きました。 
 
飛行機は気流の影響で常に進行方向に対して微妙に横に滑って飛行するそうで、計器で補正し当て舵をとって飛ぶそうです。 
 
操縦士の教官として戦争末期には、本土防空要員の迎撃戦闘機の搭乗員養成を行っていたそうです。

しかし、当時日本陸海軍本土防空を担っていた航空隊の資機材、空冷の零式戦闘機はじめ紫電や雷電、三式戦闘機飛燕、鐘馗では高高度性能が低下するので、それで成層圏を飛んでくるB-29 や護衛のムスタングP51、F4U コルセアなどの巨大なエンジンを搭載した米軍機への迎撃や哨戒機任務にあてるのは「馬に乗った武士を、船に乗せて戦わせるようなものだ」と言っていました。


しかし、日本の陸海軍の迎撃航空隊は巧みな要撃戦術と卓越した操縦技術で活躍します。
大叔父は教官として「敵が来たら迎撃し生きて帰って次に備えるということがプロの軍人としての心構えである。最後まで生きて帰ってこい」と指導していたそうです。

先の戦争におけるB29の被害機数はあまり知られていませんが、日本本土空襲にきた約3万機のうち、陸海軍の迎撃航空隊や高射砲防空部隊によって485機が撃墜され、2707機が撃破されています。

自分の力を使う場所と、方法を間違えるなということでした。




三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |