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袖ふれ合うも他生の御縁 「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜 Vol. 2」に行ってきました。




「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜Vol.2」に行ってきました。


Toshieさんの新譜「HIKARIFLECTION(ヒカリコレクション)」のリリースも兼ねてのライブです。


会場となった平駅前にあるTHE QUEEN Live House(ザ・クイーン ・ライブハウス)は超満員で200人近く入っていたんだろうと思います。


Toshieさんは、新譜から、そして以前の曲も併せて第1部を担当。

地元いわき市出身ということ、そしてToshieさん自身のお付き合いの仕方と頑張りなんでしょう、応援するファンが多数詰めかけて大いに盛り上がりました。


また、さすがMCは、FMいわきのラジオパーソナリティーや、各種イベントでの歌える奇麗なお姉さんMCということで、会場を盛り上げてくれました。


第2部では、紅白出場シャンソンシンガー“クミコ”さんの登場です。


クミコさんがステージに立つと一気に雰囲気がかわります。

さながらここは大人の社交場といった感じでしょうか?

定番のシャンソンからご自身のアルバムに収められている曲も取り混ぜて披露していただきましたが、一曲一曲の場面が叙情的に表現されています。


さすが、紅白歌手!

会場と絶妙なタイミングで間合いを取りながら、シャンソンの世界へ誘ってくています。


笑いの中にも、ちょっとセンチな大人の恋を歌ってくれます。

鳥肌が立ち、涙が出るほどの感動です……!







シャンソンを堪能していますと「あれ、龍ちゃん?」と声をかけてくるぽっちゃりのマダム(おばちゃんて言ったら叱られた!)がいました。

なんと、40年ぶりに会う友人でした。

高校時代以来ですのでもうかれこれ40年近くになります。


郡山から平市内に嫁いで30年になるそうです。


孫もできたそうで「可愛いおばあちゃんでしょ?」と嫌味なロレックスをちらつかせています。


まt、少し形は変わりましたが、幸せな素敵なマダムになっていました。


テレビや雑誌、新聞などで三春昭進堂のことは知っていたみたいです。


しかし、まさかまさかな平のライブハウスでの偶然の再会です。

Toshieさんの出演のエフエムいわきでこのライブを知り、ご主人、そして友人の方々と来場した。聞きに来たとのことです。

ご主人が、クミコさんの大ファンだそうで、ご主人とご主人が代表を務める会社のスタッフの皆様と共に、シャンソンを堪能されていました。


公演終了後、そのまま友人たちの食事会にご相伴させていただきまて、今だから話せるシリーズや、今でもNGワード多発!で“ピー”音が連発する中での昔話!



私のくだらない与太話にお付き合いいただき失礼いたしました。

また、日焼け止めクリームの講習会ありがとうございました。

ま、大爆笑の中、大盛り上がりな打ち上げとなったということでご容赦くださいませ~♪


実は、Toshieさんの打ち上げにお誘いを受けていまして、勘違いがあり友人のお誘いのママ盛り上がっていました。

終盤になり「Toshieさんやクミコさんなどが来ないねぇ~?」などと話をしましたら全くの別件の内輪での飲み会だったみたいで、ライブ打ち上げには行けず仕舞いでした。



……訳アリかって?

当時はアラベスクのセンターボーカル(怒られる~)に似ているといわれていましたが、残念ながら昔の彼女というわけでもなく踊り仲間的な友人です。

もちろん絶対誰にも言えない二人だけの秘密はありますが・・








“私が十九で,町でも噂のちょっとした不良で…♬ 美人だったからチヤホヤされて…♪”ライブの中でクミコさんが歌ってくれた、昔のフランスの女性シンガー“バルバラ”の歌「我が麗しき恋物語」の冒頭です。

内容的には、若いころ不良ぶってその女の子が真面目な男性からプロポーズされ,結婚した・・・・


翌朝、クミコさんのシャンソンが頭からはなれず、ちょっとセンチに浸りたくなったんでしょうか?

ここは平です。

折角ですので、濃い朝靄が立ち込める中海を見て帰還と相成りました。




それにしても、不思議なご縁です。


先のお伊勢参りの際にも猿田彦神社に張った三春昭進堂のシールを、翌日には西田町の客さんが来店され、そのシールを娘さんが見たと報告いただいたり・・・世間は狭いってことなんでしょうか?









この40年ぶりの再会も、「クミコとToshieのいわき…」に来なければ、ありえなかったことで、今年の春先の「親父の逆襲」に行かなければToshi(小沼寿恵)にも出会ってなかったわけです。

そして、永ちゃんのファンじゃ無ければ「親父の・・」にも行ってなかったんだろうと思います。

そして、ガキの頃に遊び惚けていなかったら永ちゃんやその旧友と出会っていなかった…..

ってなもんで、全ての事柄にそれぞれの意味があって、人とつながりがあっているんだと改めて感じた次第です。
 
ま、“世の中は狭い!”そして“悪いことはできません”ということなんだと思います。







「袖ふれ合うも他生の御縁」と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人的な意思を超えた、縁という深い力が働いているんだとおもいます。


以前、禅の師匠から
「日ごろ、なにげなく暮らしている中での人とのつながりも、実は世界の何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果です。だから感謝と喜びの心をもち、そのつながりを大事にしなくてはならない」とご教授されたことを思い出しました。


夫婦、親子など家族の間にはもちろん、友人・知人・お客様皆様等々の実社会に於いてもこの“ご縁”が働いていて、その“ご縁”によってお互いが結びつけられているんでしょう。



クミコさんのMCにありました。
日々の生活の中で、憎しみや怒りをの感情を持つくらいなら、「好きだノ、嫌いだノ」「恋しちゃったの!フラれちゃった~」などといった、香り高く、ほろ苦いシャンソン的な大人の、しかも妖艶な恋の世界を聞いていたいものですね。



あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ~♫

やさしいほほえみも その方におあげなさい

けれども 私がここにいることだけ~どうぞ忘れないで♪

ダンスはお酒みたいに 心を酔わせるわ~

だけどお願いね ハートだけはとられないで~

そして私のため残しておいてね……♪


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:58 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
妓楼の解体 三春城下弓町 新庚申坂”新地”





三春昭進堂の向かい側の道を入ったところが弓町です、この一番奥が「新地」とも「新庚申坂」とも呼ばれた、遊里遊郭跡があります。


“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”


この三春甚句にも歌わるほど、旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。

大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5軒の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。

悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話を残しています。







その遊郭の一軒の取り壊しが始まりました。

老朽化のために傷みがひどく、取り壊しとなったんでしょう。

以前、知人が借家として借りていたこともあり、一度だけ座敷で宴会をしたことがあります。

この時には、妓楼の建物内部を探検させていただきました。






2階へ通る階段が2か所あり、一方通行になっていました。
これは客同士が会わない仕掛けなんだと聞いたことがあります。

トイレに行くにも入り組んでいて複雑な構造の大きな建物です。

二階には小さな部屋がいくつもあり、いろいろと想像を膨らませていました。

郡山駅前アーケードの一角にあった旧妓楼跡が自宅という郡山商業の同級生がいまして、遊びに行った時の建物の構造と同じだったことを覚えています。




取り壊し前の風景



今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

三春の歴史が、また一つ消えていきます。




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| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
福島民報「みんなの広場」当店女将の投稿が掲載されました。




昨日(平成30年7月7日)の福島民報「みんなの広場」に当店女将の投稿が掲載されました。



先日、馬場の湯温泉「若松屋旅館」で開催した義母の”喜寿のお祝い会”の模様をつづったものです。






5人姉弟とその家族、総勢15名の楽しい宴会でした。



私は、いい婿さんとしての演出がありますので司会です。






姉弟が多いのはいいもんですね~



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| ryuichi | 05:23 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
古四王堂の改修2018.7.6 屋根部分が撤去されました。



古四王堂の改修 屋根部分が撤去されました。







使える部材を最大限に活用できるように慎重な解体作業です。







木組みもご覧のように保存しています。







中と外でははっきりと白黒に分かれています。







本堂縁側に並べられていきます。






菊の御門も







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| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所真照寺::古四王堂平成の大改修  |
「三春城下中町 第3回 ふれあい 軽トラ市」   2018




「三春城下中町 第3回 ふれあい 軽トラ市」   2018

平成30年7月15日(日) 開催

場所 三春町中町公民館駐車場前(福聚寺門前)

時間 AM10:00~PM3:00 

雨天決行!






三春中町軽トラ市専用の商品券も凝った意匠が施されています。

旬な野菜や山菜、果物、海産物、飲食などがズラリと立ち並ぶ、軽トラ市を開催!

三春のフォークグループ「ロッキーチャック」、そしてたmのご当地アイドル「せせらぎ小町」のミニコンサートやガラポン抽選会など楽しいイベント盛り沢山!

お買い物が楽しくなる三春城下中町ふれあい「軽トラ市」へぜひお越し下さい。





ご期待ください!








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::春陽郷三春のイベント |
田村大元神社災害修復事業 御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内




田村大元神社(旧三春藩秋田氏五万石領内総鎮守大元帥明王)災害修復事業

御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内が届きました。


境内に鎮座する熊野宮(現熊野神社)、そして八幡宮(現八幡神社)の屋根吹き替え及び改修工事が終了しました。







この両社(柱)さんは江戸初期の秋田氏三春入部の頃に三春場内よりこの場所に移築再建されたものです。





熊野神社は、屋根の三角の方に入口を作る「妻入り」で、向拝が屋根の三角の方から出ている切妻造・妻の出雲系の大社造。







拝殿の向かって左手にある境内社、熊野神社







中世より三春を含む仙道・田村地方一帯は熊野新宮の荘園「田村荘」とされていました。






熊野新宮の田村荘司の滅亡後に、平姓三春田村氏が田村荘代官的な役割を得ていたとも考えられます。

この熊野神社(熊野宮)もその辺にルーツがあるのやもしてません。







熊野神社(境内社・町文化財)は、寛文10(1670)年消失後再建されたものです。






拝殿の向かって右手にある境内社、八幡神社。

八幡神社(境内社・町文化財)は寛文10(1670)年消失後再建されたもので、平入り一間社流造。







「田村郡郷土史」には、永正元年三春田村氏の初代田村義顕が居城を守山(現郡山市)より三春に移した際に、田村家祖先以来尊信してきた八幡大菩薩と大元帥明王を三春に移し、ともに三春城の大志田山の一郭(現田村大元神社境内)に勧請(分霊)したと記されてあります。



後に江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。






八幡様は、本源を九州の宇佐八幡といわれます。

この宇佐八幡という人(?)は、奈良時代に奈良東大寺造営など大和朝廷の国家建設に埒腕を発揮して、朝廷より大菩薩号を贈られ王城鎮護の神として崇められました。



後に征夷大将軍となる源義家が、宇佐八幡大菩薩の生まれ変わり八幡太郎と称したこともあり、甲州武田信玄をはじめ代々清和源氏系の氏神として崇められ、戦国時代の武家政権の発達とともに、武人的性格の中で武家に篤く信仰されるようになりました。

しかし、三春藩主安倍姓安東秋田氏は、その祖先安倍安東一族が「前九年の役」「後三年の役」で大和朝廷と源八幡太郎義家に敗れたと言う歴史があるためか、秋田氏からは冷遇されて、三春城下の境を示す黒門(現在も黒門遺構として桜川沿いに古い石垣が僅かに残っています)の外に移転されたと言われます。


上記の経緯から、江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。









水無月の候、皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、東日本大震災田村大元神社災害修復事業につきましては、ご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。

平成25年9月より募金活動を開始以来、皆様の心のこもった浄財をご寄付いただき、募金目標額を達成することができました。

皆様の真心に、重ねて感謝申し上げます。







お陰さまをもちまして、平成二十六年四月より進めて参りました社務所修復、本殿瑞垣新設、幣殿床鳴直し、末社八幡·熊野神社屋根修復工事が竣工いたしました。

つきましては、八幡·熊野神社の本殿遷座祭を左記により斎行いたしますので、ご参列の栄を賜りたくご案内申し上げます。

なお、各施設の修復状況をご覧いただければ、幸甚に存じます。

平成三十年六月吉日







日時 平成三十年七月二十一日(土)午前九時より十一時
場所 田村大元神社境内
式典 遷座祭午前九時より

田村大元神社社務所






社伝によると延暦年間(782~805年)に坂上田村麻呂が征夷大将軍として東夷征伐の途中、磐城國岩瀬郡小山田村今明王壇に国常立命を奉斎し、武運長久を祈願したというのがはじまりとされています。

永正元年(1504年)に田村義顕の三春移城に伴って、大元帥明王を三春城三ノ丸下に遷し、領内総鎮守とします。






時代は下がって、秋田氏時代からは城下新町の秋田氏祈願所真照寺が別当職を務めます。

明治進の廃仏毀釈・神仏離反までは神仏混習合であったため『明王さま』と呼ばれていたが、明治時代に入ると神仏分離令により、明治三年に『大志太山神社』、明治十二年に『田村大元神社』と改称。







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| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社) |
三春城下 法蔵寺 蓮まつり2018




【お知らせ】

三春城下 法蔵寺 蓮まつり

蓮まつり 7月中旬から

気温もどんどん高くなり、境内の蓮も徐々に大きくなってきました。
今年も蓮まつりを開催いたします。たくさんの行事を準備してお待ちしております。
皆様お誘いあわせの上、ぜひお参りくださいませ。

投句会・・・投句箱を用意しています。(期間中)
写経会・・・蓮の露にて墨をすり、心静かに写経を(期間中)






【観 蓮 会】

平成30年7月22日(日)早朝6時から

○早朝大茶会・・・蓮の花を愛でながら朝茶を一服。
○花架拳の舞・・・優雅な天女の舞をご鑑賞ください。
○象 鼻 杯・・・風流な蓮酒をお楽しみください。
○蓮茶、蓮おにぎり、蓮饅頭などご用意しています。









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| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::春陽郷三春のイベント |