CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<  2023 - 09  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




敬老の日 「祝・寿 ありがとう」の短冊をご用意しました。




敬老の日

「祝・寿 ありがとう」の短冊をご用意しました。


三春駒どらやき、牛頭天王どら焼き、豆大福等に無料でお付けいたします。

”「祝・寿 ありがとう」の短冊をお願いします”と、お声がけください。


店頭でも結構ですが、予約の際にご用命いただきますと商品の御引き渡しがスムーズです。








もちろんその他の商品の詰め合わせにもお付けいたします。







その他、お月見、秋桜、ハロウィン等の秋の商品も取り揃えています。



皆様のご来店をお待ちしています。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:24 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
小野六郷衆 赤沼切戸館主会田遠江頭、菖蒲谷会田左馬助 




先ごろ発行した「塵壺9月号」のコラム欄「御春輩・田村四十八舘小野保」に記載した小野六郷衆、金田式部少輔・東方与力五十騎。

江戸時代に書かれた軍記物を参照して記載しましたが、地元の多い苗字や他の資料に記された、小塩舘主会田遠江守重信 赤沼切戸館主会田遠江頭、菖蒲谷会田左馬助と記載のある通り「会田氏」ではないかと考えています。



  小野与力衆

田村兵部人政顕

郡司豊前守敏良  飯豊鴨カ舘の舘主 愛姫侍従おさきの父 
天正17年7月3日下枝城攻の帰路討死

郡司雅楽頭敏貞 郡司豊前守の嫡子 天正17年7月3日下枝城攻めの帰路討死

猪狩中務人親満

野内伊予守正兼

  城下衆
高山蔵人助清実

会田遠江守重信 小塩舘主 天正11年赤沼無量寺の仏像を修理し中興開基といわれる

吉田越後守信綱

吉田将監 包貴

今泉山城守行隆 天正17年5月19日門沢の戦いに活躍、飯豊源松山洞円寺の開基

熊谷下野守直光

神又久四郎房親 鹿股(神俣)城主

大越紀伊守信貫 大越城主

阿生田舘主 大竹築後守秀延 

大倉舘主  先崎主水介徳近  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

  城代衆(三十六騎衆)

春山隼人佐忠顕

西牧館主 西牧帯刀 貞苗 山神 小野城代衆(三十六騎衆)

大江左衛門尉輝氏

阿部筑前守忠英

逸見刑部人清高

田母神十郎正堯

草野加賀守直常 塩庭 草野舘主

村上掃部頭義高

村上河内守忠総(信)

二瓶主膳 豊房  槻木内舘主

吉田躑躅 直寛

吉田石見守信弘

吉田宮内少輔赴(元)久

中条越前守光国

国分左京太夫信通

根本若狭守泰重

富沢丹波守匡次

中野道満(入道)景安 皮篭石舘主

宗方左近 康久

宗方内蔵介定英

荻野杢之介泰時

大塚尾張守経玄

鈴木左衛門忠暁

鈴木外記 清則

塩田監物 屋政

草野大学 清光

宗方丹波守時広

吉田入道 直寛

佐藤五郎 常成

郡司内膳 道綱  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

郡司玄蕃 屋満

郡司大膳 頼行

先崎周防守常可

宗方弾正 家継

村上源一郎義房

吉田和泉守光広


小野町史参照



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 13:19 | comments (x) | trackback (x) | 田村庄六十六郷 |
令和5年度「 柳橋歌舞伎」 と 海老根 秋蛍  「長月 宵あかり 秋蛍」




令和5年度「 柳橋歌舞伎」

郡山市指定重要無形民俗文化財


日時:9月17日(日)

 開場14:00 開演15:00

 終了18:30予定


地元の中学生が歌舞伎の伝統文化を継承して大人たちと一緒に活動しています。

場所:柳橋歌舞伎伝承館(黒石壮)

主催:柳橋歌舞伎保存会







令和5年  海老根 秋蛍 

「長月 宵あかり 秋蛍」

日時:9月16日(土)・17日(日)

 17時30分点灯 20時30分消灯

※両日とも雨天の場合は18日(月)のみ


 地元の小中学生が中心となって、活動 しています。

会場:海老根伝統手漉き和紙工房周辺

主催・問合せ先:海老根秋蛍実行委員会

  電話:024-943-4264


| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
塵壺386号「田村四十八舘 小野保(おのほ)」R5.9.15




「田村四十八舘・小野保(おのほ)」 御春輩 田村家武士団

天正16年6月、伊達家重臣伊達成実が田村の援軍として大越城の攻略に加勢した際の記録「伊達治家記録」に「町・寺マデ焼払ハレ 敵ハ町構ヲ引退テ 二ノ曲輪三ノ曲輪ヲ堅ク守ル 
因テ攻ムベキ術ナシ云々」と記しています。

これにより大越城が本丸をはじめ「二ノ曲輪」(二ノ丸)、「三ノ曲輪」(三ノ丸)を備えており、大越氏の城を中心とした“根小屋町(城下町)”をも併せて城郭を形成していたことが伺えます。このように三春田村家防御上で領内の主要な城・舘は、大越城のような城郭を形成していたと考えられています。


「小野新町城」三春城主田村氏御一門の田村梅雪斎顕基(三春田村二代隆顕弟)、その子田村右馬頭顕通の居城。
梅雪斎顕盛息の子右馬頭清忠(仙道表鑑)記載有

戦国時代三春城主田村義顕公は、三春入城後、嫡子隆顕を三春におき、さらに本拠の守りを固めるため次男憲顕を船引城主に、そして三男の顕基(梅雪斎)を小野城主に封じたとされ、この頃小野の保に侵攻して勢力下にあったと思われます。


与力衆として、小野六郷の衆の、二瓶主膳正・東方与力十五騎、金田式部少輔(赤沼切戸館主会田遠江頭、菖蒲谷会田左馬助?)・東方与力五十騎そして矢崎加左右衛門・東方与力足軽百五十の記載が見えます。

 平姓を名乗る三春田村一族が、郡山市田村(日和田?)から三春へ城を築きその拠点を移したのは永正年間(1504)の義顕の頃で、岩城地方の大舘城(飯野平城)主、岩城常隆も勢力を伸ばし、小野左右衛門の築いた小野城を攻めて支配下に置いたとされます。


岩城常隆は、三春田村氏との融和の為に娘を田村義顕と結婚させ、娘婿となった義顕に「小野保(おのほ)」、後の小野六郷・飯豊・谷津作・田原井(田原屋)・羽出庭(現小野町)、広瀬・菅谷(現滝根町域)を譲ります。


三春田村氏初代となる義顕は、子の顕基=顕定(梅雪斎)を小野城の小野左右衛門の嗣子として小野城に入城させます。

以後、戦国時代の混乱の中で梅雪斎と、その子右馬頭らは田村領南の要衝小野城を守りこの地域を治めます。



三春田村氏は義顕から隆顕、そして清顕と代を重ねていきますが、天正14年、清顕が急死すると、跡取りの居ない田村の家臣団は後継をめぐって分裂します。

田村月斎や橋本刑部等の清顕夫人の生家伊達氏を頼る派閥と梅雪斎やその子である大越城主田村右馬頭などの清顕の母の生家相馬氏を頼る派閥に分かれて真っ向から対立します。


天正17年、その混乱に乗じた岩城勢(清顕の祖母生家)の侵攻によって小野城は落城したといわれています。


尚、谷津作に残る湯ノ原古戦場は、岩城氏の小野城攻略の折に小野田村勢がこの場所にて数日岩城勢の大軍を食い止めた戦いの跡と伝わっています。

「小野田原谷城」 田村御一門中津川兵衛大夫。 後に家老の宗方右近に預け兵衛大夫は中津川城に住す。



「小野神股城」 城主神股久四郎 ※「古城絵図」には常葉久四郎助と記載。

三春城主田村清顕の臣でしたが、清顕亡き後の田村家中の混乱に際して岩城勢に攻め込まれ和談を申し入れ城を明け渡しています。後に伊達政宗の臣となり仙台城下に居住。



「皮籠石舘」小野新町大字皮籠石。

高屋敷と称され、天正年間より三春城主田村氏の臣、小野城代衆(三十六騎衆)の中野道満(入道)景安の居舘 ※中道との記載もあり

三春田村氏没落後に帰農し、代々その舘跡付近に現在も居住しています。また、その邸内に老桜と鞍掛石と称する石が残っています。




「槻木内舘」郡司主膳の居舘小野新町大字小野新町にありました。

前面に小野市街地を見渡せる南西、小野本城と相対しています。

小野城主田村梅雪等の没落後帰農し、現在もその子孫が麓に居住しています。




「将監舘」三春田村氏の臣、吉田将監の居舘。滝根町大字廣瀬の南東にありました。

「西牧舘」舘主・田村氏の臣 西牧文九郎が居住。旧飯豊村大字小野山神字八升蒔きに在り。

戦国時代末の天正十四年、三春城主田村清顕と会津城主芦名氏との安子ヶ島に於いて合戦の時に西牧氏戦死。安子ヶ島地内にその墓があると伝わっています。




    蒼龍謹白   さすけねぇぞい田村!  拝


| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
「田村四十八舘・小野保(おのほ)」 御春輩 田村家武士団





「田村四十八舘・小野保(おのほ)」 御春輩 田村家武士団

天正16年6月、伊達家重臣伊達成実が田村の援軍として大越城の攻略に加勢した際の記録「伊達治家記録」に「町・寺マデ焼払ハレ 敵ハ町構ヲ引退テ 二ノ曲輪三ノ曲輪ヲ堅ク守ル 
因テ攻ムベキ術ナシ云々」と記しています。

これにより大越城が本丸をはじめ「二ノ曲輪」(二ノ丸)、「三ノ曲輪」(三ノ丸)を備えており、大越氏の城を中心とした“根小屋町(城下町)”をも併せて城郭を形成していたことが伺えます。このように三春田村家防御上で領内の主要な城・舘は、大越城のような城郭を形成していたと考えられています。


「小野新町城」三春城主田村氏御一門の田村梅雪斎顕基(三春田村二代隆顕弟)、その子田村右馬頭顕通の居城。梅雪斎顕盛息の子右馬頭清忠(仙道表鑑)記載有

戦国時代三春城主田村義顕公は、三春入城後、嫡子隆顕を三春におき、さらに本拠の守りを固めるため次男憲顕を船引城主に、そして三男の顕基(梅雪斎)を小野城主に封じたとされ、この頃小野の保に侵攻して勢力下にあったと思われます。


与力衆として、小野六郷の衆の、二瓶主膳正・東方与力十五騎、金田式部少輔(赤沼切戸館主会田遠江頭及び菖蒲谷会田左馬助?)・東方与力五十騎そして矢崎加左右衛門・東方与力足軽百五十の記載が見えます。

 平姓を名乗る三春田村一族が、郡山市田村(日和田?)から三春へ城を築きその拠点を移したのは永正年間(1504)の義顕の頃で、岩城地方の大舘城(飯野平城)主、岩城常隆も勢力を伸ばし、小野左右衛門の築いた小野城を攻めて支配下に置いたとされます。


岩城常隆は、三春田村氏との融和の為に娘を田村義顕と結婚させ、娘婿となった義顕に「小野保(おのほ)」、後の小野六郷・飯豊・谷津作・田原井(田原屋)・羽出庭(現小野町)、広瀬・菅谷(現滝根町域)を譲ります。


三春田村氏初代となる義顕は、子の顕基=顕定(梅雪斎)を小野城の小野左右衛門の嗣子として小野城に入城させます。以後、戦国時代の混乱の中で梅雪斎と、その子右馬頭らは田村領南の要衝小野城を守りこの地域を治めます。



三春田村氏は義顕から隆顕、そして清顕と代を重ねていきますが、天正14年、清顕が急死すると、跡取りの居ない田村の家臣団は後継をめぐって分裂します。

田村月斎や橋本刑部等の清顕夫人の生家伊達氏を頼る派閥と梅雪斎やその子である大越城主田村右馬頭などの清顕の母の生家相馬氏を頼る派閥に分かれて真っ向から対立します。


天正17年、その混乱に乗じた岩城勢(清顕の祖母生家)の侵攻によって小野城は落城したといわれています。


尚、谷津作に残る湯ノ原古戦場は、岩城氏の小野城攻略の折に小野田村勢がこの場所にて数日岩城勢の大軍を食い止めた戦いの跡と伝わっています。

「小野田原谷城」田村御一門中津川兵衛大夫。

後に家老の宗方右近に預け兵衛大夫は中津川城に住す。



「小野神股城」 城主神股久四郎 ※「古城絵図」には常葉久四郎助と記載。

三春城主田村清顕の臣でしたが、清顕亡き後の田村家中の混乱に際して岩城勢に攻め込まれ和談を申し入れ城を明け渡しています。後に伊達政宗の臣となり仙台城下に居住。



「皮籠石舘」小野新町大字皮籠石。

高屋敷と称され、天正年間より三春城主田村氏の臣、小野城代衆(三十六騎衆)の中野道満(入道)景安の居舘 ※中道との記載もあり

三春田村氏没落後に帰農し、代々その舘跡付近に現在も居住しています。また、その邸内に老桜と鞍掛石と称する石が残っています。




「槻木内舘」郡司主膳の居舘小野新町大字小野新町にありました。

前面に小野市街地を見渡せる南西、小野本城と相対しています。

小野城主田村梅雪等の没落後帰農し、現在もその子孫が麓に居住しています。




「将監舘」三春田村氏の臣、吉田将監の居舘。滝根町大字廣瀬の南東にありました。

「西牧舘」舘主・田村氏の臣 西牧文九郎が居住。旧飯豊村大字小野山神字八升蒔きに在り。

戦国時代末の天正十四年、三春城主田村清顕と会津城主芦名氏との安子ヶ島に於いて合戦の時に西牧氏戦死。安子ヶ島地内にその墓があると伝わっています。




    蒼龍謹白   さすけねぇぞい田村!  拝


| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |
秋の彼岸 「おはぎ」 2023 ご予約をお待ちしています。



秋の彼岸 「おはぎ」 


三春昭進堂では、本日9月20日(水)より、中日の23日(土)までの4日間、”おはぎ”を販売いたします。


ご予約優先の数量限定となりますので、ご予約を待ちしています。





つぶ餡をもち米で包み黒すりごまをまぶした「つぶ餡」、

もち米をなめらかであっさりしたこし餡で包んだ「こし餡」、

そして、もち米でこし餡を包み、良質の大豆を碾いたきなこをまぶした「きなこ」の3種類をご用意しました。







「暑さも寒さも彼岸まで」といわれるように、春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたります。

春には収穫をもたらす山の神などを迎えるため{ぼたもち}を、秋には収穫を感謝して{おはぎ}を作ったともいわれています。



皆様のご予約・ご来店をお待ちしています。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:06 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子  |
2023「セリ場」の横をつたう湧き水に居住する沢蟹君の子供たちにご来店いただきました。



今年も、旧三春家畜市場、通称「セリ場」の横をつたう湧き水に居住する沢蟹君にご来店いただきました。


毎年、決まって同じこの時期のご来店です。


道に迷っているんでしょう、元の澤に返してやりました。






安全な場所に逃がしてきましたが、眞照寺の池を中心に鷺(さぎ)が飛来したり、最近強面の野良猫が姿を見せ始めたりと沢蟹くんもひやひやもんでしょう・・・


”沢カニ?” 昔からせり市場横、真照寺側にある大石の隙間から清水が沸いており、沢蟹や蛍、トンボのヤゴなどを見かけます。





また、最近は見ていませんが「ウシガエル」もお出ましになることがあります。

お寺の池で春から秋にかけて生活して子供を産んで、冬眠は道路を挟んだ弓町の山で生活しているんでしょうか?

生態が不明です・・・


何はともあれ、次世代迄残したい小さな風景です。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |