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夏休み企画展「ワンダフルにゃんず~いのちをつなぐ写真展~」 福島さくら遊学舎




夏休み企画展「ワンダフルにゃんず~いのちをつなぐ写真展~」 さくら遊学舎 

会期 平成30年8月4日(土)~平成30年9月24日(月)

開館時間 10時~17時(最終受付16時半)
 
場所 さくら遊学舎

〒963-7725
福島県田村郡三春町大字鷹巣字瀬山213番地
TEL:0247-61-6345 / FAX:0247-61-6342




入館料

大人 1000円
中学生・高校生・大学生(専門学生含む) 800円
小学生 500円

※団体申し込みは電話にて受け付けております。お気軽にお申し込みください
10名様以上で事前に団体申し込みをしていただきますと、入館料金の合計より20%の割引とさせていただきます。

※未就学児・障がい手帳をお持ちの方は本人様のみ無料となります。

※チケット売上の1割を愛護団体へ寄附致します





此方の入館料で同施設にて開催の

・常設展示「ガイナックス流アニメ作法展」

・福島ガイナックスの歩み

もご覧いただけます!







「ワンダフルにゃんず~いのちをつなぐ写真展~はどんな展示があるの?
・五十嵐健太さんによる「HOGO猫パネル展」
・上村雄高さんによる「福島の犬猫たち」
・SNSスター保護猫の写真展示

連動企画

・さくら遊学舎2階スペースにて「福島大学ねこサークル」、「大学ねこ連盟 U-Cats」
の活動展示を行います。

また、保護団体による保護猫譲渡会も開催!詳細はHPにて随時更新いたします。

「ワンダフルにゃんず~いのちをつなぐ写真展~







お問合せ先

福島さくら遊学舎

〒963-7725
福島県田村郡三春町大字鷹巣字瀬山213番地
TEL:0247-61-6345 / FAX:0247-61-6342





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:41 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::三春のイベント |
お盆期間中は休まず営業いたします。2018




お盆期間中は休まず営業いたします。


平成30年8月14日は火曜日ですが、休まず営業いたします。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
塵壺325号平成30年8月 奥州三春「古四王堂」震災復興再建“平成の大改修”真照寺山内




奥州三春「古四王堂」震災復興再建“平成の大改修”真照寺山内

三春城下新町にある旧三春藩五万石安東・秋田氏祈願所「東門院日乗山真照寺」の山内に鎮座する「三春古四王堂」の“平成の大改修”工事が始まりました。





三春古四王堂は、正保2年(1645年)秋田俊季の奥州三春移封の際には旧領の常陸宍戸(茨木県笠間市友部)に残されますが、慶安3年(1650年)、三春二代藩主盛季によって祈願所真照寺と共に古四王を祀る御堂も三春に遷されます。真照寺は三春古四王堂の“別当(管理長官)”です。






三春移設当初は三春城下清水”天狗谷”にあった愛宕権現堂の地に移設して御借屋を建立したと記録されています。

現在の古四王堂は、正徳2年(1712年)に三代藩主秋田輝季によって再建されたもので、その御堂は、北面に建てられており建設当初は宝形造であったと思われ安東焼の流れを伝える丈六焼の宝珠が残されています。






また、正徳の再建では入母屋造となり縁が三方に廻されます。
その後、長い月日の中で数度の補修が加えられ、昭和30年代になって茅葺を現在のトタン葺きに改修されています。









この古四王堂も300余年という年月の中で風雨雪、そして先の東日本大地震にも耐え抜きましたが、老朽化と震災の影響により満身創痍、建っているのがやっとという状態で何年も耐えてきました。

今回、檀信徒の皆々様の復興への願いが叶い改修の運びとなりました。







古四王は、平安時代以降神仏習合の中で帝釈天とその守護四天王を祀り、特に北方を守護する毘沙門天を本地仏としていました。
また、招福息災の薬師如来として眼の仏様としても信仰されて北日本は新潟の下越から青森津軽にかけての日本海沿岸に多く見られます。

「日ノ本将軍」「蝦夷探題・管領」として津軽十三湊を拠点に北日本海沿岸から東南アジア一円に広大な航路経済圏を形成し繁栄していた三春秋田氏の祖である安東氏が「古四王」を篤く信仰したためと考えられています。





毎年、真照寺では旧暦の初寅には古四王堂のご本尊の一つである「毘沙門天(多聞天)」の初寅祭典が本堂で開催されています。
“寅の日”は「毘沙門天」の縁日です。商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益、無量の“福徳”を授かることができるとされており、初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が参詣されています。







尚、真照寺本堂内にある帝釈天とその守護四天王である「持国天」、「増長天」、「広目天」そして「毘沙門天(多聞天)」の木造立像は、秋田家の祖である「安倍貞任」の縁起を伝えていると云われており二代藩主秋田盛季が奉納したもので、本来は古四王堂内に安置されていました。







「誰が作詞か、作曲かが判らなくても、みんなが知っている歌。歌い続けられている歌。 
そんな歌を歌う歌手になりたい・・・」20年来、真照寺阿吽講でライブを行っている現代の吟遊詩人小川ロンさんから伺った言葉です。







300年前にこの古四王堂を建立した方々はこの世には居ません。300年後も私たちを知る人はいないでしょう。
しかし、改修後、時は流れても古四王堂の建物はここに存在し、法要などが営まれていることにロマンを感じます。





“仏教の修行とは一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のようにその存在すら知られずに修行することが僧の理想。それが真の「仏」の境涯になるということである”と仏教では説いています。





何もひけらかすことなく、自分の生き方を最後まで全うするための知恵の大切さを教示していると解していますが、ご縁がありこの古四王堂に係わるすべての人々の姿そのものなのだと改めて思います。

完成は来年平成31年3月予定です。





蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春!  拝






| ryuichi | 04:15 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
お盆用おはぎ(夜船) ご予約承ります。


お盆”おはぎ(夜船)”



・あん(あんこでもち米を包みました)

・ごま(粒あんをもち米で包んで黒すりごまをかけました)

・黄な粉(こしあんをもち米で包み、黄な粉をかけました)





お盆限定販売のおはぎ三種類 

各一個120円税別です






8月11日(土)~14日(火)の4日間の限定販売となります。


ご予約優先の数量限定となりますので、ご予約を待ちしています。



小豆の赤には陽力があると信じられ、厄除けに用いられてきました。また、このお菓子は季節によって呼び名が違います。






春は「牡丹餅」。
夏は「夜船」。
秋は「おはぎ」。
冬は「北窓」。

日本の文化と伝統は四季の変化なくして語ることが出来ないと言っても過言ではありません。

きなこ、こしあん、ごまつぶしあんの3種をご用意しました。


尚、8月14日(火)は、お盆ですので通用営業いたします。





お盆前の定休日、お墓の掃除に行ってきました。

天澤寺山内にある地蔵堂にセミの抜け殻が・・







墓地ではシルバー人材センターの皆様が請け負ったお墓の掃除をされていました。






私も恰好だけは一丁前なんですが・・(カールおじさんではありませんよ)


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 05:19 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子 |
大都会の神輿担ぎ~川崎浜町二丁目夏祭り ~大島八幡神社祭礼





三春城下中町の中町若連さん、そしてポン友「旧桑原商店」さんから、川崎は浜町二丁目の「夏祭り」八幡様祭礼神輿渡御のお誘いを受けまして、約30年ぶりに大都会川崎の神輿担ぎに行ってまいりました。








今年、桑原商店さんに新年会にお招きを受けました。








その際に、同蔵に於いて保管している中町若連の神輿を見ながら杯を交わし、見さしぶりにこの神輿を見て「やけぼっくりに火が付いた」のかもしれません。












この神輿は、ご縁があり川崎浜町睦会さまから三春中町若連へ輿入れしたものなんです。


そして、若かりし頃に担ぎにいっていたのがここ川崎は浜町の二丁目町会、第一屋商店さんなんです。







中町若連にある御神輿は、浜町は鋼管通りに店を構えていた旧第一屋社長”勝ちゃん”こと橋本勝道さんと粳田さん、長さんなどその一派浜町睦会の面々による手作りの御神輿です。








この第一屋さんというのは、中町桑原商店で永年大番頭を務めたさん橋本氏がのれん分けで出店した大都会の衣料品屋で日本の高度成長を支えた一人です。


その後縁があり、桑原商店の御曹司は川崎の神輿を担ぎに行っていました。







朝六時、若松屋旅館さんのバスを借りていざ川崎へ~


中町若連会長の若松屋専務、白岩中町町内会長、桑原商店、リナ社長大内さんなど総勢15名での出頭です。



30年ぶりに伺う鋼管通りに面する川崎は浜町は、随分と様変わりしていましたが、私たちを迎えてくれる第一屋さんたちは30年前と変わらない笑顔で出迎えていただきました。








おっと、30年という月日は恐ろしいもので~

ここにも様変わりがありました。


綾小路きみまろさんの「あれから30年~」ではありませんが、上記の写真に「浜町睦会」の法被を粋に着こなす後ろ姿の姉さんが見えます。



その左側にいるちょっと粋な姉さんが~


下の右側のピースサインのお姉さんに・・・・・









30年という年月の間というのは残酷なものでございます。

すっかり、魔法が解けてしまったのか~

何があなたをそうさせたのか~~ってなもんで・・・・



尚、左のいかつい兄ちゃんに注目!蕎麦屋のあきおさんです~










勝っちゃん、女将さん、現在この店で英語教室を経営している娘さん、そして当時はまだ小学高の低学年だった長男さんも今はすっかいいい大人です。








また、蕎麦屋のあきおさん親子、粳田さん、前町会長、ハモニカのプロ等々、浜町睦会当時の懐かしい面々がそろいます。







第一屋女将とツーショット!

ここだけは時間が止まったままのようです!







そして、お隣の辻さんのお母さんと娘さんには大変お世話になりました。


私は、初対面のはずなんですが”旧知の中”?というくらい温かく迎えていただきましたこと、改めて御礼を申し上げます。






ここにもあの神輿を作った第一屋さんとの思い、そして、「大切に使わせてもらう」といってもらってきた桑原商店の思いなど人と人、男と男の絆がありました。








休憩所兼宴会所に店(英語教室)を提供していただき、昼食後、そして、神輿還御終了後からの大宴会が始まります。


忘れてはならないのが、第一屋の操業を支えた今は亡きチャキチャキの祖母ちゃん・・・・


もうすっかり自分の故郷みたいな感じです。

人と人のつながりって本当に良いものですね!









川崎では、二丁目町会長からの依頼もあって中町若連太鼓保存会会長渡辺正一さんの仕切りで、「三春盆太鼓」、そして「山車太鼓」を数か所で披露してまいりました。







皆様には喜んでいただいたようで、第一屋前での演奏の時にはでは、川崎福島県人会の会長さんや浜町婦人会長などの方々がお見えになり、アンコールだ飛び出すほどの盛況です。



私もまさか真夏の川崎で盆踊りを踊るとは夢にも思っていませんでした。







大島八幡神社の宮入です。




御神輿とは、文字通り神様の乗り物です。

そして、その神輿を祭礼の折には、組み上げる・担ぐ・それに付随する様々な準備を手伝う人々の願いや想いがあります。








総勢20を超す神輿による、川崎駅前から鋼管通りを大島八幡までの各町内連合神輿渡御です。





現在中町若連では、山車倉庫を建設中ですが、神輿だけは維持管理の関係で桑原商店蔵に保管されます。







如何ですか?この鳳凰!

黄金色の三方に載せられた黄金に輝く稲穂!

羽一馬一枚仕上げた鳳凰の羽・・・・


本番で乗る四隅に飾られる黄金の折り鶴・・・

板金のプロ、宮大工さんが手掛ける本格的なお神輿です。


その辺で売っている神輿とは訳が違いますよ!





また、これを管理する中町若連の面々には脱帽です。









下地の欅は無垢材から切り出した本格派です。

川崎の祭礼で担がれていたときには夏祭りです。

江戸前らしく、町内巡行の折には家々からは水がバシャバシャかけられながら担いでいますが、この神輿はビクともしません!

さすが無垢材と宮大工の最高の職人技の光る良い仕事です。





真鍮の板金磨きなど、普段の管理が大変重要となります。

また、室温や湿度の管理など・・・保管は大店の蔵が一番です。

現代の倉庫では管理しきれません。 

普段は、桑原商店の蔵に大切に保管され鎮座してあります。





しかし、川崎の町を神輿と一緒に闊歩、そして担いでいますと、昔の彼女とのデートした日々を思い出します。

ん、彼女って? 御神輿のことですよ~








第一屋の皆々様、川崎二丁目皆様、そして、中町若連の皆様、白岩中町町会長様、大変お世話になりました。


ありがとうございました。


そして、毎回誘っていただいています桑原親分。

こんかいもお誘いいただき、心より御礼を申し上げます。



毎年、仕事柄スケジュールが調整がつかなくて行けませんでした。


決して、私がフラれ、あの神輿が中町若連に嫁いだことにヤキモチを焼いているわけではありませんから~ どっこい♪


好いた女が嫁ぎ先で大事にされて、輝いて幸せに暮らしている姿が一番です!



「やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない」ってなもんで・・・・


どっこい!どっこい!どっこい!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
石見浜田 紅蓮山観音寺参禅記 2018.夏




浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

朝3時、引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺へ満月に照らされた参道・山門を通り本堂へ出頭いたします。


北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中・・・


冷房の効いた寝室から一歩外へ出るとジわっと汗ばんでまいります。







方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅。


時折、火灯窓(かとうまど)より、吹き込むそよ風に”ちいさな幸せ”を感じます。

大袈裟な言い方かもしれませんが、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”・”生かされている”ということが実感できます。


そして、老子の下で参禅させてもらっている家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。








お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。


文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。






何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。






参禅させていただいた期間が7月30日~8月2日まで。

この時期、観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」の最終段階でした。


夏安吾の観音寺様では、「楞厳会(りょうごんえ)」という偈分「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」をお唱えしながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。






そして、安吾も終終了の翌日は8月1日。

禅寺では元旦や、月の1日、15日を「祝聖」と呼んでお祝いの日としています。

僧堂でも祝聖の日は親指の分かれていない白足袋を履いて、朝課に出頭します。

そして、朝課を始めますが、日課のお勤めの前に、天皇陛下の聖寿をお祝いして興禅護国を祈願します。

そして、すべての仏様にお茶をあげます。






私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。

また、参道に鎮座する龍王尊守護 祈祷道場山形鶴岡にある龍澤山善寳寺からの分霊した「龍神」様、秋葉大権現様、そして、天満自在天さまをお祀りする鎮守堂。

地蔵堂のお地蔵様と無縁になった仏像。

歴代住職之墓、幕末の旧浜田藩松平〔越智〕家臣の墓、そして、日露戦争日本海海戦時の撃沈された軍用船「常陸丸」の乗員を弔う無縁地蔵等々を回向してまわります。







今回の方丈さまとの接見法話では大事な事柄をご教授いただきました。


・人に伝える学ぶ その方法もいく通りもある。

・一本調子ではなく柔軟な考え方が必要である。

・これは普段の生活においても同じです。

・俺が俺がではなく その有り様を考える事が大事である。







・絵師池野大雅

・片手仕事をしてはいけない

・一事一佛一成就 = 一つ一つの所作が修行である。

・娑婆訶「そわか」とは、もともと仏教のお経で最後に唱えられ「成就する」という意味。







・正宗の刀

・自由無碍 物事に執着しない

・名声成功習得など・・・・

・山登り詰めれば下りるだけ  = 天の上に天がある


・赤目老子

・弟子の旅立ちに対して、道中気をつけてとは、次の師家寺院までの旅だけではなく、その弟子の仏道成就・までの道程・人生



老師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、 むしろ日常生活そのものが修行であると説いておられます。



この参禅、講義の中で、老師は
「禅修行”とは、この四日間の参禅だけが仏道修行ではなく、日々の暮らしの中にある事柄のすべてが禅の修行である。
日常生活の一つ一つの営みの中に、禅の教えを活かし、日々そのことを念頭に生きなさい。
そして、自分と身の回りの人に、安らぎと落ち着きを与え、明るく、正しく、仲良く、 日々の生活を送れることが大事である」


人生そのものが仏道成就のための“心の旅”であると老師はご教授されたと解しました。

心の旅、この世のすべては修行であり、何ひとつ無駄なことはありません。
つまり、どんな人生であってもこの世に“生きている”のは、修行のために“生かされている”ということなんだろうと思います。


日々精進ということですね。


ありがとうございます。







曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。

それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進されたことによって“悟り”を開かれたことに由来するとされています。


そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。







何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿と説かれています。

私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。







道元禅師は、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。

修行というと非日常的な何か特別苦行をすることのようにとらえがちですが、実は、毎日の生活の中の行い一つひとつがすべて前修行であり、何事も坐禅と同じ心で勤め、それを日々実践し続けることが大事で、それが修行であるということを教えていただきました。


また一つ心が洗われました。







幕末 石州口(石見口)の戦い
幕府は、慶応2年(1866)、第二次長州征伐の軍を起こし、四境(石州口・芸州口・大島
口・小倉口)より戦端が開かれました。
そのうち石州口の戦場となったのが浜田藩領益田で、のちの戊辰戦争で一番初めに長州藩と戦い敗れたのが浜田藩松平氏ということになります。


 当時は浜田藩松平〔越智〕家の第四代当主松平武聡は、父を水戸徳川斉昭(なりあき)とし、徳川将軍後見人一橋慶喜の異母兄弟です。

無益な戦いと知りながらも、そう簡単に城を明け渡すわけにも行かず、病気療養を理由に指揮権をほかの藩にと幕府に要請します。

そこで幕府が指名したのが、因州鳥取藩12代藩主池田池田慶德(よしのり)です。

慶徳は、武聡と同じく水戸徳川斉昭の息子で、二人は兄弟です。

ところがこの慶徳も、病気を理由に大将を辞退し、鳥取藩兵も撤退させてしまいます。

その後、応援に来ていた松江藩も、慌てて兵を撤退させます。
さらに翌最後まで残っていた浜田藩の兵たちが、本拠・浜田城に火を放って松江へと逃亡し、事実上、浜田は陥落しました。



後の日本帝国陸軍の創設者である長州藩大村益次郎は、石州口(島根県浜田市)方面の指揮官となります。


益田扇原関門関守浜田藩士 岸静江国治は僅かな部下と急募の農民と共に関門の守りについていました。

慶応二年(1866)6月16日朝 大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約一千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、扇原関門の守 岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、ついに戦闘が開始されたます。

しかし、圧倒的な兵力を誇る長州軍のため、国治はまず部下と農民を退去せしめ、唯一人関門を死守するうち不幸敵弾を受け、圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江は仁王立ちのまま絶命したと言われ三十一歳を一期として壮烈な戦死をとげました。

昭和八年 岸静江国治は靖国神社に合祀せられた。

尚、この岸静江国治の墓も観音寺墓地にあります。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
高杉晋作 下関功山寺挙兵




高杉晋作
下関功山寺挙兵


功山寺は鎌倉期に創建された長府毛利家の菩提寺で、仏殿が国宝にも指定されている曹洞宗の名刹です。







今年の島根帰省の折りには、念願であった山口県は下関にある功山寺に行って高杉晋作馬上像を参詣してまいりました。


下関・馬関海峡で、攘夷を実行して異国に打ち払われ、「八月十八日の政変」で京都から追い出され、「禁門の変」の敗退で朝敵とされ、馬関攘夷戦の報復にやってきたイギリス・フランスなど列強4カ国連合に惨敗、そして、第一次長州征討・・・・幕府の征討軍約3万に取り囲まれるという、追いつめられた長州藩。

第一次長州征伐後、幕府への恭順を主導していた長州藩俗論派政権を奪い返すべく、高杉晋作が功山寺に80名の同士を集めて決起。

クーデターはみごとに成功して、以後長州藩は倒幕への道をひた走った。


回天義挙ともいわれるこの戦いに端を発する長州藩内の一連の紛争を「元治の内乱」という。







『晋作は、馬上の人になった...
馬の前脚が騰がったとき、この男はふりかえりざま、「いまから長州男児の胆っ玉をお目にかけます」...
彼はいつの場合でも狂言作者と役者をかねていたが、このとき舞台は雪の功山寺境内であり、相手役は都の貴人たちであった。時期は、長州の絶望的な政治的季節であり、その時に吐くべき台詞(せりふ)をこの男はみごとに作りだした。
司馬遼太郎著「世に棲む日々」から抜粋







高杉晋作は必死の説得を試みたが諸隊長の反応は鈍く、功山寺に集結したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけであった。

しかし高杉晋作は、長府功山寺に在する三條実美、三條西季知、東久世通禧、壬生基修、四條隆謌、五卿(澤宣嘉は平野國臣らの生野乱にて戦死、錦小路頼徳は病死)に「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます」と宣言し颯爽と挙兵。

18名(20名説もあり)からなる決死隊で三田尻の海軍局に攻め入り「丙辰丸」など軍艦3隻を奪取。

東山寺に転陣して馬関割拠の体制を固め、遂に長州藩正規軍を破り長州回天を成功させた。



夜明け・回天義挙の幕開き 







『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し』 
伊藤博文は後に高杉晋作の墓所がある下関郊外清水山の「東行碑文」に
「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。衆目駭然としてあえて正視するものなし。これわが東行高杉君にあらずや。」と揮毫したが、功山寺の情景を眼前に現す名文である。






「高杉晋作回天義挙像」
台座には晋作を尊敬していた岸信介の書で「高杉晋作回天義挙像」と記されている。
台座碑文「一鞭回天 明治維新 宇内うだいに輝く 嗚呼鬼神東行とうぎょう先生」(東行は晋作の号)







功山寺には、三条実美ら五卿(七卿)の御在所が現在も保存されており、境内には馬上挙兵に乗出す高杉晋作を映した見事な一鞭回天像があるが、傍らに「一将功成って万骨枯る」の碑があります。

尚、功山寺には、坂本龍馬と親交があり「寺田屋事件」のときにも槍をふるって龍馬を助けた長州藩士・三吉慎蔵の墓がある。






鶏声々訴清晨  
夢覚紅楼日已新
塵世笑他人事閙  
閑迎二十五年春
   東行 癸亥正月元旦作







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::島根の夏休み |