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真照寺山内のヤマユリが咲き始めました。2018.7



盛夏の頃、暑中お見舞い申し上げます。


この時期の三春城下は、暑さのあまり人影もまばらでひっそりとしています。

旧三春藩主秋田家祈願所東門院日乗山真照寺山内の山百合が咲き始めています。

気高く咲き誇るその姿は凛と咲く姿がとても美しく、妖艶で高貴な山百合の華香りが境内にただよい始めています。






ひるの暑さが幾分和らいだ蜩の蝉しぐれの中、ヒグラシの声に誘われて、夕暮れの真照寺の山内を歩いていますと、この山百合の妖艶な香りが境内に立ち込めて幻想的な雰囲気が楽しめます。

これからの時期、山内は、素晴らしいヤマユリの花の饗宴です。








この山百合の華香りの云うのは、言葉通り甘く危険な大人の香りと感じるのは私だけでしょうか?

可愛い小娘と思えば、艶っぽい大人の色気もあり、あの何とも言えない香りにはオトコ心にグッとくる来ます。

つかみどころのなさそうな雰囲気、しっかりつかまえておかないと、ふわ~っとどこかに行ってしまいそうな感じ。

そして、ちょっぴり儚げななところも・・・ん?話が違うか







現在、真照寺山内では古四王堂の改修工事が行われています。


こちらもなかなか見れる光景ではありません。






そして、本堂裏に広がる方丈庭園の池には蓮が一凛!






気品を漂わせながら気高く咲いています。







自分の意思をはっきり表現するような気概を感じます。






そして、睡蓮。



水辺を潤してくれています。







避暑という言葉がぴったりな真照寺山内です。

ひと時の涼を求めて花々たちとアバンチュール的感覚?を求めて真照寺参拝は如何でしょうか?






本堂裏の墓地にも一面山百合が咲き始めています。







そして、ヤゴの抜け殻も・・・・






蜩などのセミの声、そして早朝にはカッコーや夏鶯、山鳩など野鳥もお出迎えいたします。








昨日は田村大元神社の宵祭りでした。


真照寺の門前を長獅子が下りて行きます。






明治維新までは真照寺が旧大元帥明王の別当を務めてました。


そのお寺の山門から観る祭礼渡御もなかなか乙なもんです。










合掌


春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:07 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所真照寺::祈願所の四季 |
土用”あんころ餅” 2018 三春昭進堂~ご予約受付




土用”あんころ餅” ~三春昭進堂~


土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)

北国には、厄除け、暑気払いの意味を込め、土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)を食べるという古くからの習わしがあります。









「餅」は力餅(力持ち)、そして「小豆(あずき)」には 邪気を祓う力があると言われていますから、土用餅を食べることで、暑気や厄を払い無病息災で過ごせるといわれています。

消化が良く 力がつくお餅を小豆で包んだ 「あんころ餅」は
美味しく夏を乗り切る為のお菓子というわけです。

当店の土用餅は、柔らかい口当たりのお餅をなめらかな自家製こし餡で包みこみました。



冷房のない時代に暑さを乗り切るため、様々な知恵を絞ってきたことがうかがえます。

私たちも先人の知恵に倣って、体調には十分注意をし元気に夏を乗り切りたいものです。



あんころ餅 税別500円 1パック’(400グラム) 一口餅(一個15グラム)7個入れ








北海小豆のこし餡からのぞくお餅も愛らしいた土用餅。

古人の知恵にならった暑気払いの素朴なお菓子で、この夏を健やかにお過ごしください。



今年も2回丑の日があります。

7月20日(金)が「一の丑」の日となっています。

7月20日(金)の「一の丑」に合わせて7月21日(土)の2日間販売いたします。


店頭販売は、一日50パックの数量限定販売です。







数量限定販売ですので、ご予約いただければ幸いです。







あんころ持ちを食べて、暑い夏を乗り切りましょう!




“土用の丑の日”に鰻(うなぎ)を食べる習慣があります。

この理由は諸説ありますが、江戸中期の蘭学者平賀源内が広めたということが伝わっています。








もともと、うなぎの旬は冬です。

或る時の夏、客足が少なくて困っていたうなぎ屋の店主が平賀源内に相談しました。

源内が店先に「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙をしました。

すると、このうなぎ屋が大繁盛したというもので、夏の土用の丑の日は“鰻”を食べて、暑い盛りに精力をつけ、厳しい夏の暑さを乗り切るということが流行って今日に至るということだそうです。






暑い夏を健やかにお過ごしください。








ご自愛くださいますよう。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::昭進堂のお菓子 |
塵壺324号 「本陣本店」三春城下検断職川又氏「御本陣」





「本陣本店」三春城下検断職川又氏「御本陣」

三春城下中町の「本陣本店」川又氏は、祖を美濃国(現岐阜県南部)、本姓を丹羽(にわ)氏・髙橋氏とする武将でした。

縁あって戦国時代末期の頃、会津二代藩主蒲生忠郷公より“川又”の姓と、当時会津蒲生氏の所領であった三春城下に現在の土地を拝領し三春に居を構えます。

当主は代々“川又孫左衛門(世襲)”を名乗り、蒲生氏改易後も、明治維新・廃藩置県まで三春城下の検断職、そして「御本陣」を勤めていました。
この“検断職”とは、現在の町長、警察署長、裁判所長とを兼務した様な役職で、時代によって異なりますが川又氏、船田氏、春山氏、橋元氏などが月番交代で務めていました。






検断職の記録は、現存する三春の歴史的な資料であり、特に川又氏が残した「記録・川又文書」は大きな役割を果たしています。その記録によれば相馬藩主の参勤往来や、幕府巡検使の城下通過の際などは宿所となっていたようです。

川又氏は、秋田氏三春藩政下の藩より名字帯刀の許可と御手当三人扶持を給されると共に三春の商人として生糸商や醤油商の他に藩指定の塩問屋として財を成し、藩領の経済及び文化の興隆に大きな役割を果たしていました。

江戸期の三春では、度重なる天変地異による自然災害や飢饉、そして御公儀による下命諸役などで藩に膨大な借財が慢性的に発生しており、川又氏をはじめ三春の商人たちは多大なる献金や貸付けをおこない藩の財政を援けていました。
しかし、明治維新後の廃藩置県等の藩の解体に伴って藩への貸し付けは不履行となりますが、さすがは三春商人です。







戊辰ノ役での戦火を免れた三春城下で、生糸や、塩、醤油商などの生業に加え、「第九十三国立銀行」(明治11年 彦十郎氏)で金融、製糸三盛社(明治20年 恒三郎氏)、「三春馬車鉄道株式会社」(明治27年 恒三郎氏)の運送、そして「三春電気株式会社」(大正9年 彦十郎氏)の電力部門等々を創設して三春城下の近代化を進めていきました。

明治、大正、そして昭和という激動の時代を“三春城下の商人”として「本陣本店」川又恒三郎(彦十郎)氏は、渡邊甚十郎氏、佐久間忠次氏、内藤伝四郎氏、熊田文十郎氏、渡辺弥右衛門氏、春山伝蔵氏等と共に当代の三春経済界の立役者として、三春・田村地方だけではなく、福島の経済界でも中心的な役割を担ってますます商いを広げ、地域社会を支え続けます。

文化面では、明治11年に「福島県民会規則略解」や小学校教科書「教則」を出版する「三春書林」を川又定蔵氏が立ち上げています。
後の衆議院議長となる河野広中も、この三春書林で「自由の理」(ジョン・シュチュアルト・ミル著中村敬宇訳)に出会い自由民権運動に目覚めたと記しています。





また、近年では町教育委員などを務められた本陣本店の先代川又恒一(つねかず)氏は、「三春駒とデコ屋敷 」(1983年)を出版するなど三春の文化向上に大変寄与されています。

後輩である早稲田大学の観光学会(当時)による「まちづくりと観光開発(S.59.6発刊)」の三春の観光についての取材の中で…

「三春は小さな城下町です。大きな観光地にはなりえません。三春人は観光開発のために新しくモノを作るのを嫌います。三春を訪れる方々に何か心の故郷、心に訴えかけるものをどのように感じてもらえるかを心掛けています。長い眼と時間、そして子孫が誇れる持続できる町づくりを目指したい。そして一番大事なのは”町の人が町の特性を十分考えてそれを守ろうとする姿勢”です」と話されています(一部要約)。






三春商人の先人、本陣本店川又氏から「経営者自身の自己実現を追求するだけが経営ではなく、地域社会の進歩発展に貢献することが大切である」ということを改めてご教授いただきました。

さすけねぇぞい三春!   蒼龍謹白    拝 








毎月第三の金曜と土曜の2日間だけ本陣本店さんの軒先をお借りしてオープンする「ちょっくら市」。

様々なクリエーター、アーティストの作品が並ぶお洒落なお店。

三春から新しい文化を発信しています。

もちろん、「本陣醤油」を重要な原材料とする「おたりまんじゅう」も販売中です。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:16 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」三春昭進堂 |
古四王堂の柱が撤去されました!



旧三春藩秋田氏祈願所の三内にある古四王堂が改修工事の為に、柱も一時的に完全の撤去されました。






300有余年もの前からこの場所にある「古四王堂」です。

当然ですが、私が幼き頃、物心がついた時からそこに在って、多分50年くらいは前からは記憶にありました建物「古四王堂」が、今はありません。






礎石群もその役割を終えようとしています。





長い間「古四王堂」を支え続けてきた石たちです。







お賽銭が・・






礎石の上に載せてあった構造物が、地震の度に、少しずつ、少しずつズレてきました。








ここに基礎を打って古四王堂の改修工事が本格的に始動します。








毎朝楽しみで仕方がありません。



そして、この時期のお楽しみは~……そうです。

蛍です。



方丈庭園の池が落ち着いてきたんでしょう?


まだ、数匹の飛翔で、そんなに数は多くありませんが、なんと”蛍”が飛び始めました。







方丈の池の環境サイクルが軌道に乗り始まったんでしょう。


昼間には、神様トンボも飛んでいます。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所真照寺::古四王堂平成の大改修  |
鎮守田村大元神社夏季祭礼



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。

本年の祭礼は、

7月14日(土) 宵祭り

7月15日(日) 本祭り







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。








300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。







三匹獅子掛では、年長者が後輩に教えるという新町では当たり前の光景ですが、他では中々見られなくなった光景です。

長獅子舞の練習風景です。





田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、一番組が担当します。

祭典掛は、二番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。




自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。




戦国時代、田村義顕公によって三春城が築城されて約500年

以来、三春城下の神事は今も変わらずに受け継がれてきました。

古の三春城下では、夏は疫病がはやり台風や洪水などに見舞われ、生き抜くことが難しい季節でした。

私たちの先祖は、この危険な夏を無事に生き抜くことが出来ますようにと夏に祭礼を行い神さまにに祈りを捧げてきました。

医学科学が進歩した現代にあってもその信仰は変わらず、祭礼に際し疫病・災難・厄除け・縁結び・長寿・商売繁盛そして豊穣などの祈りを神様に捧げています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社)::三春藩領内総鎮守大元帥明王社(田村大元神社) |
袖ふれ合うも他生の御縁 「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜 Vol. 2」に行ってきました。




「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜Vol.2」に行ってきました。


Toshieさんの新譜「HIKARIFLECTION(ヒカリコレクション)」のリリースも兼ねてのライブです。


会場となった平駅前にあるTHE QUEEN Live House(ザ・クイーン ・ライブハウス)は超満員で200人近く入っていたんだろうと思います。


Toshieさんは、新譜から、そして以前の曲も併せて第1部を担当。

地元いわき市出身ということ、そしてToshieさん自身のお付き合いの仕方と頑張りなんでしょう、応援するファンが多数詰めかけて大いに盛り上がりました。


また、さすがMCは、FMいわきのラジオパーソナリティーや、各種イベントでの歌える奇麗なお姉さんMCということで、会場を盛り上げてくれました。


第2部では、紅白出場シャンソンシンガー“クミコ”さんの登場です。


クミコさんがステージに立つと一気に雰囲気がかわります。

さながらここは大人の社交場といった感じでしょうか?

定番のシャンソンからご自身のアルバムに収められている曲も取り混ぜて披露していただきましたが、一曲一曲の場面が叙情的に表現されています。


さすが、紅白歌手!

会場と絶妙なタイミングで間合いを取りながら、シャンソンの世界へ誘ってくています。


笑いの中にも、ちょっとセンチな大人の恋を歌ってくれます。

鳥肌が立ち、涙が出るほどの感動です……!







シャンソンを堪能していますと「あれ、龍ちゃん?」と声をかけてくるぽっちゃりのマダム(おばちゃんて言ったら叱られた!)がいました。

なんと、40年ぶりに会う友人でした。

高校時代以来ですのでもうかれこれ40年近くになります。


郡山から平市内に嫁いで30年になるそうです。


孫もできたそうで「可愛いおばあちゃんでしょ?」と嫌味なロレックスをちらつかせています。


まt、少し形は変わりましたが、幸せな素敵なマダムになっていました。


テレビや雑誌、新聞などで三春昭進堂のことは知っていたみたいです。


しかし、まさかまさかな平のライブハウスでの偶然の再会です。

Toshieさんの出演のエフエムいわきでこのライブを知り、ご主人、そして友人の方々と来場した。聞きに来たとのことです。

ご主人が、クミコさんの大ファンだそうで、ご主人とご主人が代表を務める会社のスタッフの皆様と共に、シャンソンを堪能されていました。


公演終了後、そのまま友人たちの食事会にご相伴させていただきまて、今だから話せるシリーズや、今でもNGワード多発!で“ピー”音が連発する中での昔話!



私のくだらない与太話にお付き合いいただき失礼いたしました。

また、日焼け止めクリームの講習会ありがとうございました。

ま、大爆笑の中、大盛り上がりな打ち上げとなったということでご容赦くださいませ~♪


実は、Toshieさんの打ち上げにお誘いを受けていまして、勘違いがあり友人のお誘いのママ盛り上がっていました。

終盤になり「Toshieさんやクミコさんなどが来ないねぇ~?」などと話をしましたら全くの別件の内輪での飲み会だったみたいで、ライブ打ち上げには行けず仕舞いでした。



……訳アリかって?

当時はアラベスクのセンターボーカル(怒られる~)に似ているといわれていましたが、残念ながら昔の彼女というわけでもなく踊り仲間的な友人です。

もちろん絶対誰にも言えない二人だけの秘密はありますが・・








“私が十九で,町でも噂のちょっとした不良で…♬ 美人だったからチヤホヤされて…♪”ライブの中でクミコさんが歌ってくれた、昔のフランスの女性シンガー“バルバラ”の歌「我が麗しき恋物語」の冒頭です。

内容的には、若いころ不良ぶってその女の子が真面目な男性からプロポーズされ,結婚した・・・・


翌朝、クミコさんのシャンソンが頭からはなれず、ちょっとセンチに浸りたくなったんでしょうか?

ここは平です。

折角ですので、濃い朝靄が立ち込める中海を見て帰還と相成りました。




それにしても、不思議なご縁です。


先のお伊勢参りの際にも猿田彦神社に張った三春昭進堂のシールを、翌日には西田町の客さんが来店され、そのシールを娘さんが見たと報告いただいたり・・・世間は狭いってことなんでしょうか?









この40年ぶりの再会も、「クミコとToshieのいわき…」に来なければ、ありえなかったことで、今年の春先の「親父の逆襲」に行かなければToshi(小沼寿恵)にも出会ってなかったわけです。

そして、永ちゃんのファンじゃ無ければ「親父の・・」にも行ってなかったんだろうと思います。

そして、ガキの頃に遊び惚けていなかったら永ちゃんやその旧友と出会っていなかった…..

ってなもんで、全ての事柄にそれぞれの意味があって、人とつながりがあっているんだと改めて感じた次第です。
 
ま、“世の中は狭い!”そして“悪いことはできません”ということなんだと思います。







「袖ふれ合うも他生の御縁」と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人的な意思を超えた、縁という深い力が働いているんだとおもいます。


以前、禅の師匠から
「日ごろ、なにげなく暮らしている中での人とのつながりも、実は世界の何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果です。だから感謝と喜びの心をもち、そのつながりを大事にしなくてはならない」とご教授されたことを思い出しました。


夫婦、親子など家族の間にはもちろん、友人・知人・お客様皆様等々の実社会に於いてもこの“ご縁”が働いていて、その“ご縁”によってお互いが結びつけられているんでしょう。



クミコさんのMCにありました。
日々の生活の中で、憎しみや怒りをの感情を持つくらいなら、「好きだノ、嫌いだノ」「恋しちゃったの!フラれちゃった~」などといった、香り高く、ほろ苦いシャンソン的な大人の、しかも妖艶な恋の世界を聞いていたいものですね。



あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ~♫

やさしいほほえみも その方におあげなさい

けれども 私がここにいることだけ~どうぞ忘れないで♪

ダンスはお酒みたいに 心を酔わせるわ~

だけどお願いね ハートだけはとられないで~

そして私のため残しておいてね……♪


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:58 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
妓楼の解体 三春城下弓町 新庚申坂”新地”





三春昭進堂の向かい側の道を入ったところが弓町です、この一番奥が「新地」とも「新庚申坂」とも呼ばれた、遊里遊郭跡があります。


“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”


この三春甚句にも歌わるほど、旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。

大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5軒の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。

悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話を残しています。







その遊郭の一軒の取り壊しが始まりました。

老朽化のために傷みがひどく、取り壊しとなったんでしょう。

以前、知人が借家として借りていたこともあり、一度だけ座敷で宴会をしたことがあります。

この時には、妓楼の建物内部を探検させていただきました。






2階へ通る階段が2か所あり、一方通行になっていました。
これは客同士が会わない仕掛けなんだと聞いたことがあります。

トイレに行くにも入り組んでいて複雑な構造の大きな建物です。

二階には小さな部屋がいくつもあり、いろいろと想像を膨らませていました。

郡山駅前アーケードの一角にあった旧妓楼跡が自宅という郡山商業の同級生がいまして、遊びに行った時の建物の構造と同じだったことを覚えています。




取り壊し前の風景



今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

三春の歴史が、また一つ消えていきます。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |