CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<  2018 - 07  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




古四王堂の改修2018.7.6 屋根部分が撤去されました。



古四王堂の改修 屋根部分が撤去されました。







使える部材を最大限に活用できるように慎重な解体作業です。







木組みもご覧のように保存しています。







中と外でははっきりと白黒に分かれています。







本堂縁側に並べられていきます。






菊の御門も







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所真照寺::古四王堂平成の大改修  |
「三春城下中町 第3回 ふれあい 軽トラ市」   2018




「三春城下中町 第3回 ふれあい 軽トラ市」   2018

平成30年7月15日(日) 開催

場所 三春町中町公民館駐車場前(福聚寺門前)

時間 AM10:00~PM3:00 

雨天決行!






三春中町軽トラ市専用の商品券も凝った意匠が施されています。

旬な野菜や山菜、果物、海産物、飲食などがズラリと立ち並ぶ、軽トラ市を開催!

三春のフォークグループ「ロッキーチャック」、そしてたmのご当地アイドル「せせらぎ小町」のミニコンサートやガラポン抽選会など楽しいイベント盛り沢山!

お買い物が楽しくなる三春城下中町ふれあい「軽トラ市」へぜひお越し下さい。





ご期待ください!








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::春陽郷三春のイベント |
田村大元神社災害修復事業 御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内




田村大元神社(旧三春藩秋田氏五万石領内総鎮守大元帥明王)災害修復事業

御寄付の御礼と末社八幡神社、及び熊野神社の本殿遷座祭のご案内が届きました。


境内に鎮座する熊野宮(現熊野神社)、そして八幡宮(現八幡神社)の屋根吹き替え及び改修工事が終了しました。







この両社(柱)さんは江戸初期の秋田氏三春入部の頃に三春場内よりこの場所に移築再建されたものです。





熊野神社は、屋根の三角の方に入口を作る「妻入り」で、向拝が屋根の三角の方から出ている切妻造・妻の出雲系の大社造。







拝殿の向かって左手にある境内社、熊野神社







中世より三春を含む仙道・田村地方一帯は熊野新宮の荘園「田村荘」とされていました。






熊野新宮の田村荘司の滅亡後に、平姓三春田村氏が田村荘代官的な役割を得ていたとも考えられます。

この熊野神社(熊野宮)もその辺にルーツがあるのやもしてません。







熊野神社(境内社・町文化財)は、寛文10(1670)年消失後再建されたものです。






拝殿の向かって右手にある境内社、八幡神社。

八幡神社(境内社・町文化財)は寛文10(1670)年消失後再建されたもので、平入り一間社流造。







「田村郡郷土史」には、永正元年三春田村氏の初代田村義顕が居城を守山(現郡山市)より三春に移した際に、田村家祖先以来尊信してきた八幡大菩薩と大元帥明王を三春に移し、ともに三春城の大志田山の一郭(現田村大元神社境内)に勧請(分霊)したと記されてあります。



後に江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。






八幡様は、本源を九州の宇佐八幡といわれます。

この宇佐八幡という人(?)は、奈良時代に奈良東大寺造営など大和朝廷の国家建設に埒腕を発揮して、朝廷より大菩薩号を贈られ王城鎮護の神として崇められました。



後に征夷大将軍となる源義家が、宇佐八幡大菩薩の生まれ変わり八幡太郎と称したこともあり、甲州武田信玄をはじめ代々清和源氏系の氏神として崇められ、戦国時代の武家政権の発達とともに、武人的性格の中で武家に篤く信仰されるようになりました。

しかし、三春藩主安倍姓安東秋田氏は、その祖先安倍安東一族が「前九年の役」「後三年の役」で大和朝廷と源八幡太郎義家に敗れたと言う歴史があるためか、秋田氏からは冷遇されて、三春城下の境を示す黒門(現在も黒門遺構として桜川沿いに古い石垣が僅かに残っています)の外に移転されたと言われます。


上記の経緯から、江戸時代の正保二年、安倍姓安東秋田家・初代俊季が、常陸宍戸より三春入府の際に、前の三春城主松下氏による近代城下町整備の継続として、八幡大菩薩宮を現在の場所(雁木田)である城下黒門外(現日蓮宗法華寺付近)に移しその門前を八幡町としました。









水無月の候、皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、東日本大震災田村大元神社災害修復事業につきましては、ご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございました。

平成25年9月より募金活動を開始以来、皆様の心のこもった浄財をご寄付いただき、募金目標額を達成することができました。

皆様の真心に、重ねて感謝申し上げます。







お陰さまをもちまして、平成二十六年四月より進めて参りました社務所修復、本殿瑞垣新設、幣殿床鳴直し、末社八幡·熊野神社屋根修復工事が竣工いたしました。

つきましては、八幡·熊野神社の本殿遷座祭を左記により斎行いたしますので、ご参列の栄を賜りたくご案内申し上げます。

なお、各施設の修復状況をご覧いただければ、幸甚に存じます。

平成三十年六月吉日







日時 平成三十年七月二十一日(土)午前九時より十一時
場所 田村大元神社境内
式典 遷座祭午前九時より

田村大元神社社務所






社伝によると延暦年間(782~805年)に坂上田村麻呂が征夷大将軍として東夷征伐の途中、磐城國岩瀬郡小山田村今明王壇に国常立命を奉斎し、武運長久を祈願したというのがはじまりとされています。

永正元年(1504年)に田村義顕の三春移城に伴って、大元帥明王を三春城三ノ丸下に遷し、領内総鎮守とします。






時代は下がって、秋田氏時代からは城下新町の秋田氏祈願所真照寺が別当職を務めます。

明治進の廃仏毀釈・神仏離反までは神仏混習合であったため『明王さま』と呼ばれていたが、明治時代に入ると神仏分離令により、明治三年に『大志太山神社』、明治十二年に『田村大元神社』と改称。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守大元帥明王(田村大元神社) |
三春城下 法蔵寺 蓮まつり2018




【お知らせ】

三春城下 法蔵寺 蓮まつり

蓮まつり 7月中旬から

気温もどんどん高くなり、境内の蓮も徐々に大きくなってきました。
今年も蓮まつりを開催いたします。たくさんの行事を準備してお待ちしております。
皆様お誘いあわせの上、ぜひお参りくださいませ。

投句会・・・投句箱を用意しています。(期間中)
写経会・・・蓮の露にて墨をすり、心静かに写経を(期間中)






【観 蓮 会】

平成30年7月22日(日)早朝6時から

○早朝大茶会・・・蓮の花を愛でながら朝茶を一服。
○花架拳の舞・・・優雅な天女の舞をご鑑賞ください。
○象 鼻 杯・・・風流な蓮酒をお楽しみください。
○蓮茶、蓮おにぎり、蓮饅頭などご用意しています。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::春陽郷三春のイベント |
「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂伊勢講中 ”弥次喜多珍道中!”




「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂 御伊勢講御一行 弥次喜多珍道中


江戸時代の中期以降の庶民は、伊勢参りを一生に一度の楽しみとしていました。

火付け役となったのは、十返舎一九の書いた「東海道中膝栗毛」だといわれています。

これは、落語に出てくる”江戸っ子”を絵にかいたような弥次さんと喜多さんが、厄落としのために江戸から伊勢神宮に向かう様子を、面白おかしく書いた書物です。

ま、この時代”伊勢参り”というのは、あくまでも表向きは伊勢神宮への参拝ですが、物見遊山的な観光の旅行だったようです。









私たち三春昭進堂”お伊勢講中”も弥次喜多珍道中にならい、お伊勢さま参拝の旅に出かけてみました。








ちょうど、出発前夜にシンガーyammy*の でデビュー10周年記念のTシャツ「Team Yammy* (ヤミー) T-shirts 10th Anniversary Edition」が届きましたのでそれを着込んでいざお伊勢様へ!






三春昭進堂伊勢講中


6月30日(土) 午前6時ごろ出発

東北道-圏央道-新東名-伊勢道を経て一気にお伊勢さまのある伊勢へ!





私は数年前に第62回神宮遷宮の寄進をした時に拝領した「3級賛助会員・特別参内章」がありました。


伊勢神宮会館にて、「垣内参拝」をするための伊勢神宮崇敬会登録。








赤福でちょっといっぷく~







おはらい町、おかげ横丁で一息ついてっと!








・二見浦の名勝夫婦岩で“サンセット”






伊勢ビールで~






夫婦岩









伊勢神宮外宮さん前の銭湯「常盤湯」で汗を流して、 伊勢山田駅近くで “直会”









 宿泊
・伊勢参拝の宿「紅葉軒」0596-28-2456 外宮近くへ



7月1日(日)






早朝5時、一人外宮参へ参拝です。


静かな外宮を堪能しながらの参詣と洒落込ンでみようと思いましたが、さすがに伊勢神宮外宮様です。

おひさまが顔を出した早朝です。

夜更けから朝方にかけて降った雨のおかげで靄(もや)に覆われた神域。

木漏れ日は幾重にも差し込み、キラキラと輝く光の帯が無数に差し込み前途を導いてくれています。

それはまるでもののけ姫に登場する神様の森の中を歩いているよう~

まさに、神様に導かれて参拝しているような感じです。







早朝から大勢の方々が参拝に訪れていました。


そして、その日は”大祓 おおはらい”の翌日で、神宮司庁等ですべての神宮の職員を祓い清めた直後の神域です。

その清められた神域だからなのでしょうか?


光の帯に招かれるようにお社を廻っていますと、一人独参する場面に出会います。


もちろん、清らかな参道を歩いていますと足元からビリビリと大地のパワーを感じられます!







外宮さんでは、6月の大祓は「夏越の祓」とも言われ、古くから12月の大祓と共に全国の神社でも行われています。

大宮司以下の神職・楽師を祓い清める儀式です。






朝食後、改めまして三春昭進堂お伊勢講中と一緒に、伊勢神宮外宮参内 

もちろん、スーツ・ネクタイ着用







食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。

衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。









御正殿以外にも風宮、土宮、多賀宮の3つの別宮にもお参りしましょう。

祭神の豊受大御神は約1,500年前、天照大御神の食事を司るために招かれた食と産業の神様です。

地元では「外宮さん」と呼ばれて親しまれています。






外宮では1,500年間、続けられてきた神事で、毎日朝と夕方、天照大御神をはじめとする神々に神饌(しんせん)(お食事)を奉る「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」です。






垣内参拝とは別に、商売繁盛祈願のために御祈祷を受けて参りました。



内宮さんも外宮さんも同じお伊勢の神宮さんなのでどちらで御祈祷を受けてもいいそうです。


私たちは、外宮さんにてお祓いを受けました。


祝詞の中で代表の方々お一人お一人のお名前が呼ばれ畏敬の念に駆られます。

やはり日本人でよかったなぁと思う瞬間です。



神楽奉納を堪能しての退席です。








内宮参詣

垣内参拝のためにスーツ・ネクタイです。







俗界と聖界との懸け橋といわれる宇治橋を渡り、五十鈴川で手を洗い清めます。



そして、御正殿、風日祈宮さま、荒祭宮さまへ!







内宮
日本人の総氏神である天照大御神がお祀りされています。


・倭姫宮
内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座し、倭姫命をお祀りしています。
「倭姫文化の森」、神宮徴古館・農業館、美術館、神宮文庫等。

・伊勢神宮 内宮別宮
ご祭神は月読尊。天照大御神の弟神で外宮別宮 月夜見宮のご祭神と同じです。







直会を兼ねておはらい町にて夕食


清々しい気持ちで一献!








伊勢神宮内宮参道 門前町“おはらい町”

宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねます。
この通りには、伊勢名物赤福餅で有名な赤福さんの本店、榊原物産店さんはじめ、たくさんの土産物店や飲食店などの商家が建ち並び、参拝後の町歩きがたのしめます。






江戸時代には、伊勢参宮を「お蔭参り」と呼んでいました。

語源を辿りますと、江戸時代伊勢神宮に参拝する間、ことに20年に一度の遷宮のとき、人は身分制度に縛られないという考えがあり、奉公人が主人に無断で伊勢参りをしても咎められることはなかったとされています。

しかし、雇い主に無断で出るわけですから、満足な旅費などあるはずもありません。

それでも、伊勢へ通じる街道筋の裕福な人たちがお金や食物を提供してくれる「お蔭」で、困ることはなかったとされています。
“おかげでお伊勢さんに参詣することが出来た” そこから「お蔭詣り」という語源が出来たとされています。








榊原物産店は伊勢神宮内宮への宇治橋に近い場所にあります。

昔からのお土産屋さんです。

ご存知の方も多いと思います。

店内には伊勢のお土産類を取り揃えてあります。

しかも、伊勢と名の入ったお土産が安いんです。

以前、女将さんにその話を伺ったことがあります。

「伊勢参りには、来るだけでお金がかかります。これは今も昔も変わりません。私たちお伊勢さんの門前で参拝の方々に商いをさせてもらっています。ここで利益を多く載せて商売をしていては罰が当たります。お伊勢さんに支えられている商人は昔からみなそうして商売を続けてまいりました。」

今回もお土産を買ってきましたが、ちょうどおかみさんがいましたので、名刺を出しながら挨拶をしてこの話をさせてもらいましたが、三春の饅頭屋さんと覚えてくれていました。


この榊原物産の女将が話してくれた言葉の中に「お蔭様参り」を見たような気がします。



おかげさまでお伊勢さんに参ることができました。






いざ直会へ




伊勢神宮門前の「お蔭横丁」が賑わいを見せていますが、ここは赤福の社長が行政の力を借りずに、私財をと投じて拵えた観光商業施設です。




内宮さんの参道門前町である”おはらい町”は午後五時を過ぎる観光の客さんはすっかり引いて、参道門前町らしい静寂が訪れていました。







誰も居ないおはらい町など初めての経験です。







そして、弥次喜多さんを従えて一献!







五十鈴川の散策路で夕涼み・・・・








しかし、ここは伊勢神宮の内宮門前です。


ウキウキ・ワクワクが止まりません!






時計を見ると7時5分前、急に思い立ってダメもとで内宮さんへ。

橋を見るとまだゲート開いています。


守衛さんにおそるおそる伺うと、”どうぞどうぞ~”と笑顔で導いていただきました。


本日の最終参拝人となりました。







”一生に一度は御伊勢詣り”と云われる、伊勢神宮です。
心の芯から浄化されるような気がいたします。







お蔭様詣りと云われますが、こうして参拝できるのも、家族、お客様、そしてご縁のある皆々様のお蔭と、心より御礼を申し上げたくなるような神様です。



しかし、この光景は如何でしょうか?


中々望んでも出会える場面ではありませんよね。








かつて、司馬遼太郎氏は”お伊勢参り”を

「暑さも、蝉の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益がるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」

と称されていましたが、まさにその思いをこの静寂が訪れ誰も居ない内宮さんで共有することができます。







この神域の滞在中、神威とも云うべき「風」が音を立てて体内を通り抜けていく感覚があります。

そして、凛と張りつめた気が浸透していくかのような感じが肌に伝わってきます。


一歩一歩歩みを進めるたびに地面からビリビリといった具合に足元からパワーが伝わってまいります。







本宮御正殿参拝の折にはなおさらです。


自然と涙が止めどもなくあふれてまいりました。



これがお伊勢さんの神威なんでしょう。


ありがとうございます。






三春から伊勢まで約700キロ、遠い道のりではありますが、来て良かった!






宿へ
神宮会館 TEL.0596-22-0001






7月2日(月)



午前5時、早朝内宮さんに御礼の為に三度参詣。

宿である神宮会館での早朝内宮参拝ツアーとは別に独参です。





小雨のなか、風情を感じる瞬間です。


そして、今朝もこの瞬間だけ誰も居ない独参することができました。


偶然、お会いした神職の方のお話を伺うと、長男さんのお嫁さんが福島の方ということでご縁を感じます。


商売繁盛祈願”お清めの砂”のことを伺うと、それは伊勢神宮ではなく近くにある猿田彦神社にあります。と教えていただきました。







”みちひらき”の大神 清めの塩









・朝食後、三春へ帰還





途中、近くにある秋田実季公墓所 伊勢朝熊永松寺へ墓参。



秋田城之介・安倍姓安東・秋田実季公墓所
永松寺、伊勢神宮より少し外れた伊勢朝熊山の麓にある臨済宗南禅寺派の禅寺。

山門脇の階段を上った小高い丘に実季公の墓所はあります。

戒名、高乾院殿隆巌梁空大居士 秋田城之介 






江戸時代初期の寛永7年、徳川幕府の命令で宍戸城主安東秋田実季(あきたさねすえ)はわずかな近習を引きれ、伊勢の朝熊へ蟄居を命じられます。


長男で、初代三春藩主秋田俊季との不和に加え、従来からの檜山系と湊系による家臣間の対立が背後にあったのではないかとも考えられています。








実季には、正室円光院と側室との間に、6人の男子と3人の女子をもうけていますが、朝熊幽閉には、側室が片山氏とその娘千世姫が同行しています。

片山というのは姓であり、出身や俗名は明らかにはなっていませんが、後年落飾した後は法名を「穹静院」と号しています。
お千世方は、実季公の第二子であると思われます。






千世姫は、実季が齢50歳を過ぎた頃に出来た娘であり、片山氏は実季に最も尽くし、そして、最も愛された側室であった事だろうと想像がつきます。

 しかし、そんな平穏な暮らしの中、寛永14年(1637)3月、愛娘の千世姫が、小児喘息やリウマチを患っていたとされ懸命な看護も虚しく、わずか11歳で病没します。
片山は、不遇の中、異郷の地で娘を亡くしたことを憐れんで、落飾し“穹静院”と号して、夫である実季と共に、亡き愛娘の菩提を弔いながら余生を送ります。

そして、片山氏本人も、承応元年(1652)12月、夫である実季に見守られながらその生涯に幕を降ろします。






秋田教方萬金丹
伊勢神宮参拝のお土産として名高い「秋田教方萬金丹」







萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。
この処方の起こりは奥州三春城主の祖、生駒安倍・安東ノ姓秋田城之介・秋田実季によると伝えられている。


伊勢朝熊永松寺 0596-22-0509









そして、岐阜県各務原にある「かがみはら航空博物館」にて川崎重工製旧帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を見学!





この三式戦闘機「飛燕」二型試作機(機体番号6117号機)は完動状態で終戦時にアメリカ軍に接収されて、その後しばらく横田基地で敷地内展示されていたため当時の比較的保管状態は良好でした。
後に九州の「知覧特攻平和会館」に展示てあったものを川崎重工業のご協力を得て修復し、ここ各務原へ来たというものです。






川崎重工社製 旧日本帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を使用した日本最強の陸軍航空隊といえば、震天制空隊第244戦隊が挙げられます。
当時、日本の航空機で高空性能に優れていたのはもともと馬力のある四式戦と、機体が空力学的に洗練されていた三式戦でした。






首都防空を奉じた震天制空隊第244戦隊など航空隊では、編成は各飛行戦隊内の4機1組で1隊とし、使用する機体の大半は使い古しの三式戦闘機で、軽量化のため武装・装甲・無線装置を撤去し高高度の上空で、機体性能を少しでも向上させた「無抵抗機」と呼ばれる機体が用いて体当たり攻撃を仕掛けていました。





また、これらの機体には首都防空制空隊を表す各種のマーキングや特別塗装が施されていた場合が多く、通常の機体と比較してジュラルミンの胴体に剥がれかけた迷彩塗装と相まってかなり派手なものが多かった。





ただ、体当たりと言っても自殺的な意味合いではなく、B-29の機体の上部に胴体着陸のような形で突撃し機体をぶつけて撃墜を狙ったものでした。
この時パイロットは脱出してパラシュートで降下するというもので、実際にこの体当たり攻撃を敢行して生還した例もあります(同戦隊所属の板垣政雄軍曹など)。







飛行第244戦隊はこの体当たり攻撃を含めて84機のB-29を撃墜したようです。





3式戦闘機は、日本陸軍の名機と謳われた。全長8.94メートル、最大時速約590㎞、20.0ミリ機関砲2門、12.7ミリ機関銃2挺を装備していました。

当時日本唯一の液冷式エンジンの新鋭機。








しかし日本戦闘機初の液冷エンジンが不調だった為、稼働率が低く高性能乍らも悲運の戦闘機としても知らる。







岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
〒504-0924 各務原市下切町5丁目1番地 電話番号:058-386-8500






・伊勢参りの帰りは信州長野の善光寺Tel:026-234-3591へ


伊勢神宮に参拝しただけでとんぼ返りをしてしまったのでは、もったいないと考える人も少なくなかったようです。
そのため、伊勢神宮に向かうときには東海道を歩いていきますが、帰りは中山道を通って、信州にある善光寺に寄ってから江戸に戻るのが一般的だったようです。






江戸時代には「牛にひかれて善光寺参り」などと言われましたが、実は伊勢参りと善光寺参りを同時に行われることが多かったようです。







江戸時代には観光目的の旅行は許可されなくても、こうした寺社参拝が目的という大義名分があれば、複数の神社やお寺を回って旅をすることができたわけです。







そして、折角ですので近くにある上杉謙信率いる越後上杉勢と、武田信玄が率いる甲州甲斐の武田勢が、生涯戦い抜いた川中島の合戦の最大の見せ場「謙信公、信玄公一騎打ちの場・八幡が原古戦場跡です。







妻女山に陣する上杉勢が武田勢の別動隊を察知して信玄本陣に突撃!








伊勢神宮参拝と飛燕、そして信州善光寺参詣という旅行もアッというあの2泊3日でした。


この二泊三日は、本当に楽しく充実した時間でした。



長渕剛主演の映画「オルゴール」の台詞の中に
「俺が(我)、俺が(我)の“我”を捨てて、お陰、おかげの“げ”で生きろ」と自問する場面がありました。

 “御蔭様(おかげさま)”とは、「相手を敬う心、相手に穏やかに接する心、そして、人から受けた助けや親切に対して感謝の気持ちを込めていう言葉」のと解しています。

人が生きていくということは、他人とのかかわりあいがなければ生きていくことはできません。

自分自身には気づかないところで(陰で)、多くの方々に支えられていることが「お陰様」という漢字から読み取れます。

今、こうして生きていることは、大自然の恩恵であったり、何不自由なく暮らしているのは、皆さまの支えがあるからであったり、健康に仕事ができるのは、毎日ご飯を作ってくれる女房のおかげであったりします。








何事も誰に対しても「お蔭様」という「感謝の心」で生きることが大切なんだということをお伊勢参りで改めて学びました。


そして、心身及び財布ともに健やかに“お伊勢さま”に参拝することができたのも、女房殿はじめの家族、従業員、そしてお客様等々の関係各位のおかげ様です。

心より厚く御礼申し上げます。







さてさて、これで三春へ帰還です(^_-)。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 09:13 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |
高南梅の一粒梅ゼリー



高南梅の一粒梅ゼリー  一個 200円税別


清流に稚鮎が跳ねる頃、若葉の緑も次第に色濃さを増し、雨に濡れたアジサイの彩りがひときわ鮮やかになり、間も無く梅雨の季節が訪れます。






蒸し暑い日が多くなると見た目にも風味も涼しげな水菓子がとても美味しく感じられます。






夏のご挨拶に高南梅一粒梅ゼリーの進物もご用意いたしました。


6個入れ 1200円

9個入れ 1800円

税別にてのご提供となります。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::昭進堂のお菓子 |
真照寺の紫陽花が見ごろです。 2018




梅雨らしい雨模様が降る三春城下

その雨空に映えるように三春藩秋田家祈願所「東門院日乗山真照寺」の紫陽花が見ごろを迎えています。






真照寺は、その季節によって様々な花が顔を覗かせ、参詣者する者の心を和ませてくれています。







そしてお寺は、何故か雨や雪と云った世間一般で云う「あいにくの空模様」が似合うと思いませんか?






春にはあれだけ賑わいを見せた境内も、今がひっそりとして参詣に訪れる方々の癒しを演出してくれています。







方丈庭園の回遊式庭池を彩るアヤメも綺麗に咲いています。







山内ではいたるところで山野草花が楽しめます。







梅雨明けと共に山百合の花が咲き始めます。




老紅枝垂れ櫻「蒼龍」も夏の装いです。

がんばってますよね~!



春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:14 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所真照寺::祈願所の四季 |