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愛宕神社 二ノ鳥居




愛宕神社の100段ある石の参道階段

その険しさは三春城下でも有名で、愛宕神社か!八雲神社か!といった具合で運動する学生には持って来いの修練場となっているようです。

その中段に石で造られた二ノ鳥居が奉納されています。





年号は戊寅としるされています。

風化の具合からして1818年の文化15年(文政 元年)かな?と想像しています。

寄進者・世話人の欄を見て驚きましたが、城下中町の「白根屋」の文字が読み取れます。






三春怪奇伝説の中にある「白根屋事件」の白根屋です。

この話は、江戸中期の元禄から天保にかけて繁盛していた、三春城下の旅籠白根屋の物語です。
白根屋旅館は三春城下中町にあって、大体出入りの激しい旅商人相手に、大変繁盛していました。





天保12年の頃、この物語の登場する白根屋の女将は淫奔多情で、用心棒に雇っていた若い浪人者と恋仲となり身を持ち崩すようになりました。

二人は、共謀してある夜宿泊していた絹商人の枕を探して莫大な金子を盗み取ります。

翌朝、その絹商人の客が騒ぎ出すと、永年召し使っていた実直者の女中に罪を擦り付け犯人に仕立て上げてしまいます。

挙句果てには、その女中をがんじがらめに縛り上げて松の根っこに据え付け、浪人者とともに責め苦を与え続けます。

三日目には失神した女中を藁菰で巻いて土蔵の床下に埋め、その客に「この通り懲らしめてやりましたと・・・」ひたすら詫びて、その場を何とか繕いました。







数日後、「白根屋の土蔵から怪しい唸り声が聞こえる!」という噂が城下に広まります。

噂は波紋のように広がり、町検断、与力同心の書留帳にも載り、奉行所の厳しい追及が始まり、白根屋の家宅捜査が進められました。

そして、遂に土蔵の床下から変わり果てた姿でしたが仮死状態の女中が掘り出され救出されました。

女中は、懸命の手当の結果、一命はとりとめることが出来ました。





この女中の証言により、犯人は女将とその若い浪人者であると真犯人が判明し、罪が明らかとなって女将は牢獄につながれます。

秋風肌寒い日、薄い肌着一枚の女将は、御城大手前の責め所お白洲の砂の上に引き出され、黒山の見物人の罵声と役人の責苦の中に狂い死んだということでした。
一方、若い浪人者はいち早く逃げて行方はついにわからなかった。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |
三春昭進堂の土用餅は、7月18日(土)、19日(日)の二日間の販売となります。




土用”あんころ餅” ~三春昭進堂~


土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)

2020年は夏に土用の丑の日が2回あります。


7月21日(火)を「一の丑」、8月2日を「二の丑」と呼びます。


北国には、厄除け、暑気払いの意味を込め、土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)を食べるという古くからの習わしがあります。



三春昭進堂の土用餅は、7月18日(土)、19日(日)の二日間の販売となります。









「餅」は力餅(力持ち)、そして「小豆(あずき)」には 邪気を祓う力があると言われていますから、土用餅を食べることで、暑気や厄を払い無病息災で過ごせるといわれています。

消化が良く 力がつくお餅を小豆で包んだ 「あんころ餅」は美味しく夏を乗り切る為のお菓子というわけです。

当店の土用餅は、柔らかい口当たりのお餅をなめらかな自家製こし餡で包みこみました。



冷房のない時代に暑さを乗り切るため、様々な知恵を絞ってきたことがうかがえます。

私たちも先人の知恵に倣って、体調には十分注意をし元気に夏を乗り切りたいものです。



あんころ餅 500円税別 1パック’(380グラム) 一口餅(一個30グラム)5個入れ








北海小豆のこし餡からのぞくお餅も愛らしいた土用餅。

古人の知恵にならった暑気払いの素朴なお菓子で、この夏を健やかにお過ごしください。





店頭販売は、一日50パックの数量限定販売です。







数量限定販売ですので、ご予約いただければ幸いです。







あんころ持ちを食べて、暑い夏を乗り切りましょう!




“土用の丑の日”に鰻(うなぎ)を食べる習慣があります。

この理由は諸説ありますが、江戸中期の蘭学者平賀源内が広めたということが伝わっています。








もともと、うなぎの旬は冬です。

或る時の夏、客足が少なくて困っていたうなぎ屋の店主が平賀源内に相談しました。

源内が店先に「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙をしました。

すると、このうなぎ屋が大繁盛したというもので、夏の土用の丑の日は“鰻”を食べて、暑い盛りに精力をつけ、厳しい夏の暑さを乗り切るということが流行って今日に至るということだそうです。






暑い夏を健やかにお過ごしください。








ご自愛くださいますよう。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:00 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
店内に風鈴を設置しました。



梅雨時期、そして夏に向かう時節にあたり、店内に風鈴を設置しました。


十数個提げてみました。







見た目も、音も涼しげです。


特に今年は、コロナ禍対策でドアの開放があります。


その際に、風鈴で少しでも涼を感じていただければと思っています。






もちろんエアコンは冷房で稼働しています。


風鈴は、中国から伝わった「風鐸(ふうたく)」がもとになったとも云われ、仏教とともに日本へ伝わります。

当時は、強い風は禍とみなされ、流行り病や邪気などの災いを運んでくると考えられていました。

また、風鈴は、その音が禍・災いから護ってくれる魔除けとして宮廷や寺社仏閣の軒の四隅に吊るされるようになったと云います。






真照寺様からいただく団扇と共に2020夏の店内を飾っています。



風が吹くたびに、チリン~ チリン~と鳴る音色。

耳にするだけで本当に涼しくなった気がするのが不思議です。







尚、店内にあった飲食スペースはコロナ対策の一環として、設けていません。


水はご用意してありますので、飲用は可能です。


外のベンチか自家用車社内にて対応願います。






梅雨の滝桜 女郎蜘蛛










春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
アボカド・チーズおかき




アボカドチーズ・おかき 一袋 370円税別


販売開始以来1年を経過しています。


大阪から仕入れて、小分けして販売しています。


もちろん全国的に売られている商品ですが、巷ではインターネットのSNS等で何やら「美味しい!」「一度食べたら病みつきになる!」と評判になっているらしいんです。






当店にも問い合わせや数件ありました。

もちろんこの一年でリピーター続出の販売の柱の一つになっています。







品切れはございませんが、お早めに一度お試しください!

これが本当においしいんです~


ご来店をお待ちしています。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:22 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子  |
「逃げ水 (にげみず)」 三春昭進堂の水まんじゅう 看板設置




「逃げ水 (にげみず)」 三春昭進堂の水まんじゅう 看板設置






店頭の看板です。

「逃げ水」というネーミングは、ご存知の方も多いかと思いますが、子母澤寛の小説「逃げ水」から頂きました。

幕末の徳川幕臣で、大政奉還後、徳川幕府十五代将軍徳川慶喜の護衛の任務を最後まで遂行した奥詰、髙橋伊勢守謙三郎泥舟を描いた小説です。








幕末の幕臣。名は政晃,通称精一。

泥舟は号。旗本山岡正業の次男で母方高橋家を継ぐ。

槍術家山岡静山の実弟,山岡鉄舟は妹婿。

槍術に長じ,1859年講武所師範役となり,伊勢守に任ぜられた。

1862年,幕府徴募の浪士組を率い取扱として上京したが,浪士のうちに尊攘を唱える者が数を増し,新選組のみを残して江戸に戻った。

1868年遊撃隊頭として徳川慶喜の護衛に当たる。鳥羽・伏見の戦後は恭順を説き,新政府軍への使者に山岡鉄舟を推薦。維新後は仕官せず東京に隠棲。


勝海舟,山岡鉄舟と共に幕末三舟と称される。








三春水まんじゅう 「逃水(にげみず)」 



三春昭進堂の夏の定番水まんじゅうの「逃水」の販売を始めました。

一個 130円税別です。






昨年からの「塩レモン」も好評に付き定番として販売いたします。

価格は同じ一個130円税別となります。

レモンの酸味に塩味でアクセントをつけました。

どうぞお試しください。







冷凍販売でご案内しています。

これからの時期ですと、お買い上げから約30分~1時間位で食べごろになります。

そのまま冷凍保存もオッケーです!






日持ちは冷蔵庫で2日間位ですので、宜しくお願いいたします。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::三春昭進堂雑記 |
込木見渡神社、楽内熊野神社 五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札




三春城下郊外、「込木洞」込木集落入口にある込木見渡神社の五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札です。


昔より、三春城下在村人は、村の外から疫病(えきびょう)や災厄(さいやく)が村内に入り込むのを防ぐために、村の出入り口で「道切り(みちきり)」と称される「祈祷(きとう)」や「呪(マジナ)い」をしました。









毎年、夏越しが過ぎ7月はじめ付近になると、三春城下郊外の村々では御祈祷といって一家の戸主(世帯主)が村内の神社神前に集り、神主さんを呼んで、洞というくくりでの村民の無病息災・五穀豊穣を祈念しています。


その祈祷した「お札」を竹に括り付けて「御祈祷御璽(ごきとうぎょじ)」、「辻切り(ツジキリ)」の辻札として、辻などの突当りとなる村の入口、特に鬼門(東北)や裏鬼門(南西)の方角に立て「魔物の防壁としたもので、 ...外部より病魔や災難が村内に進入しないように願っています。









お札には、洞(ふら・うつろ)内安全と記載されています。

洞(うつろ)とは、集落を指しています.

その語源は、室町時代後期から安土桃山時代・戦国時代にかけて、三春城主田村氏(奥州及び坂東の戦国大名)に見られた田村氏一族以外の配下・合力与力の「武士団」形態で、田村領八十八郷の村々の地侍・惣領である地域の当主を中心に一族呼ぶ総称です。










鎌倉武士の「一所懸命」という感覚で、生活の糧である先祖代々伝わっている所領(田畑土地山林、屋敷など)を一族郎党で命をかけても守るという考え方が残り、力関係で国主.盟主の配下として与力する一つの武士集団のくくりで、農兵分離後の江戸幕藩体制の確立に基づく近世大名における「家中」、家臣という位置づけです。








戦国時代の仙道(今の福島県中通り地方附近)は、中小の戦国武将・地侍がひしめく激戦区でした。


田村荘司田村氏の流れを汲む三春田村氏も同じ、長年にわたり四面楚歌の状態が続いています。


その状況下の中で、三春田村領内に於いて地侍と地縁的、族縁的な「洞中」の領主連合を形成し、その盟主としての地位を固めていったと考えています。







楽内熊野神社 「楽内洞」の辻札










医学の未発達な時代、人々にとって「疫病」は大きな脅威でした。

疫病に罹らないように行われたこうした加持祈祷には、人々が期待し、慎み、みんなで協力して疫病や災厄を祓い、それによって幸運が訪れることを願う気持ちは現在も同じです。










また、村の入口には道祖神が祀られています。


「塞の神」とも呼ばれ「塞(ふさ)ぐ」という意味です。





込木末の馬頭観世音石碑



この神さまも、村の外から来る疫病 (伝染病)や災害などをもたらす悪霊を防ぐために、村の入り口(村境)や道が交差し様々なものが吹き溜まるところとされる“辻”に祀られた神さまであります。






辻切りのためなのか、川平道と滝道の辻の突き当りに建立され「魔物」の防壁としています。






田中坂末の馬頭観音石碑





こちらも、芹ケ沢道と滝道(御館道)の辻の突当りに建てられています。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::込木・楽内・芹ケ沢 |
本日、2020.7月7日火曜日は定休日となっています。




本日、2020.7月7日火曜日

三春昭進堂は定休日となっています。

又のお越しをお待ちしています。







三春城下荒町の時宗「法蔵寺」の蓮が咲き始めています。

蓮は午前中に花を咲かせます。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:27 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |