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土用”あんころ餅” ~三春昭進堂~ 令和元年 予約受付中!




土用”あんころ餅” ~三春昭進堂~


土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)

北国には、厄除け、暑気払いの意味を込め、土用の丑の日にはあんころ餅(土用餅)を食べるという古くからの習わしがあります。









「餅」は力餅(力持ち)、そして「小豆(あずき)」には 邪気を祓う力があると言われていますから、土用餅を食べることで、暑気や厄を払い無病息災で過ごせるといわれています。

消化が良く 力がつくお餅を小豆で包んだ 「あんころ餅」は美味しく夏を乗り切る為のお菓子というわけです。

当店の土用餅は、柔らかい口当たりのお餅をなめらかな自家製こし餡で包みこみました。



冷房のない時代に暑さを乗り切るため、様々な知恵を絞ってきたことがうかがえます。

私たちも先人の知恵に倣って、体調には十分注意をし元気に夏を乗り切りたいものです。



あんころ餅 500円税別 1パック’(380グラム) 一口餅(一個30グラム)5個入れ








北海小豆のこし餡からのぞくお餅も愛らしいた土用餅。

古人の知恵にならった暑気払いの素朴なお菓子で、この夏を健やかにお過ごしください。



2019年の夏の土用の丑の日


7月26日(金) 27日(土)

2日間だけの限定で販売いたします。


店頭販売は、一日50パックの数量限定販売です。







数量限定販売ですので、ご予約いただければ幸いです。







あんころ持ちを食べて、暑い夏を乗り切りましょう!




“土用の丑の日”に鰻(うなぎ)を食べる習慣があります。

この理由は諸説ありますが、江戸中期の蘭学者平賀源内が広めたということが伝わっています。








もともと、うなぎの旬は冬です。

或る時の夏、客足が少なくて困っていたうなぎ屋の店主が平賀源内に相談しました。

源内が店先に「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙をしました。

すると、このうなぎ屋が大繁盛したというもので、夏の土用の丑の日は“鰻”を食べて、暑い盛りに精力をつけ、厳しい夏の暑さを乗り切るということが流行って今日に至るということだそうです。






暑い夏を健やかにお過ごしください。








ご自愛くださいますよう。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:07 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::三春のイベント |
真照寺山内のキツネノハナガサ 




明王さまのお祭りの翌朝、いつも通り散歩がてら真照寺にお参りに伺いますと、参道階段の袖に白い小さなキノコを一株見つけました。


キノコもそんなには詳しくわありませんので、ググってみました。






色形から「キツネノハナガサ」という名前のキノコで、この梅雨時期に生えてくると記されていました。


日照時間が少なく気温の低い日が続く今年の梅雨だから生えたものなのか?

例年は得ていますが見落としていたものなのか?

先の山内に降り注日差しを遮っていた樹木を伐採した影響なのか?







アジサイも見頃です。







金魚も元気です!






山野草も小さな花を咲かせています。





あとは、蛍の飛舞と百合の開花を待つばかり~


新しい発見があり、毎朝の運動?散歩?が楽しみな真照寺です。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
三春城下新町鎮守 田村大元神社 夏季例大祭  お守り切り札と先払い長獅子の髭(ひげ)



三春城下新町鎮守 田村大元神社 夏季例大祭 



御神輿渡御の際に、家の前で頂戴する災除けお守り切り札と先払い長獅子の髭(ひげ)です。


旧秋田氏三春藩領内総鎮守であった大元帥明王社7は、田村大元神社の名称が変わり、御神体は「国常立命(くにとこだちのみこと)」となっていますが、旧神号大元帥明王の時代から例大祭時の御神輿渡御では長獅子が先払いとして先頭を練り歩きます。


「大元帥明王」は、敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われています。

その名残で長獅子の髭が災難除けとして町内に配られています。








明治維新後の三春藩解体に伴い、旧三春藩の総鎮守として三春領田村郡内全域と郡山の一部で運営されてきた「田村大元師明王社」を、紆余曲折はあったものの、混沌とした時代が過ぎた、昭和に成って、新町の大先輩たちが、別火講中を組織して、その心意気で一手に担い、今日まで継承してきました。


「別火」、古くは別の日と書きましたが、別火講中とは文字の如く、家と釜戸の火を別ける特別な「ハレの日」を意味しています。

新町の男たちは、家庭や社会から離れ、別火講中の一連の年間行事の中で、講員一同、正に寝食を供にすることにより「田村大元神社」の行事を司り、講中在籍中に実社会では体験出来ないような、様々な体験を通して思慮分別を養っていました。


さらには「真の三春人」となって、実社会においてこの発展に寄与する人間つくりを目的として、新町の先輩たちから、脈々と受け継がれてきた、三春人として、胸を張って誇れる組織だと思います。






世代が変わり薄れつつある事柄ですが、「別火講中」とは「同志、仲間」という意味であると理解してほしいと思います。


決してただ酒を飲んで大騒ぎをする会ではありません。

仲間がいることで「切磋琢磨」互いに良い影響を与え、学び合いながら、人は一人では生きられない。

また、支え合う人・喜びや悲しみを分かち合う人達がいてこそ、自分自身も、成長し、生きることが出来るということを、心に刻み、「別火講中で培った人格と経験を持って社会生活寄与する」という事を学んでいただければと心より思います。  







私は、よく「別火講中はコミニティーの原点だ」と申し上げていますが、別火講中とはまさにコミュニティそのものなのかもしれません。



辞書によれば 「講」とは、民間の金融上の組合、経典を講釈する会、信徒が催す法会や、神仏に参拝に行く団体」とあります。

また、コミュニティー【community】は、「人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域,およびその人々の集団。地域社会。共同体。」とあります。


昨今「日本からコミュニティが消えつつある」と言われています。

確かに昔はご近所があり、隣組があり、先輩・後輩があり、それに付随した言葉使い、義理や人情等々人付き合いのスキルがたくさんありました。


現在でも確かに存在はするのですが、個人の権利や自由が叫ばれ、仲間意識は表面的になっているように思われます、しかし、我が新町においては、別火講中があるかぎり、無縁の物の様に思います。





新町の先輩たちが築き上げた、別火講中の、心意気を忘れることなく、両番組力を合わせて、修行の場としての別火講中行事の中で、おのおの意味を見出しながら、時に楽しく、時に厳しく、孫子の代まで、「別火講中」を継承していってくれることを切に、お願いします。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍








| ryuichi | 04:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下新町 |
三春町立中学校職業体験のお礼状 令和元年




私ども三春昭進堂では、地域貢献事業として地域学習の一環で、三春町立の中学校の2年生の職場体験学習受け入れを毎年実施しております。



先に、三春町立三春中学校2年生の生徒3名、そして、町立岩江中学校3名の生徒がそれぞれ二日間ずつ、当三春昭進堂に職業体験に来店されましたが、その御礼の手紙が届きました。







生徒の皆さんからいただいた礼状を拝見しますと、よくまとめられていて、いい学び・気づきがなされているように感じました。

私も三春中学校の卒業生の一人、そして三春人として後輩たちを安心して未来を託せる三春健児と誇らしく思います。







かつて、私たちが子供の頃、三春の先輩方から様々なことを教えていただき学んできました。

そして、私なども今年で55歳になりますが、今でも先輩の皆々様に様々なことをご教授いただき導いていただいています。






この職業体験などの学校への協力は、上記の先輩の皆様方への恩返し、そして、後輩へと継承する三春の教育を少しでも果たしたいと考えています。

未来を担う、三春の後輩たちの”学び”に、少しでもお役に立てればいいなあと思います。


羽ばたけ三春っ子!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:19 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::学校支援 |
映画『盆唄』 三春城下公開! 福島の「盆唄」が海を越え、ハワイ・マウイへと襷を繋ぐ





ドキュメンタリー映画『盆唄』 三春公開


 福島の「盆唄」が海を越え、ハワイ・マウイへと襷を繋ぐ。

双葉町の震災避難者とハワイの日系移民、心と心を紡ぐ~

三春と縁がある第44回木村伊兵衛写真賞受賞作品「KIPUKA」の写真家岩根 愛さんがアソシエイトプロデューサーを務めています。 






  8月10日(土)

第1回目 10:00-12:15

第2回 13:00-15:14

第3回 15:35-17:49

第1回上映後に出演者の今泉春雄さんをお招きし、本作のアソシエイトプロデューサーの岩根愛、映画『盆唄』三春上映実行委員会代表の新野徳秋によるミニトークがあります。

主催 映画『盆唄』三春上映実行委員会

共催 三春交流館運営協会

後援 三春町 三春町教育委員会 (株)三春まちづくり公社


問い合わせ 映画『盆唄』三春上映実⾏委員会 090-1804-5690(岩根) ainotme@gmail.com






●前売券 ⼤⼈(シニア含む) ¥1,300 /学⽣ (⼩・中・⾼・⼤) ¥1,100

●当⽇券 ⼤⼈ ¥1,600 / シニア ¥1,400 / ⾼・⼤ ¥1,400 / ⼩・中 ¥1,200 / 障がい者 ¥800

前売り券取り扱い: 三春交流館まほら / いとうカメラ / ⼤内時計店 若松屋旅館 / in-kyo / むらやま床屋 / 三春昭進堂 / カネサン書店 ほか



三春や東京、ハワイを拠点として活躍する写真家岩根愛。

ハワイ各地で毎夏繰り広げられるBON DANCE(盆ダンス)をテーマにした写真集『KIPUKA』(青幻舎)および展示「FUKUSHIMA ONDO」で、写真界の芥川賞と呼ばれる第44回
(2018年度)木村伊兵衛写真賞を受賞しました。

その岩根愛さんがアソシエイトプロデューサーを務めた映画ドキュメンタリー「盆唄」がこの度三春城下、交流館「まほら」にて公開されます。

監督は『ホテル・ハイビスカス』の中江裕司監督です。
福島からハワイへ渡った盆唄がつなぐ、ハワイと福島、そ して富山の相馬移⺠へと遡る過去から未来へ、時空を超えるドキュメンタリ ー。どんなときも、逆境に生きるひとびとを、唄は支えていた。


本作に登場するマウイ太鼓は 2012 年に三春町を訪問、中町若連太鼓保存会と三春交流館まほらにて共演した。また感動のラストシーンは、桜中学校校庭で撮影された。本年2月の公開以降、全国で感動を呼んだ本作を、ぜひ、ゆかりの深い








2015 年。福島県双葉町の人々は散り散りに避難先での生活を送り、先祖代々守り続けていた伝統「盆唄」存続の危機にひそかに胸を痛めていた。

そんな中、100 年以上前に福島からハワイに移住した人々が伝えた盆唄『フクシマオンド』が、今も日系人に愛され、盆ダンスとして熱狂的に踊られていることを知る。

双葉の人々は盆唄を 披露すべく、ハワイ・マウイ島へと向かう。自分たちの伝統を絶やすことなく後世に伝えられるのではという、新たな希望と共に奮闘が始まった。

やがて故郷と共にあった盆唄が 、故郷を離れて生きる人々のルーツを明らかにしていく。

盆踊りとは、移⺠とは。そして唄とは何かを探し求める 200 年を超える物語―。

双葉の豊かな伝統芸能とハワイのボンダンス・日系文化にまつわる唄や音楽、その背景を『ナビィの恋』の中江裕司監督が 3 年の歳月をかけ撮りあげた渾身のドキュメンタリー!













三春盆踊りの起源は諸説あります。城下荒町にある法蔵寺の宗旨である時宗開祖一遍上人が提唱した「踊念仏」、そして浜通りに多い浄土宗系の「じゃんがら踊り」、戦国時代の頃相双地区で発生した大地震や津波で被害を受けた地域の復興と救済のために入植した新潟や北陸の浄土真宗方々がもたらした「踊念仏」等々があります。
三春城下は、有史以来、仙道と呼ばれた現福島県の中央部にあたり、岩城街道、小浜街道、相馬街道、江戸街道、会津街道等々が交差する人の交流や物流の要所でありそれらの踊りがここ三春で出会い、宗教行事と娯楽が融合して、さらに熟成して独自に進化していったものだと考えられています。
大正時代の最盛期、賑やかだったのは新町と八幡町の盆踊りといわれ、新町はセリ場に櫓を建て庚申坂新地の遊女や芸者が繰り出し艶やかだったと古老は話します。

 旧暦のお盆十四日から十六日が新町と八幡町、十七日が北町、二十日が荒町、二十四日が新町一時地蔵等、月末まで連日盆踊りが開催されていました。

北町は天神様前、荒町は馬頭観音前、大町は紫雲寺境内であったと記録されています。

特に八幡町は盛んで、「踊り場」の地名が残ります。

昭和20年八月の太平洋戦争終戦を受けて町当局からの命令で盆踊りは中止するようにという沙汰が発令されましたが、八幡町若連の強者は、だけはそれを不服として“いろはや食堂”の裏山に太鼓を持ち込んで盆太鼓を叩いたと古老の話として三春町史には記録されています。また、すぐ目の前に松島太鼓屋がありいつ太鼓が破れても大丈夫だった。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::三春のイベント |
旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社 (田村大元神社) 縁起





旧三春藩領内総鎮守大元帥明王社 (田村大元神社)

本来、大元帥明王は四天王·二十八部衆を従え、悪獣や兵火の災難を除き、国を守り人々を保護する明王であった。
国常立命は記紀神話の神で、日本書紀では天地開闘の最初に出現した国土生成の中心的神として位置づけられている。


八幡神社、能熊野神社、神明宮、秋葉神社に対する篤い信仰を持ち続け、例祭には神輿渡御があり、長獅子、三匹獅子舞を奉納し祭礼を行う。






祭儀は一月元旦歳旦祭、四月二十八日春祭り、例祭は七月二十日(現在は第三の日曜日)、十月二十八日秋祭り、秋葉講祭が四月二十日と十月二十日、他に正月別火講祭奈が行われる。
別火講一番組と二番組が祭りの準備と執行に当たっている。

田村大元神社から勤請された神社と思われる大元神社が大越と船引にある。







坂上田村麿公は、坂上苅田麿公の子として天平宝宇二年(758年))に生まれている。成長して蝦夷征伐に関係し、延暦十六年(797年)には征夷大将軍に任じられている。

田村麻呂は、観音への信仰もあつく、同十七年(798)には京都に清水寺を建立している。朝廷や天皇からの信頼あつく、正三位まで授けられるとともに、参議や大納言などの要職に任じられている。





また、武門に対する信頼もあつく、右近衛大将や兵部卿なども歴任している。
弘仁二年(811)五月二十三目、都にて没している。






延暦年間(782~805)
坂上田村磨、征夷大将軍として征討の途上、磐城国岩瀬郡小山田村今明王壇に図常立命を安置奉斎、武運長久治国平天下を祈願したことに由来する。(社伝による)

永仁三年(1295)
社宝銅製松喰鶴鏡にこの年の墨書銘がある。

歴応年間(北朝年号1338~1342)
坂上田村麻呂・田村将軍の裔田村輝定、之を三春雲集山古城跡に遷し、祠官を置く。
(社伝による)

永正元年(1504)
田村麻呂から26代目の子孫とする田村義顕、居城を田村郡守山字山中(現郡山市)より三春大志多山に移した時、大元明王をも併せ移し、その社殿を同じく大志多山に建立、之を奉遷。

三春城の東舘(後の三ノ丸)の南麓に社地を定め、社地及び門前の町名を守山山中を模して山中とし、守山の泰平寺を移して別当寺とする。

天文年間(1532~1554)
境内末社、八幡宮、熊野宮を勧請。

天文十八年 (1549)
田村氏の変遷により、この年まで田村家領内六十六郷の総鎮守とする。

天文十八年(1549)~慶長三年(1598)
会津蒲生氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長三年(1598)~慶長五年(1600)
会津上杉氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長五年(1600)~寬永四年(1637)
再び会津蒲生氏三春支配、景仰奉祀する。

寬永四年(1637)~寛永五年(1628)
会津加藤氏支配、景仰奉祀する。

寛永五年(1628)~正保元年(1644)
三春城主松下氏支配、景仰奉祀する。

正保二年(1645)
秋田俊季、常陸国宍戸城より三春に移り、本神社を尊崇。
別当を真照寺とする。

寬文十年(1670)
仏殿、本堂火災により焼失。

元禄二年(1689)
秋田輝季、大般若経六百巻を奉献。

天明八年(1788)
秋田倩季、神号額を奉納。

慶応三年(1867)
秋田映季、仁王門(後随神門・表門・八脚門)を建造。
金剛力士像完成(石森の彫工伊藤光雲.同九賀之助の合作)







明治元年(1868)
神仏分離令布告。


明治三年(1870)
大志多山神社と改称。
三月、御神体·突鐘·金剛力士像を真照寺に移し、社殿を破却。
六月一日遷宮

明治四年(1871)
三春藩社詞方より国常立命を祭神として、三春町の鎮守とし、当屋制廃止を命ぜらる。
旧三春藩の総鎮守であった大元帥明王が明治四年の廃藩置県の際に無格社となり、一方三春町の一地域の信仰であった神明社が明治三十三年に県社に列せられた。

明治十二年(1879)
社名を田村大元神社と改称。

明治三十二年(1899)
本殿拝殿を建立。

昭和三年(1928)7月18日、
郷社に列せられる。銅板屋根にする。

昭和十六年(1941)
銅製松喰鶴鏡、国指定重要美術品に認定される。

昭和二十年(1945)
太平洋戦争終結・GHQ、神道指令を出す。

昭和三十六年
阿吽仁王像が氏子によって真照寺からこの随神門に戻された。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 三春総鎮守 大元帥明王(田村大元神社) |
塵壺336号  『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~ 令和元年7月発行





   『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~

 8年ぶりのソロ・アルバム「THE LIVE!」を発売した憂歌団のボーカル木村充揮(きむらあつき)。彼の東北北陸ライヴツアー「ひとり旅 夏ツアー2019in福島」に参戦して、またまた心をわしづかみされました。



 



憂歌団(ゆうかだん)のリード・ヴォーカルとしてその名を馳せ、1998年の憂歌団活動休止後はブルースの枠に留まらない自由奔放なソロ活動を精力的に展開。"天使のダミ声"とも称されるその味わい深く詠う(あえて詠うの字)その声はまさに国宝級です。

会場となった福島市栄町にある音楽BAR時代屋 シーズンⅡさんは3、40人くらいが入れる小さなBARです。





 オープニングアクトを務めた“はせがわかおり”さんは、アコースティック・ギターを抱えライヴ活動をコツコツと続けて創りためていた楽曲で造った2ndアルバム「COLOR」を引っさげて会場をあたためます。さすが木村充揮一押しのシンガーです。







 そして木村さんのライヴです。

私は最前列を陣取り、木村さんの詠う姿はもちろん、ギターを爪弾く左手や右手、焼酎の水割りを飲む、タバコを吸う、観客との掛け合い等々ライヴ会場の空気感も含めて食い入る様に見入ります。

 木村充揮が目の前に居る!”天使のダミ声”で詠ってる~!ってな具合で、あっという間の2時間半です。そこには、知らないうちに掛け声や合いの手を入れている自分…。
 選曲・編曲・歌はもちろんですが、MC、ギターのイントロ遊び、飲酒・喫煙等々~全てが木村さんのライヴで、最高のパフォーマンスを披露していただきました。





 ライヴ終了後、木村充揮さんと直接話す夢みたいな機会にめぐまれました。

 何度もこれは夢じゃないか?

うつつじゃないか?

酔っぱらっているんじゃないか?...と確かめながら、地に足がつかない状態です。

 同じ空間どころか、すぐ傍らにいるんです!まだ木村秀勝のころから40年来その生きざまともいうべきライヴに酔いしれ、憧れていた方が確かに隣に座っています。







 しかも同じ時代に生まれ、一緒にこの世に在リそのパフォーマンスを感じられるだけで幸せだと思っていた人と酒を酌み交わしてにこやかに一緒に呑んでいるんです。

 そして、そして目の前で私に語りかけてくれているんです〜!

 「日本語で言えばブルースって何? 言うたら、歌、生活そのものや~、あくまで自然体でねぇ、洒落の効いた生き方そのものがライヴや〜」という木村さん。

それから約3時間半、隣に座り様々な話を伺うことができました。






 「ライヴは饅頭作りと一緒やなぁ〜 饅頭を心を込めて一つ一つ丁寧に造るのと同じや〜 ライヴでも毎回魂込めてステージを造り上げるてるんやで〜」

 「酒とかを呑みながら、ライヴをやるほうも見るほうも、お互いが呑みたいもん呑んで、食べたいもん食べながらがエエんちゃう?タバコを吸いたい人は吸うて、ホンマそんなもんやとちゃいます?」

 「なんでも、自分のペースで行かなぁアカン~ 」

「みんなが好きなように楽しんでるのが一番嬉しいなぁ思うてますわぁ~そのためにも、もっと自分が好きに楽しみたいですヮ~」

 「自分が唄って嬉しぅて、それを皆が楽しんでくれるんやから有り難いですよ~」等々…






 木村さんのお話を拝聴していますと、全てが自然体であり、ありのままを受け入れている禅僧のような清々しさを覚えていました。

 禅の心を表した語の中に「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」があります。人生には良い日も悪い日もなく、どんな日でも“好日”と受け入れることが大事であると解していますが、正に木村さんの生き方そのものです。

 「ありのままを受け入れていることも、各々の心の持ち様で、心の在り様です」と教えていただきました。木村さん、ありがとうございました。






     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝






『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』ツアー最終日となります。

2019/7/22(月)開場18:30 / 開演19:00

会場: いわき市平 QUEEN Presents まちポレいわき2F

料金:前売¥5000 / 当日¥5500 ※ドリンク代別

お問い合わせ:クイーン  0246-21-4128







| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |