2025-03-15 Sat
三春城下尼ヶ谷の”霊泉 やわらぎの湯”敷地内にあるお城のような建屋一階の大広間に飾られた雛人形
当主影山家にある家族のひな人形を一堂に飾ってあります。
2月初旬から3月の中頃までを”霊泉 やわらぎの湯 雛祭り”として宿泊や日帰りのお客様に広間を開放して展示しています
ひな祭りの期間中、週末には甘酒の振る舞いサービスがありました。
週末には雛飾りは今週末までとなりますが、次は端午の節句ということで鎧兜を多数展示します。
さらに、鎧兜の試着体験もあります。
こちらは大広間入口の板襖絵です。
前川治郎さん作 つぼみの滝桜
同じく木蓮
そして、牡丹
前川さんとのご縁がありました。
尚、玄関には天龍寺管主、清水寺管主、そして、俊太郎先生の書が飾ってあります
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
2025-03-14 Fri
荒井之館・遠藤館 (落合館)遠藤之館は(荒井之館)という。小字に仁井道地内。
大滝根川と中妻川の合流点の三春、須賀川県道の真上にある道路より、空掘まで約90メートルあり、空堀より山頂の本丸の広場まで20メートルである。広場は約20アール程である。
北東より南東まで空堀が続いており大滝根川の方に竪堀と思われる場所が2ヶ所ある。
また、東南に空堀に続いて約3アール程の広場がある。南は峯続になって、深さ約5メートル、底幅3メートルの切り通しがある。
西北より中津川と大滝根川に続き、南の切り通しまでは断崖絶壁であり、西の方は開田し年中水がたまっており、湿地となっていたので、昔は・要害堅固の山城であったが、本丸には水は無く、飲料水は牛で運び上げたとのことである (古老の話)
遠藤の祖は藤原家の一族で、中臣氏と共に下向し、荒井を中心として蒲倉、大平、および斎藤の一部を開発し、遠藤を名のり、藤原氏の神館城の南方の険しい山の峯に城を築き、力を合せて我領地を守ったのである。
国見山(郡山市中田町国見山)に出城を築いた大滝丸はもともと山賊の頭で手下も多く、又、暴れ者ぞろいであり、こちら遠藤氏の兵は、にわか仕立の農兵であるばかりか、人数も少なかったので、城に籠城して戦ったが、いかに要害堅国の城でも攻め立てらいついに落城してしまいます。
荒井、蒲倉、斉藤と別々に落のびて、帰農し百姓に定着したのである。
江戸時代になって、遠藤之館(荒井之館)跡を開拓し畑にせし時、大昔の真力、鉾などが出土したことは、口伝えとして伝わっているので、田村将軍が遠征にくる以前に大滝丸と戦ったことであろう。
その後、小字の場上田(俗名・日津内、朝が早くさすから)地内の外より一つも見えない奥の窪地に何十年かすんておったが、経済も豊かになり、近くの台地・現在の住宅の裏山と畑合せて約150アール程の場所である北側は、水田より20メートル程の切り立ったがけで、東より南まて続いた水田には、年中水があり湿地帯で自然の要選をなしているのである。
遠藤家では、藤原家と並ぶ家柄であると伝わっており、我家は普通の農家とは違うと、砦の様な場所を選んで住んだのであろう。
昭和41年、畑の由来より、土台石と思われる焼石三ケと黒焦げの焼き籾みが多く出土したので、火事にあって現在地に移したことと思われる。
又、台地の北側向いの樫の木林の中に遠藤家一族の氏神(内神)が祀ってある。
勧請の年代はネ明であるが、京の都の八坂神社とのことで、ホーソーカンボー・其他癒病(流行病)除の神とのこと。八王子大明神を中心として、稲荷様、山津美神社、三宅荒神神社、稲地神神社の五社である。
神社の敷地として、山林2アール・銭米田と井戸などが規在残っている。
祭礼は、春は旧2月初午、秋は旧9月9日である。
境内に目通り10メートル程の天を突く様な樅の大木があったのであるが、江戸時代末頃、落雷で中折し、残っていたが、大正八年三月乞食の焚き火で火事になり、外皮だけ残って、おりしが、昭和3年4月の暴風で折れたので、其の跡地は窪地になっている。
近くの旧墓地に一石五厘の墓碑一基と並列(双式)逆修の墓碑一基建っている。
昭和55年に、県文化財委員の方が、渡辺家の旧墓地内のキリシタンの墓調査に来た時、遠遠藤家一族の旧墓を見て、「一族の墓に、各も数多く建っていかのもめずらしい」と言う話しであった。
中妻歴史を語る会 中妻地区高齢者学級 古老の話より
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
2025-03-13 Thu
春彼岸「おはぎ」 2025
彼岸入りの 3月17日(月)から 中日の3月20日(木・春分の日)までの、予約優先・期間限定販売となります。
春のお彼岸
3月17日(月) 彼岸入り
3月20日(木・祝) 中日(春分の日)
3月23日(日) 彼岸明け
『暑さ寒さも彼岸まで』と申しますが、暖かな日差しと共に、ご祖先へ感謝とご供養を勤める春のお彼岸の時時節となりました。
お彼岸は、諸説ありますが平安時代はじめの大同元年(806)、崇道(すどう)天皇のために、全国の僧たちに春秋二回、七日の間、「金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)」というお経を読ませたことから始まっているとされています。
お寺のご本尊さまやお墓へのお参りを通して、そのご恩にむくいられる日々がお過ご
あんこ・粒あん入りゴマ・こしあん入り黄粉の三種類です。
皆様のご予約・ご来店をお待ちしています。

大きい焼きまんじゅうもご予約のみとなります。
3月の定休日のおしらせ
3月11日(火)、12日(水) 連休です。
3月18日(火) お彼岸期間中ですので通常営業です。
3月25日(火) お休みをいただきます。
よろしくお願いいたします。
当店2代目 祖父の伝蔵です。
「塵壺」の単行本出版を目指して校正やデザイン等の作業を一生懸命になって進めています。
もうしばらくお待ちください。
詳細は、後の塵壺にてお知らせいたします。
中々、蔦屋重三郎のようにはいきません!
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 04:21 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子 |
2025-03-12 Wed
本日は、お彼岸の休日営業の前倒し代休で、三春昭進堂はお休みです。
昨日の火曜日は、今年4回目の滝桜ゴミ拾うウォーキングに行って来ました。
暖かさの誘われて小鳥たちが多数戯れていました。
尚、こちらの板襖絵は、尼ヶ谷にある”霊泉やわらぎの湯”のお城のような建屋の一階にある大広間の引き戸です。
そこに前川治郎さんの描いた、つぼみの膨らんだ滝桜が鎮座しています。
桜は、これから開花するつぼみの姿が大すきです。
明日へ向かっての活力がわいてきそうです。
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2025-03-11 Tue

14回目の3.11 忘れられない「船上の奇術師 渡邊卓也」との避難所慰問
東日本大震災により被災された方々に対しまして心よりお見舞いを申し上げます。
この時節になると 卓也くんとの避難所慰問を思い出します 子供達に教えていたマジシャンの決めポーズ“背筋を伸ばして胸を張って〜和かにポーズ!”あの言葉に被災された方々と共に私たちも元気と勇気をいただきました 本当にありがとうございました
東日本震災の時、三春城下は、震度は低く三春城下は磐城国と称される三春藩の中心地だけあって岩盤の上に築かれた城下町です。
お陰様で地震に強く震度が付近に比べて低かったと思います。
下記は、平成11年4月2日に三春町開所した富岡町、大熊町からの避難してきた方への避難所に於いて、友人の従兄弟にあたる、船上の奇術師 渡邊卓也 (旧芸名TAKUYAをフューチャリングして実施した慰問の様子です。

以前、三春大神宮祭礼の折に新町睦会でお世話になったマジシャン卓也君からの申し出があり、三春にある被災者避難所の慰問に、私も黒子として参加しました。
三春に避難している、富岡町、大熊町の方々が避難所生活を送っていました。

卓也君は、その被災者の方々に、少しでも元気になってもらえればと、自家用車にマジック用品を満載して、夜が明けきらない早朝にに埼玉を出発して昼前に三春入りしました。
富岡町や大熊町の方々がいる、沢石会館、町民体育館、岩江中学校体育館と3箇所を慰問で回りました。
始めは表情の硬かった、子供さんたちが、最後にはサインをもらいに列を作るといった盛況振りでした。

1ステージ30~40分ですが、準備に40分かけて入念に準備をして万全の体制でマジックを披露していました。
手を抜かないその姿に感動しました。
また、卓也君のの人柄なのでしょう、公演後子供たち一人ひとりにトランプを配りサインをしているすがたに心に胸を打たれました。

子供の笑顔が一番の活力の元になります。
明日のために・・・
がんばっぺない福島!

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2025-03-10 Mon
常磐ハワイアンセンター
3月の定休日のおしらせ
3月11日(火)、12日(水) 連休です。
3月18日(火) お彼岸期間中ですので通常営業です。
3月25日(火) お休みをいただきます。
よろしくお願いいたします。
郡山市中町 佐藤商店 宴会
「塵壺」の単行本出版を目指して校正やデザイン等の作業を一生懸命になって進めています。
もうしばらくお待ちください。
詳細は、後の塵壺にてお知らせいたします。
中々、蔦屋重三郎のようにはいきません!
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:16 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2025-03-09 Sun
宇津峰(うつみね)城
旧仙道の中心、郡山市と須賀川市の境にある山城です。
大岩を祀った星神社があり、宇津峰城の別称が「星ヶ城」とされています。。
宇津峰は、古くは埋峰、雲水峰とも記されました。
宇津峰カントリークラブのクラブハウスがあり、その1番ホール付近の本丸跡の山頂に雲水峰(うづみね)神社が鎮座し、守永王(宇津峰宮)、後村上院、後亀山院の3人を祀っている祠があります。
宇津峰山の山開きは毎年4/29で、雲水峰神社の例大祭と併せて開催される。
南北朝時代、ここに東北地方における南朝方の拠点が築かれました。陸奥南部においては田村氏や伊達氏が南朝方に与しています。
暦応三年(1340) 田村宗季が、宇津峰城に鎮守府将軍・北畠顕信を迎え入れました。
しかし、北朝方が優勢になると宇津峰城も攻撃を受け、貞和三年(1347)に落城しました。
その後、幕府内で足利尊氏と直義の兄弟が対立すると、争いは東北地方にも及びました。
観応二年(1351) 伊達宗遠・田村荘司は、守永親王を奉じて再び宇津峰城に籠りました。
そして南朝方は勢力を取り戻し、一旦は多賀城を占領しました。
しかし、尊氏方が直義方に勝利すると、東北地方においても北朝方が攻勢をかけ、文和二年(1353) 宇津峰城は再度落城しました。
土塁に「東北勤王忠烈之址」の石柱が建立されています。
宇津峰城が奥州における南北朝騒乱の史跡であることは、明治末期までよく知られていなかったようですが、戦前の日本国帝国史観が充実する1915年、国語学者・大槻文彦によって紹介され、指
定史跡の機運が高まったとされています。
「南朝忠臣之遺跡」や「東北勤王忠烈之址」の石碑は大正から昭和初期に建てられたもので、軍国国家主義の影響が垣間見えます。
三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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