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安倍・安東愛季(ちかすえ) 北天の斗星(渾名)




塵壺393号 令和6年4月発行


安倍・安東愛季(ちかすえ) 北天の斗星(渾名)

安東愛季は、後の三春五万石秋田氏初代藩主となる秋田俊季の祖父で、「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と評された戦国武将です。

津軽地方の下国檜山家・安東氏の御屋形(当主)安東舜季(きよすえ)の嫡男として生まれました。

母はもう一方の安東氏、上国湊家安東氏出身の嶺松院です。


安東愛季が御屋形となる安東氏は、平安期の武将・安倍貞任の祖とする東日流(津軽)荘司、安倍・安東氏の末裔で、十三湊(現・青森県五所川原市十三湖)を本拠として津軽地方や蝦夷を領有し、強大な戦力を持つ海運貿易船団・水軍「安藤水軍」を率いて国内外で活躍していた「日之本将軍」「蝦夷探題」を継承する海将の一門でした。



その繁栄ぶりは国内外に広く知れ渡り、ルイス・フロイスが著した永禄8(1565)年の書簡にも愛季の蝦夷交易のことが記されています。


愛季は、長年に亘って利権争いなどから二分して争ってきた安東一門を統一するため、婚姻関係と養子縁組など政略的な縁組を行って弟・茂季を湊・安東家に養子入りさせ、湊家安東氏を吸収する形で、桧山・安東氏と湊・安東氏を統一して一流の戦国大名として本格的な領土拡張に動きます。


そして、愛季は戦国時代となる室町幕府末期の中央との政治工作も忘れてはいません。

強大な海軍力を備えた安東水軍を率いて日本海北前船交易で収集した畿内情報をもとに、娘婿である北畠浪岡家の権威と財力と行動力を駆使し、「言継卿記」を現した公家の山科言継などを使って織田信長や豊臣秀吉との親交を深めます。


また、禁裏・朝廷工作を進めて、愛季自身の官位「従五位下」「侍従」拝受や安東一門への官位授与、そして、實季への細川管領家との婚姻などを進めていきました。

さらには、北前貿易で蓄えた安東一門の財力をもって豊臣政権下での戦乱で荒れた京都市中の復興整備にも積極的に関与していたと考えています。


その一例として、蓮華王院本堂「三十三間堂」周辺改修した際に、堀にかかる石造の架け橋や護岸石積みを施工し、その石橋造作の技術力の高さを朝廷から讃えられ、その時に殿様(愛季・實季か?)より“石橋”の氏を賜ったと城下尼ヶ谷の石橋家に伝わっています。

愛季はさらに領地拡大を目指して領国経営戦略を打ち出し、比内郡を含む出羽国北部の大部分を領地としました。

同年には、「本能寺の変」が起こり、信長が明智光秀に討たれて、天下が豊臣秀吉に移っても安東氏の立ち位置は変わりません。

これが結果として、後の安東家に大きな役割を果たします。






天正15(1587)年、愛季は仙北郡に出陣して角館城主・戸沢盛安と戦いの最中、淀川の陣中で病により世を去りました。

享年四十九。戒名は龍穏院殿萬郷生鐡大禅定門。

墓所は三春城下荒町の秋田家菩提寺秋田山龍穏院にあります。

愛季の知略は、息子である實季(俊季の実父)にも受け継がれます。

天正19年(1591)、秀吉の「奥羽仕置」では、「惣無事令」違反を口実に安東に臣下の礼を求めて威嚇する動きがありましたが、實季を御屋形とする安東一門、そして、家臣一族郎党の力を結集してその危機を乗り切ります。


實季の姉、慶松院・北畠(浪岡)顕村夫人と婿養子慶好らが公卿北畠氏の権威を利用した禁裏・公家工作を行い、さらには、家臣の湊右近(北畠季慶)・湊宮内大輔(南部季賢)らを上洛させて巧みな政治工作を展開して安東家の安堵を画策します。

特に、奉行衆筆頭の石田三成には特別な配慮を受けることに成功して無地、領地安堵を伝える「秀吉朱印状」を得ています。

尚、慶松院は、常陸宍戸(現茨城県笠間市)で亡くなりますが、法名・昌安恵繁と刻された墓石は、父愛季の墓石同様に秋田氏の三春入部に伴って移された菩提寺龍穏院の秋田家墓所に運ばれて建立されています。






      蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 21:04 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主 安東秋田氏 |
塵壺393号 令和6年4月発行 安倍・安東愛季(ちかすえ) 北天の斗星(渾名)




塵壺393号 令和6年4月発行


安倍・安東愛季(ちかすえ) 北天の斗星(渾名)

安東愛季は、後の三春五万石秋田氏初代藩主となる秋田俊季の祖父で、「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と評された戦国武将です。

津軽地方の下国檜山家・安東氏の御屋形(当主)安東舜季(きよすえ)の嫡男として生まれました。

母はもう一方の安東氏、上国湊家安東氏出身の嶺松院です。


安東愛季が御屋形となる安東氏は、平安期の武将・安倍貞任の祖とする東日流(津軽)荘司、安倍・安東氏の末裔で、十三湊(現・青森県五所川原市十三湖)を本拠として津軽地方や蝦夷を領有し、強大な戦力を持つ海運貿易船団・水軍「安藤水軍」を率いて国内外で活躍していた「日之本将軍」「蝦夷探題」を継承する海将の一門でした。



その繁栄ぶりは国内外に広く知れ渡り、ルイス・フロイスが著した永禄8(1565)年の書簡にも愛季の蝦夷交易のことが記されています。


愛季は、長年に亘って利権争いなどから二分して争ってきた安東一門を統一するため、婚姻関係と養子縁組など政略的な縁組を行って弟・茂季を湊・安東家に養子入りさせ、湊家安東氏を吸収する形で、桧山・安東氏と湊・安東氏を統一して一流の戦国大名として本格的な領土拡張に動きます。


そして、愛季は戦国時代となる室町幕府末期の中央との政治工作も忘れてはいません。

強大な海軍力を備えた安東水軍を率いて日本海北前船交易で収集した畿内情報をもとに、娘婿である北畠浪岡家の権威と財力と行動力を駆使し、「言継卿記」を現した公家の山科言継などを使って織田信長や豊臣秀吉との親交を深めます。


また、禁裏・朝廷工作を進めて、愛季自身の官位「従五位下」「侍従」拝受や安東一門への官位授与、そして、實季への細川管領家との婚姻などを進めていきました。

さらには、北前貿易で蓄えた安東一門の財力をもって豊臣政権下での戦乱で荒れた京都市中の復興整備にも積極的に関与していたと考えています。


その一例として、蓮華王院本堂「三十三間堂」周辺改修した際に、堀にかかる石造の架け橋や護岸石積みを施工し、その石橋造作の技術力の高さを朝廷から讃えられ、その時に殿様(愛季・實季か?)より“石橋”の氏を賜ったと城下尼ヶ谷の石橋家に伝わっています。

愛季はさらに領地拡大を目指して領国経営戦略を打ち出し、比内郡を含む出羽国北部の大部分を領地としました。

同年には、「本能寺の変」が起こり、信長が明智光秀に討たれて、天下が豊臣秀吉に移っても安東氏の立ち位置は変わりません。

これが結果として、後の安東家に大きな役割を果たします。






天正15(1587)年、愛季は仙北郡に出陣して角館城主・戸沢盛安と戦いの最中、淀川の陣中で病により世を去りました。

享年四十九。戒名は龍穏院殿萬郷生鐡大禅定門。

墓所は三春城下荒町の秋田家菩提寺秋田山龍穏院にあります。

愛季の知略は、息子である實季(俊季の実父)にも受け継がれます。

天正19年(1591)、秀吉の「奥羽仕置」では、「惣無事令」違反を口実に安東に臣下の礼を求めて威嚇する動きがありましたが、實季を御屋形とする安東一門、そして、家臣一族郎党の力を結集してその危機を乗り切ります。


實季の姉、慶松院・北畠(浪岡)顕村夫人と婿養子慶好らが公卿北畠氏の権威を利用した禁裏・公家工作を行い、さらには、家臣の湊右近(北畠季慶)・湊宮内大輔(南部季賢)らを上洛させて巧みな政治工作を展開して安東家の安堵を画策します。

特に、奉行衆筆頭の石田三成には特別な配慮を受けることに成功して無地、領地安堵を伝える「秀吉朱印状」を得ています。

尚、慶松院は、常陸宍戸(現茨城県笠間市)で亡くなりますが、法名・昌安恵繁と刻された墓石は、父愛季の墓石同様に秋田氏の三春入部に伴って移された菩提寺龍穏院の秋田家墓所に運ばれて建立されています。






      蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 03:02 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
「三春城下のはなまつり托鉢 2024」 3月28日(木)午前9時~ 三春町仏教和合会・三春町各宗寺院護持会




「三春城下のはなまつり托鉢 2024」 3月28日(木)午前9時~



三春町仏教和合会・三春町各寺院護持会






令和6年3月28日(木)


午前9時より 城下一円













桜が咲くのが楽しみな季節になってきました。



皆様、お誘いあわせの上ご来場いただきます様お願いいたします。



「桜夜景時間」 big244com 写真展

日没から日の出までの桜のある風景を撮影



会期:2024年3月23日~4月28日

時間:10時~16時

会場:三春町「法蔵寺」本堂

〒963-7765 福島県田村郡三春町荒町169

※入場無料






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:49 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春ノ信仰1 |
「桜夜景時間」 big244com写真展  三春城下荒町「法蔵寺」本堂




桜が咲くのが楽しみな季節になってきました。



皆様、お誘いあわせの上ご来場いただきます様お願いいたします。



「桜夜景時間」 big244com写真展  三春城下荒町「法蔵寺」本堂

日没から日の出までの桜のある風景を撮影



会期:2024年3月23日~4月28日

時間:10時~16時

会場:三春城下荒町「法蔵寺」本堂

〒963-7765 福島県田村郡三春町荒町169

※入場無料








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 16:09 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
本日火曜日は定休日となっています。

本日火曜日は定休日となっています。

またのご来店をお待ちしています。






「三春城下のはなまつり托鉢 2024」 3月28日(木)午前9時~



三春町各宗寺院和合会・三春町各宗寺院護持会






令和6年3月28日(木)


午前9時より 城下一円


「はなまつり稚児行列」に合わせての春の托鉢を本日実施いたします。
















桜が咲くのが楽しみな季節になってきました。



皆様、お誘いあわせの上ご来場いただきます様お願いいたします。



「桜夜景時間」 big244com写真展

日没から日の出までの桜のある風景を撮影



会期:2024年3月23日~4月28日

時間:10時~16時

会場:三春町「法蔵寺」本堂

〒963-7765 福島県田村郡三春町荒町169

※入場無料








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
真照寺 水芭蕉 2024 春




木の芽月とはよく言ったもので、寒さに負けじと芽吹く木々に生命の強さを感じます。

春彼岸、春の気配を感じ始めた北国の小さな城下町三春です。

そんな陽気に誘われるかのように、三春藩主秋田家の祈願所である真照寺の庭園に咲く水芭蕉(阿弥陀草)と座禅草が芽を出し始め、白い蕾が開花し始めて可憐な花弁が顔を覗かせ始めました。






寒さに気を取られて見過ごしがちですけれど 確実に日も延びているんですね

しかし、まだ空気は冷たくて 春の訪れはもう少しかかりそうですが、それほど先のことでもないでしょう。


よく見ると座禅草も茶色い蕾がしっかりと立っていました。

こちらももうすぐ花を咲かせます。





水芭蕉のまっ白な花の芽の力強さに、心も洗われるような思いがしました

そして水芭蕉を眺めていると「素(直)な心で」と語りかけられているような気持ちにもなります。
ひねくれないで、真っ直ぐな心と瞳でちゃんと色々な物を見つめなければと日々反省です。





冬の季節もそろそろ終わり。
もうすぐ春ですね・・・・






作家でもあり俳人の清水基吉の句碑が真照寺の庭園にあります。

清水基吉は、昭和19年の芥川賞(第20回芥川賞・『雁立』)の受賞作家であり俳人です。
戦後は小説家として活躍する一方、俳句の世界で活躍しています。



その俳句が碑になって、真照寺の庭園にあります。

碑には

『見にも来よ 春の三春の 水ばせう』  基吉

の俳句が刻まれています。

碑の裏には、建立者である「昭和五十八年吉日  角田和子 山岸勝子 建立之」と刻まれています。



山岸勝子さんとは、現住職の御母堂さまとなります。


御詠歌に「古の 関を越えれば 日乗山 三春の寺に 阿弥陀草咲く」 
いにしえの せきをこえれば にちじょうさん みはるのてらに あみだそうさく」
とあります。

日乗山とは真照寺のことで、阿弥陀草とは水芭蕉のことを指しています。










春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺::祈願所の四季 |
「三春城下のはなまつり托鉢 2024」 3月28日(木)午前9時~ 三春町仏教和合会・三春町各宗寺院護持会




「三春城下のはなまつり托鉢 2024」 3月28日(木)午前9時~



三春町仏教和合会・三春町各寺院護持会






令和6年3月28日(木)


午前9時より 城下一円













桜が咲くのが楽しみな季節になってきました。



皆様、お誘いあわせの上ご来場いただきます様お願いいたします。



「桜夜景時間」 big244com 写真展

日没から日の出までの桜のある風景を撮影



会期:2024年3月23日~4月28日

時間:10時~16時

会場:三春町「法蔵寺」本堂

〒963-7765 福島県田村郡三春町荒町169

※入場無料






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:04 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::三春のイベント |