2023-12-01 Fri
塵壺389号 令和5年12月発行
「戦国のファースト・レディー~
愛姫・陽徳院、西館殿五郎八姫・天麟院
日本三景の一つ松島に、三春に縁のある伊達政宗の正妻“愛姫(めごひめ)”法名・陽徳院を祀る瑞巌寺、そして、その娘で西館殿とも呼ばれた“五郎八姫(いろはひめ)”法名・天麟院(てんりんいん)が眠る天麟院内の定照殿(じょうしょうでん)(御霊屋)があります。
愛姫こと法名・陽徳院は、永禄12年ころ(1569年)田村郡三春町に城を持つ戦国大名田村清顕の娘として生まれました。
そのころ田村氏は、蘆名(会津)・二階堂(須賀川)・石川(石川)・白川(白河)・岩城(いわき)など、敵に周囲を囲まれていました。
このような状況の中で、清顕は伊達氏と結ぶことによって家を守ろうと考え、娘である愛姫を当時米沢城主だった伊達輝宗の嫡男政宗に嫁がせます。
この縁談によって伊達氏の力を得て、田村氏は領地を維持することができました。
政宗と愛姫は一時夫婦仲が悪くなったと伝えられていますが、その後夫婦関係は修復に向かったと思われ彼女が京の聚楽第の伊達屋敷に移ってから、文禄3年(1594年)には後に松平忠輝の正室となる五郎八姫を出産しています。それから、仙台藩2代藩主の忠宗、岩ヶ崎伊達家初代当主の宗綱、田村家の養嗣子となるはずだった竹松丸の4人の子を政宗との間に授かっています。
太閤秀吉・豊臣の天下となり聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、今でいうファースト・レディー外交的な役割で政宗に京の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな、匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送り、絶えず政宗を“内助の功”で乱世の伊達外交を支えていたと美談が伝わっています。
三春田村氏は、豊臣秀吉によって奥羽仕置により改易になりましたが、愛姫のはたらきかけにより、孫にあたる宗良が田村氏を名乗り岩沼三万石の大名に取り立てられました。後に、所替えにより一関三万石を領し幕末まで続きました。
愛姫について、妙心寺百五十三世住持で瑞巌寺中興開山導師の雲居禅師も「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」とその人柄を語る言葉が伝わっています。
愛姫の娘で、西館殿とも呼ばれた五郎八姫・法名天麟院が眠る天麟院内の御霊屋「定照殿」。
天麟院は五郎八姫法名の菩提寺で瑞巌寺の並びにあり、陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられています。本堂・山内は小さいですが横の参道から山に登ると霊廟の「定照」や樹齢300年以上の“はりもみ”の巨木や伊達一族供養塔がある天麟院洞窟群などがあります。

五郎八姫は、越後少将と称された越後高田六十万石の城主松平忠輝の正室です。
忠輝は、徳川家康の六男で側室である茶阿局(さあのつぼね)を母としています。元々家康とは折り合いが悪いと伝わっており、「大阪夏ノ陣」の直後の元和元年(1605)には家康
から勘当を申し渡されます。
翌年、幕府から高田藩も改易され、正室である五郎八姫とも離別させられて飛騨高山から諏訪に流されます。
天和三年(1683)、諏訪大社のある諏訪にて九十三歳の生涯をここで閉じ、貞松院に葬られます。
忠輝と五郎八姫は仲睦まじかったが子供は生まれなかったと言われています。
五郎八姫は、離縁後父の政宗のもとに戻り、以後は仙台城下で暮らします。
このとき、仙台城本丸西館に住んだことから「西館殿」とも呼ばれていました。
蒼龍謹白 拝 田村に来てみねげ!
| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
2023-12-01 Fri
「戦国のファースト・レディー~
愛姫・陽徳院、西館殿五郎八姫・天麟院 」
日本三景の一つ松島に、三春に縁のある伊達政宗の正妻“愛姫(めごひめ)”法名・陽徳院を祀る瑞巌寺、そして、その娘で西館殿とも呼ばれた“五郎八姫(いろはひめ)”法名・天麟院(てんりんいん)が眠る天麟院内の定照殿(じょうしょうでん)(御霊屋)があります。
愛姫こと法名・陽徳院は、永禄12年ころ(1569年)田村郡三春町に城を持つ戦国大名田村清顕の娘として生まれました。
そのころ田村氏は、蘆名(会津)・二階堂(須賀川)・石川(石川)・白川(白河)・岩城(いわき)など、敵に周囲を囲まれていました。
このような状況の中で、清顕は伊達氏と結ぶことによって家を守ろうと考え、娘である愛姫を当時米沢城主だった伊達輝宗の嫡男政宗に嫁がせます。
この縁談によって伊達氏の力を得て、田村氏は領地を維持することができました。
政宗と愛姫は一時夫婦仲が悪くなったと伝えられていますが、その後夫婦関係は修復に向かったと思われ彼女が京の聚楽第の伊達屋敷に移ってから、文禄3年(1594年)には後に松平忠輝の正室となる五郎八姫を出産しています。
それから、仙台藩2代藩主の忠宗、岩ヶ崎伊達家初代当主の宗綱、田村家の養嗣子となるはずだった竹松丸の4人の子を政宗との間に授かっています。
太閤秀吉・豊臣の天下となり聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、今でいうファースト・レディー外交的な役割で政宗に京の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな、匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送り、絶えず政宗を“内助の功”で乱世の伊達外交を支えていたと美談が伝わっています。
三春田村氏は、豊臣秀吉によって奥羽仕置により改易になりましたが、愛姫のはたらきかけにより、孫にあたる宗良が田村氏を名乗り岩沼三万石の大名に取り立てられました。後に、所替えにより一関三万石を領し幕末まで続きました。
愛姫について、妙心寺百五十三世住持で瑞巌寺中興開山導師の雲居禅師も「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」とその人柄を語る言葉が伝わっています。
愛姫の娘で、西館殿とも呼ばれた五郎八姫・法名天麟院が眠る天麟院内の御霊屋「定照殿」。
天麟院は五郎八姫法名の菩提寺で瑞巌寺の並びにあり、陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられています。本堂・山内は小さいですが横の参道から山に登ると霊廟の「定照」や樹齢300年以上の“はりもみ”の巨木や伊達一族供養塔がある天麟院洞窟群などがあります。

五郎八姫は、越後少将と称された越後高田六十万石の城主松平忠輝の正室です。
忠輝は、徳川家康の六男で側室である茶阿局(さあのつぼね)を母としています。元々家康とは折り合いが悪いと伝わっており、「大阪夏ノ陣」の直後の元和元年(1605)には家康
から勘当を申し渡されます。
翌年、幕府から高田藩も改易され、正室である五郎八姫とも離別させられて飛騨高山から諏訪に流されます。
天和三年(1683)、諏訪大社のある諏訪にて九十三歳の生涯をここで閉じ、貞松院に葬られます。
忠輝と五郎八姫は仲睦まじかったが子供は生まれなかったと言われています。
五郎八姫は、離縁後父の政宗のもとに戻り、以後は仙台城下で暮らします。
このとき、仙台城本丸西館に住んだことから「西館殿」とも呼ばれていました。
蒼龍謹白 拝 田村に来てみねげ!
| ryuichi | 04:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏 |
2023-11-30 Thu

「ボジョレーヌーボーを味わう会 2023」 ~ 於船引「寿し割烹 江戸光」
旧船引町役場前にある「寿し割烹 江戸光」さんで開催されました「ボジョレーヌーボーを味わう会」
ボジョレーヌーボーを味わう会というだけの会ということでしたが、会場を見渡しますと船引のお歴々の方々三十数名が一堂に会しています。

三瓶正栄県議も臨場されていました。
いつものようにいつものメンバーが一堂に会し、ボジョレーヌーボーを楽しむ....
皆様、当店のチラシ「塵壺」をご覧になっていただいているようで、皆様からその話を頂き、話題には事欠きませんでした。
「お酒を楽しむ・・・」正に、その通り全く煩わしい塵芥の騒がしさなどなく、ボジョレーヌーボーと、光寿司さんの美味しい肴を堪能しながら、会員の皆様と唯々楽しい時間を過ごさせてまいりました。
船引ライオンズクラブや船引観光協会、大鏑矢神社氏子青年会の方々が主として顔をそろえているそうです。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2023-11-29 Wed
令和5年 「三春昭進堂 えびす講祭」 商売繁盛 祈願 三春昭進堂
今年の「三春昭進堂菓匠蒼龍えびす講祭」は、12月1日(金),、2日(土)です。
恵比寿さま縁日の旧暦10月20日付近の週末を、えびす講祭として、三春昭進堂では、恵比須様への商売繁盛 祈願、そして、お客様への感謝の記として、「えびす講祭」にご来店のお客様には、日ごろの感謝を込めて「一口すあま」をプレゼントいたします。
両日とも、末広がりの八十八名様分を予定しています。
店内にえびす様の掛け軸を飾り、家にあるお金を一升枡に入れて供え、落雁用の魚の木型や旬の野菜なども供え、「えびす様大黒様」に対して、商売繁盛、財運に恵まれ、また子孫繁栄が叶う事を祈願します。
旧暦10月は晩秋ではなく初冬の時期なのであって、この月の行事には1年も、いよいよ終わりに近いという気分が込められている用に思います。
この日に必ず、商家の小僧や丁稚が足袋を履けるのは、恵比須講の日からといっていました。
恵比須講は商人にとって非常に大事な行事であり、商家の正月のようなものであったようです。
業種によっても異なりますが、多くの商家では春から秋にかけての繁忙期、いわゆる「掻き入れ時」がほぼ済んで一年間の取引状況を総括して次年度への見通しと計画とを立てるべき時期にあたっており、この日に商売の神である恵比須神を祀って繁昌を祈願し、盛大な祝宴を催すことになっていたと伝えられています。
商いは、秋に実った果実を交換することに始まったといわれています。
このことから私どもは“手塩にかける”ことを学んでいます。
これこそが商いの原点であると思います。
蒼龍謹白 合掌
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子 |
2023-11-28 Tue
毎度ありがとうございます。
本日火曜日は定休日となています。
またのご来店をお待ちしています。
先に福島市のコラッセふくしま1階、県観光物産館で開かれた、福島県菓子工業組合の「第2回はま・なか・あいづ 秋の菓子祭り」にご来場いただきありがとうございました。
当店も、人気商品の「レーズンクッキー」を販売させていただきました。
沢山の御客様にご来場いただきまして、好評のうちに無事終了することが出来ました。
ありがとうございました。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2023-11-27 Mon

店内の照明をすべてLEDに換装しました。

省エネはもちろんですが、昆虫対策も一役になってもらいたいと考えています。

そして、夏場の高温対策・・・・

さらには、電球交換の経費削減等々・・・

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:09 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 焦心録::三春昭進堂雑記 |
2023-11-26 Sun

福島民友新聞社主催 「河野広中没後100年記念シンポジウム」 in 三春 福島民友広告掲載
自由民権運動家で福島民友新聞の創始者である河野広中(1849年~1923年)の没後100年に合わせたシンポジウムを、故郷の三春町と、東日本で自由民権運動が始まった場所の一つとされる石川町で開催しました。

河野廣中先生研究の第一人者であった故髙橋哲夫氏は、当店出身で私からすると大叔父という関係があります。
喜んで広告を掲載させていただきました。

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春昭進堂菓匠蒼龍 ::三春昭進堂髙橋 |
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