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| ryuichi | 16:53 | comments (x) | trackback (x) | 御菓子話 |
「初夢」

 初夢はたいてい、正月の特別な生活状態や食生活を反映することが多いようです。
 特別な意味があるとするなら、新年の抱負や希望を日頃の夢より強く影響しているからといえます。
 特に縁起が良い夢として『一富士、二鷹、三なすび』と言われています。これにはいろんな説があります。
ひとつは徳川家康の好きなものを並べただけというもの。
富士山を見て、鷹狩りをし、ナスを食べるのが家康の幸せだったとか。これが縁起の良い夢の筆頭になったのは、家康にあやかろうってことなのでしょうか。
 しかし、富士=無事、鷹=高く、なすび=事を成す・・・・というように、縁起を担いだ語呂合わせの意味であると言う説が一番わかりやすいかもしれません。
また、初夢に良い夢を見るためのおまじないとして昔から知られているものの一つは、

 なかきよのとをのねぶりのみなめざめ
  なみのりぶねのをとのよきかな
(長き世のとをの眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな)
 
という回文(上から読んでも下から読んでも同じ言葉)を書いた物を枕の下に敷くというもの。
もうひとつは悪い夢を食べてくれるという獏(ばく)の絵、あるいは「獏」という字を書いた紙を枕の下に敷いて寝るというものです。


| ryuichi | 14:08 | comments (x) | trackback (x) | 御菓子話 |
大晦日
 毎月の晦日をつごもりともいい、十二月三十一日は大つごもりとも称し、一年最後のみそか、大晦日と言います。
 宮中では、大晦日には節折の式、大祓、除夜祭が執り行われ、神社では大祓の神事が行われました。
 大晦日から元日までの間に行われる行事を「年越し」と言い、。また、昔は誕生日ではなく、年が明けて初めて年を取る決まりでした(数え年)。
 そして、正月との境目となるのが「除夜」、一年の替わり目で、大歳・年の夜とも言います。
 除夜は年神を迎えるために、心身を清め、一晩中起きているのが年越しの習いでした。昔は、年神を迎える神聖な物忌みの夜であったのです。
 除夜には、新しい年の年神がそれぞれの家にやって来ます。そこで、神様をお迎えする大事なお祭りを行うためこ、一晩中起きている”きまり”でした。
 このとき、「眠る」とか「寝る」という言葉を避けて、寝るときは「稲積む」、起きるときは「稲上げる」と言い換えて、たとえ眠ってしまっても、穀物と穀物の霊に感謝していることを示したのです。
 この夜早く眠ると白髪になるとか、しわがよるとかいった俗信があるのは、その名残のようです。
 現在でも、夜眠らないで元旦を迎える地方がある。
 その代わり、新年第一日日の元日は、一日中寝ている「寝正月」でよいのです。
 また青年たちが除夜の鐘を合図に、裸で海に飛び込む地方もあります。これも一年中の穢れを落として、歳神を迎えるための禊です。
 また洒や餅などを先祖に供え、おせちなど特別の食卓につく風習があります。
 他に除夜に火を焚く行事が残っている地方もあります。
神社ではこれを神事として行い、一晩中大筆火を焚いきます。
 今は、一日は午前零時に始まり、午後の十二時で終わりますが、大昔の一日の始まりは太陽が沈むときで、次の日に再び太陽が沈むときまでを一日としていました。
 つまり、昔の大晦日は、現在で言えば十二月三十一日の日没までだったのです。
 そのため、正月の準備は日没までに終わらせ、夜中から明け方にかけて、年神を迎えて祭る年神祭りをとり行ったのでした。


| ryuichi | 20:55 | comments (x) | trackback (x) | 御菓子話 |
蕎麦の話
そばの話

日本人はそば好きです。そして、美味しいそばは日本の文化。かたくなに暖簾(のれん)を守るそば屋は今も昔も変わらない味を提供してくれます。

そばは、中国から日本に渡ってきて日本独特の文化を生むようになります。
現在のそばの形はそば切りといわれ、今から400年程前の慶長年間位に出現したとされます。
丈夫なそばは荒地や高地でも栽培ができ、収穫の期間が75日と短い為に穀物の不作の時に非常に役立ったのです。

そばは100%そば粉を使ったものが美味しいと思われますがちですが、100%そば粉のそばは切れやすく、その為セイロで蒸して食べました。セイロそばの所以です。その後、つなぎに小麦粉を使った二八そばが発明され、ゆでたそばが食べられるようになります。

新鮮なそば粉で打ったそばは薄い緑色をしています。黒いそばはそばの実まで挽いたため黒い色をしています。そばの実の外側を取り除いたそばは白っぽい色をしています。黒い方がそばらしさはありますが、白いそばも食味が良く美味しいものです。

そば屋でざるそばを食べたあと、昔はそば湯(そばのゆで汁)が黙ってても出てきましたが、最近は言わないと出てきませんね。そば湯を飲むためにそばつゆをわざと残し、温かいそば湯をいただく。これもそばの醍醐味です。

ちなみに、そばには、赤ワインやお茶に含まれているポリフェノールの一種であるルチンが含まれていますが、そのルチンは水溶性の為、茹でると溶け出してしまいます。
そば湯を飲むということはルチンをとることになり健康に大変良いのです。
そばを食べたら必ずそば湯をいただきましょう。


| ryuichi | 14:30 | comments (x) | trackback (x) | 御菓子話 |
「水の話」
饅頭や団子、そして柏餅、さらに羊羹など、和菓子つくりに水は欠かせません。
当店では、三春の水道水を電磁分解した軟水アルカリイオン水を使用しています。

硬水か軟水かを決めるのは“硬度”です。
硬度とは水のなかに含まれるカルシウムとマグネシウムの合計量を数値化したもので、この数値が高いものを硬水、低いものを軟水と呼びます。わかりやすく言えば、カルシウムとマグネシウムがたくさん入っている水が硬水、少ない水が軟水ということです。
 水のミネラル成分は、雨水や雪解け水が大地にしみこみ川となって流れていく過程で、周囲の地層などの成分が少しずつ溶け込んだものです。

地域によって硬度に大きな差があるのは、大地を形成している物質が地域によって違い、水の滞留時間が異なるからだと考えられています。
たとえば欧米などに多く見られる石灰質の地層では、カルシウムを多く含む密度が高い地層を地下水が時間をかけて通り抜けます。地表の川の水も広い欧米の大地をゆっくりと流れて海にたどり着き、こうしてミネラルがたくさん溶け込んだ硬度の高い水となります。
日本では、雨が多く密度の低い火山性の地層が多いため、地下水の滞留時間が短くなります。また、川の水も土地が狭く傾斜が急なために、あっという間に海に流れ出てしまいます。
こうしてミネラル分をあまり含まない軟水になるのです。
硬度100未満の軟水は、炊飯や和風だしをとるなど日本料理全般、そして緑茶をいれたりするのに適しています。
反対に硬水で炊飯をするとごはんがパサパサになったり、緑茶の味や香りが十分に引き出せなかったりします。
 硬度100~300の中硬水は、洋風だしをとったり、煮物や鍋物をするのに向いています。
 そして硬度300以上の硬水は、スポーツ後のミネラル補給や妊産婦のカルシウム補給、そして便秘解消やダイエットにも役立ちます。

日本のほとんどの地域の水は軟水です。
軟水は一般的に料理に適しており、そのおかげで日本では水をふんだんに用いて素材そのものの味を生かす料理が発達しました。水を多く使う煮物、吸い物や、葉野菜をさっとゆでておいしく食べるという方法もあります。
だしをとるのも軟水ならではの方法で、ご飯を炊くときも、米にたっぷり水を含ませて炊きあげます。
飲み物に関しても、日本人がよく飲む緑茶も水そのものの味が左右することもあります。
茶道が発達した理由のひとつに軟水もあげられるでしょう。

ヨーロッパの水はほとんどが硬水です。
硬水はミネラル分が豊富に含まれていますが、料理に利用する場合は、そのミネラルの作用でたんぱく質が固まって旨み成分が溶け出さない場合もあります。
そのため、ヨーロッパでは水をそのまま利用しないで料理をする工夫が生まれました。
野菜に熱を加えるときは野菜自体に含まれる水分を利用して蒸したり、オーブンで焼いたり、油脂を加えて煮込んだりする料理が発達しました。
米は炒めたり蒸したり、水を使わずスープストックや牛乳で煮たりしますし、肉も油で炒めたりローストしたりすることが多いのです。また煮物はシチューのような煮込み料理が多く、水で直接煮込まずにスープストックを使い、ワインや生クリームを加えて調理します。
こうした背景からフランス料理のような料理文化が生まれたとも考えられます。



| ryuichi | 20:27 | comments (x) | trackback (x) | 御菓子話 |
赤飯の由来
古代より赤い色には邪気を祓う力があるとされ、例えば墓室の壁画など呪術的なものに辰砂が多く使われ神話の賀茂別雷命や比売多多良伊須気余理比売出生の話に丹塗矢(破魔矢の神話的起源)の伝承があることからも窺える。
また、神道は稲作信仰を基盤として持ち(田の神など)米はとても価値の高い食糧と考えられてきた。このため、古代には赤米を蒸したものを神に供える風習があったようである(現在でもこの風習は各地の神社に残っている)。
その際に、お供えのお下がりとして人間も赤米を食べていたと想像される。米の源流をたどると、インディカ種とジャポニカ種にたどりつく。インディカ種は赤っぽい色をしており、ジャポニカ種は白である。
縄文末期に日本に初めて渡ってきた米はこの2種の中間の種類で、ちょうど赤飯くらいの色だった。この米を日本人は、江戸時代になる前まで食べていた。しかし稲作技術の発展による品種改良でより収量が多く作りやすい米が出てきたこと、食味の劣る赤米を領主が嫌って年貢として収納することができなかったので次第に赤米は雑草稲として排除されるようになった。
だが赤いご飯を食べる風習自体は生き続け、白い米に身近な食材である小豆等で色付けする方法がとられるようになったと考えられる。赤飯にゴマを乗せるのは白いご飯を赤くしたことを神様にゴマかすためである。
現在は祭りや誕生祝いなど吉事に赤飯を炊くが、古くは凶事に食べていた(→ハレとケ)。赤い色で邪気を祓う効果を期待してのことである。
いつ頃から反転したのかは不明であるが本来吉事(または平時)に食べる白飯を凶事に食べ、逆に凶事の赤飯を吉事に食べることで縁起直しを図ったと考えられている。



| ryuichi | 20:37 | comments (5446) | trackback (x) | 御菓子話 |
ふくしまビックフェアー「自転車でGO!グルメまつり」
今週末の8月22日(土)23日(日)の二日間
福島テレビ主催 おもしろ夢ランド ふくしまビックフェアー
「自転車でGO!グルメまつり」が開催されます。
場所は、福島競馬場 馬場内広場です。

毎週土曜日ひる 12:00~13:00放送の「サタふく」人気コーナー「自転車でGO!」との連携企画で、井草アナウンサーが番組内で食べたグルメを紹介するブースに
当店も、テレビで紹介された「三春油まんじゅう」を出品します。
両日とも、5個入れを一パック550円として限定50パックを販売いたします。
尚、「平成版三春絵図三春物見遊山」も配布します。

ふくしまビッグフェアは、ふるさとの活性化とゆとりある暮らしを応援することを目的として平成3年からはじまりました。
今年で18回目を迎え、福島の夏の一大イベントとしてすっかり定着しております。
県内各地の観光物産やうまいものが大集合する物産コーナー、お笑いステージ、テレビでおなじみの番組の体験コーナー、そして夜空を彩る「花火ファンタジア」など、楽しいイベント盛りだくさんでお待ちしております!夏休みの思い出づくりに、ぜひご家族・ご友人・カップル等の皆様のご来場をお待ちしています。
この、ビックフェアーの詳細は、福島テレビCMやホームページで案内をしています。



| ryuichi | 15:12 | comments (4136) | trackback (x) | 御菓子話 |
饅頭の神様「林浄因」
饅頭の神様「林浄因」
近鉄奈良駅を降りてすぐ南の、漢国神社の一角に小さい林神社がある。中国から渡来して日本に初めて饅頭を伝えたという人、林浄因を祭り「まんじゅうの神様」と言われている。始祖が紅白上用饅頭を埋めたと伝えられる饅頭塚も残っている。
漢国神社は林浄因が住んだことから名付けられたといわれる林小路町にある。

 当時禅宗の僧侶は中国で修行することが大きなステータスであった。
林浄因は中国は浙江省杭州の出身であると伝えられる。京都の建仁寺三十五世龍山(亀山)禅師が修行後帰国のおり浄因が師従して南北朝時代の1341歴応4年に日本に渡った。一説に、当時の中国は元の時代であり抑圧がひどく亡命だったといわれる。何しろ男子3人と一家で全財産を持ってきているので亡命だとは思う。しかし元朝だから抑圧されていたというのは実は元時代は最も文化の自由な発展の時で中華中心の学者の偏見のようだ。

 当初は南朝を頼ったと言われている。その後南朝の衰退とともに、奈良の林小路に一族とそれに従う者たちとで町をつくった。そして家伝の肉や野菜などを包んだものを売ったがはかばかしくなかった。当初のこれはどうよんだか不明である。それを改良して日本タイプの小麦粉で餡をくるんだ蒸物を作りだし、「饅頭」と名づけて売り出したところ非常な評判となった。

 中国では「曼」という字は最も優れたことを意味し頭は最上を表したのでその意味からも非常に喜ばれ親しまれたそうだ。この時の饅頭は紅粉で「林」と中央に描かれていた。浄因の祖先は林和靖といい、饅頭製造を営み詩もたしなんだそうである。浄因は先祖の業を伝えていたのだと思われる。

 浄因が龍山禅師を訪ねるため京に上る際はこの饅頭を携えていったという。これが大きな転機となった。やがて足利将軍家を経て宮中に献上するまでになったのだ。やがて後村上天皇に饅頭を献じたことが縁で、宮女を下賜された。なおこの時結婚祝いとして配った紅白の饅頭が今も祝いの習慣として日本に根付いたといわれている。

この浄因がまず伝えた饅頭は上記したように、最初は現在のような小豆餡ではなかった。それは現在も中国ではマントウは肉や野菜入りの蒸しものだということでわかるとおりだ。しかし日本では肉食禁忌の風習があり、この時浄因は独自に工夫して禅僧にも合う点心として、それまでの具の入らない蒸し饅頭や肉や野菜入りの菜饅頭の代わりに、小豆の餡を入れたものを考案して、これが爆発的に人気を呼んだ。

 当時はすでに上流階級の間で茶を飲む習慣が広まっていたが、当時は1日2食の習慣で点心という腹しのぎのための麺や粥などの軽い食事をとっていた。そして点心の祭の茶受けにはたまに果実や木の実、餅などが添えられる程度だった。ところが、この小豆餡の饅頭は茶とよく合った。やがてなくてはならないものとなり、やがて3食の習慣が始まり、腹しのぎとしての点心の意味が薄れてくると、饅頭は茶菓子として独立した。そして和菓子の歴史もここから始まった。
 その後茶道の興隆とともに塩瀬饅頭の地位を不動のものにした。
 中国での饅頭の起源も書いておく。これは中国の三国時代にまでさかのぼる。
 あまりにも有名な蜀の大軍師・諸葛亮孔明が創ったものが、始まりとの説が有力なのだ。
 孔明が、主である劉備玄徳没後に宰相として中国支配を争う魏を主敵とする三国戦争を始める前に、蜀の後背地固めに、今のベトナムで中国の支配を拒む王の孟獲に対し平定に赴いた時のこと。
 当時の南蛮の盤蛇谷では、河の氾濫を沈めるために、人間の頭を供えて祀る風習があった。
 それを聞いた孔明は、麺(小麦粉)で人の頭の形を作り、羊や豚の肉を混入して、それを人間の代わりに供えたという。文明の優位性を示して威圧するためであった。
「饅頭」という名前の由来がここにあると言われる。
 この中国風の肉饅頭は、日本にも奈良時代に唐菓子類の一つとして伝来した。
 また鎌倉時代から室町時代頃にも中国に留学したやはり禅僧によって伝えられたようだ。その頃の餡は、しその葉などの野菜だという。
 しかしやはり林浄因による工夫まで日本でまるで普及しなかった。
 長い歴史がある饅頭。その甘みを味わうときに思いを馳せたい。



| ryuichi | 15:03 | comments (0) | trackback (x) | 御菓子話 |
「茶道と和菓子」
「茶道と和菓子」
 茶の湯では懐石の後のデザートとして発達してきたものが、生菓子(蒸し菓子)となりました。
 茶菓子に主題と季節を織り込み、亭主が趣向をこらす過程で洗練されていきました。
 
 五味(甘、酸、渋、苦、辛)五感(視、触、味、嗅、聴)を大切に長い茶道の歴史の中で、季節の移ろいにつれて彩りを変え、姿を変える自然を色と形に映した和菓子が成長したのです。

 特別なお茶菓子専門店の御菓子でなくても、名産やごく普通のものでも、それに趣などを感じ相応しいと考えれば、亭主の茶心(茶のセンス)により選ぶ場合もあります。
 正式な茶会では、「主菓子」は濃茶の前の前座の料理の後で、菓子そのものの味を賞味するものに対して、「干菓子」は薄茶の時にお茶と菓子の両者の味が調和したものを賞味するものという違いがあります。

「懐石を伴う正式な茶会」
 懐石→(主菓子)→中立‥‥客は一旦茶室から出て露地の腰掛け待合で次の席入りを待ちます。
                   ドラが鳴り、再び席入りし濃茶が点てられます。
                ↓
 濃茶を飲み終えたあと、正客は亭主に御礼を述べ茶銘、菓子の銘を尋ねます。
亭主の趣向や心配りが感じられます。
                ↓
 濃茶が済めば、緊張感もやや和らぎ干菓子が 出され薄茶が点てられます。




| ryuichi | 22:22 | comments (1319) | trackback (x) | 御菓子話 |
菓子と人生
一年に四季折々がめぐってくるように、私達の一生にも数々の節目があります。
喜びの時、悲しみの時、お菓子はその時に欠かせない、人々気持ち伝えるをものです。
ハレの祝い事には、赤飯・紅白饅頭・鶴の子餅・鳥の子餅・松竹梅あるいは鶴亀のデザインの三ツ盛や五つ盛などの盛り菓子が用いられます。
また仏事用には、黒豆入りの黒飯・春日饅頭・青白じょうよ饅頭あるいは蓮や椿や水仙などのデザインの三ツ盛や五ツ盛の菓子が用いられます。
ここでは具体的に行事とそれにまつわるお菓子を取り上げてみました。
もう一度振り返って日常の生活に活用して下さい。

行 事 内   容 お 菓 子

着帯祝い 妊娠5ヶ月目の戌の日、妊婦は 岩田帯を締めて安産を祝います。戌の日というのは、お産の軽い犬にあやかったものです。
                   紅白餅、帯締めだんご、赤飯 など
出産祝 出産時に弓に弦を張り、弓矢の神秘的威力により、妖魔を退散させた。出産3日目には、近所におはぎを配った。
三ツ目おはぎ、腹わた餅、鳥の子餅、赤飯など

お宮参り 男子31日目、女子33日目に、生後初めて氏神様に参拝し、無病息災を祈願します。
  紅白饅頭、鶴の子餅、おめで糖など

初節句 生まれて初めて迎える女の子では、”桃の節句”、男の子では”端午の節句”をいう。
柏餅、ちまき、桜餅、菱餅、ひなあられ、草餅など

誕生日祝 生後満1年目には一升餅の丸餅に寿の文字を書き健康であるように願い幼児に背負わせる風習があります。
祝い餅、バースデーケーキ赤飯など

七五三祝 男の子は3才と5才、女の子は3才と7才の年の11月15日、氏神様に詣で、今日の成長に感謝し、将来の健康と幸福を祈願する。
千歳飴、鳥の子餅、赤飯など

入学祝

卒業祝

就職祝 入学は幼稚園から大学まであります。また卒業式にはお世話になった方へ感謝の気持ちを送ります。
紅白饅頭、鳥の子餅、赤飯
        焼き菓子の箱詰など

成人祝 男子はそれまで頭に何もかぶらず、この時冠をつけた。女子も初めて裳をつける。
       11~16才頃が多かったが、現在は20才を迎えた門出を祝います。
赤飯、紅白饅頭、引菓子など

結婚祝 結婚式は人生最大の慶事であり、第2の人生へ出発する大切な儀式です。
松竹梅の式菓子、ウエデイングケーキなど

結婚記念 結婚後の一定周期にお祝いする日。
10年目「錫婚式」
15年目「水晶婚式」
20年目「陶婚式」
25年目「銀婚式」
30年目「真珠婚式」
35年目「サンゴ婚式」
40年目「エメラルド婚式」
45年目「ルビー婚式」
50年目「金婚式」
60年目「ダイヤモンド婚式」 引菓子、鯛菓子、ケーキなど

賀寿祝 長寿のお祝いで次のようなものがある。
  「還暦祝」60歳:60の干支が一回りして元に返るということから  
 「古稀祝」70歳:人生70古来稀也から引用
 「喜寿祝」77歳:七十七の組み合わせから
 「米寿祝」88歳:米の字が八十八の組み合わせになることから
 「白寿祝」99歳:百の字から一を取り除くという意味から 赤飯、引菓子、鳥の子餅など、箱詰め菓子には金銀の水引を使う。

上棟/新築祝 家屋の骨組みができると建前といって上棟式を行う。
             会社関係では落成祝をし会社名やマークの入った引菓子などが用いられる。
赤飯、紅白の投げ餅、鳥の子餅など

開店祝 商売のスタートを祝う。
       開運の意味で宝船、きんちゃく、うちでの小槌などの図案が喜ばれる。
鳥の子餅、赤飯、紅白餅など

快気祝 床上げ祝は、見舞いに来てくれた人などへ病気全快を報告し返礼します。
おめで糖、赤飯、鳥の子餅など

仏事/法事 子孫は一生をとじた者を丁重に弔い、年忌日には法要を営んで冥福をお祈りするのが務めです。
 「通夜」:親族、友人、知己の見舞いをうけます。お通夜には通夜饅頭を配る風習があります。
 「葬式」:この日は盛り出しといって会葬者に春日饅頭、青白饅頭などが配られます。
 「香典返礼」:七・七忌四十九日)の供養をすませるとお礼の香典返しをします。
 「法要」:法事は初七日、二十一日、三十五日、四十九日、百か日、1周忌、3回忌、7回忌・・・と法事を務めます。宗派により異なりますが、33回忌で一応最終年忌と している。50回忌は亡き霊が天国に召されたとしてお祝いものを使用します。 青白饅頭、焼饅頭、塩釜、式菓子など



| ryuichi | 22:28 | comments (7321) | trackback (x) | 御菓子話 |

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