CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2024 - 03  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
OTHERS



    処理時間 6.061389秒




三春町と和菓子
        三春町と和菓子
                       三春昭進堂店主 高橋 龍一
三春町は、戦国時代の田村公から江戸時代秋田公まで、約五万石(旧田村郡全域と西田、中田など現郡山市の一部)の城下町として栄えていました。
城下町は全国的に見てもお寺や神社が数多く見られますが、お寺の役割として、仏教宗教的な部分と、砦としての位置づけ、そして過去帳という今で言う戸籍の登録という役割がありました。
この三春五万石でもおなじです。
特に江戸時代の秋田公藩政の時には、
新町の前藩主松下公菩提寺である曹洞宗州伝寺では歴代住職への曹洞宗永平寺・総持寺両本山並びに関三箇寺から管主など要職の下命等があり、管内の由緒ある寺院として「録所」を勤めました。
そして荒町の藩主秋田公菩提寺である臨済宗高乾院には「西の白隠、東の月船」といわれた小野町出身の月船和尚など、全国的に有名な名僧高僧が在籍し、ともに禅宗寺院の修行道場として、歴代住職の下へ、その徳を慕い教えを乞いに全国から雲水が参禅し、奥州(東北)の禅修業道場として名を馳せ、参禅(修行)する雲水たくさん在籍していたと伝えられています。
また、その門前町である荒町と新町には、雲水や参詣者のための宿坊が多数軒を並べていたと古文書絵図が物語っています。
 鎌倉時代に、日本に臨済宗と共にお茶をもたらした歌人でもある栄西禅師との係わり合いから禅宗寺院では、お茶とお菓子を食することが、禅の修行として位置づけられています。以後、三春でも時代とともに一般庶民にも普及してゆきます。
現在の三春町にお菓子屋とお茶屋そして豆腐屋が多いのは、お寺の各種行事や参禅の雲水、参詣者に出されたお茶菓子や精進料理を作る店が多かったためと、城下町に住む庶民の心のゆとりとも云える文化・生活レベルの高さから現在へ引き継がれているものと考えられています。



| ryuichi | 17:03 | comments (5148) | trackback (x) | 御菓子話 |
和菓子の歴史
    和菓子の歴史
                    三春昭進堂店主 高橋 龍一
『古事記』『日本書紀』によると、第11代垂仁天皇の命を受け、不老不死の理想郷である『常世 の国』(とこよのくに)現インドへ“非時香菓”(ときじくのかぐのこのみ)現在の橘(たちばな)を求めて立ったとされています。
つまり、菓子の起源は、果物だったのです。
菓子の普及 鎌倉時代
鎌倉時代は、貴族社会から武家社会へという急激な変化と、災害・飢饉の発生が重なり、民衆がとても苦しんだ時代でした。それにより、仏教も民衆を救う仏教の宗派が生まれてきました。
鎌倉時代に生まれたたくさんの仏教の中で、和菓子に一番影響を与えたのは禅宗でしょう。禅僧は食事の前後に、麺類を食べ、また、菓子を食べながらお茶を飲んでいました。これを点心といいます。この習慣が禅宗の普及とともに、民衆に伝わり、菓子という文化が広く普及して言ったのだと考えられます。
南蛮菓子の伝来 室町時代
1543年にポルトガルの船が種子島に漂着しました。歴史の教科書では、「鉄砲の伝来」として有名ですが、和菓子の世界では「南蛮菓子の伝来」として知られています。この時代に、カステーラ、カルメール、ボール、アルヘイなどが伝わりました。これらは、当時あまり食用とされなかった卵や、貴重な砂糖をお菓子に使用している点でわが国にとって新しい文化でした。キリスト教の布教などに利用されたため、これらの菓子は、わが国に急速に普及していくのでした。
お茶とともに 戦国時代
豊臣秀吉の時代に千利休によって茶道が完成されました。当時、お茶に添えられたお菓子は、「茶の子」と呼んで点心とは区別されていましたが、このころの茶の子はとても質素なものだったそうです。しかし、この時から和菓子は、お茶と共に洗練の道を歩んでいくのです。茶道の出現もまた、和菓子にとって重要な分岐点となり、現在のお茶の綺麗な和菓子と、点心の流れを引く饅頭や団子などに受け継がれていくのです。
江戸の庶民文化 江戸時代
戦国時代が終わって、江戸時代になると太平の世となり、庶民文化が花開きました。菓子の需要は高まり、また、求肥や落雁、寒天など和菓子つくりの技術の向上や原材料の多様化とともに、質もよくなり、多様化していきました。交通が整えられたので、名所の和菓子などを食べる機会も増えたことでしょう。この時代に和菓子は成熟、完成していくのです。


| ryuichi | 17:01 | comments (0) | trackback (x) | 御菓子話 |

NEW ENTRIES




Search Box