CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
<<  2009 - 02  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
OTHERS



    処理時間 6.091005秒




饅頭の神様「林浄因」
饅頭の神様「林浄因」
近鉄奈良駅を降りてすぐ南の、漢国神社の一角に小さい林神社がある。中国から渡来して日本に初めて饅頭を伝えたという人、林浄因を祭り「まんじゅうの神様」と言われている。始祖が紅白上用饅頭を埋めたと伝えられる饅頭塚も残っている。
漢国神社は林浄因が住んだことから名付けられたといわれる林小路町にある。

 当時禅宗の僧侶は中国で修行することが大きなステータスであった。
林浄因は中国は浙江省杭州の出身であると伝えられる。京都の建仁寺三十五世龍山(亀山)禅師が修行後帰国のおり浄因が師従して南北朝時代の1341歴応4年に日本に渡った。一説に、当時の中国は元の時代であり抑圧がひどく亡命だったといわれる。何しろ男子3人と一家で全財産を持ってきているので亡命だとは思う。しかし元朝だから抑圧されていたというのは実は元時代は最も文化の自由な発展の時で中華中心の学者の偏見のようだ。

 当初は南朝を頼ったと言われている。その後南朝の衰退とともに、奈良の林小路に一族とそれに従う者たちとで町をつくった。そして家伝の肉や野菜などを包んだものを売ったがはかばかしくなかった。当初のこれはどうよんだか不明である。それを改良して日本タイプの小麦粉で餡をくるんだ蒸物を作りだし、「饅頭」と名づけて売り出したところ非常な評判となった。

 中国では「曼」という字は最も優れたことを意味し頭は最上を表したのでその意味からも非常に喜ばれ親しまれたそうだ。この時の饅頭は紅粉で「林」と中央に描かれていた。浄因の祖先は林和靖といい、饅頭製造を営み詩もたしなんだそうである。浄因は先祖の業を伝えていたのだと思われる。

 浄因が龍山禅師を訪ねるため京に上る際はこの饅頭を携えていったという。これが大きな転機となった。やがて足利将軍家を経て宮中に献上するまでになったのだ。やがて後村上天皇に饅頭を献じたことが縁で、宮女を下賜された。なおこの時結婚祝いとして配った紅白の饅頭が今も祝いの習慣として日本に根付いたといわれている。

この浄因がまず伝えた饅頭は上記したように、最初は現在のような小豆餡ではなかった。それは現在も中国ではマントウは肉や野菜入りの蒸しものだということでわかるとおりだ。しかし日本では肉食禁忌の風習があり、この時浄因は独自に工夫して禅僧にも合う点心として、それまでの具の入らない蒸し饅頭や肉や野菜入りの菜饅頭の代わりに、小豆の餡を入れたものを考案して、これが爆発的に人気を呼んだ。

 当時はすでに上流階級の間で茶を飲む習慣が広まっていたが、当時は1日2食の習慣で点心という腹しのぎのための麺や粥などの軽い食事をとっていた。そして点心の祭の茶受けにはたまに果実や木の実、餅などが添えられる程度だった。ところが、この小豆餡の饅頭は茶とよく合った。やがてなくてはならないものとなり、やがて3食の習慣が始まり、腹しのぎとしての点心の意味が薄れてくると、饅頭は茶菓子として独立した。そして和菓子の歴史もここから始まった。
 その後茶道の興隆とともに塩瀬饅頭の地位を不動のものにした。
 中国での饅頭の起源も書いておく。これは中国の三国時代にまでさかのぼる。
 あまりにも有名な蜀の大軍師・諸葛亮孔明が創ったものが、始まりとの説が有力なのだ。
 孔明が、主である劉備玄徳没後に宰相として中国支配を争う魏を主敵とする三国戦争を始める前に、蜀の後背地固めに、今のベトナムで中国の支配を拒む王の孟獲に対し平定に赴いた時のこと。
 当時の南蛮の盤蛇谷では、河の氾濫を沈めるために、人間の頭を供えて祀る風習があった。
 それを聞いた孔明は、麺(小麦粉)で人の頭の形を作り、羊や豚の肉を混入して、それを人間の代わりに供えたという。文明の優位性を示して威圧するためであった。
「饅頭」という名前の由来がここにあると言われる。
 この中国風の肉饅頭は、日本にも奈良時代に唐菓子類の一つとして伝来した。
 また鎌倉時代から室町時代頃にも中国に留学したやはり禅僧によって伝えられたようだ。その頃の餡は、しその葉などの野菜だという。
 しかしやはり林浄因による工夫まで日本でまるで普及しなかった。
 長い歴史がある饅頭。その甘みを味わうときに思いを馳せたい。



| ryuichi | 15:03 | comments (0) | trackback (x) | 御菓子話 |
「茶道と和菓子」
「茶道と和菓子」
 茶の湯では懐石の後のデザートとして発達してきたものが、生菓子(蒸し菓子)となりました。
 茶菓子に主題と季節を織り込み、亭主が趣向をこらす過程で洗練されていきました。
 
 五味(甘、酸、渋、苦、辛)五感(視、触、味、嗅、聴)を大切に長い茶道の歴史の中で、季節の移ろいにつれて彩りを変え、姿を変える自然を色と形に映した和菓子が成長したのです。

 特別なお茶菓子専門店の御菓子でなくても、名産やごく普通のものでも、それに趣などを感じ相応しいと考えれば、亭主の茶心(茶のセンス)により選ぶ場合もあります。
 正式な茶会では、「主菓子」は濃茶の前の前座の料理の後で、菓子そのものの味を賞味するものに対して、「干菓子」は薄茶の時にお茶と菓子の両者の味が調和したものを賞味するものという違いがあります。

「懐石を伴う正式な茶会」
 懐石→(主菓子)→中立‥‥客は一旦茶室から出て露地の腰掛け待合で次の席入りを待ちます。
                   ドラが鳴り、再び席入りし濃茶が点てられます。
                ↓
 濃茶を飲み終えたあと、正客は亭主に御礼を述べ茶銘、菓子の銘を尋ねます。
亭主の趣向や心配りが感じられます。
                ↓
 濃茶が済めば、緊張感もやや和らぎ干菓子が 出され薄茶が点てられます。




| ryuichi | 22:22 | comments (1319) | trackback (x) | 御菓子話 |

NEW ENTRIES




Search Box