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福島テレビ「サタふくー自転車でGO!三春昭進堂」^youtube
福島テレビ「サタふくー自転車でGO!三春昭進堂」を
youtubeで見れるようになりました。



福島テレビ サタふく「自転車でGO!」は、如何だったでしょうか?
番組終了と同時に、大勢のお客様のご来店とともに、電話が鳴り響きました。
「テレビ見たよ!」「ずいぶん長い放送だね」「これコマーシャルだったら幾ら係るんだろうね?」「饅頭発送ください!」等々、皆様方の声が届きました。
本当にありがとうございました。


| ryuichi | 10:51 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
「三春城御旗立て作戦」


三春ウォーク2011が「勤労感謝の日」の11月23日(水)に開催されました。
10キロのハイキングコースでしたが、山間の城下町の寺社仏閣巡りの上に、集合場所が旧三春城(舞鶴城)のお城山公園ですので、トレッキングと呼んだ方が正確だったかもしれません。



第3チェックポイントの真照寺の参道入り口にある当三春昭進堂には、大勢のお客様がウォークの途中ご来店いただきました。
ありがとうございます。
また、お帰りの際もお土産等をお買い上げありがとうございました。

事前の昨日、三春城下のシンボル「お城山」に沢山の方が入城するというので、我らが親分赤井氏の数年来の念願だった「三春城御旗立て作戦」を実行しました。
赤井親分引率の元、いそいそと竹伐りからの旗竿つくりあら設置までと半日お城山で格闘していました。

初めてで、手さぐりの試みということで、試行錯誤を重ねながらの決行でしたが、何とか6本をお城山に、2本を真照寺参道に建立しました。
その後の反省会では、来年の成功を祈願し一献傾けました。

メンバーですか?あと一人「チャンチキ」がいます。

次年度に向けてメンバーを募集します!




| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春歳時記「七五三と鬼宿日」

北方守護古四王堂(真照寺境内)

11月は七五三ですね。
これから、七五三のお祝いをされるご家庭も多いのではないでしょうか。

七五三は室町時代から始まったといわれています。

七五三の祝いは十一月の鬼宿日に
 11/15 が七五三の日となったのは江戸時代のこと。
 それまで七五三の祝いは「十一月の吉日を選んで行う」とされていたそうです。


三春藩主菩提寺高乾院(荒町)

これが「十一月十五日」に固定されるようになったのは江戸時代、三代将軍家光が後の五代将軍綱吉の袴着(はかまぎ)の儀式をこの日に行ったからだと言われます。
 ちなみに、袴着の儀式と七五三の祝いの一つで、男児 5歳の祝いとされます。
 初めて袴という男子の公的な場での着衣を着けるというものです。

 将軍家の七五三がこの日となったのは、十一月十五日が「鬼宿日」と呼ばれ
 る吉日にあたっていたためです。

3・5・7といった奇数は、古くから陽数として縁起がよいとされていたため、
三歳・五歳・七歳の節目に、無事に成長したことを感謝し
成長をお祝いする行事が定着だといわれています。


七五三が庶民の間に広まったのは、江戸日本橋の呉服屋の宣伝効果によるもの伝えられ、元禄以降の話とされています。江戸中期に発信されたものが、昭和の三十年代になって定着しました。
行事そのものはあっても、着飾って寺社仏閣にお参りをするようになったのは高度成長期以降で現在に至っています。



尚、今年の七五三は、11月15日(火)です。
当三春昭進堂は火曜日定休ですが休まず営業いたします。



また、この日はえびす講でもありますので、ご来店のお客様に「紅白まんじゅう」をプレゼントいたします。
ご来店をお待ちしています。





| ryuichi | 17:55 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
「山手のドルフィン」海を見ていた午後・・・
「海を見ていた午後」ユーミン

山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる

今月、文部科学省主催の平成23年度「地域とともにある学校づくり」推進協議会が横浜の山下公園近くの横浜開港記念館で開催されます。
私も三春小学校運営協議会の会長という役目がら出席してきます。



横浜は久しぶりです。
数年前に、出張があった時以来の訪問になります。

前回は宿泊で、しかも、車での移動だったので、時間を取って山下公園付近の散策に行きました。
山下公園から外人墓地やら山手十番館やら、そしてお目当てはほろ苦い思い出のある「山手のドルフィン」でした。

1961(昭和36)年創業のカフェレストラン。
海を見下ろす夜景が楽しめるので、横浜ドライブの帰り道に寄るのにぴったりの、
デートスポットとして最適のロケーションにあります。
ユーミン(荒井由実時代)の「海を見ていた午後」で歌われています。

最後にお邪魔したのは、もう30年位前の茅ヶ崎での洋菓子修業時代(茅ヶ崎駅前サフラン洋菓子店)でした。
高校を卒業して福島の田舎から出てきたばかりのケーキ職人見習いに、休みのたびに神奈川在住の先輩方は、やさしくいろんな場所に連れていってくれました。
横浜山下公園や外人墓地、港の見える丘公園。
江の島や鎌倉、葉山マリーナとベンチャーズや、1978年にTBSドラマの『やあ!かもめ』の舞台にもなった「ラ・マーレ・ド・茶屋(金曜ロードショウのオープニングにも使われた)」、はたまた大磯ロングビーチなどなど・・・・

何故か、サザンやユーミンの歌を聴きながらです。
サザンではパシフィックホテルや烏帽子岩の解説を聞き、ユーミンでは中央フリーウェイなどなど・・・[山手のドルフィン]もこの類です。

その頃は、もっと小さい喫茶店で、平日の午後は割と空いていて、
修行先の洋菓子店の定休日に、ガールフレンドを誘って、デートでのドライブの途中に海を眺めに何回か行ったことがありました。

しばらく来ないうちに、お店は大型リニューアルが施されていましたが、青臭かったケーキ修業時代を懐かしく思い出していました。

夢や希望にあふれ、何もかも楽しく、煌びやかだったあの頃・・・
ここ「山手のドルフィン」が一番の思い出の場所です。
店の雰囲気や客層、景色までもずいぶん変わってしまって、何となく切ない、少し寂しいドルフィンでした。

あの頃は、若者特有の夢や希望であふれていたような気がしていましたが、アラ50’の年代になった今の方が夢や希望が多いように感じます。
若いころの夢とは、不安の裏返しで夢を探していたような気がします。
しかし、今は、経験値の中で自信が出てきたのでしょう、実現を前提にした夢が見れるようになった様な気がします。


矢沢永吉の語録は数知れませんが、その中一つでこう語っています。

「うぬぼれと言うといやらしく聞こえるけど、
考え方一つ変えていい取り方すれば
うぬぼれ屋ほど自分の主張を大切にしているんですよ。
前向きなうぬぼれならいくらうぬぼれてもかまわないんです。
それは言い換えれば自信だから。
自信ということは何かといえば責任なんですよ」

   永ちゃん最高! 


今回は時間がとれそうもないのでドルフィンにはいきませんが、やはり「思い出は綺麗なまま」がいいですね。


なんでハートカクテル?
それっぽいでしょ!




| ryuichi | 06:38 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春歳時記「地獄の釜の蓋が開く」
「地獄の釜の蓋が開く」
夏の風物詩、お盆。
8月中旬、大多数の日本人が、列島を車で、飛行機で、電車で移動する。
都会は日ごろの喧騒を忘れて静寂な空間となり、地方は久しぶりの帰省者で数日間であるが賑やかさと活気を取り戻します。
 お正月とお盆は日本古来の「魂(霊)祭り」とされています。
正月には「お正月さま」が、盆には「お精霊さま」が、共に祖先の霊であるが、日常生活に侵入して、生者と交歓する異空間を作り出します。
 新しい死者に対しては「新盆」「初盆」と言って、特に丁寧に供養します。
東京中心に新暦の7月に行う地域もありますが、日本各地の多くは月遅れの8月15日前後に行われています。

釜蓋朔日 (暦日 7/1)
盆の月の朔日には地獄の釜の蓋が開くという。地獄の精霊たちは開いた釜の口を通って子孫の待つ家に向う長い旅を始める日とされる。
また、この日を盆の開始とする地域は多く見られ、新盆の家では高燈籠を立てることもした。
 
7日には墓掃除。
12日には精霊棚を作り準備をする。
13日(あるいは12日)は「迎え盆」といい、墓参りをして夕方盆提灯に火を灯し、精霊(祖先の霊)をお迎えし、家の外では迎え火を焚く。
15日(あるいは16日)の夕方には送り火を焚いて精霊を送る。
船引町内では、大滝根川でおこなわれる「灯篭流し」「精霊流し」といい、舟形を作り、供物類を乗せ、盆灯篭を灯してがなしています。
19日や20日に、あるいは31日に送り盆をするところもあります。

仏教がインドから中国に伝搬されて後、儒教や道教などの教えと混同し、地獄の釜の開閉を見張る番人である鬼や、その上司である閻魔大王にも、いわゆる「薮入り」という休暇があり、どうやらそのお蔭で死者たちは一時、地獄の苦しみから逃れられることができるらしい。と言う故事を、「地獄の釜の蓋が開く」と言うのですが、地獄に蓋が有るのか無いのかでは無く、お盆の供養を行う事により、御先祖様で地獄に落ちた亡者も、地獄の責め苦から解放されて、地獄、極楽皆等しく、「楽」になる様を言うのです。
各地の寺院で行われる「お盆供養」と同時に「施餓鬼会」といって餓鬼道に落ちた亡者を弔う行事が行われています。
正月の十六日の盆の十六日は、だれかれなしに仕事を休もうという意味で、この日には地獄の鬼も亡者の呵責を休み、罪人を煮る釜の蓋も開けっ放しになることから、かつてはこの日を「藪入り」といい、商家では商売を休み、使用人にも暇を与えたと伝えられています。

お盆の期間中、お坊さんは檀家の各家を回り、盆棚の前で読経します。
盆棚の前でお経を読むので「棚経」と呼ばれています。
 施餓鬼会とは、供養してもらえない霊である餓鬼をも救わずにおられない仏の慈悲を示す行事です。
盂蘭盆と施餓鬼会が合体したということは、自分たちと暮らしをともにした家族を偲び、三千世界ともいうべこの世に生ける有縁無縁の者たちをも一緒に偲びたいものです。



| ryuichi | 08:14 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春歳時記「夏の足音」
今年の夏はどんな夏になるのでしょうか。
節電で蒸し暑い夏なってしまうのでしょうか。
でも、私たちが子供時代を過ごした、昭和40年代から50年代はエアコンなんて
ほとんど無くて、井戸水で冷やした麦茶やスイカで涼やかさを楽しんでいました。
冷蔵庫で冷やした夏のお菓子は何よりのおやつでした。



三春の城下町に、田村大元神社長獅子、そして三匹獅子の練習にあわせた太鼓や囃子が聞こえる頃から三春の夏が始まります。
梅雨明けの祭礼には当店の菓子も夏の菓子へと変わっていきます。

夏のお菓子、「葛」や「寒天」を用いたものが主となります。
どちらのお菓子も「透明感」と「ひんやり」とした食感が涼しさを感じさせてくれるものとして大切に古くより用いられてきました。

暑い夏には暑い日なりに目と口で楽しむ涼しさはいかがでしょうか。
近頃のようにどちらの家庭にも冷蔵庫があり、いずれの部屋にも冷房がある時代とは異なり、少しの風の動きにも涼しさを感じ、風鈴の音にもこころを動かされてきた人たちが、こころをこめて「もてなし」として用いてきたのがこうした夏のお菓子であります。



今から五十年程前の人たちは夏の日常生活では井戸水の冷たさより冷たい温度は知らなかったといっても過言ではないと思っています。
それだけにこの葛や寒天を用いた透明な冷たさを感じさせる食感を大切にして楽しさを食べていたと思われます。



美味しい水ようかんは、ベースになるこしあんを上手に作れるかどうかが重要です。
自家製こしあんをふんだんに使った「水ようかん」は、とろけるような口当たりの中にもしっかりとした小豆の風味を楽しめるように工夫しています。
今年もたくさんのご注文をいただけますよう、菓子職人が丹精込めて仕上げました。
お客様に少しでも「涼」を感じていただけたなら幸いでございます。
暑くなるこの季節にぜひお勧めします。


| ryuichi | 05:57 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春仏教和合会「歳末助け合い・年末托鉢」
今朝、窓の外から「ほ~~~~~~」と托鉢僧の声。
今日は、網代笠(あじろがさ)、紺の木綿衣、わらじ姿の三春仏教和合会の僧侶がのぼりを掲げ、「法」と唱えながら歩くと、住民らが駆け寄り募金に協力していました。
 その浄財は、「慈愛の心で助け合い」として地域の社会福祉協議会やNHK歳末たすけあいや海外たすけあいに寄託しています。

托鉢というのは仏陀への感謝を表す一つの方法です。

お布施をするほうを施者といいます。お布施は物でもお金でもなんでもいいのですが現代ではお金でしょうかね。
お布施は仏への感謝を表す方法ですから、ありがたくお布施をするということですね。見返りを求めるとお布施にはなりませんね。


(永平寺絵葉書より抜粋)



「布施行」三春仏教会の托鉢
三春城下のお寺さんで構成されている三春仏教和合会で、稚児行列と歳末助け合いの浄財に当てるということで春と歳末の年二回の托鉢をしています。
家の前で、鈴を鳴らしお経を読んでいただけるだけで、背筋がピンと伸びます。
 布施という言葉は、お坊さんに差し出すお礼のことだと理解しておられる方がほとんどではないかと思います。しかし布施とは仏教的に言えば、僧俗の別なく私たちみんなが実践していかねばならない修行の一つです。
私たちはより良い社会の実現を目指してこの社会を形作っています。仏教では理想的な社会を目指す実践項目がいくつか有りますが、その一つが布施行ということになります。
 布施といっても三施といって三種類の布施があります。一つは衣服・飲食・田宅・珍宝などを他に施す財施(ざいせ)。一つは法施(ほっせ)といって人々に仏法を説き聞かせることで、これもちゃんとした布施の一つである。最後の一つは無畏施(むいせ)といい、一切の衆生に畏怖(いふ=おそれこわがる)の念がないようにさせることをいうだそうです。よく偉い人で、その人の前でひれ伏さないと気分を害するという人がいますが、布施の精神からは遠くなります。それとは逆に観音さまを別の名で施無畏者(せむいしゃ)というのは、衆生に畏怖の念が起こらないようにするからです。だから観音さまの前では、ことさらにひれ伏す必要はないといいます。
 禅僧は、托鉢に出かけることを仏教用語では次第乞食(しだいこつじき)といって、次第乞食とは軒並み家を托鉢(たくはつ)して廻り、一軒もはずさないことをいいますが、「家を一軒はずすなら、その村ごとはずせ」と言われています。お金持ちであろうと貧しかろうと平等に廻ることになっています。お金持ちや偉いといわれる人しか相手にしない僧はニセモノです。そして子供から喜捨(きしゃ)を戴くときも、美人から喜捨を受けるときも同じように頭を下げます。
但し、南方のお坊さんは決して頭を下げません。それは相手に善根を積まさせてあげてるから、頭を下げるのは布施をするほうで、お坊さんは頭を下げません。
福井の永平寺を開かれた道元禅師が書かれた「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)に、
「その布施といふは不貪(ふどん)なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。」とありますが、布施は「へつらわない」という気持を込めて行う修行です。
むさぼらない心が布施の第一ですから、財施でも法施でもしぶしぶの気持で行う布施は布施になりません。
合掌    蒼龍謹白

塵壺181号より

(臨済宗カレンダーより)

| ryuichi | 12:05 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春小学校軽音楽クラブ
三春小学校に通う、六年生の次男が所属する軽音楽クラブ練習です。



12月4日の三春小学校総合学習発表会「まほらっこ」での正式発表ですが、練習を兼ねて本日の全校集会での演奏となりました。
数名の親御さんも、応援と見物に見に来ていました。

わが子の成長を改めて感じました。

次男は、ビートルズが好きで、ザ・ブルーハーツにいって、YMO・電気グルーブがすきで、エレキギターやベース・そしてドラムや電子ピアノを我流で日々練習しています。
時折、真照寺の住職にご指導受けながら、調整をしているようです。



親の贔屓目ですが、好きなことには集中力が高く、飲み込みが早印だと思います。
好きなバンドの曲を、ミミコピーで音をつくり、ユーチューブで映像を流しながら、マルチで演奏しています。



画像は、昨夜開かれた小川ロンさんのライブです。
今回で14回目となりますが、ギター好きの次男が、真照寺住職とともに師匠とあがめている方でもあります。



次男も大喜びで、一緒に飯を食いながら、音楽談義に花が咲きました。




ギターケースに貼られている三春昭進堂のシール

| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
恵比寿講祭「紅白すあま」拝
 

恵比寿講 旧暦10月20日

今年は、新暦の11月25日(水)
当日は、恵比寿講祭のお祝いと一年の感謝をこめて、紅白すあま(先着50名さま)を差し上げます。



尚、一個100円で販売もいたします。

えびす神は、海の幸をもたらす「寄り神」として漁民の信仰を集め、
狩衣に風折烏帽子を冠り、右肩に釣竿、左小脇に鯛を抱えて座した姿で描かれ、
漁業、商売繁盛、交易の神様と言われ、その顔はエビス顔と言われるような笑顔を湛えた尊顔です。
大黒天と共に恵比寿大黒と併称され、福神の代表格です。

一般的には恵比寿はイザナギノミコトとイザナミノミコトの第3子・蛭子尊(ひるこのみこと)が「恵比寿様」になったと言われています。
蛭子尊は今で言う身体障害者で、3歳まで足が立たなかったということで、天磐樟船(あめのいわくすふね)という葦の船に乗せて流してしまいましたが、摂津国西宮の浦に漂着し、そこで祀られて恵比寿様になったということです。
また別の説では大国主命の御子で漁猟の好きな事代主命(ことしろぬしのみこと)とも、
彦火火出身尊(ひこほほでみのみこと)つまり世に言う山幸彦とも言われています。

恵比寿様が蛭子尊であるとする説は、記紀神話で蛭子をエビスと訓じているからです。
西宮には全国的に信者の多い夷神社(西宮神社)があり、それらが由来の根拠となっています。

蛭子尊が恵比寿神であるならばエビスは純粋な日本の神ということになりますが、
恵比寿(蛭子)は「戎(えびす)」とも「夷(えびす)」とも表記されますから、学者の間では純粋な日本の神様ではなく、
来訪神、漂着神ではないかと考える人も多いようです。
つまり葦の船で流したと言う伝説もそれが変形された形で伝えられたのではないかと言うことです。

そもそも恵比寿そのものが異邦人を意味する言葉なのです。
夷は、解字すると解りますが、大(両手両足を広げた人の意味)と弓からなります。
つまり弓を射るため足を広げて踏ん張り、手を大きく広げて弓を引き絞っている人間の形を表しています。
古代中国東方の弓を引く異民族を指した言葉でした。
また戎も戈(ほこ)と鎧(十は亀の甲の異形で鎧)の意味で古代中国西方の異民族を指しました。
和語で異民族を指すエビスと言う言葉を戎や夷と言う字が入ってきた際漢字として充当したのです。

この神は今では商店主・農民の間に広く信奉されていますが、本源は漁民の神であったと言えます。
日本では古くから異郷から訪れて豊漁をもたらすものを神として信仰する風習がありました。
地方によっては、鮫や鯨、イルカなどのことをエビスと言っています。
これは鮫・鯨・海豚などに追われて魚群が海辺近くに現れることから、霊力ある神として考えられていたからです。

こうして見てくると、恵比寿は豊漁をもたらす神霊として信仰されていたと言うことが根本にあったことがわかります。
漁の大半が海であることから、航海の守護神としての信仰も中世には起こってきます。
また市場の守護神として祀る風習も後に起こってきます。
乾元元年(1302)、奈良の南の市を開く時、恵比寿神社を祀ったと言う記録があります。
建長5年(1254)、鎌倉の鶴が丘八幡宮にやはり市の神として恵比寿神を奉祀したという記録もあります。

市神としての恵比寿神ですが、市の発展や商業の復活に伴って次第に商業の神としての信仰が生まれ、
福の神となって商人の信仰を集めるようになったようです。
そしてこの恵比寿信仰が布教していく力となったものとして「戎舞わし(えびすまわし)」(戎廻し)という夷神社の神事芸能があります。

また出雲神社には「大黒舞」という神事芸能もあります。
この方は人間が大黒に扮装して舞うものですが、戎舞わしの方は人形を使い豊漁を祝う行事で、後世の人形浄瑠璃の原型となっています。

更に恵比寿神は、漁民・商人のみの神だけでなく、農民の神としても厚く信仰されてきました。
農家では恵比寿神を家の福を増す神、又は台所を守る神とする信仰もあったようです。
陰暦1月、10月20日を恵比寿講の日としていたのも、収穫に大いに関係あるものと思われています。
各家では恵比寿神を祀り、家にある金銭全部を一升枡か二升枡に入れて、尾頭付きの鯛を腹合わせに供えるのが風習です。


| ryuichi | 04:48 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
旧暦七月一日「地獄の釜の蓋が開く日」
旧暦の7月1日が「地獄の釜の蓋が開く日」とされています。

朔日(ついたち)は釜蓋朔日(かまぶたのついたち)と呼んで、地獄の釜の 蓋が開く日です。盆には地獄に行った精霊も帰ってきますが地獄からの道は 遠くて、朔日に出なければ間に合いません。
精霊たちはその日を待ちかねた ようにとびだします。
茄子畑や芋畑などで大地に耳を当てるとその様子が 聞こえてくるといいます。
「地獄の釜のふた」という別名を持つキランソウという植物を、お墓に植える習慣も、「地獄へ落ちたくない」願望の表れなのでしょう。

地獄に釜があるとすれば、その釜に罪人を投げ入れ、苛責を加える鬼もいます。
仏教の六道のひとつである餓鬼がそもそもの鬼であり、その咽喉から火焔を吐く容貌が、まさしく地獄の刑の執行人にダブって見えたのでしょう。
鬼と言えば地獄なのですが、中国では鬼とは死者のことであり、死者は鬼になると言われています。

地獄の釜の開閉を見張る番人である鬼や、その上司である閻魔大王にも、いわゆる「薮入り」という休暇があり、どうやらそのお蔭で死者たちは一時、地獄の苦しみから逃れられることができるらしい。
『往生要集』という書物には「無処帰孤独無同伴」(帰るところなく、孤独にして同伴なし)とあります。
それは、他者と出会うことの出来ない孤独な世界(生き方) です。
自分と他者を切り離し、生と死を切り離すような生き方を、地獄だと教えて下さっています。




| ryuichi | 04:56 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |