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「小川ロン冬枯れコンサート」シジミのストラップ


真照寺阿吽講「小川ロン冬枯れコンサート」



先日、さすらいの吟遊詩人「小川ロン」さんのコンサートに行ってきました。
毎度ながら、心に響く歌と楽しいトークで会場となった菊川屋双龍ホールでは、お客さんがコンサートをおもいおもいに楽しんでいました。
ロンさんも、8月には大病を患い3週間にわたる入院生活をされたそうです。
今回の冬枯れコンサートも、東北復興応援と自身の病気回復コンサートとしていました。
MCで、大病しても尚ギター一本で、日本全国を旅しながら歌っていられる幸せのありがたさを話されていたのが印象に残りました。



コンサートの合間に、滋賀県野洲の「和裁ひまわり会」代表の新征子さまから東北の被災された方々のためにと預かってきた琵琶湖のシジミを加工した、和裁シジミストラップを頂戴いたしました。



新様ありがとうございます。




| ryuichi | 05:45 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
赤い戦闘機(アウディーカブリオレ)「私がオバさんになっても・・・」


6年ほど乗った、平成3年型のアウディーのカブリオレをとうとう手放してしまいました。
オープンカー好きの私には完全に趣味の車で、計理士の先生から店の経費には一切認めてはもらえず、経費には組み入れていませんでした。
アメ車から乗り継いで、小さい日産フィガロからのスイッチした、ドイツ車です。
以前も、アウディーを所有していました。
この車も大変乗りやすい車で、普段の足として、北は岩手、西は新潟、南は東京・横浜など高速クルージングを楽しみました。

しかし、禁煙してから約三年、この度エコに目覚めた私は、トヨタのプリウスαを予約したのを期に、とうとう赤い戦闘機から降りてしまいました。



この車を入手以来、屋内車庫で保管。
リヤのシールド交換やナビやetcの装着。
タイヤ交換や小まめのオイル交換等々、たくさんの方の手助けを得て、ずいぶんと手をかけました。
夏は暑いし、冬は車庫で冬眠。
手間のかかる車ですが、かえって愛着がわくもんなんですね。




このアウディーでは、避暑地で活躍しました・・・・
特に那須高原や裏磐梯での活躍を忘れるわけにはまいりません。
インターを降りると屋根を開けてオープン・エアーを満喫していました。
しかし、紫外線アレルギーの私は、日焼け止めクリームにサングラスそして帽子にと・・・フル装備でのドライブでしたが、
さらには、普段着である作務衣にハンチングハット、そして雪駄といういでたちで、変わった格好ですよね!
知らない女の子に写真を撮られたり、そこら辺をドライブさせられたりと、随分楽しませていただきました。

チャラチャラ?
ですよねー!

森高千里「私がオバさんになっても」ですよ・・・



すみません」>」」
森高ファンなものですから・・・・







| ryuichi | 06:40 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
「ローマの休日」相変わらず綺麗だなぁ!


先日、BSで「ローマの休日」が放映されていました。
DVDは持っていましたが、つい、録画していたのを見ました。
1953年制作の白黒フィルムですが、白黒ゆえにいっそうオードリーヘプバーンの清楚さが際立って見えます。
ある国の王女と新聞記者のおとぎ話のようなラブロマンスは、公開と同時に彼女は世界中を魅了しました。

そう云えば~
という感覚とともに遠い記憶がよみがえってきました。
主演のオードリー・ペップバーンに似ていた奴が居たなぁ?とおぼろげな記憶を辿っていくと、少しずつ霧が晴れて紐解けて行きました。

小学からの同級生が、当店に買い物に来てくれますが、正しくこの娘でした。
この娘といっても、当然同年代のアラフォー(50’?)世代ですが、知的で大人の女性の色気のある方です。

この同級生は小学校の時の転校生で、「ローマの休日」での上品でやんちゃでお転婆なお姫様を演じたオードリー・ペップバーンに似ているなあと子供ながらに見とれていました。
今から思えば普通の女の子でしたが、妖精のようにチャーミングな言葉と仕草などは、何か輝いていたように記憶しています。
まさに、チャーミングな笑顔が素敵な、そして勉強も良くできた、みんなのあこがれのマドンナでした。

アラ50’世代と呼ばれ始めた昨今でも、全然変わってなくて、あいかわらずオシャレで可愛い・・・というよりは、彼女の周りだけ時間が止まってしまったのでは?というくらい綺麗です。
ウン十年という時間が経過していますが、「可愛いという思い出」が全く崩れることなく、さらに綺麗なままでいてくれて本当に嬉しい限りです。
思い出は美しいままがいいですよね・・・・

懐かしさ、チョット苦い記憶が蘇る甘酸っぱい想い出。
青くさい時代を思い出します。

女性のの内面からにじみ出る美しさというものは、年を重ねるごとにごとにその輝きを増し、色あせることはないものなんですね。
「年を重ねる」とは、様々な経験を経て人生の引き出しが増えるということ。
素敵な言葉ですよね。

いっぱい引き出しを作れば、作るほど、奥の深い魅力的な女性になるのではないでしょうか。
そして、美しさというものは外見だけではなく、内面から出てくるものだと思っています。
美しい人ってつねに前向きですよね。
それが笑顔にもつながり、外見の美しさにも結びつくんじゃないかと感じます。

心が美しい人は、笑顔が素敵です。
目が笑っている笑顔は、やさしさに包まれています。

自分を大切にしているからこそ、他人も大切にできる。
「自分を大切にすること」は、決してわがままや自己中出はありません。
しっかり自立するということなんだろうともいます。
自分を大切にできない人は、他人も大切にできませんよね。

今が幸せなのでしょう.
子供のころ、その時以上に輝いている、自信がある生活をしている。
そのように見えるからだと思います。

こんなことを書いていると、昔の彼女?と言いたいところですが、前記したように、同級生一同のアイドル的存在で、内気な私など、話しすらしたことがありませんでした。
今思うと残念です!

最近、斉藤和義の「ずっと嘘だったんだぜ」ではなくて、「ずっと好きだった」が耳に残ります。




せめて妄想だけでも・・・ん?
この曲は、懐かしくオーソドックスなギターがカッコイイシンプルな曲です。

往年のビートルズ「ゲットバック」を再現したCMも話題になりましたね。
学生時代の憧れの娘に同窓会で再開するという歌詞は、リアルに経験がなくても「ドッキッ」としてしまいます。

この歌詞を聴いて遠い記憶がよみがえる人もいるんじゃないですかね・・・
それが、余りにも切なくて、自分のことのように胸が痛くなります。
アラ50’男としては、今さら、「相変わらず綺麗だなぁ!」って言ってみるのも結構勇気ほしいものですよね。


楽しくって、切なくって、胸がキュンとなる、同級生との時間。
たまにはこんな大人の楽しみも良いなぁと思いました。
やはり、同じ三春に住む同級生というか幼馴染?まして憧れの君は、どんなに時間が経ていても何気ない話をするだけでも落ち着くもんですね。

え、誰だって?
それは言えませんよ!内緒です。
数分間の恋愛映画を見ているような、素敵な思い出です。
もう少し、甘くて酸っぱい「青い夢の世界」を独り占めさせて下さい・・・


美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。

オードリー・ヘプバーン

| ryuichi | 06:46 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
『青いターバンの少女』フェルメール


京都で「フェルメールからのラブレター展」が始まっています。
何とか調整して見に行く予定でしたが、
なんと、この展覧会が仙台の宮城県立美術館で10月27日から12月12日まで開催という嬉しいニュースが届きました。

美術館開館30年記念事業として企画されということ。

「フェルメールからのラブレター展」仙台

【会 期】10月27日(木)~12月12日(月) 9:30~17:00(土日は19:00まで)

【会 場】宮城県美術館

【主 催】宮城県美術館、河北新報社、仙台放送、財団ハタステフティング

【協 力】KLMオランダ航空、東日本旅客鉄道仙台・盛岡・秋田支社
      めんこいテレビ、秋田テレビ、さくらんぼテレビ、福島テレビ

[手紙を読む青衣の女]、
[手紙を書く女]、
[手紙を書く女と召使]
                             
フェルメールでは、『青いターバンの少女』が好きです。
フェルメールといえば窓際光の画風というイメージですが、この『青いターバンの少女』いは窓が配置されていません。
けれどその世界は優しさに満ちた透明な光が溢れていて、静かでありながら生き生きしていて…ゲージュツらしい尖がったところはなくても充分すぎるほどに個性的です。
さらによくよく見ると素朴さのなかに青いターバンというインパクトのある色がつかわれており、さらりその少女は真珠の大きな耳飾とつけていて唇が赤い・・なんとも違和感を感じる絵です。
少女の濡れた瞳が魅力的です。
少し開いたつややかな唇も、なんとも言えぬ魅力を放っています。
別名「青いターバンの娘」とも呼ばれる本作において最も特徴的な、黒色で統一される背景に鮮明に浮かび上がる少女の刹那的な表情は、極めて強烈な印象を与えます。
そして、エキゾチックな、青いターバン、そして東洋的な衣装。
そうして振り向き加減のポーズ全体が、観る者に何かを語りかけているみたいです。
美術館のスタッフは、毎朝その表情が変わると語っているそうです。

一般に、全く奇をてらったところのない、一見地味な画風。
美術史上極めて評価の高いオランダ画家です。
しかし、その生涯は謎につつまれ、フェルメールがどんな手法で絵を製作したか確かなことは何もわかっていません。
また、フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる。この青は、天然「ウルトラマリンブルー」という絵の具で、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、「天空の破片」とも呼ばれた「ラピスラズリ」という非常に貴重な鉱石を原材料としている。
そして誇張された独自の遠近法。残された作品はほんの僅か。しかも、デッサンが全く残されていません。



アメリカの作家トレイシー・シュヴァリエは、フェルメールのその絵のタ青いーバンから強い印象を受けて、「真珠の耳飾りの少女」という小説を書きました。
フェルメールの人生を模写したフィクションです。

私は、先日、この小説から生まれた「真珠の耳飾の少女」という映画を観ました。
そのフェルメールが映画の中でどのように描かれているのか、謎の多い画家であるだけにとても楽しみでした。映画はフェルメールの『青いターバンの少女』にまつわるエピソードを繊細なドラマとして再現したものです。
ストーリーはともかく、フェルメールの住んだ家、そしてデルフトの町が、フェルメールの絵そのもののように、
とても美しく描かれた、その映像が素晴らしい映画でした。
撮影監督のエドゥアルド・セラが描き出した映像は当時の色使いそのままというような繊細にして神秘的、素晴らしい映画でした。



| ryuichi | 06:12 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
真夏の福島の夜の夢「魅惑のベリーダンス」


昨夜、福島市で酒席の会合となったために一泊することになりました。
福島駅前のビジネスホテル(福島恵比寿ホテル)に宿をとりましたが、エレベーターでベリーダンスのダンサーの方とと一緒になりました。
当然そのコスチュームです。
なんと屋上のビアガーデンでベリーダンスのショウに出演するとのことでした。
これは男として行かねばなりません。




この恵比寿ホテルでは、毎週日曜日に様々なイベントを実施しているということでした。
先週はフラダンス、そして今週が魅惑のベリーダンスです。

私は知らずに来たということを話すと、支配人から「ラッキーでしたね!」と。
ステージは素敵な7人の美人ダンサー(福島市にある、やよいダンススクールの先生と生徒の方々)による妖艶というか魅惑のというか、セクシーというか・・・とにかく素晴らしい踊りでした。
目の前で踊ってくれるのですが目のやり場に困ります。
いたたまれずに、スタンディングで踊っているダンサーと友達の女性のグループに混ぜていただいて、一緒に楽しんできました。

本当に楽しかったんです。
しかも偶然なんです。
たまたまエレベーターで一緒になってお誘いを受けたから行っただけなんです。
男なら、偶然乗り合わせたエレバーターの扉が開き、ドアの前にベリーダンスの格好をした女性数名微笑みながら立っている。
するとこの密室に乗り込んできて、「これからショウで踊るんですが、見に来てください」と言われれば、セクシーな衣装を身にまとった美人ダンサーがですよ・・・
「はい!」と返事をしない方はいないはずです。
福島は楽しいところです。



お盆なのでしょうか、その夜は偶然入った焼き鳥屋(やきとり余市)さんでは、偶然の出会いが重なりました。
大将からはばバブルのころの、懐かしい方のお名前を聞けたり、お客さんには福島藩筆頭家老の末裔の方と同席させていただいたりと、楽しい一夜となりました。


| ryuichi | 14:34 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
訃報、「百鬼どんどろ」岡本芳一
先日、「百鬼どんどろ」の岡本芳一氏が亡くなったことを知りました。
聞けば、昨年秋より「骨髄異形成症候群」という難病で、松本の信州大学付属病院にて闘病していましたが2010年7月6日享年62才にて永眠したということでした。

岡本芳一氏は、「卍」を長野で見たのが始まりで、等身大の人形演じる女の美しさが一種異様な光景でした。
以来、個性的なパフォーマンスに魅了されてきた隠れファンです。

「百鬼どんどろ」とは、
HPによれば、1974年に岡本芳一が創立。
80年より「百鬼人形芝居どんどろ」と改名し荷車を引いて芝居道具、生活道具をつんで歩く旅芸人生活開始。
野宿、自炊の生活をしながら神社の境内等で 丸太小屋を掛けての見せ物人形芝居を展開。
農山村での暮らしと風土の中から、人間の内面に潜む情念をあつかった多くの作品を生む。代表作『清姫曼荼羅』では、有名な伝説を題材とし、執着のあまり蛇身に変じて男を焼き殺した女の情念を描く。
女は人形、男は遣い手によって演じられ、両者の動きは様式性を帯びて、エロティシズムを漂わせる。
上演の会場も寺社の境内や河川敷など、豊かな自然や土俗的精神性を宿すような場所が好んで選ばれる。
とあります。

等身大人形を遣うと同時に、遣い手自身も人形遣い としてではなく、 演技者として舞台を勤めています。
その独自のパフォーマンススタイルは、すべての既成のジャンルに属せず、人形そのものの持つ不思議な魅力を引き出す事により、 普遍的な人間の内面世界、幻想的な妖美の世界を描き出し、 カンヌ国際人形劇祭で最優秀賞を受賞する等、 世界各国で高い評価を受けています。

調べましたところ、今年の7月に、遺作となった映画「VEIN-静脈」が上映されるみたいです。
「VEIN-静脈-映し出されるのは、あなた自身の心」と題されたこの映画には、一連の百鬼どんどろ作品と同じく、セリフというものが一切ありません。
出演者は岡本芳一と少女人形のみ。人形師と少女人形の儚(はかな)い愛の物語とされています。


 
案内によれば、そこに漂うのは命のある人形師と命のない(はずの)少女人形のエロスとタナトスの世界。死の世界と生の世界の境界線を漂う愛と痛みの世界を表現しているようにも思える。岡本芳一と少女人形の動きは、アングラ演劇者のようでもあり、暗黒舞踏であるようにも見える。
ずっと舞台で表現を続けて来た彼が、まるで自分の運命を受け入れるかのように、最後に映像という形に残る媒体で作品を遺しました。
と、興味をそそられる言葉が並んでいます。
 
そして映画は、“モノ”(人形)と“生きモノ”(人形師)の間にしか生まれない「禁断の領域」で、愛と痛みの物語が交錯し、そこに刻まれたのは一人の表現者が己の運命を受け入れていくかのようにも見える「極限の愛と痛みの物語」をぜひ見に行きたいと思います。


私は人形に《念》(おもい)をこめない。
人の形に似せた《器》をつくる。
空でなければ《器》は用をなさない。
魂の入れモノだ。
観る人の心が内部(なか)に映ってはじめて
人形は舞台で《生きモノ》になる。

百鬼どんどろ 岡本芳一

ご冥福をお祈りいたします。
合掌



| ryuichi | 14:28 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
スタジオジブリレイアウト展


県立美術館で開催されている、スタジオジブリレイアウト展に行ってきました。



花見の前に行く予定でしたが、震災の影響で延び延びになっていました。



帰りに、飯坂街道にある塩ラーメンで有名な「伊達屋」で昼食をとりました。


普段なら、一時間待ちは覚悟してといわれていましたが、外の待合に居合わせたお客さんから、今日は少なくてラッキーでしたね。震災で約一ヶ月休んでいたそうで、その影響でお客さんが少ないんでしょうということでしたが、

午後一時過ぎに行った私達が、待ち時間も合わせた滞在時間の40分くらいのあいだに、15組のお客様がではいりしていました。
相変わらずの繁盛振りです。



ラーメンも、どこか懐かしさを感じさせてくれる、大変おいしい塩ラーメンです。
行列が出来るのも納得です。



kizuna.com



| ryuichi | 15:27 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
文部科学省主催「平成22年度学校運営協議会研究協議会」


昨日は、東京出張です。
「平成22年度 学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」
三春小学校運営協議会の会長という役職で、霞ヶ関の文部科学省本館講堂で開催された、コミニティースクール関連の研究会の出席です。

公立学校の運営に保護者や地域住民が参画し、その意見を反映させ、より良い教育の実現に取り組むための1つの仕組みです。

 学校教育に対する多彩なニーズにこたえ、信頼される開かれた学校づくりを進めるためには、学校・地域・家庭が一体となって地域に開かれ、地域に支えられる学校づくりを進めることが必要です。
学校評価も、その一つの手段として考え、個々先生の評価の善し悪しではなく、学校の自主性・自律性が高まる上で、その教育活動等の成果を検証し、学校運営の改善と発展を目指すこと。
また、学校が「公共の場」として説明責任を果たし、家庭や地域との連携協力を進めていくことが必要とされています。



午前中に、玉川大学教職大学院の小松郁夫教授の講演「新しい公共型学校の創造」を拝聴し、
学校運営協議会の活動と学校評価を通じての学校・家庭・地域の連携の重要性を再認識しました。

コミュニティ・スクールで何が変わるか
・学校以外の役割の発見
1、 交通安全教室などの安全教育
2、 盆踊りや祭礼などの地域行事
3、 職場体験などのキャリア教育
・協働による新しい教育
1、 学力向上の活動・・・・学習支援と家庭学習の充実
2、 専門性の充実・・・・・様々な専門的知見の活用
3、 特別支援教育の充実・・保護者や地域住民との協働による支援など
・ 学校評価等による新しい管理運営システムの開発
1、「秘密の花園」から「開かれた学校」へ
2、学校関係者評価の充実・・・個別教職員の評価ではなく、学校単位での評価
  評価はランキングではなく、みんなで知恵を出し合うための意見聴取という捉え方
3、学校の説明能力と責任の向上と科学的・合理的な学校つくり

 新しい義務教育を創造する
  :義務教育は地域全体の役割
  :就学前との連続性と発展性が重要
  :良い地域が良い学校を創る
  :子育ては自分育ち

 地域運営学校の在り方とその課題
・ 校長のリーダーシップと保護者・地域住民の連携
:学校トップである校長との相互理解・連携・協力・参画
・ PTA活動との棲み分け
:PTAは学校運営協議会の実働部隊ではない
・ 地域ニーズの何を取り上げ、活用するか
:地域教育力の見極め
:継続性が重要

コミュニティ・スクールの創造的可能性
* 協働・共創による新しい教育的価値の創造
* 学校や社会が「学習する社会」「学習する組織」に進化
* 「熟議」型共通意思の形成による新しい公共教育の創造
* 多文化社会、多様化する社会での教育的資質や水準の保証
* グローバルで、なおかつローカルな教育空間の創造

 学校評価と保護者、地域住民
  1、公的組織のステータスホルダー
    *関係当事者、利害関係者の重視
  2、「辛口の友人」としての保護者・地域住民
    *異意見の重要性=デモクラシー
  3、学校評価は協働、共創システムの根幹

 学校評価の目的とは
1、 組織マネジメント、組織改善・・・・・専門的目標・意義
* 各学校が、自らの教育活動その他の学校運営について目指すべき目標を設定し、その達成状況や達成に向けた取り組みの適切さ等について評価することにより学校としての組織的・継続的な改善を図ること

2、 説明責任、関係者間の連携・協働・・・・本来の趣旨
* 自己評価及び保護者等学校関係者などによる評価に実施とその結果の公表・説明により、公共の場として適切に説明責任を果たすとともに、保護者・地域住民等から理解と参画を得て、学校・地域・家庭の連携協働による学校づくりを進める

3、 学校のガバナンス、公教育の質の保証
* 学校の設置者等が、学校評価の結果に応じて学校に対する支援や条件整備等の改善処置を講じることにより、一定水準の教育の質を保証し、その向上を図ること。




午後からは運営協議員と学校関係評価委員に分かれての分科会方式、そしてさらに7~9名のグループ(11グループ)分れて、「子供たちのために学校・家庭・地域が連携して、よりよい教育を推進するには」というテーマで熟議をしました。
その中で、日本全国様々な地域の運営協議会に携わっている方々現状や課題そして改善や取り組み方などを話し合いました。

1、地域への周知
2、学校・地域・家庭との連携
3、学校・教職員の意識改革
と問題があげられ、その改善に向けた話し合いを実施

熟議のまとめとして、各グループで問題点とその改善方法の発表があり、今後の運営協議会の中で生かして生きたい事柄が沢山ありました。
総評として、筑波大学准教授水本徳明先生から、
1、 学校は「公共の場所」ということをもう一度見直す。
・地域・家庭・学校が、一緒に社会を創ってゆくという考え方
2、 運営協議会の在り方
・ 学校を地域が担う
・ 継続的な人材確保(委員及び教職員を含む)
・ クラブ化を避ける(特定の人になってしまう)
3、 学校サイドの受け入れ方(先生方の意識改革)
・ 学校評価を個々の先生の評価と捉え、その自己防衛本能から運営協議会を受け入れない
4、 校長先生のマネジメントとリーダーシップ
・校長自ら地域の出向く

と締めくくりました。





折角、花の都に来たんですから、帰りに桜田門から皇居である江戸城を散策して、皇居の大きな石垣を見ながら、有楽町方面へ向かいます。



皇居は、昭和天皇崩御のときの弔問記帳いらいです。
このときは、菓子屋修行が一段落を終えて三春昭進堂の戻る前に、長期の休みをつくって、仏国は、巴里に単身研修に行くべく準備のために東京にいたころで、懐かしく感じます。
ちょうどその時期は、菓子屋の倅として夢や希望にあふれていたころで、初心を思い出しまして気を引き締めなおしてきました。





次のお目当て、ご無沙汰をしている有楽町数寄屋橋側のガード下にある、先輩の店を訪ねてみました。

菓子職人への修行時代に、よく先輩に連れて行ってもらった場所で、東京に来た際には顔を出すようにしています。
備長炭で焼いた焼き鳥と天井の上を走る電車の音と雰囲気をつまみに、昔話に花が咲きました。
有楽町でも、おしゃれな雰囲気の銀座とは異質な雰囲気をかもすガード下とは、文字通り上は電車が通る線路です。
その現存する煉瓦の高架下、ドーム型になってる空間の部分で営業している飲食店が、新橋駅~有楽町駅の間には今もたくさんあります。
名物のモツ煮込みを食べて・・・



有楽町は、昭和27年放送のNHKラジオ・ドラマ「君の名は」や、1957年(昭和32年)に歌謡曲の「有楽町で逢いましょう」で、一躍全国的に知られるようになったその地名の由来は、江戸時代にまでさかのぼります。
「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎長益に由来します。
織田 有楽斎は、本能寺の変の信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の死後は関ヶ原の合戦で東軍の徳川方に与して、戦乱の世を生き延びました。
大坂夏の陣前までは豊臣家の姪・淀殿に仕え、戦を好まなかったため豊臣家内では戦を避けようと尽力しましたが、直前で大坂城を退去したため、徳川家の咎めはありませんでした。
有楽斎は、大坂夏の陣の後は、京都に居を定めて隠遁し茶を友に終生過ごし75歳で死去。
1600年頃には出家してすでに有楽と号していました。

自分で有楽流という茶道の一派を創設するほど造詣が深く、千利休の門下の七哲に数えられています。
茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川家康方に属し、数寄屋橋(すきやばし)御門の周辺に屋敷を拝領しました。
その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたのです。その「数寄屋橋御門」の名前は、外堀(そとぼり)を渡ると数寄屋町に通じることから生まれました。

江戸時代、大岡越前による、いわゆる「大岡政談」で有名な南町奉行所があったのもこのあたりです。
江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした、その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名の南北両奉行に分かれ 月番で交代に執務していました。
幕末の北町奉行所は、呉服橋門内(現在の東京駅八重洲北口周辺)にあり、南町奉行所は宝永4年(1707)に常盤橋門内から移転し、この数寄屋橋門内 にありました。


大きな地図で見る


尚、ロシア大使館の前を通り架かった時、江戸期三春藩の江戸藩邸中屋敷跡というのを思い出し、東京で三春を感じる場所もあるものだと、ロシア大使館の周りを三春藩士気取りで散歩と洒落込みました。
三春五万石秋田家江戸藩邸は、この愛宕下中屋敷のほかに、
上屋敷は、新橋・慈恵会医大付近、また
下屋敷は西新宿東京都庁付近にありました。



| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |