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山形蔵王温泉


この夏は何か遠出がかさなります。
昨夜は、出張で山形蔵王温泉です。
出張です。仕事です。
夜の宴会にコンパニオンはいますが、仕事です。

今朝は、定休日なのでゆっくりと蔵王温泉を堪能してきました。
温泉につかり昨夜のお酒を抜いてからの帰宅とします。



ここに蔵王温泉由来の解説によれば、
「日本最古の一つに数えられる蔵王温泉は、西暦百十年吉備多賀湯(きびのたがゆ)に発見され、蝦夷征伐で病んだ身体が完治したと伝えられ、又山岳信仰の霊山としても古くから知られておりました・・・」
「当温泉は強酸性ですので石鹸は使用できません。又ぬれたままのタオルを着物に掛けたりしますと、やがて切れますのでご注意下さい」



まずは、蔵王温泉大露天風呂。
1つのお風呂に 200人も入浴できるという蔵王名物の大露天風呂です。
高原の為、風が心地よく、蝉時雨の降り注ぐ中、森林にすっぽり包まれ広々とした温泉に感動と感謝です。

休憩所にはお茶やビール、ジュースなどの他に
名物の玉こんにゃく(1本100円)
も売っていて、 お醤油の香りがたまりません!
思わずお代りまで注文していました。
風呂上がりの玉こんにゃく!本当に旨い・・・
手にはキリンのフリーを握っていました。

昼食を兼ねて、蔵王温泉の昔ながらの温泉街「高湯通り」に下りてみました。
お目当ては、



蔵王温泉の古くからの共同浴場を3ヶ所の一つ「川原湯共同浴場」
旅館が立ち並ぶメインストリート『高湯通り』から、さらに一本裏通りにまわったところにあります。
ひっそりと目立たないその佇まいは、湯治場として賑わっていたころの面影を色濃く残し、いかにも古びた建物は、情緒溢れる風情があっていいですね。



清掃協力金として。200円を寄付して入る。
浴槽の底そのものが源泉(自噴風呂)という、珍しい共同湯。
そのため浴槽の周囲が格子状になっており、その間からどんどん湯が涌き出てくる。




こちらは、高湯通り沿いにある「下の湯」



そして今日のお昼は、搗き立てのお餅を食べさせてくれるのが山口餅屋。
軒先には「お餅」と染め抜いた赤い暖簾。
メニューのバリエーションには驚かされます。
「あんこ」、「きなこ」、「ずんだ」に「しょうゆ」といった定番はもちろん、「納豆」、「おろし」、「納豆おろし」「くるみ」、「ごま」の他、「海苔餅」、「お雑煮」、「お汁粉」まで、ありとあらゆるお餅が食べられる。
温泉に入り腹も空いていたので、雑煮セットの海苔餅と名物クルミ餅添えを食べました。出来立てで柔らか~いのにコシのあるお餅。
手作りならでは、濃厚な素材の持ち味が食べられました。




大きな地図で見る


チラシより

| ryuichi | 06:45 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
滑川温泉「福島屋」骨休み


休みを利用して、骨休みとばかりに、米沢十湯に数えられる滑川温泉福島屋にいってきました。
福島市から米沢へ向かう国道13号線から,板谷駅へ向かい、さらに山道を8kmほど進んだ場所にある温泉旅館です。
朝日旅行主宰の日本秘湯を守る会に登録している旅館で,冬の間は雪のため閉鎖となります。


米沢十湯のひとつ滑川温泉は、500年ほど前に平家の侍斉藤盛房が前川で滑って転んで温泉を発見したという由来があり、開湯はそれから200年以上たった宝歴13年のこと。当時の上杉藩主の許可を得て、一軒宿の福島屋は湯治場として栄えてきたと案内板にありました。



混浴の内湯と女性専用の内湯があります。
混浴の内湯は石造りで15~6人が浸かることのできる大きさ。
湯口からは無色透明の湯がかけ流しになっていますが、湯船ではきれいな乳白色の湯になっています。
露天風呂からは、眼前の川の流れがよく見えて、気持ちがいいです。


夏などこのまま川に降りて水遊びもできるかな。

食事は部屋食になります。


お膳を三つも運んできてくれたのには、ちょっとびっくりしました。
献立は、岩魚の塩焼き、鯉のあらい・うま煮、きのこなど山の宿らしい食事でおいしくいただくことができました。

事前に予約した米沢牛のステーキを。にんにく醤油で食べますが、これは絶品です。




宿の前には大きな滝があり、なんとその水を利用して自家発電を行い、宿の全ての電気を、この発電機でまかなっているそうなのです。



帰りに駐車場に歩きながらふと見上げると、目の前の小高い巨石の上に鎮座する社を発見しました。
宿の方に聞くと、この付近一帯の温泉を祀った温泉神社だそうです。



帰りに、日本三不動尊という、福島にある中野不動尊に参って「家内安全」「商売繁盛」を祈願しました。



| ryuichi | 06:17 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
那須湯元温泉紀行


休みの日に、那須温泉にでかけました。
ここ那須町は、震災の被害はほとんどなくいつもと変わらない情景ですが、余震の心配のせいか人影はまばらです。
温泉自体も、被害は無く、湯量・泉質ともに異常なしでした。

那須湯元の温泉組合では、震災支援活動として、那須の温泉を、宮城や岩手の被災避難所に設置されている簡易入浴施設に毎日ローリーで運んでいるそうです。



「鹿の湯」です。
那須高原の殺生石の下流にあるひなびた赤松造りの共同浴場です。
湯川に架けられた渡り廊下を越えて共同浴場に行くと、41℃から48℃の温泉があり温度によって分けられた6つ(女湯は46℃までの5つ)の湯舟があります。
酸性の硫黄泉は乳白色できめ細かく、肌にしっとりと吸い付くような入浴感です。
源泉かけ流しのお湯と昔ながらの風情を残す建物は、全国各地から入浴客が訪れています。


本日の宿「雲海閣」です。
「鹿の湯」が混んでいたら「雲海閣」がお勧めです。
決して綺麗な温泉宿ではありませんが、鹿の湯と同じ源泉からお湯を引いている、那須湯元温泉にある旅館です。

 

数年前に、老松温泉に居合わせた常連のお客さんから教えていただいて以来、すっかり気に入って定宿にしています。
以前は普通の旅館でいたが今は食事を出さない素泊まり専門の旅館になりました。

那須街道を下ったレストランやカフェで食事をしたり、テイクアウトで部屋で食べたり自由気ままに過ごしています。


厨房は、そのまま自由に使用できますので自炊も出来ます。



老松温泉喜楽旅館
老松温泉とは那須湯本にある胃腸病の名湯として知る人ぞ知る秘湯です。



また、鹿の湯とは違うアルカリ性の硫黄泉で、鹿の湯と老松の湯の組み合わせは、アトピー体質には効果絶大で、まず鹿の湯にて皮膚を殺菌し、老松温泉にて消毒と乾燥を繰り返すと効き目絶大です。
 子供のアトピー性皮膚炎に悩む親御さんには、結構人気があります。
 さらに、飲用は、糖尿病を煩っている人たちには大変な評判だといわれています。



「那須の殺生石」
湯元温泉の奥にある、案内板によれば、その昔、玉藻の前なる絶世の美女が時の支配者、鳥羽の院の寵愛を受け、やがては国を滅ぼそうとしたと、謡曲殺生石に謳われます。
 正体を現した玉藻は、白面金毛九尾の狐の姿となり、那須へと逃れ、ついには魔力を持つ矢にて討ち果たされる。


死してなお、九尾の狐の妖力は衰えず、石となった後も瘴気を撒き散らし、源翁和尚なる高僧に三つに砕かれた今も、石の置かれる辺り一面草木も生えぬ白い地獄の様相を呈している伝えられています。



北温泉です。


時間があったので、少し足を伸ばしていってみました。
噂では聞いていましたが、なんとも渋い温泉旅館です。



時代が止まったままです。



| ryuichi | 15:12 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
常磐湯本の金比羅様


先日、所用があり常磐湯本温泉に一泊しました。
宿は、息に入りの定宿「古瀧屋」です。


さすがに暖かいいわきです。梅の花が満開になっていました。

翌日の朝、常磐まで来たのだからということで、温泉街から少し離れたところにある常磐金比羅さまに商売繁盛と家内安全を祈願しに参拝してきました。





境内は、神聖な場所という感じがひしひしと伝わってきます。
もしやこれが、「パワースポット」かなという感じです。



境内には幼稚園があり、子供たちの声がこだまして大変居心地の良い空間です。
湯本の金比羅神社は、社殿によれば室町時代の末期の永正2年(1505年)に四国金比羅大権現の分霊を勧請し祭ったとされています。
海上安全の神とされて船乗りの信仰が厚い場所です。
江戸時代初期の元和2年(1616年)に落雷で消失したまま再建しないでいた所、いわき諸藩の年貢米運搬の船、漁船の遭難が相次ぎ、金比羅様の祟りと噂されました。
そこで、当時の別当が四国の大権現宮へ度々祈願したところ、海難事故が減り神社も明和7年(1770年)に再建されたと記されてあります。





境内には、湯長谷藩内藤家の総鎮守の諏訪神社・磐城天満宮・恵比寿様が祀られています。







| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
京都宇治紀行


先日、所用があり京都の宇治奥、抹茶の産地で名高い宇治田原に行ってきました。
時間が出来たので、折角の紅葉の宇治です。


宿も、宇治川畔にある亀石楼に取り、プチ観光と洒落込みました。
宿の名前になる亀石には、伏見城へ通じる抜け穴があるという伝説が残ります。
また、聞くところによると、TVアニメ「CLANNAD AFTER STORY」の中で主人公が宿泊した宿ということす。(この宿がそのままアニメ化してあります)






世界文化遺産の宇治上神社と宇治神社



宇治上神社から源氏物語ミュージアムに抜ける早蕨小路です。




そして、源氏物語ミュージアム

こちらは、宇治観光の定番「平等院」の鳳凰堂です。



十円玉の図柄ですね。
やまり、歴史があり、これだけ美しい構造物です。



近くで見ると感極まるものがあります。


この角度が、ジュディー・オングの版画になった構図の場所だそうです。





宇治川畔の小路とサントリーのお茶「伊衛門」で有名な「茶寮福寿園」

お茶が一般に普及したのは、1191年に、臨済宗の開祖・栄西禅師が中国・宋から茶の種子を持ちかえり、栄西禅師から茶種を贈られた京都栂尾・高山寺開祖、明恵上人(みょうえしょうにん)が栽培を始めてからと言われています。
また、1738年には京都の宇治田原・湯屋谷の永谷宗円(永谷園の創始者)が現在の煎茶の製法を創案するなど、京都はまさに日本茶の「聖地」と言えます。
京都山城地方は、その豊かな自然環境と京や奈良の都を間近にひかえた流通・販売上の条件もそなわって、茶の栽培が定着し、わが国の茶業の中心地として発展をとげてきました。
いわゆる「宇治茶」としての名声は山城の茶に負うところが多いのです。
そのお茶は足利幕府や徳川幕府の庇護を受け、茶師には“御用茶”としての使命が負わされた程です。



亀石楼の皆様、そして源氏物語ミュージアムのスタッフの皆様には、格別の高配を賜りまして御礼を申しあげます。
三春にご来町の折は、ぜひお立ち寄りください。

| ryuichi | 12:33 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
乳頭温泉「鶴の湯」




秋田の角館で所用がありました。
宿泊(夜の宴会)はわがままを言って秘湯乳頭温泉の鶴の湯旅館にしました。
乳頭温泉郷の中で最も歴史ある「鶴の湯」へ。
ちょっと関所を思わせる門柱が出迎えてくれました。





周りは深い山ばかりで、そこにあるのは鶴の湯のみです。
なんだか時代劇の中にでも迷い込んだかのような、景色、佇まい。黒壁萱葺きの建物。
江戸時代で時間がどこか止まっているかのような鶴の湯旅館。





古くは秋田藩主佐竹氏の隠し湯だった歴史ある宿です。
300年前のたたずまいをのこす萱葺き屋根の本陣もあります。
湯の沢にかかる小さな橋をわたれば、そこに温泉です。
茅葺屋根の本陣は、二代目秋田藩主 佐竹義隆公が湯治に訪れた際に警護の者が詰めた建物なのだそうです。





細かい説明は、沢山ネットに掲載されているので・・・省略(宴会で飲みすぎ)



食事は囲炉裏端でいただきます。
料理を持ってきたお姉さんがひととおり、料理について説明しながら給仕をしてくれます。
山菜類・イワナの塩焼き・イワナのお造り・おそば・山の芋鍋など。






| ryuichi | 17:50 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
鹿島神宮散策
先日、所用があり茨城県潮来市に行きました。
時間の余裕ができましたので、パワースポットとして注目を浴びている「鹿島神宮」に参拝してきました。
祈念事項は、「商売繁盛」です。



鹿島神宮は皇紀元年(紀元前660年の建造とつたえられ、東国三社の一つにも数えられている古社です。
祭神は香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、天孫降臨に先立ち国譲りの交渉をしたといわれる武甕槌神(たけみかづちのかみ)。武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受け、さらに鎌倉期以降は武家政権の信仰も得て、社殿・桜門・宝物類の奉納や所領寄進が繰り返されてきました。


楼門

寛永11(1634)年、徳川頼房公が奉納したこの門は「日本三大楼門」の一つとされています。
「鹿島神宮」の扁額は東郷平八郎元帥の直筆によるものです。





本殿とご神木
社殿は元和5(1619)年、徳川秀忠公より奉納されたもので、桃山期の極彩色が鮮やかです。
本殿・幣殿・拝殿・石の間のいずれもが国の重要文化財指定を受けています。
本殿が北向きに建てられているのは武神の霊力を蝦夷の住む東北地方に及ぼすため。
社殿の背後にある杉の巨木は樹齢1,200年と推定されるご神木です。



さざれ石
国歌「君が代」に歌われるさざれ石です。



宿屋やみやげ物屋・食事どころが立ち並ぶ参道


こちらは、旧海軍霞ヶ浦航空隊跡地にあるm阿見町「予科練平和記念館」です。

| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
京都幕末志士遺功散策


  NHK大河ドラマ「龍馬傳」を見ながら
この夏、京都市内にある 幕末に生きた若者たちの足跡を訪ね歩きました。
「龍馬傳」は、幕末に生き、命を散らせていった若者たちへの 鎮魂歌であるような気がしていました。
今年、改めて京都の街を訪ね、伏見寺田屋、伏見奉行所を訪ね、会津藩宿所金戒光明寺、二条城や御所など幕末動乱のときに歴史の表舞台になった場所をめぐりました。

早朝、東山にある京都霊山護国神社の坂本龍馬、中岡慎太郎、その他の志士達の墓の前で手を合わせ、京都の 街を見たとき、改めて若くして命を散らした志士たちへの 鎮魂の念、現在の平和があるのもこの志士たちが居たからという想いを感じました。
今の、この国の苛立ちを この国の儚さを この国の見る夢を この国に上る陽を あの頃の若者たちは、どんな想いで見ているのだろう…



| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
田人散策
所用があり、いわき市田人に行って来ました。
江戸時代は、「上黒田」・「旅人」・「貝泊」が棚倉藩領に、「下黒田」・「荷路夫」が泉藩領に、「南大平」が小名浜代官所の支配下に置かれ、それぞれ幕末まで続きました。


田人七福神


黒田不動堂


せっかくですので、田人散策をしてきました。
地名の所々に蝦夷語とされる名称が残ります。




本日の宿、田人おふくろの宿です。


| ryuichi | 15:41 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
白水阿弥陀堂
所用があり、いわき市常磐湯本温泉の奥座敷白鳥温泉に宿泊しました。
時間が出来たので
いわき市内郷にある白水阿弥陀堂の参拝をしてきました。




1160年、国主岩城則道の妻徳尼が夫の供養のために平泉の金色堂にならって建立したとされ、 平安後期に流行した阿弥陀堂建築の代表作でもあります。
お堂の優雅さ、浄土式庭園の美しさにも定評があり、庭園の雰囲気は平泉の毛越寺とよく似て います。


「白水」の名も平泉の「泉」を二字に分解したという説が伝えられています。


建物内部には、寄木造漆箔の本尊阿弥陀如来をはじめ、観世音菩薩立像、勢至菩薩立像、持国天王立像、 多聞天王立像が祭られ、国の重要文化財に指定されています。


| ryuichi | 15:37 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |