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文部科学省主催「平成22年度学校運営協議会研究協議会」


昨日は、東京出張です。
「平成22年度 学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」
三春小学校運営協議会の会長という役職で、霞ヶ関の文部科学省本館講堂で開催された、コミニティースクール関連の研究会の出席です。

公立学校の運営に保護者や地域住民が参画し、その意見を反映させ、より良い教育の実現に取り組むための1つの仕組みです。

 学校教育に対する多彩なニーズにこたえ、信頼される開かれた学校づくりを進めるためには、学校・地域・家庭が一体となって地域に開かれ、地域に支えられる学校づくりを進めることが必要です。
学校評価も、その一つの手段として考え、個々先生の評価の善し悪しではなく、学校の自主性・自律性が高まる上で、その教育活動等の成果を検証し、学校運営の改善と発展を目指すこと。
また、学校が「公共の場」として説明責任を果たし、家庭や地域との連携協力を進めていくことが必要とされています。



午前中に、玉川大学教職大学院の小松郁夫教授の講演「新しい公共型学校の創造」を拝聴し、
学校運営協議会の活動と学校評価を通じての学校・家庭・地域の連携の重要性を再認識しました。

コミュニティ・スクールで何が変わるか
・学校以外の役割の発見
1、 交通安全教室などの安全教育
2、 盆踊りや祭礼などの地域行事
3、 職場体験などのキャリア教育
・協働による新しい教育
1、 学力向上の活動・・・・学習支援と家庭学習の充実
2、 専門性の充実・・・・・様々な専門的知見の活用
3、 特別支援教育の充実・・保護者や地域住民との協働による支援など
・ 学校評価等による新しい管理運営システムの開発
1、「秘密の花園」から「開かれた学校」へ
2、学校関係者評価の充実・・・個別教職員の評価ではなく、学校単位での評価
  評価はランキングではなく、みんなで知恵を出し合うための意見聴取という捉え方
3、学校の説明能力と責任の向上と科学的・合理的な学校つくり

 新しい義務教育を創造する
  :義務教育は地域全体の役割
  :就学前との連続性と発展性が重要
  :良い地域が良い学校を創る
  :子育ては自分育ち

 地域運営学校の在り方とその課題
・ 校長のリーダーシップと保護者・地域住民の連携
:学校トップである校長との相互理解・連携・協力・参画
・ PTA活動との棲み分け
:PTAは学校運営協議会の実働部隊ではない
・ 地域ニーズの何を取り上げ、活用するか
:地域教育力の見極め
:継続性が重要

コミュニティ・スクールの創造的可能性
* 協働・共創による新しい教育的価値の創造
* 学校や社会が「学習する社会」「学習する組織」に進化
* 「熟議」型共通意思の形成による新しい公共教育の創造
* 多文化社会、多様化する社会での教育的資質や水準の保証
* グローバルで、なおかつローカルな教育空間の創造

 学校評価と保護者、地域住民
  1、公的組織のステータスホルダー
    *関係当事者、利害関係者の重視
  2、「辛口の友人」としての保護者・地域住民
    *異意見の重要性=デモクラシー
  3、学校評価は協働、共創システムの根幹

 学校評価の目的とは
1、 組織マネジメント、組織改善・・・・・専門的目標・意義
* 各学校が、自らの教育活動その他の学校運営について目指すべき目標を設定し、その達成状況や達成に向けた取り組みの適切さ等について評価することにより学校としての組織的・継続的な改善を図ること

2、 説明責任、関係者間の連携・協働・・・・本来の趣旨
* 自己評価及び保護者等学校関係者などによる評価に実施とその結果の公表・説明により、公共の場として適切に説明責任を果たすとともに、保護者・地域住民等から理解と参画を得て、学校・地域・家庭の連携協働による学校づくりを進める

3、 学校のガバナンス、公教育の質の保証
* 学校の設置者等が、学校評価の結果に応じて学校に対する支援や条件整備等の改善処置を講じることにより、一定水準の教育の質を保証し、その向上を図ること。




午後からは運営協議員と学校関係評価委員に分かれての分科会方式、そしてさらに7~9名のグループ(11グループ)分れて、「子供たちのために学校・家庭・地域が連携して、よりよい教育を推進するには」というテーマで熟議をしました。
その中で、日本全国様々な地域の運営協議会に携わっている方々現状や課題そして改善や取り組み方などを話し合いました。

1、地域への周知
2、学校・地域・家庭との連携
3、学校・教職員の意識改革
と問題があげられ、その改善に向けた話し合いを実施

熟議のまとめとして、各グループで問題点とその改善方法の発表があり、今後の運営協議会の中で生かして生きたい事柄が沢山ありました。
総評として、筑波大学准教授水本徳明先生から、
1、 学校は「公共の場所」ということをもう一度見直す。
・地域・家庭・学校が、一緒に社会を創ってゆくという考え方
2、 運営協議会の在り方
・ 学校を地域が担う
・ 継続的な人材確保(委員及び教職員を含む)
・ クラブ化を避ける(特定の人になってしまう)
3、 学校サイドの受け入れ方(先生方の意識改革)
・ 学校評価を個々の先生の評価と捉え、その自己防衛本能から運営協議会を受け入れない
4、 校長先生のマネジメントとリーダーシップ
・校長自ら地域の出向く

と締めくくりました。





折角、花の都に来たんですから、帰りに桜田門から皇居である江戸城を散策して、皇居の大きな石垣を見ながら、有楽町方面へ向かいます。



皇居は、昭和天皇崩御のときの弔問記帳いらいです。
このときは、菓子屋修行が一段落を終えて三春昭進堂の戻る前に、長期の休みをつくって、仏国は、巴里に単身研修に行くべく準備のために東京にいたころで、懐かしく感じます。
ちょうどその時期は、菓子屋の倅として夢や希望にあふれていたころで、初心を思い出しまして気を引き締めなおしてきました。





次のお目当て、ご無沙汰をしている有楽町数寄屋橋側のガード下にある、先輩の店を訪ねてみました。

菓子職人への修行時代に、よく先輩に連れて行ってもらった場所で、東京に来た際には顔を出すようにしています。
備長炭で焼いた焼き鳥と天井の上を走る電車の音と雰囲気をつまみに、昔話に花が咲きました。
有楽町でも、おしゃれな雰囲気の銀座とは異質な雰囲気をかもすガード下とは、文字通り上は電車が通る線路です。
その現存する煉瓦の高架下、ドーム型になってる空間の部分で営業している飲食店が、新橋駅~有楽町駅の間には今もたくさんあります。
名物のモツ煮込みを食べて・・・



有楽町は、昭和27年放送のNHKラジオ・ドラマ「君の名は」や、1957年(昭和32年)に歌謡曲の「有楽町で逢いましょう」で、一躍全国的に知られるようになったその地名の由来は、江戸時代にまでさかのぼります。
「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎長益に由来します。
織田 有楽斎は、本能寺の変の信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、秀吉の死後は関ヶ原の合戦で東軍の徳川方に与して、戦乱の世を生き延びました。
大坂夏の陣前までは豊臣家の姪・淀殿に仕え、戦を好まなかったため豊臣家内では戦を避けようと尽力しましたが、直前で大坂城を退去したため、徳川家の咎めはありませんでした。
有楽斎は、大坂夏の陣の後は、京都に居を定めて隠遁し茶を友に終生過ごし75歳で死去。
1600年頃には出家してすでに有楽と号していました。

自分で有楽流という茶道の一派を創設するほど造詣が深く、千利休の門下の七哲に数えられています。
茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川家康方に属し、数寄屋橋(すきやばし)御門の周辺に屋敷を拝領しました。
その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたのです。その「数寄屋橋御門」の名前は、外堀(そとぼり)を渡ると数寄屋町に通じることから生まれました。

江戸時代、大岡越前による、いわゆる「大岡政談」で有名な南町奉行所があったのもこのあたりです。
江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした、その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名の南北両奉行に分かれ 月番で交代に執務していました。
幕末の北町奉行所は、呉服橋門内(現在の東京駅八重洲北口周辺)にあり、南町奉行所は宝永4年(1707)に常盤橋門内から移転し、この数寄屋橋門内 にありました。


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尚、ロシア大使館の前を通り架かった時、江戸期三春藩の江戸藩邸中屋敷跡というのを思い出し、東京で三春を感じる場所もあるものだと、ロシア大使館の周りを三春藩士気取りで散歩と洒落込みました。
三春五万石秋田家江戸藩邸は、この愛宕下中屋敷のほかに、
上屋敷は、新橋・慈恵会医大付近、また
下屋敷は西新宿東京都庁付近にありました。



| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |