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塵壺2月号「裸で生まれてきたに 何不足」会津柳津福満虚空蔵尊「七日堂裸詣り


会津柳津福満虚空蔵尊「七日堂裸詣り」
~知足・裸で生まれて来たに、何不足~)
正月七日、厄払いと商売繁盛、家内安全そして子供たちの健康と学業成就などなどの所願成就のため会津柳津福満虚空蔵尊菊光堂で行われた「七日堂裸詣り」に参加してきました。



この「七日堂裸詣り」とは、会津柳津の虚空蔵さんとして親しまれている臨済宗霊厳山圓蔵寺で、毎年正月七日夜に、鐘の音を合図に福満虚空蔵尊菊光堂に吊り下げられた鰐口(わにぐち)を目指して一早くよじ登って1年の無病息災招福などを祈願する行事で、テレビや新聞で目にした方も多いはずです。
毎年お誘いを受けるのですが、何かとの理由を見つけて断り続けてきました。
今年は、断る理由を見つけられないまま、様々な縁の巡り会わせと、母の他界した年齢に近づいているとの女房殿からの激励などもあり、4回目の年男を前に一念発起!チャレンジしてみました。



柳津へ行くとなれば、家族と今暁の別れとなるやも知れません。
無事帰還祈念と出立の挨拶ばりに、お神酒を口にして、厳冬の福満虚空蔵尊を目指します。
凍てつく寒さの柳津では、月見ヶ丘柳津町民センターで受付を済ませ、控え室でお神酒を戴きますが、緊張なのかなかなか酔が回りません。
時刻が迫ると世話人の方の指示に従い、素足に下帯姿になります。
外は粉雪舞う厳冬の会津柳津。




開場の鐘の音とともに、各宿坊から飛び出してきた総勢約300名の下帯姿に素足の男衆が「ワッショイ・ワッショイ」の掛け声とともに、身を切るような寒気、そして圧雪の参道を走り抜け目指す虚空蔵尊の鰐口心がはやります。
本堂内は熱気で溢れ、僧侶の読経の中、ただひたすら男衆が鰐口に挑んでいきます。
問答無用とはこのことなのでしょう。寒いもヘッタくれもありません。



無我夢中の男だらけの裸参りです。名前も肩書きも一切関係なし。身に着けているものは下帯のみです。いうなれば、生まれたままの姿で、無心になりひたすら鰐口を目指する。
非日常的な一時間は、あっという間に過ぎお開きとなります。
帰りには、参加の証となる牛王宝印がはさんである「牛王の矢」、そして観光協会の「福引き」でお酒をもらって、下帯一本のまま宿まで駆け足で帰還し、温泉に飛び込みました。
この温泉のありがたさは一生忘れることが出来ないでしょう。
凍えるような寒さの中で、少しの温かさ、裸に何か一つ加わることの有難みを感じます。



江戸期の俳諧人小林一茶が、禅の教え「小欲知足」を説いた句に「裸で生まれてきたに何不足という」がありますが、私たちはこの世に生まれた時には、何も持たずに生まれてきました。そして、死ぬ時も裸で死んで行くに決まっています。
ところがとかく今まで積み上げてきた経験や肩書きや財産に執着し、そこから生まれるプライドや欲をなかなか捨てるということができません。
苦しみ悩みの多くはそこから発生していることがよくあります。
生きているときに、何をどれだけ貯めようが集めようが、全て結局は手放さなくてはなりません。不足を言う前に生かされていることのありがたさを感じて生きようということを、言葉や書物ではなく「七日堂裸詣り」で身をもって感じ、「本当に何か不足しているのか?」と、もう一度自分自身に問い掛けてみる良い機会になりました。
蒼龍謹白  合掌



| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | |