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塵壺3月号「新しい公共型の公立学校」コミニティー・スクールの挑戦
「新しい公共型の公立学校」コミニティー・スクールの挑戦

以前、三春の某医院の院長先生と同席した際に、院長の同級生諸氏の東大や慶応・早稲田などの有名大学卒業という高学力、そして戦後日本の復興の中心をなした方々が多いことについて質問してみました。すると、「戦中から終戦後にかけては、優秀な教職員が疎開して、三春の小中高の学校で教鞭をとっていた。先生が優秀なのだから生徒の学力が上がるのは当然です」「戦後の日本復興のために、三春・田村から優秀な人材を輩出するために地域を挙げて協力してもらった」との返答に、教育の資質向上の重要性を考えさせられたことがありました。
私の所属する三春学校運営協議会(コミニティー・スクール)委員は、子供たちのより良い教育環境の整備のために、保護者や地域住民が、一定の権限と責任をもって「新しい公共」としての公立学校の運営に参加する法整備された仕組みです。現在は全国で600余校に設置されおり、福島県では唯一、三春小学校に平成16年度より設置されています。
先日も、東京霞ヶ関の文部科学省本館で行われた「学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究会」に参加してきました。本会は、日本全国から集まった約400名の学校関係者の方々と、「子供たちのために学校・地域・家庭が連携してより良い教育を推進するには」というテーマで、聴講や、グループに分かれて学校運営協議会の問題提議とその改善策を「熟議」をして方向性を話し合ってきました。
その中で、三春の小中学校での取り組みを発表する機会に恵まれ、「地域の子供を守る」「自分たちの学校」「自分たちの地域」を良くするという意識で、学習支援ボランティア、防犯見守り隊、各家庭での通学路の雪かきなど、地域住民や保護者、自治体や警察など、小さな町だからこそ出来る取り組み方を、事例を交えて説明しました。
また、学校や教職員の方々においては、公共学校の説明責任の中で、学校評価システムによるアンケートの実施とその分析と公表、新しい教育課程編成作成、校内授業研究会や三春中学校区小中連携授業研究会、そして三春町教育研究発表会の開催などを通じての教職員の資質向上を目指し「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」
として児童生徒の学力と人間性の向上に寄与していただいていることを地域住民代表の委員、そして親として感謝している事を、胸を張って発表してきました。
校長のリーダーシップのもとで教職員の教育に対する情熱と真摯な取り組みをふまえて、三春小学校運営協議会としては、学校の教育課程や行事そして施設設備などをどうするかなどを一緒に話し合って決めていることを保護者や地域の方々に、周知していきたいと考えています。
昨今、子育てに悩む保護者の方々は、実は本心を打ち明ける相談相手がいなくて、孤独感の中で、苦しんでいる場合が多いと聞きます。
そんな時、気軽に相談できる「公の場」になっていれば、思い余って学校や教師に怒りや不安をぶつけ理不尽な抗議をする「モンスターペアレント」と呼ばれる方々の存在など無くなるのではないかと思います。
相互のコミュニケーションの活発化を通じた学校と地域との連携・協力の促進により,学校を核とした「新しい公共」が広がっていくことでしょう。
 霞ヶ関の帰りには、愛宕下旧三春藩江戸屋敷跡である西新橋慈恵会医大病院経由、三春と縁のある日比谷公園そして江戸城桜田門経由皇居を散策して、藩校講所の明徳門(現三春小学校正門)をくぐった古の三春藩士に思いを馳せながら帰路に着きました。
蒼龍謹白   合掌


| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | |
ミヤギテレビ「OHバンデス!」の取材・みちのくみやげ旅編
本日の昼に、所用があり役場経由大町出向きました。

すると、八文字屋附近をテレビクルーらしき人々が、カメラやマイクを担いでただずんでいるのを目にしました。
わたしは、車を駐車場に入れて歩いていると、そのテレビクルー・テレビカメラをかまえた取材班らしき人々が近寄ってきました。

「ミヤギの放送局の者ですが、三春のお土産を取材しています。何か名物はありますか?」
と可愛いアナウンサーらしき女性が話しかけてきました。
私は、おもむろに名刺を渡し「私は、みはる名物のおたり饅頭を製造販売している三春昭進堂の高橋です」と名乗ると、下調べでリサーチしていたお店です。とのことで、早速取材を受け入れ店内での撮影となりました。

ミヤギテレビの「OHバンデス!」という平日夕方放映の情報番組で、司会は佐藤宗之さんです。
以前、福島・山形・ミヤギ連携での企画番組にも、当三春昭進堂は取材を受けました。
今回は、「バンデス記者が行く」というコーナーの「みちのくみやげ旅」という内容で、美人レポターとして有名な後藤麻子アナウンサーが担当です。


不覚にも、後藤アナウンサーがあまりにも可愛いので見とれてしまい、取材風景を撮影するのをすっかり失念してしまいました。

放送は、今週の木曜日(2月17日)の夕方の五時からです。

ミヤギにお住まいの知人がいましたら、ご案内ください。

そういえば、2009年3月にも、福島のゴジテレCHUと共同企画「バンデス×Chu!」でも、当店を取材していただきました。


| ryuichi | 15:08 | comments (x) | trackback (x) | 昭進堂店内案内 |
塵壺2月号「裸で生まれてきたに 何不足」会津柳津福満虚空蔵尊「七日堂裸詣り


会津柳津福満虚空蔵尊「七日堂裸詣り」
~知足・裸で生まれて来たに、何不足~)
正月七日、厄払いと商売繁盛、家内安全そして子供たちの健康と学業成就などなどの所願成就のため会津柳津福満虚空蔵尊菊光堂で行われた「七日堂裸詣り」に参加してきました。



この「七日堂裸詣り」とは、会津柳津の虚空蔵さんとして親しまれている臨済宗霊厳山圓蔵寺で、毎年正月七日夜に、鐘の音を合図に福満虚空蔵尊菊光堂に吊り下げられた鰐口(わにぐち)を目指して一早くよじ登って1年の無病息災招福などを祈願する行事で、テレビや新聞で目にした方も多いはずです。
毎年お誘いを受けるのですが、何かとの理由を見つけて断り続けてきました。
今年は、断る理由を見つけられないまま、様々な縁の巡り会わせと、母の他界した年齢に近づいているとの女房殿からの激励などもあり、4回目の年男を前に一念発起!チャレンジしてみました。



柳津へ行くとなれば、家族と今暁の別れとなるやも知れません。
無事帰還祈念と出立の挨拶ばりに、お神酒を口にして、厳冬の福満虚空蔵尊を目指します。
凍てつく寒さの柳津では、月見ヶ丘柳津町民センターで受付を済ませ、控え室でお神酒を戴きますが、緊張なのかなかなか酔が回りません。
時刻が迫ると世話人の方の指示に従い、素足に下帯姿になります。
外は粉雪舞う厳冬の会津柳津。




開場の鐘の音とともに、各宿坊から飛び出してきた総勢約300名の下帯姿に素足の男衆が「ワッショイ・ワッショイ」の掛け声とともに、身を切るような寒気、そして圧雪の参道を走り抜け目指す虚空蔵尊の鰐口心がはやります。
本堂内は熱気で溢れ、僧侶の読経の中、ただひたすら男衆が鰐口に挑んでいきます。
問答無用とはこのことなのでしょう。寒いもヘッタくれもありません。



無我夢中の男だらけの裸参りです。名前も肩書きも一切関係なし。身に着けているものは下帯のみです。いうなれば、生まれたままの姿で、無心になりひたすら鰐口を目指する。
非日常的な一時間は、あっという間に過ぎお開きとなります。
帰りには、参加の証となる牛王宝印がはさんである「牛王の矢」、そして観光協会の「福引き」でお酒をもらって、下帯一本のまま宿まで駆け足で帰還し、温泉に飛び込みました。
この温泉のありがたさは一生忘れることが出来ないでしょう。
凍えるような寒さの中で、少しの温かさ、裸に何か一つ加わることの有難みを感じます。



江戸期の俳諧人小林一茶が、禅の教え「小欲知足」を説いた句に「裸で生まれてきたに何不足という」がありますが、私たちはこの世に生まれた時には、何も持たずに生まれてきました。そして、死ぬ時も裸で死んで行くに決まっています。
ところがとかく今まで積み上げてきた経験や肩書きや財産に執着し、そこから生まれるプライドや欲をなかなか捨てるということができません。
苦しみ悩みの多くはそこから発生していることがよくあります。
生きているときに、何をどれだけ貯めようが集めようが、全て結局は手放さなくてはなりません。不足を言う前に生かされていることのありがたさを感じて生きようということを、言葉や書物ではなく「七日堂裸詣り」で身をもって感じ、「本当に何か不足しているのか?」と、もう一度自分自身に問い掛けてみる良い機会になりました。
蒼龍謹白  合掌



| ryuichi | 05:24 | comments (x) | trackback (x) | |