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「三春城御旗立て作戦」


三春ウォーク2011が「勤労感謝の日」の11月23日(水)に開催されました。
10キロのハイキングコースでしたが、山間の城下町の寺社仏閣巡りの上に、集合場所が旧三春城(舞鶴城)のお城山公園ですので、トレッキングと呼んだ方が正確だったかもしれません。



第3チェックポイントの真照寺の参道入り口にある当三春昭進堂には、大勢のお客様がウォークの途中ご来店いただきました。
ありがとうございます。
また、お帰りの際もお土産等をお買い上げありがとうございました。

事前の昨日、三春城下のシンボル「お城山」に沢山の方が入城するというので、我らが親分赤井氏の数年来の念願だった「三春城御旗立て作戦」を実行しました。
赤井親分引率の元、いそいそと竹伐りからの旗竿つくりあら設置までと半日お城山で格闘していました。

初めてで、手さぐりの試みということで、試行錯誤を重ねながらの決行でしたが、何とか6本をお城山に、2本を真照寺参道に建立しました。
その後の反省会では、来年の成功を祈願し一献傾けました。

メンバーですか?あと一人「チャンチキ」がいます。

次年度に向けてメンバーを募集します!




| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
「小川ロン冬枯れコンサート」シジミのストラップ


真照寺阿吽講「小川ロン冬枯れコンサート」



先日、さすらいの吟遊詩人「小川ロン」さんのコンサートに行ってきました。
毎度ながら、心に響く歌と楽しいトークで会場となった菊川屋双龍ホールでは、お客さんがコンサートをおもいおもいに楽しんでいました。
ロンさんも、8月には大病を患い3週間にわたる入院生活をされたそうです。
今回の冬枯れコンサートも、東北復興応援と自身の病気回復コンサートとしていました。
MCで、大病しても尚ギター一本で、日本全国を旅しながら歌っていられる幸せのありがたさを話されていたのが印象に残りました。



コンサートの合間に、滋賀県野洲の「和裁ひまわり会」代表の新征子さまから東北の被災された方々のためにと預かってきた琵琶湖のシジミを加工した、和裁シジミストラップを頂戴いたしました。



新様ありがとうございます。




| ryuichi | 05:45 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
三春物語700番「恵比寿講」商人の詩~三春昭進堂


明日、11月15日は、旧暦の10月20日に辺り、「えびす講」です。
新暦の七五三でもあり、日頃の感謝の気持ちを込めて、本日ご来店のお客様に「紅白まんじゅう」進呈いたします。
休まず営業です。
 

昭和30年代

商家が商売繁盛を祈念して、恵比寿神を祭る行事が恵比寿講です。
恵比寿講とは、商売の神様である恵比寿様と大黒様を奉り、商売繁盛を祈念するお祭りのことです。
我が家もこの日にはちゃぶ台に恵比寿様と大黒様の像を飾り、赤飯を山盛りにして、お頭付きの鯛、大きな五目玉の算盤、大福帳、お金等商売に関連する道具にけんちん汁等のご馳走を並べて祝っていました。
 



関東・東北では旧暦十月二十日に行うことが多いため、「二十日恵比寿」と言い、関西では正月十日に行うところから「十日戎」と言います。

 

商人の家で行う恵比寿講さまは、恵比寿様の像を飾った座敷に商品を並べ、座敷にある道具類も含めて、招かれた人々が買い方と売り方に分かれて売ったり買ったりするまねをします。
 双方が「千両」「万両」などと縁起をかついだ高い値をつけ、「売りましょう」「買いましょう」と言って手打ち式を行って締め、そのあとでごちそうを食べて祝うのです。ここから、とてつもないもうけ話のことを、「恵比寿講のもうけ話」などと言ったりするそうです。


昭和50年ごろ

神無月にすべての神が出雲へ行ってしまう中、出雲に里帰りをしないで留守番をする例外的な神様、「留守神」様も考えられました。
 例えば、農村の村境などに祭られている塞の神も、里帰りの費用もないほど貧乏で子だくさんだったから、などという理由がつけられ、出雲帰りをしない神と言われています。



 なかでも、一般庶民に台所の神、家の神として祭られる「恵比寿」さまは、留守神としてよく知られています。
 恵比寿さまは、「夷」や「戎」とも書き、異郷からやってきて、人々に幸福をもたらしてくれる来訪神(まれびと)としてあがめられ、もともと漁業の神として漁民に信仰されましたが、農村では田の神として信仰され、都市では商いの神、市神として、特に商人の信仰が厚かったと伝えられています。
 そこで、留守をあずかる恵比寿神を慰めるため、十月には「恵比寿講」を行って盛大に祭ります。







昭和57年の当店


昭和40年ごろ

| ryuichi | 12:56 | comments (x) | trackback (x) | 昭進堂店内案内 |
三春歳時記「七五三と鬼宿日」

北方守護古四王堂(真照寺境内)

11月は七五三ですね。
これから、七五三のお祝いをされるご家庭も多いのではないでしょうか。

七五三は室町時代から始まったといわれています。

七五三の祝いは十一月の鬼宿日に
 11/15 が七五三の日となったのは江戸時代のこと。
 それまで七五三の祝いは「十一月の吉日を選んで行う」とされていたそうです。


三春藩主菩提寺高乾院(荒町)

これが「十一月十五日」に固定されるようになったのは江戸時代、三代将軍家光が後の五代将軍綱吉の袴着(はかまぎ)の儀式をこの日に行ったからだと言われます。
 ちなみに、袴着の儀式と七五三の祝いの一つで、男児 5歳の祝いとされます。
 初めて袴という男子の公的な場での着衣を着けるというものです。

 将軍家の七五三がこの日となったのは、十一月十五日が「鬼宿日」と呼ばれ
 る吉日にあたっていたためです。

3・5・7といった奇数は、古くから陽数として縁起がよいとされていたため、
三歳・五歳・七歳の節目に、無事に成長したことを感謝し
成長をお祝いする行事が定着だといわれています。


七五三が庶民の間に広まったのは、江戸日本橋の呉服屋の宣伝効果によるもの伝えられ、元禄以降の話とされています。江戸中期に発信されたものが、昭和の三十年代になって定着しました。
行事そのものはあっても、着飾って寺社仏閣にお参りをするようになったのは高度成長期以降で現在に至っています。



尚、今年の七五三は、11月15日(火)です。
当三春昭進堂は火曜日定休ですが休まず営業いたします。



また、この日はえびす講でもありますので、ご来店のお客様に「紅白まんじゅう」をプレゼントいたします。
ご来店をお待ちしています。





| ryuichi | 17:55 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
三春物語699番「三春藩領内総鎮守大元帥明王社の大イチョウ」(現田村大元神社)

旧三春藩領内総鎮守大元帥明王の大イチョウの木が見ごろを迎えました。



戦国武将田村義顕公三春入府の折に、旧領山中守山(現郡山市田村町守山)より遷宮した大元帥明王を祀った明王社は、田村氏から松下氏、そして江戸期の秋田氏まで三春領六拾六号の領内総鎮守として領民の崇敬を集めました。



このイチョウには、昔、母乳が出ない女性がこの木の皮を煎じて飲んだところ、乳の出が良くなったという言い伝えがあり、子授けのご利益があるといわれ、昔は子宝を願って大イチョウを抱く女性の姿も見られたそうです。

また、幕末には、夜な夜な田村三代の田村清顕の生首が飛ぶという話や、 丑の刻参りの妊婦が腹を裂かれて死んでいたという怪談話がありました。
世情が不安な時期には、この手の話が横行するものなんですね。
いまの、原発事故の風評に似ていますね。



この大イチョウの木をよく見てみると、釘を打ち込んだような跡に見えるところもちらほらあります。



三春城下は、これから秋本番を迎えます。
23日には福島民報主催の「三春ウォーク」が開催されます。
集合、スタートは三春城本丸跡です。

紅葉の城下町三春の真照る寺や福聚寺、三春大神宮、そして紫雲寺等を歩きながら秋の紅葉を楽しみながら、小さな城下町の歴史や文化に親しみながら7ヶ所のチェックポイントを廻ります。

三春城山公園をスタートし三春小学校をゴールとする10㎞のコース。

日  時:11月23日(祝・水) 
受付時間:8:30~9:30
スタート:10:00~
集合場所:三春町城山公園







| ryuichi | 06:11 | comments (x) | trackback (x) | 「洗心洞箚記」三春散歩 |
三春物語698番「三春城下の紅葉
三春城下の紅葉


役場脇自由民権記念公園

役場脇の黄色く染まった銀杏の葉が、あっという間に落ちてしまい、急いで街中を撮影してきました。
 

真照寺境内古四王堂と大イチョウ

今年は猛暑の日照が強かっただけに、紅葉・黄葉が平年より1週間か10日ばかり遅かったように思えます。
それだけに、赤や黄に美しく染まった木々にはばらつきがあり、ずいぶん長く色付いたままの木々やもう落ちてしまった木々など・・・
 



三春昭進堂

日本の秋の紅葉が特に美しいのは、気候や地形が紅葉に適した条件にあることは言うまでもありません。
 紅葉が鮮やかに発色するのには、温度・水分・光などが密接に関係し、昼夜の寒暖差が大きくて適度の湿度があり、なおかつ紫外線が強い、などの幾つかの条件が必要と言われています。
 
 
秋色に染まる「守城稲荷神社」とお城山


三春藩主菩提寺高乾院境内の地蔵がみる臥牛山刑部舘跡

まさに、春の桜以上に刹那という言葉が当てはまります。
今年は猛暑による悪影響がかなり懸念されたものの、結果としては、紅葉に好影響を与えたのだろうか。


三春城下大町鎮守王子神社

木々は私達が気付かないままに、いつか下の方の枝から紅葉します。


三春城下中町鎮守愛宕神社

 一日の時間的経過としては、日暮の「夕紅葉」が夕陽に朱色が一段と燃えて、まさに息を飲むばかりに映えて見える。


愛宕神社参道
もう少しすると落ち葉で赤い絨毯が敷き詰められます。

その少し前に、時雨があればなお美しいのだと思います。


お城山(三春城址)からみる三春小学校と城下の山並み


愛宕さまから見る錦秋の城下


| ryuichi | 11:56 | comments (x) | trackback (x) | 「洗心洞箚記」三春散歩 |
「山手のドルフィン」海を見ていた午後・・・
「海を見ていた午後」ユーミン

山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる

今月、文部科学省主催の平成23年度「地域とともにある学校づくり」推進協議会が横浜の山下公園近くの横浜開港記念館で開催されます。
私も三春小学校運営協議会の会長という役目がら出席してきます。



横浜は久しぶりです。
数年前に、出張があった時以来の訪問になります。

前回は宿泊で、しかも、車での移動だったので、時間を取って山下公園付近の散策に行きました。
山下公園から外人墓地やら山手十番館やら、そしてお目当てはほろ苦い思い出のある「山手のドルフィン」でした。

1961(昭和36)年創業のカフェレストラン。
海を見下ろす夜景が楽しめるので、横浜ドライブの帰り道に寄るのにぴったりの、
デートスポットとして最適のロケーションにあります。
ユーミン(荒井由実時代)の「海を見ていた午後」で歌われています。

最後にお邪魔したのは、もう30年位前の茅ヶ崎での洋菓子修業時代(茅ヶ崎駅前サフラン洋菓子店)でした。
高校を卒業して福島の田舎から出てきたばかりのケーキ職人見習いに、休みのたびに神奈川在住の先輩方は、やさしくいろんな場所に連れていってくれました。
横浜山下公園や外人墓地、港の見える丘公園。
江の島や鎌倉、葉山マリーナとベンチャーズや、1978年にTBSドラマの『やあ!かもめ』の舞台にもなった「ラ・マーレ・ド・茶屋(金曜ロードショウのオープニングにも使われた)」、はたまた大磯ロングビーチなどなど・・・・

何故か、サザンやユーミンの歌を聴きながらです。
サザンではパシフィックホテルや烏帽子岩の解説を聞き、ユーミンでは中央フリーウェイなどなど・・・[山手のドルフィン]もこの類です。

その頃は、もっと小さい喫茶店で、平日の午後は割と空いていて、
修行先の洋菓子店の定休日に、ガールフレンドを誘って、デートでのドライブの途中に海を眺めに何回か行ったことがありました。

しばらく来ないうちに、お店は大型リニューアルが施されていましたが、青臭かったケーキ修業時代を懐かしく思い出していました。

夢や希望にあふれ、何もかも楽しく、煌びやかだったあの頃・・・
ここ「山手のドルフィン」が一番の思い出の場所です。
店の雰囲気や客層、景色までもずいぶん変わってしまって、何となく切ない、少し寂しいドルフィンでした。

あの頃は、若者特有の夢や希望であふれていたような気がしていましたが、アラ50’の年代になった今の方が夢や希望が多いように感じます。
若いころの夢とは、不安の裏返しで夢を探していたような気がします。
しかし、今は、経験値の中で自信が出てきたのでしょう、実現を前提にした夢が見れるようになった様な気がします。


矢沢永吉の語録は数知れませんが、その中一つでこう語っています。

「うぬぼれと言うといやらしく聞こえるけど、
考え方一つ変えていい取り方すれば
うぬぼれ屋ほど自分の主張を大切にしているんですよ。
前向きなうぬぼれならいくらうぬぼれてもかまわないんです。
それは言い換えれば自信だから。
自信ということは何かといえば責任なんですよ」

   永ちゃん最高! 


今回は時間がとれそうもないのでドルフィンにはいきませんが、やはり「思い出は綺麗なまま」がいいですね。


なんでハートカクテル?
それっぽいでしょ!




| ryuichi | 06:38 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
双葉地方広域市町村圏組合消防本部「ありがとう」・・・日本人として」がんばっぺない東北!
 
 双葉地方広域市町村圏組合消防本部富岡消防署

福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が行われ、隊員からの活動報告を受けた石原慎太郎知事は、出場したHPレスキュー隊員とその家族に向けて、
「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」
何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べて涙を隠さず、深々と敬礼していました。
 まさに、今の日本人の心境を代弁していただきました。

この事案は、東京消防庁HPレスキューだけではなく、初動期に出場し六名の負傷者まで出した、双葉地方広域市町村圏組合消防本部の署員の方々とそのご家族にも同じことが言えます。

 彼らは、今尚、原発から30キロ圏内の川内村出張所に本部機能を移し、通常消防救急業務という任務遂行のため、被曝の恐怖に耐えながら勤務しています。
24時間体制勤務、屋内退避地域のため、空調もつけず、防護服着衣用のまま車庫内に医療用エアテントを張って寝泊りしているそうです。
福島原発に一番近い消防隊として身の危険を顧みず、一難に駆けつけ地域住民の避難誘導、原発内での救急及び救助等、命がけで任務を遂行していただきました。
 普段から、原子力のこわさを熟知している部隊ですから、隊員の胸に去来するその恐怖は並大抵のものではなかったはずです。
また、その命令を出す消防本部指令当直長や現場指揮官である隊長など、下命する指揮官たちの苦悩も想像を絶することはいうに及びません。
 地域を、そして日本をまもるという使命と、目の前にある危機回避という任務遂行のため命がけで現場に出場する隊員、そしてその家族の方々の顔が脳裏をよぎったことでしょう。

東京へ帰還したHPレスキュー隊の隊長たちの会見にもありましたが、
出場した隊員たちの奮起奮闘そして任務遂行、そして放射能を熟知しているからこその恐怖心との戦い心境など、やはり言葉を詰まらせての報告でありました。
そして最後に隊員の家族へ向けて
「隊員は士気が非常に高く、よくやってくれた。残された家族には本当に申し訳ない。お詫びとお礼を申し上げたい」
隊長たちが目を潤ませながら語っているのを見ましたが、双葉地方広域市町村圏組合消防本部の隊長たちも同じことが・・・と思うと、同じ福島県人として、胸が締め付けられ目頭が熱くなりました。



壬生義士伝で新撰組斉藤一役を演じた佐藤浩一さんによる、
「生きているということ」谷川俊太郎作の朗読です。

東北関東沖代震災復興支援プロジェクトkizuna.com

 政治的な背景は無視して、現場では国を憂い、国民を・家族を守るため命がけで戦っている日本人が居ることを誇りに思います。
まさに、石原慎太郎都知事の言葉を借りるならば、
「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた」ということだろうと思います。

 「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 
私的な潔癖や徳義に拘って 本当の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 
今目覚めずして何時救われるか
 俺達は、先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る 
まさに本望じゃないか」
 

吉田満著『戦艦大和ノ最期』より

 地域における被曝医療訓練

 福島原子力発電所被災における初動対応時系列
① 消火・搬送
・福島第一原子力発電所(1号機)において爆発が発生、負傷者4人
・福島第二原発3km圏内の住民を消防により要援護者等の搬送支援を実施(12 日)
・福島第一原発から10km 圏内の病院の入院患者(自力避難困難者21人)と病院関
係者の避難を実施。
関係者のスクリーニングを行った結果、3人について除染後も高い値が検出されたため、
第2次被ばく医療機関に搬送。この搬送に関係した消防隊員60人のスクリーニングで3人について、
バックグランドの2倍程度の放射線が検出されたため、60人に対し除染を行った。(12 日)

・14日11時1分頃、福島第一原子力発電所(3号機)において白煙が発生
双葉地方広域市町村圏組合消防本部の救急隊2隊、救助隊1隊が出動し、負傷者6人
を搬送(14 日14 時50 分時点)

・福島第一原発から4号機において火災が発生した旨の通報があり、双葉地方広域市
町村圏組合消防本部から6隊21人が消火のため順次出動→自然鎮火した模様(16日)

・福島第一原発から20~30㎞圏内の病院の患者の一部について、県内応援隊によ
り除染ポイントまで移送し、滋賀県隊により他の病院まで搬送。(17 日)

② ①以外の対応
・原子力保安院からの要望を受けて、福島県原子力災害対策センターにいわき市消防本
部及び双葉地方広域市町村圏組合消防本部が参画(12 日)
・原子力安全・保安院から施設を冷却するための装備を持った部隊を派遣してほしい
との要請があり、福島第一原発に東京消防庁のハイパーレスキュー隊及び仙台市消防
局の特殊装備部隊の派遣を消防庁より要請→原子力安全・保安院の要請取り消しによ
り、中止 (12 日)

・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力要請し、合計4台の消
防ポンプ自動車を東京電力に貸与。
○郡山地方広域消防組合消防本部(2台)13日20時45分到着
○いわき市消防本部(1台) 14日 0時45分到着
○須賀川地方広域消防本部(1台) 14日 0時45分到着
・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力依頼し、合計8台(総
計12台)の消防ポンプ自動車を東京電力に貸与。
○米沢市消防本部(1台) 14日21時45分到着
○会津若松地方広域市町村圏
整備組合消防本部(1台) 14日19時10分到着
○宇都宮市消防局(2台) 14日21時50分到着
○さいたま市消防局(2台) 15日 1時15分到着
○新潟市消防局(2台) 14日23時45分到着

・ 総理大臣から東京都知事に対し、福島第一原発への特殊車両等の派遣の要請があり、
都知事がそれを受諾(17 日夜)。

それを受けて消防庁長官が東京消防庁に対し、福島
県への緊急消防援助隊の派遣を要請(18 日0 時50 分)。
→東京消防庁から特殊災害対策車等30隊139人が出場(18 日3 時20 分)
・消防庁からも福島第一原発対応のため、職員1人を派遣(18 日3 時10 分)
  消防庁発表より




| ryuichi | 09:36 | comments (x) | trackback (x) | さすけねぇ三春! |