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「山手のドルフィン」海を見ていた午後・・・
「海を見ていた午後」ユーミン

山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる

今月、文部科学省主催の平成23年度「地域とともにある学校づくり」推進協議会が横浜の山下公園近くの横浜開港記念館で開催されます。
私も三春小学校運営協議会の会長という役目がら出席してきます。



横浜は久しぶりです。
数年前に、出張があった時以来の訪問になります。

前回は宿泊で、しかも、車での移動だったので、時間を取って山下公園付近の散策に行きました。
山下公園から外人墓地やら山手十番館やら、そしてお目当てはほろ苦い思い出のある「山手のドルフィン」でした。

1961(昭和36)年創業のカフェレストラン。
海を見下ろす夜景が楽しめるので、横浜ドライブの帰り道に寄るのにぴったりの、
デートスポットとして最適のロケーションにあります。
ユーミン(荒井由実時代)の「海を見ていた午後」で歌われています。

最後にお邪魔したのは、もう30年位前の茅ヶ崎での洋菓子修業時代(茅ヶ崎駅前サフラン洋菓子店)でした。
高校を卒業して福島の田舎から出てきたばかりのケーキ職人見習いに、休みのたびに神奈川在住の先輩方は、やさしくいろんな場所に連れていってくれました。
横浜山下公園や外人墓地、港の見える丘公園。
江の島や鎌倉、葉山マリーナとベンチャーズや、1978年にTBSドラマの『やあ!かもめ』の舞台にもなった「ラ・マーレ・ド・茶屋(金曜ロードショウのオープニングにも使われた)」、はたまた大磯ロングビーチなどなど・・・・

何故か、サザンやユーミンの歌を聴きながらです。
サザンではパシフィックホテルや烏帽子岩の解説を聞き、ユーミンでは中央フリーウェイなどなど・・・[山手のドルフィン]もこの類です。

その頃は、もっと小さい喫茶店で、平日の午後は割と空いていて、
修行先の洋菓子店の定休日に、ガールフレンドを誘って、デートでのドライブの途中に海を眺めに何回か行ったことがありました。

しばらく来ないうちに、お店は大型リニューアルが施されていましたが、青臭かったケーキ修業時代を懐かしく思い出していました。

夢や希望にあふれ、何もかも楽しく、煌びやかだったあの頃・・・
ここ「山手のドルフィン」が一番の思い出の場所です。
店の雰囲気や客層、景色までもずいぶん変わってしまって、何となく切ない、少し寂しいドルフィンでした。

あの頃は、若者特有の夢や希望であふれていたような気がしていましたが、アラ50’の年代になった今の方が夢や希望が多いように感じます。
若いころの夢とは、不安の裏返しで夢を探していたような気がします。
しかし、今は、経験値の中で自信が出てきたのでしょう、実現を前提にした夢が見れるようになった様な気がします。


矢沢永吉の語録は数知れませんが、その中一つでこう語っています。

「うぬぼれと言うといやらしく聞こえるけど、
考え方一つ変えていい取り方すれば
うぬぼれ屋ほど自分の主張を大切にしているんですよ。
前向きなうぬぼれならいくらうぬぼれてもかまわないんです。
それは言い換えれば自信だから。
自信ということは何かといえば責任なんですよ」

   永ちゃん最高! 


今回は時間がとれそうもないのでドルフィンにはいきませんが、やはり「思い出は綺麗なまま」がいいですね。


なんでハートカクテル?
それっぽいでしょ!




| ryuichi | 06:38 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |
双葉地方広域市町村圏組合消防本部「ありがとう」・・・日本人として」がんばっぺない東北!
 
 双葉地方広域市町村圏組合消防本部富岡消防署

福島第1原発事故で放水活動を行って帰京した東京消防庁ハイパーレスキュー隊員らの活動報告会が行われ、隊員からの活動報告を受けた石原慎太郎知事は、出場したHPレスキュー隊員とその家族に向けて、
「まさに命がけの国運を左右する戦い。生命を賭して頑張っていただいたおかげで、大惨事になる可能性が軽減された」
何度も言葉を詰まらせながら感謝を述べて涙を隠さず、深々と敬礼していました。
 まさに、今の日本人の心境を代弁していただきました。

この事案は、東京消防庁HPレスキューだけではなく、初動期に出場し六名の負傷者まで出した、双葉地方広域市町村圏組合消防本部の署員の方々とそのご家族にも同じことが言えます。

 彼らは、今尚、原発から30キロ圏内の川内村出張所に本部機能を移し、通常消防救急業務という任務遂行のため、被曝の恐怖に耐えながら勤務しています。
24時間体制勤務、屋内退避地域のため、空調もつけず、防護服着衣用のまま車庫内に医療用エアテントを張って寝泊りしているそうです。
福島原発に一番近い消防隊として身の危険を顧みず、一難に駆けつけ地域住民の避難誘導、原発内での救急及び救助等、命がけで任務を遂行していただきました。
 普段から、原子力のこわさを熟知している部隊ですから、隊員の胸に去来するその恐怖は並大抵のものではなかったはずです。
また、その命令を出す消防本部指令当直長や現場指揮官である隊長など、下命する指揮官たちの苦悩も想像を絶することはいうに及びません。
 地域を、そして日本をまもるという使命と、目の前にある危機回避という任務遂行のため命がけで現場に出場する隊員、そしてその家族の方々の顔が脳裏をよぎったことでしょう。

東京へ帰還したHPレスキュー隊の隊長たちの会見にもありましたが、
出場した隊員たちの奮起奮闘そして任務遂行、そして放射能を熟知しているからこその恐怖心との戦い心境など、やはり言葉を詰まらせての報告でありました。
そして最後に隊員の家族へ向けて
「隊員は士気が非常に高く、よくやってくれた。残された家族には本当に申し訳ない。お詫びとお礼を申し上げたい」
隊長たちが目を潤ませながら語っているのを見ましたが、双葉地方広域市町村圏組合消防本部の隊長たちも同じことが・・・と思うと、同じ福島県人として、胸が締め付けられ目頭が熱くなりました。



壬生義士伝で新撰組斉藤一役を演じた佐藤浩一さんによる、
「生きているということ」谷川俊太郎作の朗読です。

東北関東沖代震災復興支援プロジェクトkizuna.com

 政治的な背景は無視して、現場では国を憂い、国民を・家族を守るため命がけで戦っている日本人が居ることを誇りに思います。
まさに、石原慎太郎都知事の言葉を借りるならば、
「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだすてたもんじゃないということを示してくれた」ということだろうと思います。

 「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 
私的な潔癖や徳義に拘って 本当の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 
今目覚めずして何時救われるか
 俺達は、先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る 
まさに本望じゃないか」
 

吉田満著『戦艦大和ノ最期』より

 地域における被曝医療訓練

 福島原子力発電所被災における初動対応時系列
① 消火・搬送
・福島第一原子力発電所(1号機)において爆発が発生、負傷者4人
・福島第二原発3km圏内の住民を消防により要援護者等の搬送支援を実施(12 日)
・福島第一原発から10km 圏内の病院の入院患者(自力避難困難者21人)と病院関
係者の避難を実施。
関係者のスクリーニングを行った結果、3人について除染後も高い値が検出されたため、
第2次被ばく医療機関に搬送。この搬送に関係した消防隊員60人のスクリーニングで3人について、
バックグランドの2倍程度の放射線が検出されたため、60人に対し除染を行った。(12 日)

・14日11時1分頃、福島第一原子力発電所(3号機)において白煙が発生
双葉地方広域市町村圏組合消防本部の救急隊2隊、救助隊1隊が出動し、負傷者6人
を搬送(14 日14 時50 分時点)

・福島第一原発から4号機において火災が発生した旨の通報があり、双葉地方広域市
町村圏組合消防本部から6隊21人が消火のため順次出動→自然鎮火した模様(16日)

・福島第一原発から20~30㎞圏内の病院の患者の一部について、県内応援隊によ
り除染ポイントまで移送し、滋賀県隊により他の病院まで搬送。(17 日)

② ①以外の対応
・原子力保安院からの要望を受けて、福島県原子力災害対策センターにいわき市消防本
部及び双葉地方広域市町村圏組合消防本部が参画(12 日)
・原子力安全・保安院から施設を冷却するための装備を持った部隊を派遣してほしい
との要請があり、福島第一原発に東京消防庁のハイパーレスキュー隊及び仙台市消防
局の特殊装備部隊の派遣を消防庁より要請→原子力安全・保安院の要請取り消しによ
り、中止 (12 日)

・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力要請し、合計4台の消
防ポンプ自動車を東京電力に貸与。
○郡山地方広域消防組合消防本部(2台)13日20時45分到着
○いわき市消防本部(1台) 14日 0時45分到着
○須賀川地方広域消防本部(1台) 14日 0時45分到着
・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力依頼し、合計8台(総
計12台)の消防ポンプ自動車を東京電力に貸与。
○米沢市消防本部(1台) 14日21時45分到着
○会津若松地方広域市町村圏
整備組合消防本部(1台) 14日19時10分到着
○宇都宮市消防局(2台) 14日21時50分到着
○さいたま市消防局(2台) 15日 1時15分到着
○新潟市消防局(2台) 14日23時45分到着

・ 総理大臣から東京都知事に対し、福島第一原発への特殊車両等の派遣の要請があり、
都知事がそれを受諾(17 日夜)。

それを受けて消防庁長官が東京消防庁に対し、福島
県への緊急消防援助隊の派遣を要請(18 日0 時50 分)。
→東京消防庁から特殊災害対策車等30隊139人が出場(18 日3 時20 分)
・消防庁からも福島第一原発対応のため、職員1人を派遣(18 日3 時10 分)
  消防庁発表より




| ryuichi | 09:36 | comments (x) | trackback (x) | さすけねぇ三春! |
塵壺10月号「東北ちんどん夢乃屋」一座三春巡業
 

三春大神宮祭礼「東北ちんどん夢乃屋」一座三春興業
先の三春大神宮祭礼で、城下中町若連では宮城県垣理町出身で、被災者でもある日本クラウン所属の演歌歌手「渡辺亮子」歌謡ショー。
当店のある新町睦会は、姉妹都市一関市出身の魔女伝説「瞳ナナ」マジックショーと趣向を凝らした奉納興業を催し祭りをより楽ませてくれました。
毎年、祭礼を盛り上げるため新町睦会は、ちんどん屋「東北夢乃屋」さんによる三春城下巡業を行っています。
今では珍しくなったちんどん屋。この興業で初めて見た方もいらっしゃるでしょう。
私の子供の頃、母の実家のある本宮(現本宮市本宮)では、奥州街道の宿場町という歴史もあって、昔から各種大売出しや安達太良神社や太郎丸の観音様の祭りなどでは歌手や旅役者、そして大道芸人の興業をちんどん屋が賑やかに巡業して知らせていたものでした。

母の実家は、「小山菓子店」という太郎丸にある和菓子屋で、祭りの賑わいや商店街の繁盛に、叔父の粋張りを感じていました。
私もそうでしたが多くの子供たちがあの哀愁のあるメロディーにのって後をついて歩いたのが懐かしく思い出されます。
また、ちんどん屋全国大会が本宮で開かれたのもこのころだったと記憶しています。
昔は『バーカ、カーバ、チンドン屋、お前のかあちゃんでーべーそ♪』と囃子言葉に使われるほど身近だったちんどん屋・・・子供心にちょっと怖かったり、でも楽しげだったり、なんともミステリアスでした。
『ちんどん屋』とは、演奏する楽器の「ちんどん太鼓」、これについている鉦(かね)を叩くと鳴る「ちん」という音色と、太鼓を叩くと鳴る「どん」という音色が合わさって、ちんどん屋と言うようになったとか。
商店やイベントなどの広告・宣伝を行うのが仕事のちんどん屋ですが、そもそも江戸時代に大阪の飴売りの「飴勝」という人が自分の声を売る商売として寄席の客寄せを請け負うようになったのが始まりで、「東西屋」「広目屋」とも呼ばれる ていたそうです。
 三春大神宮の祭礼の宵祭りで新町睦会さんが「新町大宴会」を催して20年近くなります。私も睦会の役員だったころ、どうしてもちんどん屋を今の子供たちに見せたくて、新町大宴会のイベントをお願いしている郡山Navi・ステーションの憲ノ介さんに相談したところ、なんと三春出身のちんどん屋さんがいるということを聞きつけて実現してから早10年になります。
「東北夢乃屋」さんは、三春出身の日本を代表するフリージャズの第一人者ジミー稲葉さんと、ちんどん娘のみこさん、そしてチャーリー金田さんの三人組のユニットです。
以来、三春城下挙げての三春大神宮祭礼ですので、三春城下一円を巡業してもらっています。
初めての巡業の時は、子供の頃にタイムスリップしたような空間で、ちんどん屋さんと家族連れの観客そして商店街の人達が触れ合う風景は、どこか懐かしくそして温かい雰囲気でお客様の心を優しく包み込んでいるようで、商人として嬉しくて涙がこみ上げてきたことを覚えています。
“ちんどんの音色”は、活気のあった「商都三春」に、もう一度元気をとのエールに聞こえます。      
 がんばっぺない三春!    
                 蒼龍謹白   合掌





| ryuichi | 06:48 | comments (x) | trackback (x) | |
赤い戦闘機(アウディーカブリオレ)「私がオバさんになっても・・・」


6年ほど乗った、平成3年型のアウディーのカブリオレをとうとう手放してしまいました。
オープンカー好きの私には完全に趣味の車で、計理士の先生から店の経費には一切認めてはもらえず、経費には組み入れていませんでした。
アメ車から乗り継いで、小さい日産フィガロからのスイッチした、ドイツ車です。
以前も、アウディーを所有していました。
この車も大変乗りやすい車で、普段の足として、北は岩手、西は新潟、南は東京・横浜など高速クルージングを楽しみました。

しかし、禁煙してから約三年、この度エコに目覚めた私は、トヨタのプリウスαを予約したのを期に、とうとう赤い戦闘機から降りてしまいました。



この車を入手以来、屋内車庫で保管。
リヤのシールド交換やナビやetcの装着。
タイヤ交換や小まめのオイル交換等々、たくさんの方の手助けを得て、ずいぶんと手をかけました。
夏は暑いし、冬は車庫で冬眠。
手間のかかる車ですが、かえって愛着がわくもんなんですね。




このアウディーでは、避暑地で活躍しました・・・・
特に那須高原や裏磐梯での活躍を忘れるわけにはまいりません。
インターを降りると屋根を開けてオープン・エアーを満喫していました。
しかし、紫外線アレルギーの私は、日焼け止めクリームにサングラスそして帽子にと・・・フル装備でのドライブでしたが、
さらには、普段着である作務衣にハンチングハット、そして雪駄といういでたちで、変わった格好ですよね!
知らない女の子に写真を撮られたり、そこら辺をドライブさせられたりと、随分楽しませていただきました。

チャラチャラ?
ですよねー!

森高千里「私がオバさんになっても」ですよ・・・



すみません」>」」
森高ファンなものですから・・・・







| ryuichi | 06:40 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
三春歳時記「十三夜」


十三夜
 日本では、古くから秋の名月を鑑賞する「お月見」の風習があります。お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名ですが、日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていました。
 中秋の名月(十五夜)はもともと中国で行われていた行事が日本に伝来したものですが、この十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われています。

 一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていました。
これは十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたからです。
 


十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれていますが、十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。
これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。



十三夜月見団子
 13ヶ入り 650円
  5ヶ入り 300円
  当日、10月9日(日)のみの限定販売となります。

中秋の名月の後なので、「後の月」と言われたり、「小麦の名月」と呼ぶ地方もあります。これは旧暦九月十三日の晩のお天気で、翌年の小麦の豊作、凶作を占う習慣から来ています。
 十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。

今年平成23年の十三夜は、10月9日日曜日です。



| ryuichi | 06:00 | comments (x) | trackback (x) | |
「ローマの休日」相変わらず綺麗だなぁ!


先日、BSで「ローマの休日」が放映されていました。
DVDは持っていましたが、つい、録画していたのを見ました。
1953年制作の白黒フィルムですが、白黒ゆえにいっそうオードリーヘプバーンの清楚さが際立って見えます。
ある国の王女と新聞記者のおとぎ話のようなラブロマンスは、公開と同時に彼女は世界中を魅了しました。

そう云えば~
という感覚とともに遠い記憶がよみがえってきました。
主演のオードリー・ペップバーンに似ていた奴が居たなぁ?とおぼろげな記憶を辿っていくと、少しずつ霧が晴れて紐解けて行きました。

小学からの同級生が、当店に買い物に来てくれますが、正しくこの娘でした。
この娘といっても、当然同年代のアラフォー(50’?)世代ですが、知的で大人の女性の色気のある方です。

この同級生は小学校の時の転校生で、「ローマの休日」での上品でやんちゃでお転婆なお姫様を演じたオードリー・ペップバーンに似ているなあと子供ながらに見とれていました。
今から思えば普通の女の子でしたが、妖精のようにチャーミングな言葉と仕草などは、何か輝いていたように記憶しています。
まさに、チャーミングな笑顔が素敵な、そして勉強も良くできた、みんなのあこがれのマドンナでした。

アラ50’世代と呼ばれ始めた昨今でも、全然変わってなくて、あいかわらずオシャレで可愛い・・・というよりは、彼女の周りだけ時間が止まってしまったのでは?というくらい綺麗です。
ウン十年という時間が経過していますが、「可愛いという思い出」が全く崩れることなく、さらに綺麗なままでいてくれて本当に嬉しい限りです。
思い出は美しいままがいいですよね・・・・

懐かしさ、チョット苦い記憶が蘇る甘酸っぱい想い出。
青くさい時代を思い出します。

女性のの内面からにじみ出る美しさというものは、年を重ねるごとにごとにその輝きを増し、色あせることはないものなんですね。
「年を重ねる」とは、様々な経験を経て人生の引き出しが増えるということ。
素敵な言葉ですよね。

いっぱい引き出しを作れば、作るほど、奥の深い魅力的な女性になるのではないでしょうか。
そして、美しさというものは外見だけではなく、内面から出てくるものだと思っています。
美しい人ってつねに前向きですよね。
それが笑顔にもつながり、外見の美しさにも結びつくんじゃないかと感じます。

心が美しい人は、笑顔が素敵です。
目が笑っている笑顔は、やさしさに包まれています。

自分を大切にしているからこそ、他人も大切にできる。
「自分を大切にすること」は、決してわがままや自己中出はありません。
しっかり自立するということなんだろうともいます。
自分を大切にできない人は、他人も大切にできませんよね。

今が幸せなのでしょう.
子供のころ、その時以上に輝いている、自信がある生活をしている。
そのように見えるからだと思います。

こんなことを書いていると、昔の彼女?と言いたいところですが、前記したように、同級生一同のアイドル的存在で、内気な私など、話しすらしたことがありませんでした。
今思うと残念です!

最近、斉藤和義の「ずっと嘘だったんだぜ」ではなくて、「ずっと好きだった」が耳に残ります。




せめて妄想だけでも・・・ん?
この曲は、懐かしくオーソドックスなギターがカッコイイシンプルな曲です。

往年のビートルズ「ゲットバック」を再現したCMも話題になりましたね。
学生時代の憧れの娘に同窓会で再開するという歌詞は、リアルに経験がなくても「ドッキッ」としてしまいます。

この歌詞を聴いて遠い記憶がよみがえる人もいるんじゃないですかね・・・
それが、余りにも切なくて、自分のことのように胸が痛くなります。
アラ50’男としては、今さら、「相変わらず綺麗だなぁ!」って言ってみるのも結構勇気ほしいものですよね。


楽しくって、切なくって、胸がキュンとなる、同級生との時間。
たまにはこんな大人の楽しみも良いなぁと思いました。
やはり、同じ三春に住む同級生というか幼馴染?まして憧れの君は、どんなに時間が経ていても何気ない話をするだけでも落ち着くもんですね。

え、誰だって?
それは言えませんよ!内緒です。
数分間の恋愛映画を見ているような、素敵な思い出です。
もう少し、甘くて酸っぱい「青い夢の世界」を独り占めさせて下さい・・・


美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。

オードリー・ヘプバーン

| ryuichi | 06:46 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
『青いターバンの少女』フェルメール


京都で「フェルメールからのラブレター展」が始まっています。
何とか調整して見に行く予定でしたが、
なんと、この展覧会が仙台の宮城県立美術館で10月27日から12月12日まで開催という嬉しいニュースが届きました。

美術館開館30年記念事業として企画されということ。

「フェルメールからのラブレター展」仙台

【会 期】10月27日(木)~12月12日(月) 9:30~17:00(土日は19:00まで)

【会 場】宮城県美術館

【主 催】宮城県美術館、河北新報社、仙台放送、財団ハタステフティング

【協 力】KLMオランダ航空、東日本旅客鉄道仙台・盛岡・秋田支社
      めんこいテレビ、秋田テレビ、さくらんぼテレビ、福島テレビ

[手紙を読む青衣の女]、
[手紙を書く女]、
[手紙を書く女と召使]
                             
フェルメールでは、『青いターバンの少女』が好きです。
フェルメールといえば窓際光の画風というイメージですが、この『青いターバンの少女』いは窓が配置されていません。
けれどその世界は優しさに満ちた透明な光が溢れていて、静かでありながら生き生きしていて…ゲージュツらしい尖がったところはなくても充分すぎるほどに個性的です。
さらによくよく見ると素朴さのなかに青いターバンというインパクトのある色がつかわれており、さらりその少女は真珠の大きな耳飾とつけていて唇が赤い・・なんとも違和感を感じる絵です。
少女の濡れた瞳が魅力的です。
少し開いたつややかな唇も、なんとも言えぬ魅力を放っています。
別名「青いターバンの娘」とも呼ばれる本作において最も特徴的な、黒色で統一される背景に鮮明に浮かび上がる少女の刹那的な表情は、極めて強烈な印象を与えます。
そして、エキゾチックな、青いターバン、そして東洋的な衣装。
そうして振り向き加減のポーズ全体が、観る者に何かを語りかけているみたいです。
美術館のスタッフは、毎朝その表情が変わると語っているそうです。

一般に、全く奇をてらったところのない、一見地味な画風。
美術史上極めて評価の高いオランダ画家です。
しかし、その生涯は謎につつまれ、フェルメールがどんな手法で絵を製作したか確かなことは何もわかっていません。
また、フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる。この青は、天然「ウルトラマリンブルー」という絵の具で、17世紀には金よりも貴重であったといわれ、「天空の破片」とも呼ばれた「ラピスラズリ」という非常に貴重な鉱石を原材料としている。
そして誇張された独自の遠近法。残された作品はほんの僅か。しかも、デッサンが全く残されていません。



アメリカの作家トレイシー・シュヴァリエは、フェルメールのその絵のタ青いーバンから強い印象を受けて、「真珠の耳飾りの少女」という小説を書きました。
フェルメールの人生を模写したフィクションです。

私は、先日、この小説から生まれた「真珠の耳飾の少女」という映画を観ました。
そのフェルメールが映画の中でどのように描かれているのか、謎の多い画家であるだけにとても楽しみでした。映画はフェルメールの『青いターバンの少女』にまつわるエピソードを繊細なドラマとして再現したものです。
ストーリーはともかく、フェルメールの住んだ家、そしてデルフトの町が、フェルメールの絵そのもののように、
とても美しく描かれた、その映像が素晴らしい映画でした。
撮影監督のエドゥアルド・セラが描き出した映像は当時の色使いそのままというような繊細にして神秘的、素晴らしい映画でした。



| ryuichi | 06:12 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
山形蔵王温泉


この夏は何か遠出がかさなります。
昨夜は、出張で山形蔵王温泉です。
出張です。仕事です。
夜の宴会にコンパニオンはいますが、仕事です。

今朝は、定休日なのでゆっくりと蔵王温泉を堪能してきました。
温泉につかり昨夜のお酒を抜いてからの帰宅とします。



ここに蔵王温泉由来の解説によれば、
「日本最古の一つに数えられる蔵王温泉は、西暦百十年吉備多賀湯(きびのたがゆ)に発見され、蝦夷征伐で病んだ身体が完治したと伝えられ、又山岳信仰の霊山としても古くから知られておりました・・・」
「当温泉は強酸性ですので石鹸は使用できません。又ぬれたままのタオルを着物に掛けたりしますと、やがて切れますのでご注意下さい」



まずは、蔵王温泉大露天風呂。
1つのお風呂に 200人も入浴できるという蔵王名物の大露天風呂です。
高原の為、風が心地よく、蝉時雨の降り注ぐ中、森林にすっぽり包まれ広々とした温泉に感動と感謝です。

休憩所にはお茶やビール、ジュースなどの他に
名物の玉こんにゃく(1本100円)
も売っていて、 お醤油の香りがたまりません!
思わずお代りまで注文していました。
風呂上がりの玉こんにゃく!本当に旨い・・・
手にはキリンのフリーを握っていました。

昼食を兼ねて、蔵王温泉の昔ながらの温泉街「高湯通り」に下りてみました。
お目当ては、



蔵王温泉の古くからの共同浴場を3ヶ所の一つ「川原湯共同浴場」
旅館が立ち並ぶメインストリート『高湯通り』から、さらに一本裏通りにまわったところにあります。
ひっそりと目立たないその佇まいは、湯治場として賑わっていたころの面影を色濃く残し、いかにも古びた建物は、情緒溢れる風情があっていいですね。



清掃協力金として。200円を寄付して入る。
浴槽の底そのものが源泉(自噴風呂)という、珍しい共同湯。
そのため浴槽の周囲が格子状になっており、その間からどんどん湯が涌き出てくる。




こちらは、高湯通り沿いにある「下の湯」



そして今日のお昼は、搗き立てのお餅を食べさせてくれるのが山口餅屋。
軒先には「お餅」と染め抜いた赤い暖簾。
メニューのバリエーションには驚かされます。
「あんこ」、「きなこ」、「ずんだ」に「しょうゆ」といった定番はもちろん、「納豆」、「おろし」、「納豆おろし」「くるみ」、「ごま」の他、「海苔餅」、「お雑煮」、「お汁粉」まで、ありとあらゆるお餅が食べられる。
温泉に入り腹も空いていたので、雑煮セットの海苔餅と名物クルミ餅添えを食べました。出来立てで柔らか~いのにコシのあるお餅。
手作りならでは、濃厚な素材の持ち味が食べられました。




大きな地図で見る


チラシより

| ryuichi | 06:45 | comments (x) | trackback (x) | 蒼龍温泉紀行 |
真夏の福島の夜の夢「魅惑のベリーダンス」


昨夜、福島市で酒席の会合となったために一泊することになりました。
福島駅前のビジネスホテル(福島恵比寿ホテル)に宿をとりましたが、エレベーターでベリーダンスのダンサーの方とと一緒になりました。
当然そのコスチュームです。
なんと屋上のビアガーデンでベリーダンスのショウに出演するとのことでした。
これは男として行かねばなりません。




この恵比寿ホテルでは、毎週日曜日に様々なイベントを実施しているということでした。
先週はフラダンス、そして今週が魅惑のベリーダンスです。

私は知らずに来たということを話すと、支配人から「ラッキーでしたね!」と。
ステージは素敵な7人の美人ダンサー(福島市にある、やよいダンススクールの先生と生徒の方々)による妖艶というか魅惑のというか、セクシーというか・・・とにかく素晴らしい踊りでした。
目の前で踊ってくれるのですが目のやり場に困ります。
いたたまれずに、スタンディングで踊っているダンサーと友達の女性のグループに混ぜていただいて、一緒に楽しんできました。

本当に楽しかったんです。
しかも偶然なんです。
たまたまエレベーターで一緒になってお誘いを受けたから行っただけなんです。
男なら、偶然乗り合わせたエレバーターの扉が開き、ドアの前にベリーダンスの格好をした女性数名微笑みながら立っている。
するとこの密室に乗り込んできて、「これからショウで踊るんですが、見に来てください」と言われれば、セクシーな衣装を身にまとった美人ダンサーがですよ・・・
「はい!」と返事をしない方はいないはずです。
福島は楽しいところです。



お盆なのでしょうか、その夜は偶然入った焼き鳥屋(やきとり余市)さんでは、偶然の出会いが重なりました。
大将からはばバブルのころの、懐かしい方のお名前を聞けたり、お客さんには福島藩筆頭家老の末裔の方と同席させていただいたりと、楽しい一夜となりました。


| ryuichi | 14:34 | comments (x) | trackback (x) | 「日暮硯」堂守ブログ |
三春歳時記「地獄の釜の蓋が開く」
「地獄の釜の蓋が開く」
夏の風物詩、お盆。
8月中旬、大多数の日本人が、列島を車で、飛行機で、電車で移動する。
都会は日ごろの喧騒を忘れて静寂な空間となり、地方は久しぶりの帰省者で数日間であるが賑やかさと活気を取り戻します。
 お正月とお盆は日本古来の「魂(霊)祭り」とされています。
正月には「お正月さま」が、盆には「お精霊さま」が、共に祖先の霊であるが、日常生活に侵入して、生者と交歓する異空間を作り出します。
 新しい死者に対しては「新盆」「初盆」と言って、特に丁寧に供養します。
東京中心に新暦の7月に行う地域もありますが、日本各地の多くは月遅れの8月15日前後に行われています。

釜蓋朔日 (暦日 7/1)
盆の月の朔日には地獄の釜の蓋が開くという。地獄の精霊たちは開いた釜の口を通って子孫の待つ家に向う長い旅を始める日とされる。
また、この日を盆の開始とする地域は多く見られ、新盆の家では高燈籠を立てることもした。
 
7日には墓掃除。
12日には精霊棚を作り準備をする。
13日(あるいは12日)は「迎え盆」といい、墓参りをして夕方盆提灯に火を灯し、精霊(祖先の霊)をお迎えし、家の外では迎え火を焚く。
15日(あるいは16日)の夕方には送り火を焚いて精霊を送る。
船引町内では、大滝根川でおこなわれる「灯篭流し」「精霊流し」といい、舟形を作り、供物類を乗せ、盆灯篭を灯してがなしています。
19日や20日に、あるいは31日に送り盆をするところもあります。

仏教がインドから中国に伝搬されて後、儒教や道教などの教えと混同し、地獄の釜の開閉を見張る番人である鬼や、その上司である閻魔大王にも、いわゆる「薮入り」という休暇があり、どうやらそのお蔭で死者たちは一時、地獄の苦しみから逃れられることができるらしい。と言う故事を、「地獄の釜の蓋が開く」と言うのですが、地獄に蓋が有るのか無いのかでは無く、お盆の供養を行う事により、御先祖様で地獄に落ちた亡者も、地獄の責め苦から解放されて、地獄、極楽皆等しく、「楽」になる様を言うのです。
各地の寺院で行われる「お盆供養」と同時に「施餓鬼会」といって餓鬼道に落ちた亡者を弔う行事が行われています。
正月の十六日の盆の十六日は、だれかれなしに仕事を休もうという意味で、この日には地獄の鬼も亡者の呵責を休み、罪人を煮る釜の蓋も開けっ放しになることから、かつてはこの日を「藪入り」といい、商家では商売を休み、使用人にも暇を与えたと伝えられています。

お盆の期間中、お坊さんは檀家の各家を回り、盆棚の前で読経します。
盆棚の前でお経を読むので「棚経」と呼ばれています。
 施餓鬼会とは、供養してもらえない霊である餓鬼をも救わずにおられない仏の慈悲を示す行事です。
盂蘭盆と施餓鬼会が合体したということは、自分たちと暮らしをともにした家族を偲び、三千世界ともいうべこの世に生ける有縁無縁の者たちをも一緒に偲びたいものです。



| ryuichi | 08:14 | comments (x) | trackback (x) | 春陽三春歳時記 |