大元帥明王 (現田村大元神社)戦国大名田村義顕が三春入府の際、守山の大元帥明王を移し領内総鎮守としたもので、以後江戸期入府の秋田家にも引き継がれ、三春安倍秋田家領内総鎮守、真照寺別当、大元帥明王社として三春秋田家の庇護の下、五万石領民より崇拝を集めました。
  又、祭礼も別当職真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、三春領内(現田村郡全域と郡山の一部)の三十三郷が、頭屋制を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。
 その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、会津藩や白河藩をはじめ他藩より祭り見物の為三春に訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       
 その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(荒町八雲天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。
 
明治維新後、廃藩置県神仏分離に伴い規模が縮小されました。